【落書き:腐臭を放つ問答】(2004.2/20)

 
へぼ薬師:馬鹿につける薬は無い。馬鹿には薬が必要だが、どの薬でも治らない。
      これは、十分に確からしいと思う。
   学徒:そうなのですか?
へぼ薬師:そうだ。そして馬鹿は死ななければ治らない。
   学徒:じゃあ、馬鹿はずっと馬鹿のままなんですね!
へぼ薬師:然り。治すべきものが治らないまま、死ぬまで馬鹿で居続ける。
      さらに、この事は人生の悲劇役者と喜劇役者にも当てはまる。
   学徒:(暫く躊躇って)女につける薬はあるのですか?
へぼ薬師:いい質問だね。見解を述べたまえ。
   学徒:女こそ、つけるべき薬が必要な存在ではありませんか?
       彼女達には、熊のぬいぐるみと、ナプキンと、エプロンと、
       ダイエットが必要だと思います。もちろん、薬が必要です。
       必要ですが、治りません。少々、古い考え方でしょうか?
へぼ薬師:では学徒よ、男につけるべき薬は不要なのかね?
   学徒:……。
へぼ薬師:さらに問う、学徒よ。
      私やお前には、果たして薬は必要ないと言えるだろうか?
   学徒:……。
へぼ薬師:答えられないようだね。
      では、次に会う時までに、「薬をつけなくても良い人間」
      「治さなくても良い人間」を探して来なさい。
   学徒:わかりました。


  *      *      *

 三日後…。

へぼ薬師:学徒よ、「治らないがつける薬が不要な人間」を見つけてきたかね?
   学徒:私なりに、少し、考えてみました。
へぼ薬師:では、早速言いたまえ。
   学徒:「農奴」「狩猟採集民」はいかがでしょうか?
へぼ薬師:随分と懐古的だな。しかし、彼らは野蛮で野卑で愚かではないか。
      しかも、随分と疑い深くて迷信深い連中だ。
   学徒:しかし、生物としての人間としては、自然な姿です。文明化された
      人間に、比べるべくもありません。
へぼ薬師:「文明化された人間」か!確かにそいつは病的だ。
   学徒:そのアンチテーゼとしての「農奴」「狩猟採集民」です。
へぼ薬師:アンチテーゼをもって、是とする議論は少々卑怯だね。
   学徒:すみません。
へぼ薬師:「文明化された人間」が、薬が必要な連中だからと言って、そうでない
      人間が薬が要らないというのは、ちょっとおかしい論法だ。
      「農奴」や「狩猟採集民」も、随分と救いがたい連中だと思うが。
   学徒:では、先生はどのような人間を、治さなくて良い存在だとお考えですか。
へぼ薬師:「天才」などはどうだろう?
   学徒:失礼ながら。、少々ロマンチックなご見解ではないでしょうか?
へぼ薬師:確かに、彼らは救いがたいほど偏執病的ではた迷惑な存在だ。
   学徒:真っ先に治したい、しかし治らない人達ではありませんか?
へぼ薬師:だが、そのような存在だからこそ、天才には天才にしか出来ないことが
      可能になる。治してしまっては、彼らのきちがいじみた仕事は
      達成できないよ。
   学徒:先生の論法をお借りするなら、天才を治すと仕事が出来ないからと
      いって天才につける薬が不要だというのは早計では?
へぼ薬師:つける薬が不要だ、というのでは足りない。薬をつけてはいけないのだよ。
   学徒:治してはいけない、と?
へぼ薬師:そうだ。天才は、治してはいけない。治すべきではない。天才は、
      天才のままでいなければならない。
   学徒:うーん、先生の仰る通りならば、農奴やサラリーマンも、あるがままで
      なければならないという事になると思いますが。天才が天才として
      必要であるのと同様に、農奴やサラリーマン、宗教家といった人々も
      あるがままに必要ではありませんか?
へぼ薬師:あるがまま、か。確かにそういう意味では君の言うとおりだね。
      しかし、天才以外の人々は、集団感染や集団ヒステリーがお得意だ。
      やはり、膏薬が必要ではないのかね?
   学徒:ですから、私は「農奴」と「狩猟採集民」を挙げたのです。特に
      狩猟採集民は、先生のいわんとする集団感染からは遠いでしょう。
へぼ薬師:なるほど。文化的ではないかもしれないが、それゆえ集団感染からは
      遠いな。しかし、彼らは救いがたいほど愚かで迷信深い連中だぞ。
   学徒:それこそ、先生や私達「文明化された人間」「凡人」の、度し難くて
      つける薬が必要な部分ではないでしょうか?
へぼ薬師:然り。君の見解を是とする。
   学徒:ありがとうございます。
      しかし、先生も意外と……。
へぼ薬師:なんだね?
   学徒:俗なロマンチストなのですね。
へぼ薬師:そうだ。だから跳べないのだよ。
   学徒:私も、人のことは言えませんが。
へぼ薬師:所詮、私達は薬が必要だが治らない一連のグズ共の一人に過ぎない。
      天才にも、自然に還ることも、できはしないんだよ。
   学徒:考え方によっては、グズを治す必要はありませんが。
へぼ薬師:それを言っては、この問答そのものの意義が無くなるな。
   学徒:初めからそんな意義は無かったのではないでしょうか?
へぼ薬師:随分と君もまた「現代的な」事を言う。それも病気かね?
   学徒:ならば、先生は「古典的な」病気ということになります。
へぼ薬師:全くだ。救いがたい。だから、治したいところだが、治らない。
   学徒:仰る通りです。
へぼ薬師:全く、鼻持ちならない、ろくでなしだな、我々は。


   学徒:ところで先生、「信仰者」や「慈悲の人」は如何でしょう?
へぼ薬師:おお、確かにつける薬が要らない人間も混じっていそうだな。
      神は死んだと俗に言うが、神が生きていることを体感できるなら、
      信仰者につける薬は要らないだろうな。
   学徒:しかし、神は死んだと一般には言われていますが。
へぼ薬師:哲学的あるいは社会的に神が死んだということと、一個人が信仰する
      神が死んだか生きているか、あるいは感じられるかは、別個の
      命題だよ。世間で神が死のうが、まだ、神が生きていることを
      体感している人間というのはいるものだよ。
   学徒:となると、「狂信者」も、薬要らずでしょうかね?
へぼ薬師:難しい設問だな。宗教者としては薬要らずでも、社会的には
      すぐに治療が必要な連中だ。
   学徒:切りとる視点によって、答えが異なるという事ですね。
へぼ薬師:そもそもが、この問答はそういう性質のものではないかね?
      そうでなければ、天才も含めたあらゆる人間は何らかの薬が
      必要ということになる。そして、しかもそれは治らない性分と
      きているわけだから全く持って救いが無い。
   学徒:じゃあ、それぞれの人間の性質によっては「薬要らず」でも、
      人間個人個人はそれぞれ、どこか治らないけど治したいような
      場所が一つや二つはあるという結論になってしまうわけですか?
へぼ薬師:君も、その事は既に「知っている」んじゃないのかね?
   学徒:まあ、そりゃそうです。
へぼ薬師:いいんじゃないか?馬鹿も含めて、治したいけど治らない欠点が
      どこかあるほうが、よっぽど人間的だ。治しようの無い問題を
      抱えながら生きる事に、生活の面白みがあるのではないのかね?
   学徒:やはり、先生はロマンチストだと思います。
      それも、少々俗な印象は否めません。
へぼ薬師:ああ、そうかもしれないな。しかも、これも治らない。
   学徒:治さなくてもいいんじゃないでしょうか?
へぼ薬師:もし治せたとしても、治すつもりはない。
   学徒:ええ、わかっています。





  →一つ前のページにもどる