【不当なオタク趣味叩きのはびこりやすい近況と、甘んじなければならない状況】
 (2005.1/11)



  『オタクが叩かれる』という現象は、随分昔から繰り返し問題になってきたが、
 前年末〜今年にかけて、マスコミを賑わすような大がかりなバッシングが再び
 続けざまに発生している。特に、幼女誘拐殺人事件に登場した小林容疑者に
 関する、ジャーナリスト某氏の発言は荒唐無稽で、多くのオタク趣味を持つ人達
 (特にフィギュア系やロリ系のオタク達)にとって到底受け入れられるものでは
 なかった。だがしかし、この事態は色々な事を教えてくれる事態でもあるように
 感じられる。彼のオタク叩きは理解しがたいが、彼のようなオタク叩きがはびこる
 事までもが理解しがたい現象なのだろうか?そこに疑問を感じながら、この
 テキストを書いているわけである。

  まず、某氏の『フィギュア萌えや幼女殺人云々に関する発言』が、呆れてモノも
 言えないほどお粗末で、不当で、実態にそぐわないものである事は論を待たない。
 そこいらのサイト様でも散々既出の話だが、彼はあまりにもフィギュアオタクの
 事を知らず、コミケに集う男女を知らず、しかしながらオタク趣味規制について
 高飛車な主張をやめようとしない。エロゲー界隈や同人界隈を少しでもかじった
 連中なら、彼の懸念がいかに滑稽なものなのかすぐにでも指摘出来るわけだが、
 そんな粗だらけの言説である事すら、彼は知らないようなのだ(か、知らないふりを
 しているかのどちらか)。しかも、オタク趣味と猟奇的犯罪and/or性犯罪との相関
 や因果関係についてろくにデータを示さず発言しているんだから杜撰なものだ。
 天下に見識と知識を披瀝するジャーナリスト様でさえも、こうなのだ!

  しかし、である。逆に言えば、某氏はコミケや秋葉原の実態を良く知らなくても、
 ああやってテレビの前でしゃあしゃあとモノが言えてしまうわけなのだ。テレビの
 前で誰かがオタクバッシングをそれっぽくやるにあたって、現在は十分な取材も
 実地についての知識も要らないことが分かる(肩書きだけ専門家気取りでOK!!)
 確かにジャーナリストとしての某氏記事は十分にダメで、今回の馬鹿げた報道は
 論ずるに足らないが、より大きな問題としては、あんな出鱈目なコメントでも
 オタクをバッシングしたり、オタク趣味を規制対象にしたりする為にメディア上で
 声をあげるのはとても容易だということなのだ。某氏一人が問題でもなかろう。
 そのコメントに相づちを入れるアナウンサーも、ああいう人を引っ張ってきて
 メディアの前で芝居を打たせる人達も、まあそのまずいわけで。某氏の記事が
 実態にそぐわない事をテレビで主張している事以上に、公共電波に乗せて
 しまえたという事のほうが、あるいは胡散臭い事態なのかもしれない

  もう一つ注目すべきは、報道を受け取る側(声を聞く側)の姿勢である。
 メディアを通してオタクバッシングを受け取る側は、あのような報道をどう受け
 止めるのか?という事だが、あの報道をテレビで見た時、どのぐらいの割合の人が
 『これはオタクを理解していないアホだ、偏見に満ちた内容で断固反対』と
 思うことが出来るだろうか。多分、オタク趣味にある程度理解のある一部例外を
 除き、世論を形成しうる人達の過半数以上が、あの報道の問題点を指摘できず、
 むしろウンウン頷きながら同意するだろう、批判のフィルターを通さずに。
 某氏の報道内容がメチャクチャなものだって事を指摘できるのは、オタク界隈に
 ある程度は関わった事のある、例えばネット上の住人だったり秋葉原でオタクな
 買い物をしているそこのあなたぐらいしかないわけで、それらの正論は声が
 小さすぎて届かないし、よしんば届いても小馬鹿にされてなかなか相手にして
 貰えない。実際、某氏にn質問状を送った勇者がいたようだが、いい塩梅
 で小馬鹿にされてしまった。いや、某氏が相手じゃなくても同じだろう。そこらの
 専業主婦あたりに「フィギュア趣味無罪」を主張しても、冷ややかな目で見られる
 のがオチだ。

  オタク趣味、特にフィギュアオタクやロリコンオタクを持たない大多数の人間
 にとって、それらに肯定的になったり同情的になったりする理由なんてどこにも
 無い。世間の大多数の価値観から言えば、幼児体型のフィギュアやエロゲーを
 弁護するなんて到底できっこないし、そんな行動は感情的にも世間体的にも損
 しかならない。オタクバッシングの内容が正当なものか否かなんて事をわざわざ
 考えるなんて、世間の大勢にとって馬鹿げた選択でしかないわけで、そんな世間様に
 対して某氏は効果的な偏見メッセージをブチこんだわけである。その内容の正否は
 ともかくとして、あのメッセージは大多数の視聴者に違和感を与えることのない、
 耳障りの良い批判だったに違いあるまい(オタクから見たら違和感の塊でも)
 このような追い風が吹いていることを計算して、某氏はあんなフザけた発言を
 繰り返したに違いない。彼の発言が間違いだらけでも、発言を聞く側にとっては
 少なくとも不当ではない(ようにうつる)わけで、彼はこのまま偏見に満ちた発言を
 繰り返し、あわよくば規制に乗り出すように世論を煽る事すら可能だろう。

  ここまでで何が言いたいのかというと、彼の発言やマスコミのオタクバッシング
 のいい加減さだけが問題ではない、と言いたいのだ。結局、マスコミでああいう
 現実のオタクを無視したような偏見を誇張した報道が赦されるのは、マスコミの
 無責任さや頭の悪さがいけないわけではない――マスコミの報道を受け入れる側が、
 “何出鱈目言ってやがる!プッ!”と思うような報道なら、マスコミとて安易で
 不当なコメントを垂れ流させる筈がないわけで――結局のところ、報道の内容を
 唯々諾々として受け入れる視聴者(つまり、大多数はヘビーなオタク趣味とは無縁に
 過ごしてきた視聴者)に問題があるのだろう。

  「問題がある」なんて言うと、非オタク趣味の人達を叩いているかに聞こえて
 しまうかもしれないが、私にはそこまでの気持ちは無い。彼らは生のオタク達を
 ろくに知る機会もなく、知ろうとも思ってない筈の人達で構成されているだろう。
 そういう人がメディアの報道を鵜呑みにして自分達の“なんとなくオタクって
 気持ち悪いわね”という気持ちに照合させて安心するのはむしろ仕方のない、
 人間としては自然な営みのように思えるのだ。誰だって、自分が全く知らなくて、
 理解できない趣味や風習を持っていて、コミュニケーションがとりづらそうな集団を
 見たら、そりゃ否定的な先入観に支配されてしまいやすい筈なわけで、そこに火に
 油を注ぐような扇動を行う人に出会えば、ついつい頷いてしまうは無理もない。
 頑固な排斥運動にまで発展させる事は難しいにしても、少なくとも規制や排斥を
 拒否するような動機を持つなんて、今日日の非オタクの人達にはできっこないん
 じゃないだろうか。

  勿論、できっこない、という事と、否定的な先入観に身を任せる事が正しい、という
 のはイコールではない。これまでの歴史の中で、多くの少数派が多数派の人々に
 よってやはり“多数派の殆どの人には回避できっこないような”偏見をもとに排斥や
 弾圧の対象となった事を忘れてはならない。あれらの弾圧や排斥は、多数派の
 人々の大半にとって回避できっこないものだったからといって、正当化される
 ものでは断じてない。同様にこの件でも、少数派たるフィギュアオタク達全体が
 強い偏見に曝され、趣味を不当に規制される事はやはり不当だと思う。不当だと
 は思うのだが、じゃあ、現在のオタク達(より具体的には、バッシングの対象に
 なりやすいジャンルのオタク趣味専攻のオタク達)がこの不当な偏見とバッシング
 を回避できるかと問われたら、これもNoと答えるしかないように思える。古来、
 なかなか理解されにくい風習を持ち、外部集団に対してのコミュニケーションや
 肯定的アピールが少ない少数派が偏見やバッシングを受けなかった事がむしろ
 少なかった諸例に漏れず、簡単にはなくならないだろう。今後、様々な変化と努力、
 そして何より時間が費やされることによってオタクを巡るバッシング構造は解消
 されるとは思うが、それはずっと後のことだろうし、とりあえずこれ以上はここでは
 触れないでおく。


  それよりも、一人のオタクとして、こういうバッシングされやすい状況下で
 どうオタク趣味を続けながら社会に適応していくのかに興味がある。今後規制が
 施行されるとすれば、或いは(特に萌えもの系の)オタク達に対する風当たりが
 強まってくるとすれば、各々のオタク達はどのように振る舞う必要があるのかを
 考えてみなければならない。いや、規制なんぞが付け加わらなくても、昨今の
 状況を見ていれば、ヘビーなオタク趣味がどんなに風に世間から思われているのか
 がよく分かるわけで、フィギュアオタクやエロゲーオタク達はそこらのゲームや
 アニメが一般化しようが、これからも世間様に認めて貰えずに異教徒のように
 疎まれるのは目に見えている。仮に某氏の暴論が否定されたとしても、それで
 戦いが終わるわけでもない。これからも、何かチャンスがあるたびに第二、第三
 の某氏が出現する余地があるなか、どう凌いでいくのかを考える必要がある。

  具体的に、彼らの批判や差別をかわし、自分のオタク趣味を守り育てる方法は
 何なのだろうか。一オタクとしては、やはりここは“隠れキリシタン”よろしく、外部には
 オタク趣味を徹底的にマスクしたまま生きていくしかないと思っている(ああ、いつもと
 同じでごめんなさい)。時には自己顕示欲がうずいたり、“様々な踏み絵の機会”に
 心が痛んだりするかもしれないが、我慢するしかない。現在報道されているような
 オタクバッシングはじきに(マンネリという消極的経過の果てに)沈静化していく
 だろうが、沈静化されたとて、偏見を集めそうなオタク趣味がバレるとろくな事が
 無いという構造は変化しない筈だ。例えば10年後の日本で幼女趣味のエロゲーが
 市民権を獲得するだろうか?勿論アリエナイ。あなたは(あるいは私は)、決して
 自分の趣味をひけらかしてはいけないし、買い物している所や萌え転がっている
 ところを誰かにみられてもいけない。それらの行動があなたの周辺の人達に
 バレた場合、相手がオタクに造詣が深い人でない限り、あなたの価値は切り下げ
 られる可能性が高い。たかだか趣味如きで価値を切り下げられてはたまったもの
 ではないし、そんな評価はふざけているとは思うものの、向こうはそうは思っちゃ
 くれない。バレた瞬間に開き直ったり弁解を試みても多分無駄なので、ほとぼりが
 醒めるのをじっと待つしかない。(この手のほとぼりって、いつ醒めるの?)

  また、ただ外部に趣味を隠すだけでは完璧を期するには足りないと思う。
 フィギュアでも何でも、オタク趣味を徹底的に追及する求道の志のある人は、同好の
 士以外とのコミュニケーションスキルやソースが不足しやすい(そりゃ、余暇やお金や
 智慧の大半をオタク趣味にぶっこめばそうなる)ので、これらが不足しないようにし、
 外部との円滑なコミュニケーションをはかっていくのがなお望ましいだろう。丁度、
 世間の人達が気持ち悪がったり叩いたりするオタクのステロタイプは、『自分趣味
 の話しか出来ない』『キモい』『暗い』などといったコミュニケーションスキルの低劣さ
 を含んだものなので、逆に言えばこれらを満たさない振る舞いを達成できれば、そう
 簡単には叩かれないとも言える。ひょっとしたら、こういった条件を達成できていれば、
 ギャルゲーをプレイしている事が少しバレたぐらいなら何とかなるかもしれない
 (コミュニケーションスキルの問題がひどい場合、ギャルゲーやっている事がばれると
 致命的になるのと対照的)

  尤も、いくらコミュニケーションスキルが高い状態だったとて、職場の女の子を
 相手に“人形じゃないと俺はダメ”とか、“エロゲー家に100本”とかがばれたら
 お終いなのは付け加えておく。趣味の受け入れ難さと、コミュニケーションスキル
 の程度の両方が被差別オタクとして差別されるかどうかの主要素なのは間違い
 ないにせよ、どちらかが極端にダメでは侮蔑の対象になりやすいわけで、
 あまりにもお粗末なカミングアウトは、やはり致命的だろう(ばれないように
 振る舞うのも、これはこれで立派なコミュニケーションスキルですけどね)
 バレないようにするのも、コミュニケーションを保つのも面倒かもしれないが、
 こういうご時世に生きるオタク趣味愛好家としては、致し方のないコストだと
 捉えるしかないのではないだろうか。もしも、リスクを避けるのならば。

  ここまで書いてみて私は、「随分と小心翼々とオタクをしなければならない
 のかなぁ」と思ってしまった。導き出される『一オタク個人として最もトラブル
 を回避しやすい行動選択』は、確かに上記の通りだと思う。しかし、何とまあ
 面倒くさいことか!もし、差別を(例えばフィギュアオタクが)避けようと思う
 場合、本来はオタク趣味なり何なりに費やせる筈のコスト(金銭だけに留まら
 ない、時間や精神力なども含めたコスト)を、それ以外の事に費やさなければ
 ならないのだから。もし規制がこれに加われば、一層コストは増大する事に
 なり、隠れオタクを貫くのも大変になってしまう。好きな趣味分野のアイテムや
 情報を獲得するのも大変になるかもしれない。今まで何の障壁も叩きも感じ
 なかった(感じる事すら出来なかった、と表現したくなる僕は悪者ですか?)
 オタク達には残念な事態かもしれないが、これからは自衛の為にも、自分の
 オタク趣味の隠蔽と、コミュニケーションスキルの劣化防止が益々求められる
 のではないだろうか、特に偏見を集めやすいオタク趣味を専攻している人は。

  私が今回呈示した意見は、陳腐で、面倒くさくて、“なんで俺達が不当に差別
 されなきゃならねぇんだよ!”という印象を拭えない方針である。だが、どうせ
 不当さを主張したって世の中は簡単には変わらない。オタク全体として、などと
 論じるのは頭のいい人達に任せるとして、一個人個人のオタクは、やはり自衛に
 徹するしかないんじゃないかと、今日も寂しく思うのだ。もちろん私は、私の専攻
 するオタク分野においてそうするつもりだ。第一世代のオタクでもなければ
 運動家でもない私は、私個人の利益と適応を防備する為に、とにかく保身に
 徹しようとずるくずるく思うのだ。



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