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002 せみのおん

この夏は、特に思い立って、蝉に善行を施すことに決めた。

道に仰向けに寝ているやつがいたら、起きあがらせてあげる。 車道を徒歩で移動しているやつがいたら、安全な場所に移動させる。 返事がない、ただのしかばねになったやつがいたら、手厚く葬る。

これが、けっこう数が多くて侮れない。助ける蝉が多すぎて、会社を遅刻しそうになることもある。
驚くべきことに、路上に仰向けに寝転がって、もはや寿命がつきたと思われる蝉の大多数は、つまみ上げると手足をもじもじさせ、まだ息があることを主張する。土の上に伏せてやると、当て所なく、のろのろと歩き出す。

これはひょっとして、親切の押し売りではないか、との疑念が頭をよぎらないでもない。蝉には蝉の侵さざるべき広大な精神文化があって、仰向けが正しい臨終の迎え方と彼らの間で信じられているのかもしれない。万が一にも、伏せの姿勢で寿命が尽きるなどは、蝉にとっては耐え難い恥であり、そればかりか、彼らは蝉の神によってカルマを科せられ、生まれ変わった来世をゴキブリとして生きることで、この汚辱を濯がなければならない、と信じられているのかもしれない。あくまでも想像であるけれど。

そんな」折りも折り、道ばたでぎゃっきゃっと鳴き叫び、羽で地面を叩いて七転八倒しているクマゼミを見つけた。どうしたのだろうと近づいてみると、胴体に松葉が刺さり、もがき苦しんでいるのであった。
この蝉は蝉としてあきらかにアホであるが、蝉に善行を施すというこの夏のテーマにこれ以上ふさわしい対象があるだろうか。真の窮状に陥った蝉に救済の手をさしのべる。これを善行といわずして、なにを善行というべきか。
私は、暴れる蝉をとりおさえ、体に刺さった松の葉を慎重に抜いたのち、大空に解き放した。クマゼミは、ぎゃぎゃぎゃぎゃと叫びながら、ジグザグ飛行で茂みの向こうに消えていった。

あ、さて。
鶴を助けたら反物である。亀を助けたら竜宮城である。蛇を助けたら、カバンか財布である。猫を助けたらどうなるのか。経験則からいうと、おそらく猫は何もしない。
蝉の恩返しは、何が定番なのだろう。樹液とかではなく、もっといい物が欲しい。民俗学者も、そろそろ定説を固めていい頃ではないか。

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