[6.性格上の問題――恥ずかしがり屋なのにプライド高い、など]
[7.性格上の問題――言い訳する性格、責任の転嫁]
コミュニケーションスキルが低劣な人々の中でも、特に、恥をかくのが怖くて自分の世界
(それも、自分が得意な)だけに閉じこもって外の世界との接触を放棄したり、自分自身の問題を直視するかわりに周囲やモノ・状況に責任を転嫁する傾向が強い状態の人は、なかなか人付き合いのスキルが向上しないだろうし、そもそも他人に好かれない&誰のことも好きになれない。
まず、責任転嫁型のコミュニケーション低劣な人達について。全てを外的環境や外の人間のせいにしている限りは、自分自身の中の短所や是正すべき点など認識出来ないし、もしかすると自分自身の長所すらはっきりとは把握出来ないかもしれない。もちろん程度の軽重はあるだろうが、責任転嫁が進んだ人の中には、どうにもならないほど責任転嫁してしまい、みんなに嫌われながらいっこうに気づかないという不幸な人がある。こうなると、自分自身のコミュニケーションスキルがまずい状態にある事すら気づかないので、もう殆どどうする事も出来ない。まして、そんな人間に忠告してくれるようなお人好しなんていないし、いたって責任転嫁型の人間は意見を受け容れられない。このタイプのオタクは
(いやオタクじゃなくても)、「世間は私の事を理解してくれない」「なんで私だけが」「私は正しいが、私は不幸だ」「世間は私を愛してくれない」という呪詛で心を一杯にしながら、死ぬまで苦しみ続けるしかない。
次に、恥をかく事が出来ない人々。彼らは、その失敗の一つ一つがどうにも耐えられない。だから、趣味にせよ人付き合いにせよ、失敗するような選択は決してしない。ゆえに転ばぬ先の杖というか、表面的には賢い選択をしているとも言える一方で、失敗するというチャンスを得られず、傷つく事を恐れない勇気は忘れてしまっている。また、恥をかいたり失敗したりすると周りの人の評価が変化すると恐れるような、そういうプライドや怯懦が彼らの行動に呪縛をかける。人目が気になるあまり、大切なチャンスを逃したり、優柔不断に陥って本領を発揮出来ないような不幸な人もいるようである。どちらにせよ、こういうタイプの人も、コミュニケーションがますます下手になる事はあっても上手くなる事は大変難しいと考える。
ではこんな性格どうすりゃ治るのかという事になると‥‥わからない、としか実際は言いようがない。恥をかくのに慣れなさいとか色々と突っ込むセリフはあるのだが、ケチをつけるだけなら猿にだって出来る。指摘するのは簡単だ。しかし本当に困っている人というのは、おそらく自分自身のそういう欠点を知り尽くしていて、何をすべきかも頭では分かっていて、且つその最初の一歩すら踏み出せない本当に気の毒な人なのではないかと推定している。勿論、そういう問題すら意識できない、一層気の毒な人達が最下層に位置している事は容易に推測される
(精神科でもそういう人間が稀に受診してくる)が。精神科の世界では、このような悩みを抱えていて引きこもって相談に来る人もポツポツいる。一体どうアドバイスしているのだろうか?私も知りたいぐらいだ。
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ただ言える事は、若ければ若いほど性格は固まっていないから変化させやすい事、どちらにしても数年単位の忍耐強いチャレンジになる事、必ずしも成功するとは限らない事、などだろうか。とにかく、
鉄は熱いうちに打ったほうがいいはず。思春期の脳はまだまだ柔らかいから、二十代前半ぐらいには問題に着手する事が望ましいと推定される。
恥をかく事を恐れず、辛い思いを重ねて成長を目指すだけの、勇気。また、責任転嫁ばかりせず、常に自分自身に問題がないかを果敢に探っていく気持ち。結局この問題も、他のいくつもの問題と同じで、最も肝要なのは「勇気」「意志の強さ」「智慧」に集約されるのだろう。それらさえあれば、どのような艱難辛苦にも立ち向かう事が出来るだろうからだ。逆に、それらが無いとするのならば、やはりダメだろう。特に、勇気と意志の強さは、どうあれ必須だろう。
☆しかしよくよく考えてみると、勇気や意志の強さが無い人間ほど、自らを向上させる事が出来にくいのは道理ではないか?この「性格治療」の所全体を読み返してみても思うが、何かを為したい・自らを向上させたいと思う全ての人にとって肝要なのは、「勇気」「意志の強さ」なんじゃないかと思ってしまう。どれほど富貴だろうが智慧を持っていようが、これらが無ければ全く前には進めないからだ。
[8.諦念の気持ち・自分はもうダメだという気持ち]
あまりに性格がプライド高く恥ずかしがりやだったり、完全に孤立し尽くしていて誰の援助も期待できないまで追いつめられたり、年齢が既に40をまわっていたりするならいっそ諦める事も考えざるを得まい。また、いつも言っている事だが、ディスプレイに向かってブツブツ呟き続けて周囲をあきれさせつつも、妄想の花園に遊ぶ事すら、主体的選択の結果としての生き方だというなら、私はその選択に一定の敬意を払いたい。
※1しかし、実際には現在オタクをやっていて且つコミュニケーションスキルが不十分で悩んでいる人の多くは、10代後半〜20代後半であると推測され、しかもその殆どは主体的に妄想の花園に突っ込んで行ったというよりも、仕方なく妄想に逃避したという者が占めているように見受けられる。或いは、周囲の影響や環境によって、知らず知らずのうちに流されてオタクになったか。
この比較的若い世代の中の、どの程度が実際に還らぬレベルまで到達してしまっているのかは分からないが、無思考と怯懦のまま、ただ安易に自ら退路を断ってしまうのは勿体ない気がする。例えば一度や二度の失恋や、友人との離別を理由に自らのコミュニケーション能力を見限り、すべてをオタク世界に擲って人との付き合いの幅を狭める人が一部には存在する。もちろん全ての行動を決定する権利とその行動に責任を負うのは本人であるから、外野がごちゃごちゃ言うのは筋違いだが‥‥。
しかし、いったん諦めてしまってオタク趣味&交際だけに完璧に打ち込むと、数年も経過すれば同世代の他の人達にコミュニケーションスキルで大差をつけられてしまい、巨大な溝を前に絶望しやすくなってしまうと考えられる。ゆえに、しんどい出来事があって暫くオタク趣味に打ち込むにしても、オタク以外との交際から全面的に撤退するような選択はリスキーだと考えられ、当サイトとしてはお奨めはあまり出来ない。諦める、という事自体、それが長期化すればコミュニケーションスキルの問題点を一層深刻化させる可能性が高い。
☆この辺り、本来ならば熟慮して決めるべき事と思われるのだが、この手の判断を安易にしてしまうな人も世の中にはいるようだ。確かに擲ったほうがその時は絶対楽なわけだが、いったん諦めたら、どんどん元の状態に戻るのが困難になる事を彼らは知悉した上でやっているのだろうか。どうも、ポーズだけは「熟慮してやったんだ」としながら、実際はただ嫌な事から逃げただけの無思慮な人物も沢山いるように見受けられる。もしも、「自分はダメ男だ」と考えて現実逃避の道具としてだけオタク趣味を愛でるのだするなら、何とも痛々しい出来事だ。
[10.性格上の問題3・近親憎悪]
自分が侮蔑されるオタクだと思い、日々改善を目論んでいる人に多くみられる共通項が存在するので、それについても記しておこう。彼らはそろいも揃って、侮蔑されるようなオタクを一層侮蔑する事、一般人以上の事が多いのである。彼らは、ともすればコミュニケーションスキルが低劣で汚い服装のオタ達に極めて攻撃的な振る舞いを取る事がある。非常に恥ずかしい事を書くので恐縮だが、これは近親憎悪
※2なのではないかと推定する。少なくとも私はそうで、汚いオタクに対して寛容でないこと甚だしい時期を通り過ぎてきた
(今も、嫌悪感は残存している事をここに告白する)。だからこそ、このようなページを作る際に中立性を極力重視したいと考え、「コミュニケーションを取ることが出来ないオタク=悪い」という図式をとらない方向でテキストを組もうとしているわけである。
この近親憎悪による汚いオタク=悪いor敵であるという発想は、思想の柔軟性を損ねかねず、さらには私自身の交際の範囲を狭めかねない。確かにコミュニケーションスキルの低いオタクの中には、いけすかない奴が多いが、中には大変親切で心根の優しい人や、付き合ってみると実に面白い奴も沢山いるのだから。私は現在、オタク趣味やオタク世界に生きる人達を肯定も否定もしないが、オタク達の中にも付き合い甲斐のある人が沢山埋もれている事を知っている。そして、そういう人達が好きだ。
このサイトでは、オタクをとりたてて否定するような事は推奨していない。このような近親憎悪の念に駆られるままにオタク軽蔑をする事は、ある種の価値を秘めた人達との交流を放棄してしまう可能性を持つのではないだろうか?それはそれでコミュニケーション能力の低劣化を、ひいては視野の狭小化を招く恐れがある。さらにさらに、この手の近親憎悪を隠そうともしないオタク達
(或いは侮蔑されるオタクを脱した人物・擬態化に成功したオタク、と 表現しても良いかもしれない)も、オタクへの敵意をむきだしにしすぎると“見る人が見れば”逆にオタクである事が発覚しやすい。
ある程度の利口さを有した相手を前にした時は、近親憎悪そのものをも隠さなければあなたの擬態は失敗に終わる可能性がある。私は職業柄、その手の擬態を読みとるのが得意な人々に囲まれて生活しているので近親憎悪を見せないように努力している。心理士などの前でオタク批判を強くやれば、怪しまれること間違いないからである。
それともう一つ。脱オタクに藻掻く人達の中には自意識過剰な人が多いのではないかと私は心配をしている。少なくとも、私は大変自意識過剰な時期を通り抜けている。この自意識過剰という要素は、知らない世界で行動する際に自分をよく見せようとバカな事をしたり、知ったかぶりをして困ったりといった災いの源となる事がある。
自意識過剰に伴う間違いが連続すれば、まあ大抵の世界(オタク世界も含めて)ではウザがられるので、注意して欲しい。もちろん自意識というものは、ファッションや周囲への気遣いなどといったコミュニケーションの能力を向上させる要因となる事もあるし、ある種のオタクはこの自意識が欠乏しているがゆえに小汚くなっている場合もあるわけだが‥‥さりとて過ぎたるは及ばざるが如し、である。
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