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nerd studyに所属するhtml群では、侮蔑されるオタクがコミュニケーションスキル/スペックを向上させる方法論や、コミュニケーションスキル/スペックが無い事によって被る可能性などを主な論題としている。しかし、絶対にコミュニケーションの技術を向上させるべきであるとは一言も言っていないし、今後も言うつもりはないだろう。あくまで「
あなた次第」が基本姿勢である。
そこで、ここでは「コミュニケーションスキル向上を選ばない・諦める」という、思い切った選択肢について考えてみる
※1。
以上、今の私に考えられる要素について列挙してみた。これら諸々の要素を検討して、どう考えても今の生活を守ったほうが利益に叶っているというのなら、積極的に「放棄する」事が選択されるだろう。
18歳未満はともかくそれ以上の年齢では、どのような生活をしてどのような生き方をするのかは法律上は自由である
(触法行為や迷惑行為はダメだが)。或る個人の生き方は、誰かに強制されるものでも縛られるものでもない。むしろ、紋切り型の範疇的な価値体系に飲み込まれて生きる事に潜む危険にも留意すべきかもしれないし
※2。
全て自らの能力と意志によって行動が決定される以上、たとい「汚いオタ」と呼ばれるリスクがあったとて、それが自らの意志で選んだものだというなら、それはそれで立派な決定であり、強制されて何かをやるより余程価値のある選択とも言える。周囲が何をいうかは別だが、本人にとってはこの上ない価値ある選択だ。もちろん、その後の事も
自己責任として引き受ける用意があるなら、だが。コミュニケーションスキル獲得にをかかるコストを、他の事に費やしたいという意見は尊重されて然るべきと考える
※3。
さて最後に付け加えておく。
ここでは諦める事について書いたわけであるが、
諦める事というのは即ち、これからもずっと侮蔑されるオタクとして生きていくという覚悟を意味する。あなたは30歳になっても多分オタクだし、40歳になってもオタクだろう。それも、周囲の同性異性から相手にされにくいような、そういうオタクである。単にオタク趣味が好きだとか、オタク趣味に造詣が深いという事はあまり関係ない。コミュニケーションの不得手なオタクである限り、いずれにせよあなたは外に侮蔑の視線を、内に自意識の葛藤を抱えることだろう。
諦める以上は、これからもコミュニケーション能力の向上・回復は簡単には望めないばかりか、むしろさらなる衰退を招く可能性が高い。そして加齢に伴いその遅れを取り戻すだけの機会も、脳の可塑性も失われていく。だから完全に諦めるという事は事実上、オタクとして以外の生き方をせず、オタクでない人々との交際が一生制限されると覚悟はしたほうがいい。あなたが主体的に、一般人から侮蔑されるようなオタクをやっていて、何か求道するものを見いだしてライフワークにするのなら、こんな書き込みなど歯牙にもかけない事と思うが、そうでない柔弱者のオタクは、以下をよく読んでから、本当に諦める事を検討してください。
侮蔑されるオタクとして生きていく事を、神と悪魔に誓うと得られる数々の特典
・あなたは無限のオタク的愉しみやオタク趣味の邁進に全力を尽くす事が出来ます
・あなたは現実の異性との恋愛が出来ませんし、自分と同じ趣味以外の同性との交遊もますます困難になっていくでしょう。
・あなたがオタク狩りに出会う危険率が、たぶん高くなります。
・あなたは街の中で汚いものをみるかのような視線にさらされ続けます。
強い意志のオタクはきっとこんな文章にはびびらないだろうし、むしろ自らの意志と展望が確固としている事を、この場で再認識するだろう。だが、単に意志薄弱でオタクをやめられない人は、上の文章を読んであまりいい気分にはならないと推測される
(そしてこの文章を読んで反動形成的に心地よさをさえ装うかもしれない)。しかし、柔弱者のオタクは、諦められない反面、何か新しいものも始められないからこそ柔弱者というわけで、オタクだろうがそうでなかろうが、意志の弱い人間は結局のところは負け組になっていく、という仕組みだと捉えるべきなのだろうが‥‥。
※2006年補足:世渡りに占めるにコミュニケーションスキル/スペックの必要性は、当初私が思っていたよりも益々必須になりつつあるような気がします。やはり、諦めるからには不可逆の覚悟と大いなる代償が必要と考えるべきでしょう。よくよく考えて舵をきりましょう。