[1失敗は成功の元。結局、一番大切なのは勇気]

 お金や体力なども問題となるが、しかし多くのオタクさんにとって一番のネックは心理的葛藤という奴ではないだろうか。このページをすがるような気持ちで見に来たような人で、ここまで文章を読んできて“俺にはできない!”と思った人の多くが抱えているのは、物理的な距離ではなくて心理的な葛藤(抵抗)ではないだろうか。

 例えば、あなたのコミュニケーション能力がすごく低劣で、さらに恥に敏感なパーソナリティなど持っていようものなら、一歩踏み出すのは途方もなく大変だろうと推測される。そうでなくても、新世界に飛び込む事に抵抗感を感じる人は決して少なくない筈だ。既知のオタク趣味・オタクコミュニティに同じ時間やお金を投資した場合は投資的と言えるだろうが、知らない世界に踏み出すという行為は常に投機的であり、先の見えないフロンティアへの冒険である。ゆえに心理的距離を克服するには強い意志による決断が必要となってくる。また、失敗のリスクについて計算し、それを受容できるだけの精神的・経済的・社会的なゆとりがあるか、検討する必要もある。そして、結局は決断できないような状況だとするなら、やはりダメだろう。それが覚悟の無さによるものか、勇気の無さによるものか、状況によるものかに関わらず、超人的に運が良い場合以外は多分ダメ だ。あなたは今後もじりじりと他コミュニティとの交流能力を衰えさせ、様々な人と交流出来るタイプの人々との差はより一層大きなものとなっていくと推定される。失敗のリスクを乗り越え、数々の失敗を承知の上で投機に踏み切れる人だけが、スキルを獲得する機会を得るのだ。


  だから失敗は怖いけど恐れたら負けだ。 
 (なんか恋愛のhow to本みたい‥‥即ち駄目すぎる説明だ!)

  初手から知らない趣味・価値観の人達と上手くやっていく事は無理である。むしろ、数ある失敗から学ぶという姿勢が我々には肝要ではなかろうか。よく「失敗を恐れて」こうした試みに踏み出せない臆病な人がいるが、この場合失敗も成果のうちと考えるのが精神衛生上良く、何より現実的と考える。失敗してただ腐るのではなく、何がまずかったかを考え、次回に活かすといった発想なしに果たしてコミュニケーションが上達するのか?それだけの学習意欲なしに人付き合いが上手になっていくのか?

 失敗は成功のもとという言葉は、失敗すれば必ず成功するかのように聞こえて大嫌いだが、しかし失敗なくして成功が無いという事は言えるのではないだろうか。つまり、この場合、失敗は成功の十分条件ではないが必要条件ではないかと提言したいわけである。失敗が怖くて確実性だけを求めるなら、今の世界から一歩も出なければいい。秋葉原やコミケに住み続ければいいのだ。別にそれで誰かが困るわけでもあるまい。そこから一歩を踏み出し、確実性という要素を捨ててまで外の世界に憧れるかどうか、それを決める主体は私ではなくあなたである。

 コミュニケーションスキルが今のまま・或いは衰退の一途を辿る事を覚悟の上で、投機を行わないと決心する事も勿論可能だ。あなたがそれで良いと心から願うのなら、それはそれで価値ある立派な選択であり、私が口の挟む余地はない。口を挟む余地があると主張したがる人がいるのは知っているが、少なくとも私は口を挟まない。コンピューターゲームなどのモノ相手・モノ媒介の世界に浸りきっている人の中には、どんなに頑張ってももうオタク以外に友達の作りようがない程に一般集団との差が広がりきっている人が、もしかするといるかもしれない。あまりに状況が絶望的な場合や、オタクコミュニティ/オタク趣味/仕事などなどに全力を注がなければならない使命感を帯びている場合などは、「強い意志で主体的にコミュニケーションスキル育成を放棄し」、自分の好きな事だけに全てを注ぐのも立派な選択の一つだと私は思う※3

 だが、失敗を恐れる程度では、仮にオタク趣味に能力を費やすと決意したとて大成はしづらいとも思う。結局、コミュニケーション能力を育成する為に投機するのも、オタク趣味に全身全霊を傾けるのも、意志の問題が成功において重要な要素となる。どちらにせよ、決断し失敗を恐れないだけの度胸と根気が無ければ、簡単には成功しない。だから、決意せよ。武者震いして決意し、意志を持続させよ。


 補足:決断の為のhow toや失敗を恐れない為のhow toについて、一応以下の文章にもちょっとだけヒントがあるとは思う。だが、結局のところ、幾らか辛い思いをするだけの決断力は最後の最後で本人だけの問題となる。誰も、代行は出来ないのだから。


 [2仲間がいたらとにかく力を借りてみる]

 もし可能なら、他コミュニティとのつながりを持った友人知人の力を借りるのもいい。もし存在していて、助力を乞う事ができるならだが。

 自分にとって未知の世界なんだから、あなた一人で航海に乗り出すよりも水先案内人がいたほうが絶対に迷う確率が下がる。よしんば迷ったとしても、まだ程度のいい迷い方で済む事が期待される。また、もしもあなたの周囲に頼れない仲間しかいないのであっても、一人で悩むよりは誰かと一緒に悩むほうがいいかもしれない。そうでなくても同行者がいる事は心の支えになり、困難に直面した時に乗り越える確率を高めるものと思われる。

 そんなわけで同志を探してみるのもいいと思うのだが、コミュニケーションが著しく偏ったオタク達にこの話を振ってみると分かる通り、あなたと一緒に取り組んでくれるオタク仲間はあまりいないのが実状である。多くのオタクは、この手の提案からは目を逸らす傾向にある

 もしもこのような試みを支援してくれる仲間や、共闘してくれる仲間を見つけたら大事にするがいい。問題を解決する能力を向上させる事が期待される。そして、このような仲間を見つける為の試みそのものも、コミュニケーションスキルを向上させる手段となるかもしれない。なぜなら、こういう仲間はそうそう簡単には見つからないので、見つけるだけでも幾らかの創意工夫が求められるからである。



 [3ホビーの自己完結性・或いはネット/ゲーム等の媒体ごしの交際を改善]

 ゲーム全般が持つ効果について私は警戒感を隠さない。例えばネットゲームが持つ魔術的なおもしろさ・コミュニケーション手段として非常に限定的ゆえに簡便である点 に、大きな危うさを感じてしまう。本当に面白いと思う反面、しかし私のような自分のコミュニケーション能力に障害を有するオタクがこれをやると、ゲームを媒介としたオタク的付き合い※4が増加しそうで、それが怖いのだ。多分、コミュニケーションスキルの改善を諦めきった人とコミュニケーションスキルが平均以上に発達している人は、こんな事を心配する必要などどこにも無いと思うが、私のような半端物は、ネットゲームごしの付き合いのような、楽でたのしい付き合いを続けているとそれにすっかり傾倒してしまって、普通の人と付き合うのが億劫になってしまわないかと心配なのだ。

 コミュニケーションスキルに問題のあるオタクの会話において、両者の間にゲーム・アニメなどのオタク趣味の話題が常に媒体として介在している事がしばしばみられる。これは別段他の趣味の世界の交流などでもある程度は見られる現象であり、オタク固有のものではないが、少なくともオタク世界においては顕著に認められる現象である。そして、このようなモノ媒介型のコミュニケーションしか出来ない人間は、しばしば外部とのコミュニケーションが下手くそである。

 補足:ネットゲームはこの現象をさらに一歩進め、「趣味の話題を媒介にする」から「趣味そのものが媒介する」に至った点で一歩抜きんでている。一層コミュニケーションが楽なツールと言えよう。

 例えば会社の後輩のねーちゃんと二人で飲みに行く機会があったとしても、あなたがもしスパロボの話などオタクメディアしか媒体に出来ないなら、さあどうなるだろう。まあ、かなり終わっている。翌日以降のあなたが後輩の間でどういう評判をいただくかを想像するだけでウキウキするほどである。

 コミュニケーション下手を自覚するオタクの全部ではないが、多くがこんな有様なのではないかと私は想像する。少なくとも、私はこのような人間を沢山知っていた。仕事の話や季節の話ぐらいは可能だとしても、そんな話だけではいつか面白みの無い人物と思われるのがオチであり、逆にそれだけの話でやっていけるとするなら余程コミュニケーションが巧みな人と言わざるを得ない。

 何かを媒体としてコミュニケーションを取るという構造自体は有効な手法であり、ケチをつける気はさらさらないが、この、媒体を介した会話(それもオタク趣味の)だけの寡占状態となるとさすがに融通がきかない。多趣味なオタクで媒体に出来る話題が極めて豊富で、かつ、それを運用できるだけの知能があるなら問題はないかもしれないが、(それはそれで、なにか大変な問題を孕んでいるような気もするが)えてしてコミュニケーションスキルに問題のある人達は、先に挙げたとおり、自分の狭いオタ趣味以外に媒体化出来るメディアを殆ど持ってないことが多い。さらに、オタクの多くは、俗人好みだが世間では評価されているような、そういうメディアや娯楽については無知であるか、少なくとも興味が乏しい。ゆえに、なかなか会話の取っ付きがつかない。

 この問題点を改善するには、例えば以下の三つの方法などはどうだろうか。

1俗人好みで底が見え透いているという理由でオタク達が批判したがるメディア※5についても、ある程度まで会話の媒体に出来るようにしてしまう

2料理・釣り・自然・映画などといった、オタク以外でも比較的知りたがりそうなものについても興味の幅を広げてみる

3モノや趣味を媒体にして話をする度合いそのものが減るように会話の構成に注意し、トレーニングする


 前者二つは、今のあなたが興味を持っていない事に触れてみるという意味になるだろう。確かにコストや時間を割く必要があるが、もしかしたらあなたは今まで知らなかった新しい楽しみや出会いを見つけるかもしれない。後者は苦難の道ではあるが、心がけ次第では、周囲のオタク達との会話でも幾らかトレーニング出来るのが強みだ。特に、女性と話をする時には「オタク話題だけを媒介」だけでは大抵煙たがられるので、いい刺激になるかもしれない(この際女性オタクでも構わない。チャンスを探そう)。女性は会話の雰囲気などにも敏感で表情の変化も激しい。男性オタク同士だけの交流では決して得られない経験集積が期待される※6。少なくとも、過去の私はそういう所からも大いに得るものがあった。


 なお、オタク的話題だけを媒体にした話し方をやめたとて、非オタクとの会話においてそれが何かプラスになると勘違いしないで欲しい。オタク趣味のみを会話の媒体にする愚を避けるのは前提であり、必要条件である。当たり前の事、というわけである。オタク趣味のみを会話の媒体にする事は、多くの場合それ自体減点の対象である。加点の対象とはなっていないのである。オタク趣味だけを会話の媒体にする人物をそうでない集団に放り込んだ時、この減点効果は鮮やかなまでにはっきりと観察される。あなたに機会と能力の加護があるなら※7、是非一度観察あれ。

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【※1ヒッキー】

 勿論、宇多田ヒカルの事ではない。いわゆる「ひきこもり」を指す。




【※2立ち回りを要する】

 社会常識と経験を有したまっとうな人には、こんなの関係ないと指摘する人もいるかもしれない。確かにその指摘は間違っていないが、逆に言えばそこまでのものも整っていないオタクが結構いるという事なのだ。社会常識が整っていないと自分で自覚した場合は、学習する為にも井戸の外に出る必要があろう。とりわけ、極めて偏った職種の人としか付き合わなくて済むような人の場合、職場と家を往復しているだけでは本当に世間とズレてしまう可能性が高くなる。ここで社会常識と経験・まっとうな人柄とはなんぞやと考え出すのはよしておくが、それさえ整わない(ように私などには見える)オタクも結構いるような気がしてならず、そのような人こそがこのテキストを必要としているような気がする。このページを鼻で笑える人に、当ページのテキストはそもそも無意味である場合が多かろう。



【※3立派な選択の一つだと私は思う】

 しかし、惰性でだらだらやってるオタクのなんと多いことか!そこには何らの主体性も求道の精神も感じられず、ただ逃げとため息の姿勢だけが見え隠れしている。そういう人々から、主体性や決意を見いだすには本当に苦労を要する。そして、そういう人達との接触を私は避ける傾向にある。

 幸運にも、積極的なオタクや魅力的なオタクだって世の中には沢山いる。そんなオタク達ともやりとりが出来るなんて、私は、とても恵まれている。

※2006年現在、はてなダイアリー側で結構骨のある求道オタクさんと遭遇する事が出来て益々恵まれている。



【※4ゲームを媒介としたオタク的付き合い】

 ここでいうオタク的付き合いとは、「モノを媒介にした付き合い」、ことにオタクが好むメディアを媒介とした付き合いという意味でオタク的であると言いたい点に注意して頂きたい。このサイトのオタク関連の文章を読み進めて貰えば、より一層御理解いただけると思う。インターネットというメディアを批判しているわけではないし、ゲームそのものを批判する気もない事を、せっかちな人々の為に宣言しておく。

 ただし、自分の少ない趣味だけを媒介にした付き合いしか出来ない事には警戒感を拭えないというだけなのである。そんなんじゃ、自分の得意とする範囲のオタクとしか付き合えないじゃん。




【※5オタク達が批判したがるメディア】

 「俗人好みで見え透いている」と私は書いてみた。しかし、オタク趣味の中にもこういうものはごまんとある点に、特に安いオタクは注意したほうが良いだろう。いわゆる安いオタクから金をぼったくる為に作られた一連の商品群などは勿論のこと、オタク関連企業の抜け目無さの向こう側には、しばしば嫌なものを予感する事がある。

 そもそもが世俗で商品と呼ばれて流通しているものをつきつめて考えると‥まあここではこれ以上はやめよう。上を見ても下を見てもきりがない。どこかで折り合いをつけなければならないし。




【※6決して得られない経験集積が期待される。】

 しかしながら、傍から見ていて男の私でも“うっわーすっげーキモオタだ!”“こいつマジくせえ!”と思うような人達は、異性全ての嫌悪と軽蔑を一身に集めており、それこそ女性オタクとの接触すら極めて乏しいように思われる。残念ながら、このように改善の機会が非常に乏しい、最重度の一群が存在する事を私は認めざるを得ない。

 そして彼らは別に病気でそうなったとか障害者だとかいうわけではないので、公共機関やボランティアもあまり助けてくれない。そういう人は、まずは身なりを整える等、準備が必要になってくるだろう。その為に、当ページの知見やリンク先の各ページが参考になれば嬉しい。



【※7機会と能力の加護があるなら】

 こう書いた理由は、この観察には
 1チャンスを得る能力
 2言外のやりとりを感得するだけの能力
 を必要とするからである。特に、2が重要である。

 女性は言外の情報のやりとりが豊富なので、かなりの割合の人がこの能力を身につけていると推測される。しかしあなたが男性で、そのうえ雄のカエルしかいない狭い井戸の中に長いこと暮らしている人なら、おそらく気づく事は出来ないだろう。いや、気付いていると思っていてもそれは多分思いこみに過ぎない。特に萌えゲームに耽溺している人は御注意を。