La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007

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過去日記(2007.06)





Cheese inリフリジーター日記
こんこんの平和で楽しい大学生活を、胸の奥で祈りながら、
セクシーも、可愛いも、おバカも、テキトーも、何もかも、
同時に極めつつある奇跡の存在亀井絵里に萌え狂う日記。

2007.06.01(金)
■藤本美貴、モーニング娘。を脱退

 今日だけは、泣いてもいいですか。

モー娘藤本美貴、熱愛発覚でグループ脱退

 モーニング娘。の藤本美貴(22)が、同グループから脱退することが1日、分かった。この日、所属事務所が発表した。藤本は先日、人気お笑いコンビ品川庄司の庄司智春(31)との交際が写真週刊誌の報道で発覚したばかり。藤本が「リーダーである自分自身へのケジメとして、モーニング娘を辞めさせて欲しい」と申し入れ、事務所も承諾した。

 藤本は「モー娘の約束を破るようなことになってしまい、重く責任を感じています」とコメント。モー娘の後任のリーダーは高橋愛、サブリーダーは新垣里沙が務める。

[2007年6月1日17時36分]
ニッカンスポーツ2007年6月1日より

 そして、前日には、こんなニュースも入っていた。

テレ東社長「モー娘は処女性保って」

 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)は31日、社長として最後の定例会見を行い、2011年の地上波デジタル完全移行までに静岡、仙台、広島に系列局を開設する計画を発表した。京都、神戸にも電波を届ける意向。

 また、モーニング娘。らを輩出した番組「ASAYAN」を持っていただけに、辻希美のできちゃった婚など一連のハロプロ騒動に「ガックリ。モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望していた。
デイリースポーツonline5月31日より

 この菅谷社長の鶴の一声が、UFAと藤本美貴の最後の意思決定の引き金を引いたのかもしれないですね。
 モーニング娘。脱退が、事務所側の意向ではなく、本人の決断だと言う形をとったのは、武士の情けで、本人の名誉を重んじたということなのでしょう。
 そんな冷静ぶった話をしている場合ではない。
 悪夢としか言いようのない、予想しうる最悪の事態になってしまった。
 その結論だけは回避したいと思い、のたうちまわってきた。
 しかし、まったく力が及ばなかった。
 ファンの世論形成に、わずかばかりの影響を与えることすら出来ず、自らの無能と無力を呪うばかりだ。
 所詮、ファンがいくら声を挙げたところで、権力者による決定に抗うことなど出来はしないのか。
 いや、もっともっと出来ることがあったはずなのだ。
 失笑を浴びる覚悟で、泥臭く嘆願署名を集めればよかったのだ。
 全力を尽くせなかった自分が恨めしい。
 We'll do anything to end this fightなんて、歌詞を掲げておきながら、何もできなかった自分が恥ずかしい。
 メールが読まれて浮かれていた自分が情けない。
 涙を流す資格などありはしない。

 大好きなメンバーを、また一人、失ってしまった。
 もう、みきえりもみられない。

从VvV从<

 いつも書く笑えないオチも、今日は書けない。

2007.06.02(土)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘T

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
肉屋は大鉈ふりあげた
あわれな犬はこまぎれに

それを見ていたほかの犬
せっせ、せっせと、墓づくり
白木づくりの十字架に
目につくようにこう書いた

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
……(以下延々と繰り返す)……
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』安堂信也・高橋康也共訳、白水社「ベケット戯曲全集1」p108より引用

 (注釈)
 :狂犬フジモトミキ
 腸詰:ソーセージ、某お笑い芸人の持ち物
 肉屋:テレビ東京スガヤ社長
 ほかの犬:UFA、モーニング娘。という名の保守反動化したアイドルユニット
 目につくように:何故十字架にあえて死亡の原因を書くのか、おお、無論、愚かな犬の後に続こうとする者へのみせしめのためである
 犬は犬である。犬である以上、人間としての権利や自由を主張することなどありえないのだ。そもそも飼犬は自由意思など持つべきでもなく、飼主の意思に絶対的に服従すべきであり、従えないのなら、細切れにされ、あるいは保健所に送られ屠殺処分を受けることになる。今や最初から去勢手術を施しておくのが賢い飼主の義務であるとさえ言えるだろう。
 この上なく魅力的な一人の女性と思っていた存在は実に犬であった。一匹の哀れな牝犬であった。その哀れな犬を愛していた僕も、自分を人間だと思っているのは錯覚に過ぎなくて、本当は一匹の哀れな犬であるに違いない。
 痩せ細った哀れな二匹の犬、ミキティーとイテーは、貧相な木が一本あるきりの寒々しい舞台装置の上で、うずくまり、意味のない言葉を呟き続けながら、ずっとゴドーがやってくるのを待ち続ける。なんのために、来る日も来る日もゴドーを待ち続けているのか、そもそもゴドーとは何者なのか、それすらもう分からない。もしかしたら、ゴドーがやってきて、お前たちは人間だと認めてくれるのだったろうか、それとも人間にしてくれるのだったろうか。
 しかし、むろん、ゴドーはいつまで待ったところで決して二人の前に姿をあらわしはしないのだ。

2007.06.03(日)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘U

 2007年6月1日。「モーニング娘。としての藤本美貴」は非業の死を遂げた。享年22歳。モーニング娘。在籍期間は約4年。リーダー在任期間は僅か一ヶ月足らずであった。5代目リーダーは歴代最短の在任期間更新という不名誉な記録とともに──むしろその記録のみにより──後世に語り継がれることになるだろう。

 社葬(盛大な卒業公演)は行われず、「偲ぶ会」もなく、近親者(モーニング娘。メンバー)のみによる密葬すら行われるかどうか定かではない。
 「モーニング娘。としての藤本美貴」の屍は、墓掘り人夫たちが無造作に掘った墓穴に無造作に放り込まれ、手早く土を被せられ──まるで違法投棄する産廃業者なみの手際よさ──埋葬されてしまう。まるで「非業の死」そのものがなかったかのように骸は隠蔽されてしまう。
 彼女を襲った運命に抗おうとする者たちの気持ちなどお構いなしに、その死にまつわる事務処理手続きは見る間に完了してしまう。

 しかし心ある者たちは、割り切れない思いを、与えられた運命を拒絶せんとする激しい思いを、拭い去ることが出来ない。
 それらの、悲しみと、怒りと、嘆きに満ちた言葉こそ、「モーニング娘。藤本美貴」の墓碑銘として、墓石に刻みこむ言葉に相応しい。

とにかく、私にとっていえるのは、もしこれがアイドルという職業のたどる道であるとするならば、アイドルとはなんとも非人間的な職業だなあ、ということである。
女王陛下の07(feodorさん)
はかないものを愛でること、我々にはもうできないのだろうか。「アイドル」ひとつも守れないなんて、人間性の凋落に違いないと嘆くのは、ヲタの戯言に過ぎないでしょうかね。
ヲタで卒論 〜解釈と操作のヲタ視線〜 - ハロー警報(斧屋さん)
心に圧力を加えれば、表面上は従順な「いい子」になる。しかしその心は歪んでしまう。
子供を育てたことはないが、自分自身がいつまで経っても子供であるせいか、容易に想像できる。
お前らそれくらいの想像もできないのか。というか、お前らの中に子供を育てたことのある奴はいないのか。お前らは自分の子供もそうやって育てるのか。育てたのか。

あの子たちは、俺たちが思っている以上に子供なんだ。
そして俺たちは大人なんだ。少なくとも「大人」をやらなきゃいけないんだ。
罰を与えるだけが大人のすることか? 大人のルールに従うことを強制して、従わなかったら排除して、それで「私は大人でございます」と胸を張れるのか? それは幼稚っていうんじゃないのかね。
ハロプロをなんでも肯定する・裏(オーガさん)
また類概念に個人が殺された。
「アイドル」を呪う。
「アイドルとヲタの関係」一般を呪う。
女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ(青木ヨーマさん)

 「アイドルという制度」「処女性という装置」は、今日も精密機械のような厳格さで動作し続けている。

 「モーニング娘。藤本美貴」の悲劇とは、彼女が自分に正直に、その責任や地位に思いを馳せることなく、感情の赴くままに行動したことにあるのではない。
 とうの昔に死滅したはずの「アイドルという制度」が、誰知らぬうちに復活していたこと、そして我々の予想を遥かに超えて、強力に機能し続けていたことにある。
 「アイドルという幻想」(制度)とは、すなわち、アイドルは処女性の象徴であり、異性に恋心など抱かず、彼氏を作らず、品行方正で、綺麗で正しい言葉遣いで話し、性格は明朗快活で、チョコレートパフェとクレープとタルトを好物とし、うんこもおならもせず、口臭などあろうはずもなく、掻く汗は爽やかなミントの香りがし、蒸れた靴下ですら芳しい薔薇の香りがし、とにかくありとあらゆる理想の属性のみで出来上がった奇跡の存在であるということ。つまり「アイドル」とは嘘で塗り固められた存在であることを、決して見破られぬよう、完璧に大衆を騙しきり、虚構の人間性を完璧に演じきることを求められる存在なのである。
 そのような不自然極まる「アイドル幻想」は、「アイドル冬の時代」にはほぼ死滅(まさに冬眠)していたはずだった。嘘が嘘にすぎないことは、1990年代には国民的了解事項だったはずなのだ。しかし、その「アイドル幻想」という化物は、千年もの間、地下で眠り続けていたのだ死んではおらず、密かに復活のときを息を詰めて窺っていたのだ。
 それを地中から掘り起こし、蘇生させたのは、皮肉にも、モーニング娘。だった。
 しかし、モーニング娘。は、「アイドル幻想」を脱構築していたはずだった。そう僕は考えていた。
 ところが、とうに乗り越えられたはずの旧態依然たる「アイドル幻想」は、モーニング娘。のメジャー化とともに、何食わぬ顔で復活していた。
 その「アイドル幻想」が、今、モーニング娘。を縛る。
 パンドラの箱を開けたのはモーニング娘。自身だった。

 テレビ東京とUFAは、「モーニング娘。の藤本美貴」という具体的個人(とその魅力)よりも、「アイドル幻想という制度」を温存することを選んだ。そのほうが経済的合理性があると判断した。こうして「アイドルという制度」が「モーニング娘。藤本美貴」を抹殺する。

 かくして装置は魯鈍なまでの正確さで動作し続け、制度は、その存続を危うくする個人を、真実を露見させかねない危険な存在を、未来永劫、抹殺し続けることになるのだ。
 その結果、誰一人信じていない「アイドル幻想」という建前が、生きた人間を生贄として犠牲に供することによって、維持される。
 真実などという贅沢品は、装置には不要なのだ。むしろ邪魔でしかない。建前が建前として機能してさえくれればそれでいい。建前が建前としてスムーズに流通しさえすれば、それが利益を生み、アイドルを商うものとアイドルを購う者の双方を幸福にすることが出来るのだから。申し分なく順調に機能している経済合理性を前にして、一文にもならない真実を露呈させることで、装置の動作に狂いを生じさせかねぬ愚かで危険な人間が抹殺されたとしても、何の不思議があろう。それはあまりに当然の話ではないか。
 「擬似恋愛」という楽しみを享受することを望む「アイドル消費者」のニーズに誠心誠意お答えすること。そのために、「アイドルという生身の人間」などという野蛮な存在の奔放に生長しようとする人間性とやらは、躊躇いなく切り取り、大胆に刈り揃えて、一定の規格に押し込み、メーカー保証書をお付けして、誰もが安心してご購入いただける高品質な商品としてお届けする。それこそが、「アイドルを売る商人」の商業道徳でなくてなんであろう。
 完璧に合法な人身売買が成立している以上、その両者の間で、生身のアイドルが、人間であることから降りることを強要されるとしても、そこに何の問題があろう。
 完璧な商品になること、「アイドル」になることを望んだのは、アイドル自身ではないか。

モーニング娘。としての約束って何?
彼氏が出来たらやめろって誰が決めたの?
ファンはそれを望んでるの?
恋をしていない女の子が、どうして恋の歌を歌えるの?
じゃあ、彼氏が出来たらあの子もあの子もみんなやめちゃうの?
そんな不安定なグループ誰が応援するの?
AKY(やうこさん)

 ファンへの裏切りとは、藤本美貴が恋愛をしたことでもなければ、それがマスコミに報じられたことでもない。
 くだらない幻想の延命のために自分を殺し、モーニング娘。を去るという事実そのものがファンへの裏切りである。
 そのことを藤本美貴自身は分かっていると思う。少なくとも、彼女のものとされるコメントを読んだかぎりではそう信じることが出来る。
 モーニング娘。を辞めることになりました。
 「しました」ではなく「なりました」。
 藤本美貴が主体的に判断決定したのではなく、ただ、日本的な風習に従って誰が主体であるかも曖昧なままに判断決定がなされたということ。そのような告発が、この5文字からなる文末に込められているのではないのか。
 すくなくとも、「しました」と書かれなかったことで、その可能性に賭けることが出来る。
 今回の脱退決定に、藤本美貴自身も煮え切らない思いを抱いているという可能性、納得してはいないという可能性、その僅かな可能性の中にのみ、私の最後の希望はある。
 私のこの煮えたぎる思いを彼女自身も共有してくれているはずだ、という一縷の可能性の中に。

2007.06.04(月)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘V 《モーニング娘。の死んだ日》

 ■モーニング娘。の終わりの終わり
 「モーニング娘。藤本美貴」に死刑が宣告され即日執行された2007.06.01。その日は、僕にとってのモーニング娘。が死んだ日でもあった。
 気づかないうちに着々と迫っていた終焉が、ついにヴェールを脱いだ日。
 それはモーニング娘。の終わりの終わりだった。
 僕にとってのモーニング娘。とは、革命性に満ち、日々力づくで脱構築を実践して既成のアイドル概念を刷新し打ち破り鍛え直す、奇跡としか思えない魅力に溢れるグループだった。
 そうであるはずだった。少なくとも僕はそう感じていた。
 しかし、モーニング娘。は、いつのまにか、旧態依然たる「アイドル」に逆戻りしていた。
 そのことが明らかになったのが、2007.06.01。
 モーニング娘。は、反革命の徒、保守反動的集団に成り下がっていた。
 他の誰でもない「ファン」という名の愚かな大衆──賢い消費者と呼ぶべきか──がそれを望み、そうしてモーニング娘。自身が、その期待に答えて来た、これはその結果なのだ。

 ■モーニング娘。とは誰か
 ここで言う「モーニング娘。」とは、現メンバー全員のことではない。また、中澤裕子からジュンジュン、リンリンに至る歴代メンバーの総体でもない。彼女らの誰一人として、モーニング娘。の意思を決定する権限を持たないのだから。
 彼女らに、プロデューサーつんく♂を加えても、まだ「モーニング娘。」とは言えない。つんく♂の意思決定権も極めて限定されたものであろうと思われるからだ。彼に決定できることは、おそらく、どんな歌を歌わせ、どんなステージパフォーマンスを演出するか、という、モーニング娘。の歌手=アーティストとしての側面に限られているのではないか。彼に藤本美貴を慰留する権限はなかっただろう。
 つまり、モーニング娘。メンバーとは、現場作業員であり、リーダーとは作業員の班長であり、つんく♂は現場監督にすぎないのだ。
 おそらく、テレビ東京、レコード会社、事務所、その他様々な関連企業やメディア、それら、モーニング娘。を制作販売することで、収益を上げ、あるいは、そのプロジェクトに関わることで生計を立てるありとあらゆる人々、利害関係者(ステークホルダー)の総体が「モーニング娘。」なのだ、とでも言っておく他はないと思われる。
 そこには、明確な意思決定の責任主体は存在しない。
 「お偉いさん」たちが額を寄せ合って、腹の内を探り合う中で、誰の意向かも曖昧なまま、いつのまにか意思決定がなされているような、あまりにも日本的な組織、それが「モーニング娘。」なのだろう。
 おそらくモーニング娘。とは、最初から、そういう組織だったのかもしれない。

 ■メンバーの意思表明手段
 メンバーは、モーニング娘。の意思を決定できない。
 メンバーに出来る唯一の意思決定、組織の決定に対して、個人が抵抗を表明する唯一の手段、それは、モーニング娘。を辞めることである。
 「理想のアイドル像」を守り続け、「アイドルという制度」に順応してコンサバティブに生き延びるか、さもなければ自爆テロか。メンバーに許されているのは、このような極限的な二者択一のみであり、その中間で、アイドルをやりながら人間的に主体的に自由に生きることは絶対的に禁止される。そのことが明確になったのが、2007.06.01。
 (実は、もう一つだけ、メンバーからの異義申し立ての方法がある。
 それは「太ること」だ。これは、ある意味で、ゲリラ的なレジスタンス活動だ。ただ、実効性が明らかでないこと、組織への内側からの攻撃として機能する以前に、自分の人気だけが落ちて終ってしまう危険を孕んでいること、反抗の意思表明なのかそれとも単に食欲に負けてだらしなく太っちゃっただけなのか判然としないことに、困難を抱えている方法だと言える。)

 ■それでも、今後のモーニング娘。に期待する
 「モーニング娘。」という組織が、そのように硬直した、息の詰まる「アイドルユニット」であることが明らかになったとしても、それでも、絶望しているわけではない。
 つんく♂さんは、これからも、私たちをアッと言わせ続けてくれるだろうし、名曲を──打率は下がり、力点は他のユニットに移ったとしても──届け続けてくれるだろうし、メンバー達は、今後もメディアを通じて、愛や、勇気や、笑いや、萌えや、その他あらゆる喜びを私たちに伝えてくれると信じている。
 ただ、今まで同然に、「やっぱりモーニング娘。は最高だな!」と単純には言えなくなった、というだけだ。
 どうしても、つんく♂さんやメンバー達と、「モーニング娘。という組織」の間にある緊張関係というものに対して、意識的であらざるをえなくなった、というだけのことである。
 5代目リーダー「モーニング娘。藤本美貴」が、その臨終に際して、今際の際の言葉として「これからもモーニング娘。を応援し続けてください」と言ったにせよ言わなかったにせよ、彼女が身を挺して救おうとしたのが「モーニング娘。」であったにせよ、モーニング娘。自体の性質がここまで変質してしまった──あるいは本性をあらわにしてしまった──以上は、いままでと同じ気持ちでの応援を続けるなどという、無神経な振舞いは私には出来ない、という、ただそれだけの話である。

 ■喪失
 藤本美貴は、これからもソロ歌手として、あるいは『GAM』のメンバーとして、今まで以上に精力的に活動を続けるだろう。また、バラエティタレントとしての、女優としての活動の機会も増えるかもしれない。
 藤本美貴という魅力的な女性が好きだし、彼女の歌は最高だと思っている。音符の一つ一つにまで、自分の個性を刻み込み、魅力を溢れさせるアイドル歌手としての実力は他の追随を許さない。
 もちろん、これからも、そんな彼女のことを応援していきたい。
 でも、僕を本気で熱くさせ、夢中にさせてくれたのは「モーニング娘。としての藤本美貴」だったんだよ。
 飯田圭織に一言注意されたら三倍言い返していた藤本美貴。
 嬉しいことがあったら、一人で喜ぶより、仲間と一緒に喜んだほうがもっと嬉しいと気付くことができた藤本美貴。
 集団でのパフォーマンスを縦横無尽に楽しんだ藤本美貴。
 二つのラジオ番組をおもちゃにして道重さゆみと対等にじゃれあっていた藤本美貴。
 みきえり。
 そんな「モーニング娘。藤本美貴」は、終ってしまった。もう再び見ることは出来ない。
 この喪失を埋め合わせることが出来る者は、誰もいない。
 Everything that has beginning has an end.
 始まったものには終わりがある。
 それは、その通りなのだけれど。
 その言葉を呪文のように繰り返したところで何の慰めにもなりはしない。

ノノ*^ー^)<「モーニング娘。に藤本美貴(GAM)」ってどうですかね?
从VvV从<なぁいないないない!
(・e・)<それがやれたら本気で「つんく♂さんは神!」ですけど
从VvV从<つーか、土下座されてもイヤだね

2007.06.05(火)
■ミキ受難曲 Mikius-Passion (抜粋)

第45a曲 レシタティーヴ
(福音史家)
(注1) さて、祭(注2)のたびごとに、総督は群集が願い出る囚人ひとりを解放してやる慣例になっていた。ときにバージニティ(処女性)という有名な囚人がいた。そこで、集まった民衆の前で、ピラトは言った。
(ピラト)(注3) おまえたちは、だれを許してほしいのか。バージニティか、それともモーニング娘。の救世主と呼ばれたイエスか。
(福音史家) なぜなら、ピラトはよく理解していたからである。彼らがイエスを引き渡したのは、ねたみ(注4)のためであることを。
(中略)
(福音史家) しかし、祭司長、長老たち(注5)は、群集をそそのかし、バージニティを救わせ、イエスを殺させるようにと仕向けた。総督は彼らに向かって言った。
(ピラト) ふたりのうち、どちらを救ってほしいのか。
(福音史家) 彼らは言った。
(合唱)(注6) バージニティを!
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) それではモーニング娘。の救世主といわれるイエスは、どうしたらよいか。
(福音史家) 民衆全員が一斉に言った。

第45b曲 合唱
十字架につけよ!

第46曲 コラール
なんと奇妙であることか、この処罰は!
善き牧者(イエス)が、その羊(注7)のために苦しみを受けている、
正義の主が、僕(しもべ)たちのために
その罪を贖っておられるのだ。

第47曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。

第48曲 レチタティーヴ(ソプラノ)
彼は、われらすべてに、善き行いをしてくださった。
モーヲタに光を与え、
乞う者に鮭トバ(ハラスに限る)の美味なるを伝道し、
われらに母なる女神の御気持(ミキモチ)を語り、
オシオキをキボンヌする者の願いを叶え、
嘆く者をその万能の美声で慰め、
キショヲタまでも受け入れてくだされた。
そのような善き事の他、わがイエスは何もしていない。

第49曲 アリア(ソプラノ)
愛のゆえに、わが主は死を望まれる。
ただ一つの罪すら、主は御存じないというのに。
永遠の亡びと、
裁きによる罰とを、
わが魂に留めずにすむようにと。

第50a曲 レチタティーヴ
(福音史家) すると彼らはいっそう激しく叫んで言った。

第50b曲 合唱
十字架につけよ!

第50c曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは手のつけようがなく、騒乱が一層激しくなるのを見て、水を取り寄せ、群集の前で手を洗い清め、そして言った。
(ピラト) この義なる人の血について、わたしは責任を負わぬ。彼を見るがよい!
(福音史家) すると民衆全体が答えて言った。

第50d曲 合唱
その血の責任は、我らと我らの子孫が負う。(注8)

第50e曲 レチタティーヴ
(福音史家) そこで、ピラトはバージニティを開放してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるために引き渡した。

第51曲 レチタティーヴ(アルト)
神よ、あわれみたまえ。我らが救世主は、縛られたまま、ここに立っておられる。
おお、鞭打ち、おお、殴打、おお、傷!
鞭打ち役人よ、その手を止めよ!
この痛ましい姿を見てもあなたがたの心は痛まないのか。
ああ、もちろん! あなたがたにも心はある。
だがその心は、拷問台の如く冷酷だ、いやそれよりもさらに冷酷だ。
哀れと思いて、その手を止めよ。

ネタ元:J・S・バッハ作曲『マタイ受難曲』全音楽譜出版社(対訳皆川達夫)より。また、ERATO WPCC5268-70の加藤常昭による歌詞訳を参照した。なお、ネタとして改変する他にも、適宜訳語を修正した。

注1:語り部のこと。
注2:ヲタ界隈を揺るがす大事件は、周知の通り、しばしばと言われる。
注3:総督は、裁定し、刑罰を科す世俗権力の代表者である。
注4:ねたみは「モーニング娘。は処女性を保つべき」という言葉で規範化される。いかにもそれらしい言葉だが、しかし、その実質は「てめえ俺達ヲタがさんざん貢いでやったお陰で年収ン千万も稼いでアイドルなんて美味しい仕事してるくせに、その裏ではマッチョ芸人の腹にまたがって毎晩毎晩あんあん喘いでやがったのかよ、ふざけんな、金返せ」という、さもしくも愚かな嫉妬を肯定することに他ならない。
注5:UFA、テレビ東京などの「お偉いさん」達を表わす。
注6:合唱は群集を表わす。この場合は、マスコミや、芸能界のご意見番を自称する者ら含む、世間一般の風潮を表わす。だがしかし、そこにモーヲタが含まれていないとは言えない。
注7:羊たちは口々に、「責任をわきまえろ」「アイドルは恋愛ご法度が当然」「処分は妥当だった」「今後のためにいい教訓になった」と満足げに鳴き交わしている。
注8:民衆(ことにモーヲタ)は、このとき、その責任の真の意味を理解しえなかった。

 《解釈》

 ピラトは権力者として罪人を裁き、処罰を与える。しかし彼は、民衆の声を代弁するにすぎない。民衆全体の声が、彼の権力行使を正当化する根拠となる。

 世間の一般人ばかりではなく、主イエス(善き牧人)の行いにより救われて来たはずのモーヲタ(か弱き羊たち)までもが、「処分は妥当」「必要悪だ」「アイドルである以上、一定のルールに従う必要がある」などと、賢しらにも述べたてている。
 そのように語る者たちは、やがて自らの最愛の推しメンが、同じような災難に遭遇し、モーニング娘。を追われ、十字架に掛けられることになるその時、再び、同じ言葉を口にすることになるであろう。推しメンに裏切られたと叫び、失望したと嘆き、善良な消費者への背任行為を糾弾しつつ、その推しメンを十字架へと追い立てるのであろう。わたしには今からその様がありありと目に浮かぶ。そのような「推し」が「推し」と呼ぶに値するのかどうか。
 それとも、彼らは、「自分の推しメンだけは、そんな裏切り行為はしない」と、おめでたくも信じ切り、安心しているのか。

 これは、「アイドルの処女性」といった虚構を、虚構であると踏まえたうえで、あえてその虚構性を楽しむという態度とはまるで違う。そのように虚構性そのものを信じるフリを楽しむのであれば、嘘が嘘であることが露見したときにも、「まあまあ、最初から虚構であることは分かっていたのだから、大騒ぎするなよ」という余裕のある態度が取れるはずだ。しかし、世間の態度には(一部のヲタにさえ!)、そのような余裕は見られない。本心では誰も真実であるなどとは信じていないはずの安物の虚構が、虚構であることが明らかになってしまうぐらいなら、愛すべきアイドルをその地位から引きずり下ろすほうを選ぶというのである。なんと愚かな!

 責任の引受け。民衆(モーヲタ)は、その責任の真の意味を理解しえなかったがゆえに、易々と、その責任を未来永劫引受けると請け合った。責任を引受けろと叫んだ者、それを傍観した者、そしてそれを命と代えてでも拒絶しえなかった者。民衆のうち誰一人として、引受けてしまったこの責任を逃れられる者はいない。生きて血を流す人間を「アイドルの処女性」という抽象概念のために犠牲の羊(スケープゴート)として屠ること。それは、国家という抽象概念のために一億玉砕を叫ぶ翼賛的思想へとまっすぐに通じている。

 イエスは、われらモーヲタが引受けるべき罰を、身代わりとなって引受けられた。たとえ、それを望まなかったにせよ、処罰を傍観することによって、われら全員がイエスを見殺しにしたのだ。本来、その全身に受けられた鞭打ちの傷は、我らの体と心の上に永久に刻印されるべきものである。

 われら、罪深きモーヲタは、イエスの死を忘却することにより、永久にイエスを鞭打ち続ける。
 すでに、我々は忘れはじめているのではないか。
 まるで、主の非業の死など、なかったかのように、界隈のモーヲタたちは、新たな話題に群がり、日常の賑わいを取り戻しているようだ。
 あるものは写真集に熱狂し、あるものはライブに救いを求め、あるものは、新体制への期待を明るい口調で語る。
 まるで、犠牲者に思いを馳せるよりも、モーヲタとしての日常的な快楽を、ルーティンとして着実に消費し続けることのほうがより一層重要である、と言わんばかりである。
 そのようにしてイエスの死が忘却の淵へと沈んでいく。我々の忘却が、イエスと、その死を永久に鞭打ち続ける。
 去る者は日々に疎し。
 それが避けられない真実であるとしても、いくらなんでも喪が明けるには早すぎるのではないのか。

 一人のアイドル歌手である藤本美貴、可愛らしく、美しく、力強い美声を持つ藤本美貴は、GAMのコンサートで、ファンの前に元気な姿を見せてくれているようである。盟友松浦亜弥が隣に立ち、大勢のファンが目の前で声援を送ってくれれば、アイドル藤本美貴はこれからも、元気一杯に、活躍し続けてくれることと思う。
 せめて、GAMだけは、彼女の小さな手からもぎ取られることがないようにと、切に願う。

 しかし、「モーニング娘。藤本美貴」という姿を借りて、我らモーヲタの頭上高く降臨した主イエスは、民衆のために、葬られてしまった。我々が主イエスを殺し、葬ったのである。

 主イエスが、いずれ、何らかの形をとって復活する時、その時こそは、最後の審判の時であるかもしれない。
 その時、我々全モーヲタが、裁きの場に立たされる。

ノノ*^ー^)<あれ?GAMってたしかグレートあやや&みっちげ、でしたっけ?
从VvV从<……
ノノ*^ー^)<あっあっ! 間違い! グレートあやや&ミッツィ〜、でしたよね♪
从VvV从<……亀ちゃん、いっぺん殺してもいい?
ノノ*^ー^)<あっ違う違う! えーと、グレート…グレート? …あれっ? なんでグレートなんだろう?? てゆうか絵里なんでこんな冷や汗かいてるんだろう?

2007.06.06(水)
■ハロモニ@#5(北海道05.24、東京05.06)(舞台は谷根千) 脅えるえりりん、の巻
■年表データを若干追加

 放送されてから随分経ってしまったけれど、今回の亀ちゃんの活躍ぶりは、まあ、ざっとこんな感じです。

 ■年表データを若干追加
 モーニング娘。主要出来事年表 a chronology of Morning Musume.に、今回の騒動の件などを追加した。

2007.06.06(水)no.2
■[アイドルの脱構築メモ][方法論]
■[アイドルの脱構築メモ][テキストの範囲確定問題]
■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟
■2007.06.02「ヤンタン土曜日」での高橋愛発言「かっこいいですね」

 ■[アイドルの脱構築メモ][方法論]
 芸能裏事情。業界人、内部の関係者、事情通しか知りえない情報というものがある。そういうものに通じていることを前面に出すブログもあり、それなりに情報源として貴重。
 いわゆる「マニア」はそういう情報を重視するのだろう。
 芸能事務所間の力関係、裏社会との繋がり、実は藤本美貴はバーニング事務所所属でUFA所属は表向きetc……
 それらの「裏情報」を元にして物事を考えるのは、文学研究における「作者の意図」を絶対視する考え方と同じだ。そして、作者の関係者(または本人)などが「実は作者の意図はこうこうで…」といえば、その解釈が「権威」(作者author=権威者)となる。
 しかし、ロラン・バルトが「作者の死」を宣言して以降は、そのような考え方は古めかしいものになった(現在でも生き残ってはいるが)。あくまで、テクストそのものに書かれた事柄を材料に考える、つまり、「作者」中心ではなく、「作品」中心に考えるのが、現代的な方法論のはず。「作者」が何を意図して書こうが、「作品」それ自体からそれが読み取れないなら、文学的には無意味であると考える。
 その意味で、文学作品における「テクストそのもの」に当たるのは、モーニング娘。で言えば、彼女らの歌う楽曲そのもの、パフォーマンスそのもの、あらゆるメディアを通じての発言と行動のすべて、その容姿(可愛らしさ)などなど、と言うことになろう。つんく♂の発言もここに含まれる。総じて、通常のファンが通常のファン活動を通じて知りうる情報のみがモーニング娘。を構成する全テクストと言ってよいかと考えられる。
 大衆情報化社会、ネット社会において、耳に入ってくる(また入らざるをえない)裏情報を補助的に用いることまでは排除し切れないが、裏情報でしか知りえない事柄を元にして考えるのは、「あくまでテクストを対象とする考察」の理念に反すると思われる。
 (ここでは、そういう裏情報が大好きな「マニア」のことは等閑に付す)

 ■[アイドルの脱構築メモ][テキストの範囲確定問題]
 上記の方法論と関連して、モーニング娘。という「テキストの範囲」が確定されねばならない。
 しかし、モーニング娘。ないしハロプロ現象総体を捉えようとすれば(壮大かつ無謀な試みであろう)、「ファンの側からの反応」をも考察対象から除外することは出来ないだろう。少ないながらも発信者と受け手との間に双方向的な影響関係も存在するのだし。(ex.ハロモニやライブで使用されるネット由来の表現、メンバーが口にするネット用語など。さらに直接的に、握手会でファンから言われた事柄が、メディアを介してメンバーから紹介されたりもする。あるいはライブにおけるメンバーからの「レス」の存在)
 しかし、「ファンの側からの反応」すべてをテキストとして容認すれば、そこには例えば「ワッチ音源」のような違法な情報まで含まれてしまう。範囲確定が問題とならざるをえない。
 単に、違法な情報を排除すればいいのか。「違法/合法」という法的区分けが、芸術研究ないし批評におけるテキストの範囲確定の根拠になりうるのか。
 あるいは、「ファンの側からの反応」のうち、発信者側にフィードバック可能な情報のみを「周縁的なテキスト」として位置付けるべきか。そうすれば、おのずと、ワッチ音源や、盗撮画像、動画の類いは「テクスト」から排除されることになろう。発信者側に都合の悪い批判的言説であっても、潜在的にはフィードバック可能性を有すると言えるだろう。
 この範囲確定の問題は、「モーヲタテキスト」を書く者として、実は重要な問題だと考えている。
 この界隈には、違法なワッチ音源から知りえた裏情報をもとにして、嬉々として日記を書き散らし、あろうことか、メンバーへの批判や人格攻撃まで行ってしまう、呆れた/能天気な/お気楽な、困ったちゃんが多すぎるのだ。

 ■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟
 最近、藤本美貴が「モーニング娘。としての約束」という表現を口にしたし、石黒彩が出演したTV番組でも「モーニング娘。の掟」という表現が使われていた。
 そんなものが、本当に存在していたのかどうか怪しいものだが、この「ムーブ!」という芸能情報番組(?)では、具体的に4箇条がフリップにまとめられていた。

 モーニング娘。の掟1:「恋愛禁止!」
 モーニング娘。の掟2:「20歳を越えても禁酒禁煙」
 モーニング娘。の掟3:「バラエティー番組での下ネタ禁止」
 モーニング娘。の掟4:「私服での過剰な露出禁止」

 だそうである。
 1は、まあ、アイドルだから、そういう指導は事務所からなされていることでしょう。「掟」にしては簡単に破られているような気もするが。
 2は、あからさまな嘘または間違い。中澤裕子さんがビールをぐいぐい飲むステキなお姿は、「アイドルをさがせDVD」にしっかり収録されているし、お正月ハワイ特番の収録の時、飛行機のなかで飲み過ぎて、へろへろな状態で収録を乗り切った、ということは本人が(後に?)暴露していたし、矢口真里も成人になったとたんに「お酒が飲めるようになりました」と報告していた。保田圭や矢口真里は堂々と「飲酒アイドル」であることをカミングアウトしていた。最近では吉澤ひとみも、むろん藤本美貴も。
 3は、まあどうでもいい掟だけれど。モーニング娘。がANNに初登場した時の話題ってそういう話題じゃなかったのかな? 聞いてないので確かなことは言えないけれど。それに、最近の「うたばん」での、田中れいなの「夜とか」「絡む」「舌を」発言は、何故事務所NGじゃないのか?
 4も、まあ、気持ちは分かるが、じゃあモーニング娘。は家族と海外旅行してビーチで水着になるのも禁止なのか、と。
 まあ、どういう根拠があって、こういう「掟」がある、と言っているのか不明ですが、この時期にこういう話題が出てくることには、なんらかの作為、意図を感じる。
 藤本美貴処分の正当化工作?
 現メンバーへの、締めつけ工作?
 まあ、事務所としては、これ以上現メンバーを立て続けに「脱退」させることになるのは何としても避けたいでしょうし。
 6代目リーダーが、5代目リーダーの最短記録をさらに更新しないという保証だってどこにもないですからね←ひどすぎ
 「はろぶろ。」のいぬいぬさんは、UFAは襟を正そうとしているから、却って叩かれやすい、襟を正せば正すほどきつくなるのが芸能界、というようなことを書いていましたね。たしかに、そういうドロドロに腐り切った芸能界事情、メディア業界事情というものもあるのかもしれませんね。
 ま、「掟」はともかくとして、ハロプロとそのメンバーとスタッフは、どうか、プロ意識を持って、写真を撮られないための方法論と技術を向上させ、見つかってもシラを切り通す態度を養い、情報は出る前に握り潰す力を貯えて欲しいですね、その為に裏社会の実力者にお金を渡さないといけないとか、そういうことがあるのはイヤなんですけど……って、こういうことを書くのがイヤだったから上記(↑)の記事を、自戒のために書いたのだった。全然守れてないし。
 (僕の気持ちを、平たく言えば、僕自身が、聖人君子でもなんでもない弱い人間なので、ハロプロメンバーにそれを要求することは出来ないし、するつもりもない、ってことなんですけども。
 でも、アイドルはアイドルであるがゆえに「子供たちの夢を壊すな」という錦の御旗の元、それを要求されてしまうんですよね。最初から無理があるんじゃないの、それは?
 そのような不自然な理想的存在が実在するかのように大人全体が嘘をつき通そうとすれば、嘘が嘘であることが分かった時に子供が人間不信に陥る可能性はより高まると、僕は思いますけどね。
 僕は、純粋な心をもった子供なんてそもそも信じないし、早く魂を穢して薄汚れた大人になるほうが健全だと思っているし、それが教育の正しいあり方だと思うので(さすがにひどいと書いてても思うぞ)、大人の汚い面、嘘の面も早いうちから見せて免疫を付けさせるべきだと思います。ただし、それはあくまで褒められたことではないよ、と、いけないことはいけないこととして、恥じらいをもってコソコソやりなさいよ、って感じでしょうか。無論、違法行為、犯罪はダメですけどね)

 ■2007.06.02ヤンタン土曜日での高橋愛発言「かっこいいですね」
 この高橋愛の発言は、私にとっては、大いなる救いなのだが、それについては、また機会を改めて。

ノノ*^ー^)<これじゃあ高橋さん、ウザい文章を読ませるための客寄せパンダじゃないですか
从VvV从<いや、みんな途中は読み飛ばしてさー、で、最後まで来てー、チッ、って
ノノ*^ー^)<チッ、一杯食わされちゃったよ、的な

2007.06.07(木)
■サイト名変更(マイナーチェンジ)
■about大幅に修正

ノノ*^ー^)<で、殿下! まさかアレを?
从VvV从<今変えずに、いつ変えるのだ?

 と言う訳で、サイト名を、マイナーチェンジ。
 2007年6月1日に、藤本美貴さんがモーニング娘。を脱退することになったことを未来永劫記憶するために、サイト名を、
 La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007
 に変更しました。「après le 1er juin 2007」は「2007年6月1日以後」という意味です。
 さらに、タイトル欄に、アドルノの有名な言葉を引用。
 "...nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch..." --- Theodor W. Adorno
 日本語に訳すと「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」となります。
 青木ヨーマさんのブログタイトルと、思いっきりカブってますけどもね、僕としては、この語句を、2007年6月1日という日付とともに記憶しておきたいのです。

 タイトル変更は、目立たない程度ですが、気持ち的には相当な変化があります。以前から書き継いできた文章の続きを、一体どうやって書き続けたらいいのか、いまだに見当がつかない。

 さらに、この機会に、
about 説明も大幅に書き直し。また、歴代モーニング娘。メンバーのプロフィールに、ジュンジュン、リンリンを追加しました。

2007.06.07(木)no.2
■救いの2つの言葉、藤本美貴@GAM大阪公演06.02、高橋愛@ヤンタン06.02

 新旧二人のリーダーの言葉が、わたしにとって救いとなる可能性を持っている。
 まずは、モーニング娘。脱退を発表した翌日(06.02)に行われた、GAMコンサート大阪公演での藤本美貴のコメント。
 藤本美貴「藤本美貴です!」(ファンの声援)
 藤本美貴「えー、新聞や、」(ファンどよめく)
 藤本美貴「ホームページなどで発表されて、もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、わたくし、藤本美貴、モーニング娘。を辞めることになりました。」(ファン「ええええ?」悲痛な声が混じる)
 藤本美貴「えー、これまで、ほんとに、すごくすごく、応援してくださっていたファンの皆さんには、ほんとに申し訳ないなと思っています。ほんとにごめんなさい」(声援と拍手)
 藤本美貴「これからは、藤本美貴として頑張っていきます」(大きな声援)
 藤本美貴「そして、今日は、GAMコンサートということで」(感極まったのか、ここで、声が裏返り、泣くのを堪えているようでもある)
 藤本美貴「張り切っていきたいと思います、よろしくお願いします!」(大歓声)
 松浦亜弥「まあ若干声裏返ってますけども、二人仲良くGAMとして頑張っていきますので、どうぞ皆様よろしくお願いします!」
 藤本美貴「お願いします!」
 藤本美貴は、公式サイトのコメントでも、ラジオでの発言でも、コンサートのMCでも、一貫して、辞めることになりましたと表現している。そこに、「しました」ではない、ということへの、強いこだわりが感じられる。その違いを曖昧にはしたくない、との意思を感じる。
 藤本美貴は、ファンに対して何を謝っているのか。フライデーされたことをか、深夜に遊び歩くという未成年者のいるグループのリーダーとして不適切な行動をしたことか、それとも、結果的にモーニング娘。を辞めることになってしまったことをか。
 それについて藤本美貴は何も語らない。
 語らない、という行動に、プロとしての意地があるのかもしれない。
 また、語らない、という態度の中に、立場上決して口に出しては言えない事務所への思い、「アイドルというシステム」に対する憤りの感情が込められているように思える。少なくとも、そう思う余地を藤本美貴は残してくれた。それが、わたしにとっての救いである。

 次に、同日放送のMBSヤングタウン土曜日における、新リーダー就任直後の高橋愛の言葉。
 藤本美貴の脱退が決まったことについて、明石家さんまに、お前が会社にかけあって、会長やめてください、とか、僕たちが守りますから(藤本美貴を)というようなやりとりはなかったのか、と訊かれて、消え入るような小さな声で、「……はい」(ありませんでした)と答えた高橋愛。モーニング娘。のメンバーという立場から、そういうことが到底言えないだろうことは当然。
 こういう形でリーダーに就任するのも気持ち悪い感じやな、と訊かれても、「うーん……」と曖昧に言葉を濁す。当然、こんな形でリーダーになるのはイヤだとも言えないし、ましてや「しめしめです、棚からぼた餅で」などと言う訳もない。
 そこで、明石家さんまから、副リーダーのままでどうや、リーダーの座は空席にして、と提案。「リーダーは藤本が必ず帰って来ますから」と言ったらかっこいいで、と問いかけられて、高橋愛は、はっきりと、かっこいいですねと答えた。
 藤本美貴のリーダーの座を空けて、彼女の復帰を待てたら、かっこいい。そのような形で、藤本美貴が見舞われた不運への態度を表明できたら、かっこいい。つまり、出来うることならそうしたいのだが、しかし、「アイドルであるモーニング娘。」としては、それを口にすることは出来ない、という気持ちの現れではないだろうか。
 少なくとも、高橋愛には、藤本美貴が取ってしまった行動とその結果の脱退という問題で、藤本美貴を責めたり、否定したりする気持ちはないのだと、感じられる。藤本美貴の処遇は彼女ひとりの問題ではない、決して他人事ではない。それは自分自身にもまっすぐに返ってくる問題なのだという意識が感じられる。
 かっこいいですねという発言は、事務所への批判という程のものではない。立場上、批判など出来ようはずもない。しかし、藤本美貴の座を空けてその復帰を待つ、という話を否定しないこと、かっこいいですねと肯定することで、モーニング娘。の藤本美貴という存在をも肯定してみせること。そこに、高橋愛に可能だった、ぎりぎりの抵抗を読み取ることが可能だ。
 そう読み取った時に、この表現は、わたしにとって救いとなりうる。

 また、同ラジオのレギュラーの座から藤本美貴が降りることになったが、藤本美貴は、「一旦お休みをもらう」「いつか必ず帰ってきたい」「帰ってきます!」と力強く宣言していた。
 こんなことではへこたれないぞ、という強い気持ちを藤本美貴が持っていること、それが、もちろん、わたしにとっての最大の救いだ。

2007.06.07(木)no.3
■藤本美貴ドキュメント2007 《ミキ受難曲》

 藤本美貴の脱退を巡る一連の文章を、まとめた。
 自分にとっての問題は、決して解決したわけではないので、今後も、適宜追加していくこととなると思うが。
 
藤本美貴ドキュメント2007 《ミキ受難曲》

2007.06.08(金)
■メンバーについて 新垣里沙編

 今回は、横浜市保土ヶ谷区から(嘘)モーニング娘。歴代メンバー :新垣里沙編を、お届け〜〜〜〜♪

ノノ*^ー^)<ガぁキさぁん、褒められまくりですよ
(・e・)<そんなおだてても何も出ませんよ
ノノ*^ー^)<てか、イタさん、ガキさんに救いを求めてるみたいな
(・e・)<迷惑です!(笑)
ノノ*^ー^)<なんで絵里に救いを求めないかなー
(・e・)<あー……頼りにならないと思ってるんだよきっと(笑)
ノノ*^ー^)<……orz(おっつ)。1推しとかもぉ、たぶん、口からでまかせ、みたいな
(・e・)<そんなー、亀じゃあるまいし(笑)
ノノ*^ー^)<そうですかねえ
(・e・)<そうだよ大丈夫だよ
ノノ*^ー^)<そ、そう? うへへへ
(・e・)<イタさんは、頼りない子が好きなんだよ
ノノ*^ー^)<…………

2007.06.11(月)
■『「アイドル」批判論序説』メモ

 ・大衆情報化社会における新たな女性の交換・流通・消費のシステム?
 ・現実の少女の幸福を犠牲にして成立する幻想に依拠する経済システム
 ・犠牲者たち
 ・前近代的女性観を延命させる温床としてのアイドル
 ・処女性の特権化……フェミニズム的観点から?
  ・「ミスコン」は廃れ、アイドルは生き残る?
 ・一種の性風俗、ポルノ同様の機能
  ・「性」の代わりに「清純・処女性」を売り物にすること
 ・「女商売」……『てっぺん』(つんく♂×がなり)
 ・

2007.06.11(月)no.2
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第9回06.02(土)

 6月。雨の季節。ガキさん、憂鬱。
 絵里「憂鬱ですねー。でもぉ、雨の日に、起きるの好き。分かります? 多分、すごい、外で遊ぶガキさんには、分かりづらい、理解し難いけどぉ、でもぉ、雨の音の中で起きたり寝たりするのが好きなんですね」……これ、すごい分かる。おいらとまったく同じ感性だね。やっぱり、絵里に惹かれたのは必然だ。亀ちゃんには、ぜひ北杜夫の『幽霊』『木霊』などの小説を読んでみてほしいと思いますね。内向的で、繊細な感受性を持つ者のみが共有できる世界観、それをシンとする静かな雨の音が象徴する。

 高橋愛は雨女という話題の時、「あらぁと、福井弁アクセントになる絵里が可愛い。

 里沙「亀は雨女なら、一緒に遊びにいかない……」
 絵里じゃあ、勝手に晴れ女で頑張っててくださいお。珍しく、反撃に出るえりりん。いいよいいよー。

 メール。部屋が片付けられない。部屋が汚い亀ちゃんどうすればいいか教えてください。
 里沙「亀は汚い、って有名じゃないですか」
 絵里「汚いって有名、ちょっと、もうちょっと言葉を加えてもらってもよろしいでしょうか丁寧な口調ながら、主張すべきはしているえりりん。いいよいいよー。
 里沙「お片づけが出来ないということで有名じゃないですか」
 絵里「そうですね、それでまあ、50点ぐらいは
 里沙「どっから目線だよー(笑)」

 絵里「一つ、二つぐらい言わせて貰うかもしれないけどー、亀にそゆこと訊いても無駄ですよ、いつとかないです、ホントに」

 里沙「亀は思う?」(片付けようと)
 絵里「思いますよーこれっぽっちは

 新垣里沙が語る、亀にも伝えたい、お片づけの秘訣「開けたら閉める、出したら仕舞う」……正論です。

 里沙「よく言われてなかった? これお母さんに?」
 絵里「言われてるんですけどー。できたら、だから、苦労はしない、って言うじゃないですか」逆切れえりりん(笑)
 絵里「でも、カニゲさん、ここからはじめましょう」カニゲさん、ファン冥利に尽きるね! 絵里と一緒に始めるんだよ。おいらも一緒にはじめます。←口ばっかり(笑)

 【心理テスト:一週間お休みが貰えたらどう過ごす?】
 1、友達と旅行に出かける。
 2、家でのんびり過ごす。
 3、家族と海外に旅行。
 4、街に出て、映画、ショッピング、食べ歩き。
 絵里「一週間……セブン! セブンだねア、ウィークとか、せめて、セブンデイズとか言ってくれ。
 絵里「2かな。2ですね。とりあえず、まず、2ですね。」
 このテストで分かるのは、「裏の血液型」
 2を選んだ人の裏血液型は、裏B型。まわりに囚われず自分を貫くマイペース人間。
 ガキさんの裏Aは、分かる気がする、と絵里。つまり、自分の裏Bは、違う、と。同感です。
 絵里「わたしB、初めて言われました」
 里沙「でも、マイペースじゃん」
 絵里「そっか」
 里沙「なんか、自分のペースがあるじゃない、ちょっと、付いて行き難い」
 絵里理解し難い

 ここで、一曲。宇多田ヒカルの「Kiss & Cry」、ヒッキー、フィギュアスケート観てるな?

 【Beポジテイブ】
 里沙「後ろ向きになっているばかりでは前に」絵里進めません!里沙「あなたの後悔をガキカメがポジティブパワーに」絵里しちゃいまーす!里沙「覚えたね」

 モーニング娘。のDVDのケースを踏んで割ってしまった。
 絵里「orz(おっつ)」これで、間違いなく、絵里の「おっつ」orzの意味であることが確定しましたね。
 里沙「中身が割れなくてよかった。」
 絵里「ディスクが割れなくてよかった。セイフティー。……横文字ってゆーんだよ、横文字って」

 絵里「絵里、後悔しないですよ、これ。パッケージが、ま、たしかに、開ける時とか閉める時不便ですよ、確かに。こぅポロっていっちゃうから。でもお、聞ければいいかな、っていう考え、もぉ、あり、っちゃあ、あり?

 【エンディング】朝、気持ちよく目覚める方法を教えてください。
 里沙「亀は? 起きれるの、気持ちよく?」
 絵里「気持ちいいですよ、いっつも。起きたら『あー、マザー、グッドモーニーングみたいな」
 里沙「なんで英語なの(笑)」
 今日は英語で攻めてみた亀ちゃんでした。

 そして、気持ちよく目覚めるためには。
 絵里「亀ねえ、今ねえ、考えてるんだけどねえ」
 里沙「亀は、だから、お休みの時とかでも、寝たいだけ寝て起きるじゃない」
 絵里「そうなんです……だから、まあ、そゆときは、仰向けで、ウーン、ってやってぇ、俯せになって、ウーン、ってやってぇ、おっきおっきってすればぁ」
 里沙「同じことだよねえ。もうちょっと亀はアドバイスしてあげて」
 絵里「してるしてるぅ!」

 番組ラストはガキさんの写真集『一瞬』の宣伝でした。
 絵里「たっぷり5秒くらいアピールして」
 里沙「5秒? 5秒じゃ言えないなあ」
 でまあ、たっぷりアピールできたガキさんでした。

2007.06.12(火)
■[アイドルの脱構築メモ]中澤裕子には、彼氏がおった、という件@恋するハニカミ2007.06.09
■[アイドルの脱構築メモ]アイドルに処女性を求める心理

 いやー、番組のトーク中に、サラっとカミングアウトしてはりましたなー。まるで、なんでもないことみたいに、スラっと言うてはりました。
 モーニング娘。になって、まだ大阪から通っていた当時は、普通に彼氏がいました、と。
 でも、「別れなさい」的な話はなかった、と。
 ところが、「ある時期」から恋愛は一切禁止だ、という方針に変った。なので、下の子達(現モーニング娘。たち)も、もっと言われていると思う、と。
 この「ある時期」というのが、いつのことなのか気になります。おそらく、『LOVEマシーン』が大ヒットして全国区になり、一番組内の企画物ということでは済まされなくなってきた頃のことではなかろうか、と想像しますが。
 その頃に、モーニング娘。の「アイドル化=保守反動化」が始まった、と見るべきなのかもしれません。
 ……と、昨日、「中澤裕子 彼氏」という検索ワードでご来場くださった大勢の方に配慮してみた更新でした。いやー、結構インパクトのある「ぶっちゃけ」だったみたいだよ、裕ちゃん?
 大丈夫、裕ちゃん?(笑)

 ■さらに「うたばん」初出演のことを振り返ってみる。面倒くさいので、とりあえず、記憶に頼って(笑)(間違ってたら、指摘して)
 「モーニング娘。は恋人を作ってはいけない?」という質問。
 福田明日香さんは、たしか「作らないんじゃなくて、出来ない」とか、はぐらかした。
 石黒彩はたしか、「いやー、やっぱアイドルは純情でしょう」と、タテマエ論を。まさに眉唾って感じで。
 そして飯田圭織は「アイドルはみんなのものなので、一人の男性のモノになってはいけない」と古典的アイドル倫理の権化のような発言をして、石橋貴明に「なんだよそれ」と呆れられていた。石橋の反応は、今時そんな古臭いことを真顔で言うとは、どんだけ生きた化石なんだよ、というニュアンスだったし、モーニング娘。ごときが何アイドル気取ってるんだ、という小馬鹿にしたニュアンスもあった。小馬鹿にしつつ、面白がるというか。
 中澤裕子は、中居君に「中澤さんなんてのはアレでしょ24歳で」と振られて、「やっぱ、わたしも作っちゃいけないのかなー、と」と答えたはず。「逆に恐くない? 俺アイツと付き合ってたんだぜー、とか」「そんなの知らないわ、って言うから大丈夫です」
 裕ちゃんは、彼氏がいない、とは言ってなかった、たしかに。嘘は言わずに、上手に話をかわしていた、ということなんでしょうかね。

■[アイドルの脱構築メモ]アイドルに処女性を求める心理
 アイドルばかりではなく、女性一般に対する男性の心理。
 なぜ、処女性が特権的な価値として重視されるのか。
 結婚前に女性が性体験すると、重罪になったり、結婚できなくなったりする文化圏は現代でも残っている。最近も、レイプされた未婚女性がレイプされたせいで死刑になったりしている(イスラム圏)。
 あるいは、戦前の日本でも、既婚の女性のみに姦通罪の適用があった。男性の浮気は甲斐性、女性のそれは犯罪。
 これらに、共通しているのは、女性は、ひとりの男性以外知ってはいけないという思想なのだろう。
 なぜなら、複数の男性を知っている女性からは、男性は相対視されてしまうから。この男より、あの男のほうが精力絶倫だった、頼りがいがあった、包容力があった、等。男性を秤に掛けること、数直線のうえに配置して比較する視座を獲得することが可能になる。
 それは男性にとって恐怖なのだ。
 端的に言って、女性が、自分よりすぐれた男性を知っている、という状況に男性は耐えられないのだ。
 性交の最中に、女性が、自分よりすぐれた男根を思い出すようなことは、あってはならないのだ。
 それほど、男性はひ弱なのだ。
 その女性が、他の男を一切知らない場合にのみ、男性は比較される恐怖を回避して、女性のうえに絶対者として君臨できる。
 そのような、脆弱な男根主義的虚勢こそが、女性に処女性を求める心理の根本なのではないか。
 この心理は、強い女性一般の否定にまで、つながる。
 大卒など、教養がある女性は避けられる傾向。女に学歴などいらない。女は何も知らないほうがいい。男性と対等にモノを言う女性は叩かれる(たしか、田中絹代)。
 何も知らないフリを装うのが「清純派」ということ。「清純派」であることは、「女性アイドル」の基本条件(ツッパリ系は、一種のバリエーション)。
 「吉永小百合」「八千草薫」はアイドルたりえても、大胆な濡れ場をも辞さない原田美恵子や、娼婦役が似合う烏丸せつこなどは、国民的アイドルとはなかなか認められない。
 男根主義的虚勢は、「ロリコン」とも親和的だ。幼女とは、「性を知らない」と安心しきれる存在だから。
 (この点、日本のロリコンは、ナボコフの「ロリータ」とはまったく別物。「ロリータ」は中学生のくせに、無邪気さを武器に、大人の女性のように男性を誘惑してくる小悪魔的存在で、しかも、実は別の恋人がいた)
 アイドルファンが「アイドルには恋人がいないでほしい」「処女性を保ってほしい」と願うのも、同じ男根主義的虚勢に由来していると思われる。
 男根主義的虚勢に頼って生きる、ひ弱な男性。それは、女性を「処女性」という一つの尺度によって二分する。
 「処女/非処女」「清純/ヤリマン(アバズレ)」「白アイドル/黒アイドル」(ライムスター宇多丸)
 「アイドル」とは、所詮、そのような前近代的女性観に依拠し、かつ助長し温存するような、腐ったシステムでしかありえないのか。
 田嶋陽子先生に一声吼えてほしいところ(嘘)

2007.06.12(火)no.2
■ハロモニ@#6(北海道05.31、東京05.13)

 ハロモニ@#6(北海道05.31、東京05.13)での、亀ちゃんの活躍……というか、美貴絵里はこんなかんじでした。

2007.06.13(水)
■倫理的責務としてのTK氏批判U

 さて、斯界の大御所をもって自任するらしきTK氏が、加護亜依の件に引き続き、またしても捨て置けぬことを述べている。
 そこで、前回同様に、まったく気は進まないが、この「モーヲタテキスト界隈」で意見を述べる者の倫理的な責務を果たすため、純粋な応答責任の負担として、一言問題点を指摘しておく。

 以下、引用はすべて、
「モー神通信」(2007.6.12更新分)からである。

アイドルは「恋愛」という思春期における重大なファクターを犠牲にして仕事に専念し、ファンはそれを応援する−−−言うまでもなくそれは理想的なアイドルとファンの契約関係であり、相互依存関係です。この私であっても、「そうあれかし」と願う気持ちはあります。

 アイドルは自分のプライベートでの恋愛を犠牲にする。そのようなアイドルをファンが応援する。それが理想的なアイドルとファンの契約関係だという。契約!
 契約とは、両当事者が、法律効果の発生を求めて、互いに意思表示し、その意思表示が合致することによって成立し、成立すれば、互いに権利を有し義務を負うという、法的な拘束力を持つ法律行為である。
 このような契約関係があるとすれば、ファンは応援するという債務を負い、アイドルはパフォーマンスを提供するだけではなく、恋愛を犠牲にする債務(法的な義務)を負うというのだ。TK氏はそれを「理想的」な関係として「願う」というのだ。
 噴飯物である。
 相手方に恋愛しないことを求める権利など、公序良俗違反として無効となる(民法90条)ことは、当然である。
 仮にそのような契約が成立したとして、アイドル側が債務不履行した場合、ファン側は、裁判所に「処女回復請求権」を行使してアイドルの恋愛の差し止めや撤回を求めることが出来るか。出来る訳がない。そのような契約には訴求力は認められない。
 従って、そのような契約が仮に成り立つとしても、それは、当事者間でのみ効力を有する(訴求力のない)自然債務のみを負わせるものだと考えられる。
 だとしても、アイドルの恋愛が発覚したときに、事務所やアイドル本人に対して、恋愛差し止め請求など出来ようはずがないのは同様である。
 では、せめて、恋愛の発覚という債務不履行によって損害が生じたと主張し、損害賠償を求めることが出来るか。それすら出来ようはずもない。
 結局、この「契約」というのは、ファンの側が「裏切られた」と感じてアイドルの応援をやめる、というそのときに、自己を正当化する体のいい言い訳として機能するより他に意味のないものである。

 もちろん、事実としては、そのような契約など、どこにも存在しない。
 もちろん、「モーニング娘。としての約束」なども、どこにもなかったはずだし、少なくとも私個人は、そんな約束をした覚えはない。
 (この法律的比喩を続けるならば、そのような存在しなかった「モーニング娘。としての約束」を持ち出し、「それを破ったからケジメとして脱退します」、といって一方的に「契約」を解除するほうが、余程不当だと私は思う)

 さて、そのような「契約」の存在を「願う」TK氏ではあるが、しかし、氏も、

だからと言って彼女たちに恋愛を自重しろとは言えません。

 と述べている。その理由は、

「果たして今のモーニング娘。がその犠牲に値するか」あるいは「今のモーニング娘。がそれを強制できる環境か」

 という点にあるという。予想通りというか、ある種の「理屈」が通っている点が、面白いのだが。
 つまり、氏は、モーニング娘。が全盛期のように売れていて、「ハロプロ構造改革」のような「理不尽」な目に遭うこともなく、メンバーが生き生きと仕事が出来る環境が維持されていさえすれば、依然として、「彼女たちに恋愛を自重しろ」と言いつづける気でいるのである。

 そこには、現実を生きる少女の現実の幸福を犠牲にして成立するアイドルという制度そのものに対する問題意識は、微塵もないと言うべきだろう。

 近時、そのような「アイドルの前近代的制度性」が、大衆、とくに若い女性の共感や支持を得られなくなったことが理由で、アイドルシーンは衰退した、という指摘がなされている。わたしもその解釈を支持する。
 その「衰退」(アイドル冬の時代)の後に、あえて「アイドル」を自らの人生として引き受け生き抜く姿を見せたモーニング娘。は「アイドル」であると同時に「『アイドル』を批評する存在」でもあったはずだ。
 しかし、そんなモーニング娘。であるにも関わらず、ファンの中には、時代錯誤としか思えない旧態依然たる「アイドル処女幻想」に依存する者が多数いる。むしろ、そういうファンに現在もなお「アイドル」が支えられている、という動かしがたい現実がある。あまりの虚脱感と無力感に、深い溜め息が出るばかりだ。
 情けないとしかいいようがない。

 無論、歴史上、偉業と称されるような英雄的な仕事を成し遂げた人は、多かれ少なかれ、仕事のために私生活を犠牲にしているものだ。
 しかし、それは自ら望んでそうするべきものであって、事務所に命令されて従うといった性質の話ではない。
 それに「アイドル」というタレント活動は、そのような、偉業と称されるような英雄的な仕事とまでは通常言えないであろう。
 (わたしがこう言ったからといって、「モーニング娘。は信じられないほど素晴らしい存在だ」と私自身が考えていることと、いささかも矛盾するわけではない。その素晴らしさは「処女性の保持」とは無縁に成立しうるものである。言い換えれば、モーニング娘。の成し遂げた偉業は「処女性の保持」とは何の関係もない)

 しかも、あろうことか、氏は、

私は勝手ながら石川さんにだけはそれを−−−私生活を犠牲にすることを−−−望んでいたいのです。どんな時でもひたむきであり続けた彼女までがその価値を放棄したなら、それはおそらく名実共にその価値がこの世から失われたことを証明してしまうからです。

 として、尚も、石川梨華(と新垣里沙)には、「処女性の保持」を望むというのである。
 この二人だけは、おそらく「モーニング娘。は処女性を保ってほしい」(テレビ東京菅谷社長)というファンの身勝手な要望にも応え続けてくれるであろう、と期待されているのである。
 「処女性」を期待されなかった高橋愛様をはじめとするモーニング娘。の皆様、まことにご愁傷様でした。
 という(シャレにならない)冗談はさておき。
 その前段にも大きな問題点がある。

 
石川さんだけが、どのような過酷な状況の中でも、常に全力で仕事に取り組んできました。

 石川さんだけが! では、矢口真里は、加護亜依は、辻希美は、藤本美貴は、「常に全力で仕事に取り組んで」は来なかった、とでも言うつもりなのか。
 そう決め付けることほど、彼女らにとって酷いことはないだろう。

 話を戻して、石川梨華が保っているとされる「価値」とは何か。
 曖昧な文面からは明らかではないが、それが「アイドルの処女性」ないし「アイドルの処女性に基礎付けられる価値」を指すであろうことは、読み取れる。
 これは、男の身勝手な欲望の肯定そのものに他ならない。
 おそらくフェミニズム的立場からは、そのような男の横暴を打破するために、石川梨華と新垣里沙こそ率先してそのような価値を放棄すべし、という主張もありうるところだろう。わたし自身はフェミニズム言説に与するわけではないが。

 しかし、少なくとも私は、「処女性を保持すると期待できるか否か」という性差別的、女性蔑視的基準によって、石川梨華、新垣里沙と、他のメンバーを区別するようなマネだけは、自らに固く禁じたい。

 ところが、もちろん氏は、違う立場を鮮明にする。

新垣さんも同様です。どんな時でもモーニング娘。への愛を失わなかった彼女が、グループに対し、私生活を犠牲にするほどの価値を見出せなくなった時、かつて私をあれほど夢中にさせた最期の幻想がこの世から消えうせてしまうのです。

 「最期の幻想」(原文ママ)とは何か?
 それは、文面全体から明らかなように「アイドル=処女幻想」、もう少し穏健に言えば「アイドル=清純幻想」である。
 氏を夢中にさせたというものが、かかる安っぽい幻想にすぎないとすれば、いささか驚くべきことではある。
 当初から、非処女であると考えるのが自然であった中澤裕子さんは、氏にとってアイドル失格だった、眼中になかった、ということなのか。
 また、同じ冗談を繰り返すのは気が引けるが、高橋愛以下の、他のメンバーは、氏から期待されていないらしい。それに、久住さんや光井さんが、わが身を犠牲にして「幻想」の延命を図ったとしても、それは氏の救いにはならないらしい。なんとも失礼な話であるように感じるのは私だけであろうか。

 しかも、全文の締めの言葉もふるっている。

ただ、それでも私は、その時が来ても、彼女たちを声高に批難するのでも恨むのでもなく、せめて「今までありがとう」と言えるファンでありたいと思います。

 この「今までありがとう」という挨拶は何を意味するか?
 A:「今まで処女性を保ってくれてありがとう。これからは非処女であることを前提に、今までどおり応援し続けます」
 B:「今まで処女性を保ってくれてありがとう。非処女であることが明らかになったあなたがたに用はありません。さようなら」
 極めて好意的に読めば、Aである可能性もないとはいえない。(あるいはA、Bの中間である可能性も)
 しかし、文面全体が「アイドルの処女性」という反動的な価値を、何の疑いもなく称揚するものである以上、Bであると読むのが自然であろう。
 Aという態度を取りうる、と言うのであれば、そもそも、ここまでして「アイドルの処女性の保持」を願う必要もないからだ。

 従って、この最後の部分は、「わたしは処女性を放棄したアイドルは応援し続けられない」さらに一般的に「処女性を放棄したアイドルはファンから見捨てられる」という言外のメッセージを読者に伝える言葉として機能する
 そして、そのことによって、「アイドルは処女性を保持せよ」という反動的な要請を支持し、少女の現実の幸福を犠牲にして成立するアイドルという制度をさらに強化して延命させることに加担するのである。

 私自身は、藤本美貴がフライデーされても、モーニング娘。でい続けてほしいと切実に願い続けている。新垣里沙や亀井絵里が同じ目に遭ったとしても、同様に彼女らを応援し続けるし、モーニング娘。を辞めるな、と願うだろう。
 妹重に、姉重には彼氏がいるらしいとバクロされても、裏切られたといって姉重フォルダを削除したりしない。ん?

 フライデーごときでガタガタ騒ぐな、とばかりに、堂々とシラを切りつづけ、モーニング娘。でいつづけ、そうして「アイドルという制度」に揺さぶりをかけてほしいと夢想する。
 しかし、経済原則に従って動く現実社会にあって、その可能性が限りなく無に近いこともまた自覚してはいる。

 処女は金を生み、非処女は生まない。

 その冷酷な経済的事実が、乗越え不能な巨大な壁となり、眼前に屹立するばかりである。

ノノ*^ー^)<あの! 『GAKI・KAME』更新は、まだですか?
从VvV从<いくら続けてもラチがあかないよね、これ

2007.06.14(木)
■ハロモニ@#7(北海道06.07、東京05.20)(舞台は世田谷区下北沢) 「みんながいないよ」、の巻

 今回の亀井絵里さんのご活躍ぶりは……亀ちゃんいないじゃん!

ノノ*^ー^)<亀、透明人間になる、の巻ですよ。
(・e・)<さゆの背後霊だったんじゃないの?
ノノ*^ー^)<あのー、人を勝手に霊とかにしないでいただけますでしょうか。
(・e・)<じゃあピッキーヌの背後霊だった?
ノノ*^ー^)<すいません、テキトーキャラを横取りとかマジで勘弁してください。

2007.06.15(金)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第10回06.09(土)

 10回目にして一つの頂点を極めたGAKI・KAME。明らかに、今までの中で最高傑作。
 前回に引き続き、亀ちゃんが獅子奮迅の働きをみせてくれました。
 「亀ちゃんがボケて、ガキさんがツッコむ」という今までの流れを覆します。いったい今後どうなっていくのか、まったく予断を許さない激動のGAKI・KAME情勢です。

 ・今日はロック(69)の日。
 絵里「知ってましたか?」
 里沙「知らなかった」
 絵里「ぇ。知らないんですかぁ?」開始早々小馬鹿にしたような口調でジャブを繰り出します。
 里沙「知ってたの亀?」
 絵里「知らないですよ」得意げ。知らないに決まってるじゃん、的な。
 里沙「ムッカー!(笑)」
 絵里「イラー(笑)」
 里沙「ピキピキー(笑)」
 絵里「ピキピキー(笑)」
 里沙「何よお」
 楽しすぎ。ここまでで、開始1分経ってないんですから。むしろ恐怖。
 しかも、えりりん、日付とロックの関係にここまで気付いていないとか。ありえない。
 里沙「亀的にロックって何?」
 絵里「ちょっと待ってクレー。今みたいな、今みたいな瞬間です。分かります?」
 里沙「なになになになに?」
 絵里「ちょっと待ってクレヨー。みたいな。そういう感じがロックかなーって」
 里沙「それがロックなの?」
 絵里「ロックですよ」(弱気)つまりロックといえば、反抗的、言葉づかい汚い、といういことで、まあ、正解っちゃあ正解。「亀井はなんでも形から入るタイプ」という世間の観察を一つ裏書する事実。
 里沙「普段でさあ、『この紅茶、ロックだよねえ』とか、よく分かんなくない?」
 絵里「紅茶ロックだよね、って何ですか? すいません、そのテキトーキャラやめてもらってもいいですか?
 ガキさんまでテキトーになったらキャラがモロかぶりだろ、と。ある意味、領空侵犯、テリトリー侵害行為ですからね。亀ちゃんが普段、どれほど他メンとキャラがカブらないように気を遣っているか、ガキさんは考えたことあるの? そうやって、他メンと棲み分けて、譲りに譲って、逃げ惑って、行き着いた果てが「気持ち悪い」「テキトー」だったんだぞ! そのテキトーまで、亀ちゃんから奪おうだなんて!(嘘)
 それはともかく、このテリトリー侵害行為が、亀ちゃんの攻撃心に火をつけてしまった、とんでもねえスイッチ入れちゃったかもしんないね。
 里沙「どうなの亀は。ロックといえば? ハイ!」
 絵里「そうだねー。ロックといえば、こういう、やっぱ、こうボールペンを。カチャッと、こ、気持ちよく、なんていうか…そんなわけないだろ!
 里沙「うわー。ちょっとノリツッコミGAKIKAME初だよ。よく頑張った。ちょっと許してあげて、ここで」
 絵里「許してください」
 皆さんお気づきの通り、これは、正しくはノリツッコミではありません。ノリツッコミとは、
 ガキさん(ボケ):ボールペンをさあ、カチャカチャって……
 えりりん:そうそうカチャカチャするときってロックですよね(ノリ)…って、ンなワケないだろ(ツッコミ)
 という流れを言います。
 今回のは、亀ちゃんの「セルフぼけセルフつっこみ」「自給自足ボケツッコミ」です。
 どうしてそうなってしまったのか、お教えしませう。亀ちゃんは、ガキさんの正しいツッコミを待っていたんです。正しいツッコミとは、「ボールペンをカチャっとするのは、ロックじゃなくてノックだから!」というもの。(参照:ノック式ボールペン)←知らない人は各自ググってね♪
 期待していたツッコミがなかったから、やむをえず自給自足してしまったんです。ガキさん……許してあげてとか言える立場じゃないから。
 (ガキさんのあまりの不甲斐なさに、亀ちゃんのイライラ、さらなる攻撃心が高まります)(嘘)

(・e・)<カチャカチャのことをノックとか知らないから
ノノ*^ー^)<ガキさんの知的水準を読み間違えた絵里が悪いんスよ自業自得っス
(・e・)<ムッカー(笑)
ノノ*^ー^)<イラー(笑)

 ・このラジオで笑うことを取り戻した「デコ」さん。
 里沙「デコさんのために面白いギャグとか言ってあげて」
 絵里「ん、デコぉ? デコそんな広くないよわたし」
 いや、そのデコの広さが可愛いんじゃないですかっ。

 ・絵里の犬話。
 絵里「亀は飼ってますよ、アル君。アル君飼っててぇ、いるけどぉ、わたしの場合はぁ、あんまり絵里にこう、なついてないんですよ、正直なところ」
 里沙「なんでよ」
 絵里「それはちょっと理解し難いんですけど、でもほんとになついてないんです、あんまり。だからクンクン匂い嗅いで終る、って気持ちがスゴイ分かるんですね。だから、私はエサで釣ります
 里沙「あー、それズルいじゃん」
 絵里「こうやって上のほうにやって『ホラホラホラホラ、ジャンプすれば取れるよ』みたいな」
 里沙「お散歩してあげたりとかさ」
 絵里「お散歩はねえ、してあげるんだけどねえ、わたしより偉いと思ってるからねえ、先に行ってぇ、リード? 紐? が、もぅ、重いんですよ。だから、ちょっとこれは」
 里沙「確実に亀のことをバカにしてるねえ」
 絵里「もう、馬鹿にしてます。あの眼はヤバい(笑)」

 ・Beポジティブ
 里沙「あなたの後悔をガキカメが」
 絵里「ポジティブパワーにしちゃいまーす!」
 里沙「おー、入って来たねー、いいよー」
 絵里「面白いでしょーコレ。ハマる、ハマる」

 ・タメ口で書いたメールを先輩に送ってしまった。こういう失敗ありますか?
 絵里「あるあるあるある! あるあるある! あるしー!
 里沙「どうしたの?」
 絵里「マジでし! あるし!なんのマンガから来た表現?
 えりりん、やぐっつぁんの誕生日に、さゆに確認するつもりで「今日ってやぐっつぁんの誕生日であってるよね?」というメールを送るつもりで矢口真里本人に送っていた。冷や汗モノ。
 ガキさんは、「これ、わたしに送るつもりじゃないでしょー」というメールが来る、と。

 ・「宴会」が読めなかったガキさん。
 里沙「……えーと、」
 絵里「ガキさん! 宴会、宴会!」
 (中略)
 絵里「まず発汗12号さんのフォローより、18歳にして『宴会』が読めなかったガキさんのフォローのほうがわたしは」フォローというより、イビリに近いものが。
 里沙「違う違う! ちーがう! これはー! ちょっと言わせて。これはねー」
 絵里「ちょ、待ってください。言い訳するんですか?来ました、第一次ガキカメ紛争勃発ですよ。
 里沙「言い訳する!」
 絵里「いいんですか、言い訳とかして? お、お、いいんスか?」
 里沙「ほんとにね笑ってる場合じゃないんですよ」いや、だって笑うよねえ、スタッフさんも。ここで、言い争う二人をみたら。
 里沙「ここに来てね、この亀の目の前で、宴会ド忘れだね!」
 絵里「ほんとなんかもう、フォローしようがなくてー」
 里沙「(中略)読めたの!ほんとヤメて、そうやって人を…」
 絵里「ガキさん、こういうこと多すぎて、もうどうしていいか分かんないです、ほんと正直」というかノリノリですけども。
 里沙「あのねー、ほんとねー、亀、に言われたくないのよ(笑)」
 絵里「ちゃんと、あの『わかんないのかなー』って言う漢字がぁ、1ミリでも、1ミリでもあるんであればー、そこはカッコつけず、ちゃんとペンとかでー」すごいです。容赦ないです。完膚なきまでに叩きのめしてます。
 里沙「(笑)ムカツクー! カッチーン!」
 絵里「イラー(笑)」
 里沙「違うの! フツーに読めてたんだもーん」
 絵里「だもんねー、ガキさん、読めてたんだもんねー♪」よしよし、的な。上から目線です。
 里沙「ムッカー!(笑)」
 素晴らしすぎ。

 ・人見知り、という話から、人に甘えられる/られない、と言う話へ。ガキさんは、あまり人に甘えない。
 里沙「わたしね、亀がうらやましく思う。こういうことあんまり言いたくないけど」
 亀は、誰にでも甘えられる。それに比べて自分は甘えない。
 絵里「まー。いいんですよ。亀に甘えれば♪(笑)」
 里沙「絶対甘えませんけどね」
 もー、ガキさんったら、素直じゃないんだからー。

 ・ステージで緊張する、という話(ようやく本題)
 と思ったら、また脱線。
 絵里「いまはいちいち確かに、いち、いち、一字…一字…」
 里沙「一言一句?」
 絵里「一言一句ごとにツッこみはしないよ、寒いギャグとか」
 里沙なんで18歳にもなって一言一句が分かんないんですか?でました、ガキさんの大人げない逆襲。ちょっと、声がニヤけてて、楽しそう。
 絵里「フフン。悪いけど、わたしが、今日、圧勝ですよ?」そのとおりだけど、そこまで言わなくても、そんな死人に鞭打つようなことまで。
 こういう絵里独特の、ひねくれた甘え方が、可愛いんだなあー。
 そして、今度こそ、本題。
 里沙「で、どうやって緊張を抑えてるの?」
 絵里「え、その、ギャ、ギャグに対してですか?」
 里沙「うん」
 絵里「あっはっはっは。ちょっと待ってくださいよ。わたし一応歌って踊ってるんですけど(笑)」
 里沙「(中略)早く!」
 絵里「分かりました。緊張する時は、緊張して当たり前、って思うんです
 里沙「(笑)Beポジティブじゃん! それこそホントに」ねー、珍しいですよ、絵里がコーナー趣旨にふさわしいアドバイスをするなんて。そうでもないか。
 絵里「ほんとに、これはマジで」
 里沙「マジで?」
 絵里「マジで絵里お得意の、表現反復技が、今日も冴えてます。こういう、表現内容ではなく表現形式に対する配慮(繰り返しの面白さ)は、表現に対する意識の現れ。自覚的表現者、知性派えりりん。

・ガンコに貫いてることはありますか?
 里沙「ある? なんか」
 絵里「ええ? ガンコに貫いてること? そうだねえ、ちょっと時間貰っていいかなー?」いやいや、時間稼いでも無駄だからさー、ないならないと正直に言いなさいよ、二文字で。
 そこで絵里に時間をあげるために、ガキさんが先発で、感動的な、いかにもガキさんというエピソードを披露。
 里沙「コンサートの時とかさー、お客さんたちが、一階二階三階四階五階とかまであるときあるじゃない。ほんとにそういうとき、全部が終って、アンコールも終って、『またねー!』って言うときに、絶対見ようと思うの、皆さんを。で、一人だけ、最後遅れてハケちゃったりとか、することあるけど、そこは毎回思うね、なんか、毎回、するごとに、上まで見てから帰んなくちゃ、とか、皆さんを見てから帰ろう、ってのは毎回思ってるかな」
 絵里「なるほどー」
 里沙「思い出した?」こんだけ喋れば、亀も、思い出す時間あったよね?
 絵里「すごい。かっこいい」
 里沙「ホント? それぐらいしかないん…」
 絵里「ムチャムチャかっこいいですね」
 里沙「ホント? 亀は?」
 絵里「亀はねー、そうだなー。ライブでーここで、すでに、ガキさん笑ってます。絵里の行動パターンを理解しきってますね。
 絵里終る時にー、そう、一階二階三階四階ってあって、ジーっと見てぇ
 里沙一緒ですよね? 一緒のこと言うんでしょ、どうせ
 絵里「だってかっこいいんだもんソレ」
 リスナーみんなが、しみじみ感動しつつ聞いていたガキさんの話を、容赦なくネタにしてみせる亀ちゃんが、最強すぎます。それと、ここでも同じ表現を反復することによる面白さが追及されていることに注意。

 ・絵里のギャグへのこだわり。
 絵里「そうだね、なんか絶対そのワンステージで、あの、絵里のギャグで笑ってほしい、って言うのは必ずありますね」
 里沙「必ずそう思ってるんだ」
 絵里「思ってる。だからー、なんか、一人で最後に『今日はどうもありがとうございました』って言う時に、なんかー、すごいこう、スタッフさんに、『亀井ー、今日はちょっと普通で行ってくれるかな?』って時もあるんですよ、ぶっちゃけ。正直な話。なんですけど、『えええ?』みたいな。『え? 最後いらないんですか?』みたいなくらい、最後はなんかしたいなー、っていうそういうのはある」
 里沙「必ず、一人一人のMCなのにさ、亀んとこで止まっちゃうもんね」
 たしかに、ライブの感動的な雰囲気をぶち壊しにする亀ちゃんの寒いギャグが正直邪魔なときもあるんでしょうけどさー、それにしたって「今日は普通で行ってくれ」って言われる亀ちゃんは、可哀想すぎる。
 ガンバレ亀ちゃん!
 でも、あれだね、こう、TPOというか、ライブの雰囲気に合わせて、「今日は感動的な一言でまとめる」とか、技を使い分けられるようになるといいかも。そうすると「今日は真面目バージョンか」と思わせておいて、最後にズトーンと落とすとか、色々なパターンが作れて、楽しいかも。

(・e・)<今日のところはこれで勘弁しておいてあげる
ノノ*^ー^)<え?だから亀の圧勝でしたってば
(・e・)<次回は首を洗って待ってて
ノノ*^ー^)<何言ってんスか返り討ちですよ

2007.06.16(土)
■ハロモニ@#8(北海道06.14、東京05.27)(舞台は世田谷区三軒茶屋) 美貴様大激怒&大爆笑、の巻

 ハロモニ@#8。今回の絵里ちゃんの活躍は……活躍は……活躍はああああああああっ

ノノ*^ー^)<いつもいつも主役というわけにも行かないですよ
ノノ*^ー^)<他メンにも活躍の機会を与えてあげないと
(・e・)<なによおどこから目線なワケ?
从VvV从<てゆうか亀ちゃん今川焼食い逃げしただけだよね

2007.06.19(火)
■中澤裕子さん、34歳のお誕生日おめでとうございます
■辻希美さん、20歳のお誕生日おめでとうございます(二日遅れ)
■紺野あさ美さん、ガッタス復帰! ハロプロ復帰! 歌手再デビュー!

 裕ちゃん! 34歳のお誕生日おめでとう!

从*~ー~从<強調の仕方に刺があるわね
ノノ*^ー^)<いつまでも中澤さんの年齢イヂリをしていたいってファンの優しい気持ちですよ
从*~ー~从<年齢に負けるな、ってことかしらね
ノノ*^ー^)<まあそれも今年限りですよね三十代後半とかマジできついっす
从*~ー~从<ちょっと亀井さん!? そんな聞き捨てならないことを
ノノ*^ー^)<あれ? 絵里何か言いました? 空耳?

 今年前半は、色々事件が多くて、その度に、裕ちゃんの、愛のある、ドーンと構えたコメントに救われてきた気がします。
 これからも後輩たちの心の支えになってやってください。
 もちろん、裕ちゃん自身の活躍も。歌手として、舞台女優として、タレントとして、ますます頑張ってくださいね。
 裕ちゃんが、ハロプロ以外の場で、テレビ東京以外の局で活躍する姿は、後輩たちにとって、希望の星だと思います。末長くキラキラと輝き続けて、後輩たちの進むべき道を照らしてあげてください。

 ■辻ちゃん、20歳の誕生日おめでとう(6月17日)。二日遅れでゴメンよー。
 披露宴の準備、頑張ってますか。
 ののらしい楽しい披露宴のニュースが入ってくるのを楽しみにしています。
 辻ちゃんの生き方も、裕ちゃんとは違う方向で、女としての幸せ方面で、後輩たちの希望の一つの形として、彼女らに大きな影響を与えることと思います。後輩たちの手本となれるよう、しっかりと幸せな家庭を作ってください。

 そして、朝っぱらから飛び込んできたニュース。
 ■
ハロプロに“久々”ハッピーニュース!元モー娘。紺野が電撃復帰(これは「サンスポ」の記事)
 まず、タイトルが、ハロプロに久々ハッピーニュースだもの。辻ちゃんの「おめでた」は、おめでたくなかったと言いたいのか…。orz

 ・「ガッタス ブリリャンチスH.P.」が8月にCDデビューするのに合わせて、メンバーに復活。7月15日のハロプロ名古屋公演で1年ぶりにステージに立つ。
 僕は、ハロプロのフットサル活動の目的(意義)は、
 1、「アイドル」の活動領域の拡張(&新たなファン層の開拓)
 2、スポーツを通じた社会貢献と企業のイメージアップ効果(企業メセナ)
 3、メンバーへの配慮という福利厚生目的(健康維持、モチベーション維持、「小人閑居して不善を為す」防止)
 4、活動そのものの経済効果(興業収益、放送権、関連商品販売)
 というあたりにあって、でも4自体には、さほど期待してはいないのかな、という印象でした。
 ところが、今回、ガッタスとしてCDデビューするということ。意外と4が重視されているのかも?
 つんく♂さんが最近注目している「アメーバ経営」という経営手法とも関係があるのかな(多分気のせい)。
 ともあれ、今後、ガッタスはスポーツチームから、アイドルユニットへとその性格を変えていくのでしょうか。

 ・ 紺野が参加する音楽ユニットとしてのガッタスは、音楽プロデューサー、つんく♂(38)が21人の選手から紺野をはじめ、吉澤ひとみ(22)、石川梨華(22)ら9人を選抜。つんく♂が作詞作曲したノリのいいポップナンバー「鳴り始めた恋のBell」で8月22日にデビューする。
 ぜひとも藤本美貴が入っていてほしい。藤本美貴を入れてあげてください。ミキティのスペインリーグさながらの格闘技的プレーあってのガッタスじゃないですか。あと、できれば、コレティ(是永美記さん)を入れてあげてください。ガッタスに、他のハロプロユニットとは違う意義があるとしたら、それは、コレティの存在だと思うんです。……

 ・所属事務所によると、モー娘。を卒業する際、紺野から「大学に合格できたら、ガッタスでフットサルを続けさせてほしい」との強い申し入れがあったという。
 こんこんがハロプロから卒業した時、僕は、UFAとの契約は切れてはいないんじゃないか、という希望を語っていました。その希望的観測はあながち間違ってはいなかったようです。
 紺野あさ美と、UFA・ハロプロとの良好な関係は続いていたわけで、嬉しい限りです。

 ・順調な学生生活を送る紺野
 この表現も、実はすごく嬉しい。

 ・ 紺野は「大学生活と両立できるか悩みましたが、両立して頑張っていこうと決意が固まりました。大学受験を応援してくれたみなさんにまた会えることを、とても楽しみにしています」とファンに発表した。ただ、しっかり学んで、卒業することを第一目標に掲げる紺野は「ガッタスと大学の予定が重なった時は、学業を優先させていただきたい」としている。
 それでこそ、こんこん。
 ぜひ、慶應SFCを首席で卒業するぐらいの勢いで、頑張って学問を極めてください。
 そこまでやれば、「中卒DQN」とか失礼極まることを言っていたアンチどもを、完璧に見返してやれます(笑)
 それに、このまま、ずるずると芸能活動に戻ってきて、大学中退とか、除籍とかいう話になってしまうと、それこそ、「なんのための卒業だったのか?」と、「引退サギ商法かよ、さすが宮崎駿ヲタだな」とか、言われかねませんからね。
 でも、鉄のように頑固なこんこんなら、きっと自分の決めたことをやりとげてくれる、と信じています。そこは全然心配していません。
 こんこん、芸能界復帰おめでとう!

川o・-・)<次は、まこっちゃんがメトロラビッツ復帰!
ノノ*^ー^)<てゆうかメトロラビッツって今あるんですか?
川o・-・)<亀が知らないんじゃあ……

 p.s.
 歌手再デビューって部分は、こんこん自身にとっては余計なオマケがついてきちゃったよ感があるかも。「ゴレイロやりにきたのに、なんで、歌唱レッスン、ダンスレッスン、レコーディングなんだよー?」的な。そうでもないか。やっぱ、また「アイドル」が出来て、嬉しいか。

 p.s.2
 こちらは日刊スポーツの記事
 やはり、記事によって、内容も受ける印象も、ずいぶん違うのです。要注意でし。

 ・メンバーの不祥事や産休、脱退に揺れるハロプロが即戦力を緊急補強した。

 ・芸能界から引退したが、復帰計画が水面下で急ピッチに進められた。ハロプロ在籍経験者72人のうち卒業者27人の中でハロプロに復帰するメンバーは初めてだ。

 ・ 紺野は4月に慶大環境情報学部に入学した直後から「新生活に慣れたら戻ってきてくれないか」と、前所属事務所から復帰の打診を受けた。心は揺れた。フットサルが気になったのだという。「フットサルはしたいけど、大学で学び、成果を残して卒業することが最も成し遂げたいこと」と悩んだが「学業を優先させてもらうことを条件に」両立の決意を固めた。
 UFA側の強い要望に、こんこんが答えた、という流れ。(サンスポとは随分違うぞ、ここは)

 ・ 紺野卒業後、ガッタスがゴレイロ(ゴールキーパー)不足に陥った事情が大きかった。04年のチーム発足以降、ゴレイロは辻希美(20)と紺野の2人が、ローテーションで担当した。紺野卒業後、孤軍奮闘した辻は5月に杉浦太陽(26)との結婚、妊娠が発覚。無期限休業が決まり、守りの要が不在となった。
 ・即戦力の補強が急務となり、過去55試合中48試合に先発出場した紺野がクローズアップされた。
 「ガッタスの戦力補強」ということ自体が、それほど重要なことだったのか、それとも、問題は「アイドル力」の補強なのか。ま、どちらであっても、こんこんなら「どんとこい」ですけども。

 ・ 紺野の復帰に合わせて新生ガッタスのCDデビューも決定した。主将吉澤ひとみ、石川梨華、里田まい、是永美記にハロプロエッグ(予備軍)の5人と紺野を加えた10人でチーム名と同名の音楽ユニットを結成。8月22日に「鳴り始めた恋のBell」を発売する。
 是永美記!コテレィ来たよ!
 そして藤本美貴、ミキティ来なかったよ……orz

 ・ もちろん、紺野の復帰はハロプロのイメージ回復も期待される。加護亜依の未成年喫煙問題以来、イメージに合わない騒動が続く。人気上昇中にもかかわらず、進学のため惜しまれながらハロプロを去り、目標を達した紺野の好印象は、何よりの即戦力かもしれない。
 スクープ続きのハロプロのイメージアップのために、「好印象」要員として、期待されている、というのが、本当だとしたら、こんな嬉しい話はない。
 というか、この記事を書いた人、相当なこんこん贔屓という気もする。いいことです。贔屓しちゃいなよー。

2007.06.20(水)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第11回06.16(土)

 今回も35分番組となっております。絶好調!
 冒頭の、「ガキカメでぇーす」の後の、「いぇいいぇい!」とか「こんばんわんこ!」とか、あおりがやけに長いと思ったら……
 絵里わたしでしたね亀ちゃん、自分が次の話題を振る役なのを忘れていたらしく。必死に目配せするガキさんが目に浮かぶようです。
 里沙「なに。なにか質問があるんでしょ?」というワケです。例の「ところでガキさん?」ってヤツです。人のセリフに入ってくる前に、自分の役割を忘れないでよ、的な。

 ・モーニング娘。のメンバーが一ヶ月間集合しなかったら、メンバーのことが気になりませんか? 一人一人に連絡とかします? という質問。
 里沙「そうだなー、亀のことはねー、結構気になるのよ?」
 絵里「わたしも。気になるのょ、ガキさんのこと」(小声)
 里沙「ホントォ?」嘘付けぇ、って言いたそうです。
 里沙「あなたさあ、わたしからメールしないと全然来ないですよねー?」
 絵里「違うんですよ! 絵里がしようかな、って思う時に来るからーなんかガキさんに…」
 里沙「違う! それは言い訳だー」
 絵里「あ、ううん、違う。それも違う。(笑)テキトーかつ強引な言い訳に、ますます磨きがかかってますね。ある意味、堂々としてきた。
 里沙(中略)「亀とかは、『元気にやってるのかなー、いつもポケポケポケポケしてるからー、大丈夫かなー』って思ってねー心配してるわけよ」
 で、ガキさんは、亀にメールをするけれど、亀ちゃんからは「あのカフェってどこでしたっけ」的な質問メールしか来ない。
 絵里「なんか、なんかガキさんってあれですよね。お母さんっぽいメールですよね」
 里沙「ほんと?」
 絵里「『最近はよく寝れてるの?』って言う」……愛情だなー。
 里沙「亀は? みんなの気にならないよね、もちろん」さりげなくスゴイこと言ってます。
 絵里「そうだねー、無関心って言い方はよくないけれどもー、よくないけれどもぉ、でも、やっぱりぃ」
 里沙「無関心だよね」
 絵里「うんまあ、いっこにまとめると無関心、ってなるカナー。
 「テキトー」や「中途半端」も萌え要素として成立させるのが困難な、アイガー北壁級に難易度の高い技だと思うけど……「メンバーに無関心」ってのは…いくら亀でも、さすがに厳しくないか? うーん、どうなんだ。成立してるのか?

 ・ガキさんが、ラジオのメール宛て先を告知している間、亀ちゃんは笑っていた様で。
 里沙「亀笑ってる大丈夫? どうしたの? なんか面白いことあったの?」
 絵里「(笑)やばいよー。わたし今、楽しい! 楽しい! 楽しい!」
 ここの笑いは謎。これは何? とにかく、「楽しい」というのは本心ではなさそう。もしかして、「無関心キャラは無理だったなー」と反省していたのだろうか? 謎。

 ・ラジオネーム「本名オッケー徳川家康」さん。ウケまくり。
 ガキさんの写真集の話。スタッフさんが、ガラス越しに、写真を見せてくれているらしく。
 絵里「いや。ガキさん…ガキさん……、今ガラス越しにねー、1枚ありますけどー、ガキさんいいの? こんな表情しちゃって?」  ガキさんがご飯を食べているショットらしい。
 里沙「ちょっとね、先っぽのさー、お箸の先が黄色くなってるじゃないですか」
 絵里「なってますねなってますね」
 里沙「あれはね、半熟卵を割った瞬間なのよー」
 絵里「あー。幸せを感じるときですねー」
 里沙「幸せを感じてる時なのよー」
 絵里「あー、食べちゃいました、それを」
 里沙「食べちゃったねー」
 絵里パクッと
 里沙「パクっと」
 えりりんの、どこか気のないテキトーな感じ、なんとなく小馬鹿にしてるかのような醒めた口調が、ガキさんの幸せそうな口調と対照的。

 ・ラジオネーム「セニョリータは充電中」さんから、心理テスト。
 お題は「今度の休みに、モーニング娘。全員で南の島に行く。四つの観光スポットから一つを選ぶとしたらどれ?」という問題。四択。
 1、海でシュノーケリング。港から船に乗って沖に出る。
 2、島を一望できる山の頂上。途中、歩きにくい岩の道を歩かなくてはならない。
 3、島の反対にある湖。森の中の平らな道を歩いていく。
 4、ホテルの裏のお花畑。すぐ近くでキレイなお花が咲いている。
 4番を聞いた瞬間に、絵里が大きな声でおおっ! よし決まった。と。3番までは、「ちょっと遠いな。ないな」という感じだったけど4番は「ピッタシ」だと。
 だってさー、「セニョリータは充電中」さんは、これ、絵里に4番を選ばせるように問題を作ってるでしょ? 狙った感がありまくり。絵里も、それを自覚したうえで、あえて乗っかっている感じ。
 里沙「どっかに一生懸命登っていくってタイプでもないしね」
 絵里「そうなんですね。ぶっちゃけね」
 ちなみに、ガキさんは「海大好き」ということで、1をチョイス。
 (余談ですが。「シュノーケリング」のことをあまりよく分かっていなかったえりりん。えりりん……君が「ラブハロ」で持ってた道具はなんだと思ってたんだよー。)

ノノ*^ー^)<これずいぶん太いストローですね

 熱帯魚のいる海に入りたい、というガキさんに驚く亀ちゃん。
 絵里「えええ? そこに入りたいんですか? えー、すごーい!」超絶的にヘタレな亀ちゃんは、お魚がいる水の中に自分も入るとか、マジで無理、と思っている様子。
 そして、答え。このテストでは、リーダーとしての適性が分かる、と。そして、
 里沙「4、お花畑を選んだ人は、テキトーです(笑)」
 絵里「あはははは(笑)」
 もう、ここまで来ると、予定調和って感じですよね。出題者も、解答者も、そしてリスナーも、誰一人「意外だ」とは思っていないという。「あー、そうだよねー」的な。
 絵里「おいっ!」…えーと。誰に何をツッコんだのでしょうか。あ。自分に。なるほど。
 里沙「あたってんじゃん!」
 絵里「いいよ。それ、読まなくていいよ」
 里沙「『もう少し考えましょう。南の島まで来て、これしか観ないのでは人生を無駄にしてしまいます。(ここで、亀ちゃんが「うっうっ」と泣き真似を)リーダー云々というよりも、メンバーとして問題があるかも』(笑)」「セニョリータは充電中」さん、なかなか愛のあるツッコミです。
 絵里「ちょっと待って! 言い過ぎじゃない?」
 里沙「うわー。パチパチパチパチ。当たってまーす」いや、ガキさん、パチパチじゃないから。
 きっと、「セニョリータは充電中」さんは、ガキさんには、2番(=リーダーに向いている)を選んで欲しかったんだと。そんな気がする。
 1を選んで「リーダーに向いていない」とされてしまったガキさん、残念。絵里も、「テキトー」ならまだしも「メンバーとして問題あり」には、イラッと来たらしく、「これ、二週目まで引きずるなと、うっかり2回録りであることをバクロしてしまう有様。「手が痒くなってきた」「これあんまり好きじゃない。「セニョリータは充電中」さん、ごめんなさい」と、正直発言。絵里にここまで言わせた「充電中」さんは、本望なのだろうか、それとも、やっちゃった、と思っているだろうか。
 里沙「亀の意外な一面を……今日、意外じゃなかったけど」
 絵里「(苦笑)意外にしようよ。台本の、そのままで読もうよ
 里沙「台本とかじゃないよ」
 絵里「台本とかじゃないよ。何いってんだよ」2回録りはバラすわ、台本とか言うわ、亀ちゃん、うろたえすぎです。

 ・Beポジティブ
 絵里「ビビビー」可愛い。
 里沙「……ポジティブパワーに」
 絵里「しちゃいまーす。」この、途中から入るのが、「いつから入るか楽しみ」だそうで。
 里沙「いつから入るかねー、ほんとにねー、こっちは迷惑ですけどねー」嘘嘘。嬉しいくせに。
 里沙「『ガキさん、亀ちゃん、コンニー』」
 里沙&絵里「……コンニー(笑)」
 里沙「コンニー」
 絵里「コンニー」……あの、ちょっと、なんというか、その……それはいくらなんでもマズいのでは……いや! 「こんにちわ」を「コンニー」と略すのは、可愛いですよねっ! おっつ。
 ・電車で使うICカードの残高が足りず、改札口で焦ってしまった、という話。
 絵里「だから、いっつも言うんだよお母さんに『なんで入ってないんですかー!』って」
 里沙「ナニソレひどいねー。自分で入れなさいよー」
 絵里「そうなんです、だから、最近そういう討論をしてー、わたしが、それは、ちゃんと、自分のことは自分でします! っていう結論に!」
 里沙「お。エライじゃない。ちょっと成長じゃん」
 絵里「そうなんですよ」いやいや、お父さんは騙されませんよ。絵里が、一回宣言したぐらいですぐ実行できる、ってんなら世話はないっていう話です! ←というキャラ設定でいいんですよね?
 それにしても絵里のアドバイスはすごかった。
 絵里「パスケース? にカードが入ってるじゃないですか。そこに付箋かなんか貼って、残高?だっけ、『残高を見よ!』って書いておくといいかもしんないね」
 絵里が「付箋」というものを知ってるのが驚き。っつーか、絵里の部屋中、ご両親の貼った付箋だらけ、って光景を、ついつい想像してしまったわたしは間違ってますか?

 ・最近、損したこと。
 亀、最近ガキさんから教えて貰った、ファーストフード店の「レモン&ハーブのドレッシング」を掛けたサラダを夕飯に出したくて、行ったら、売り切れだった。ハーブ、という点にこだわる絵里ちゃん。

 ・二人はメール派? 電話派?
 里沙「亀みたいにメールが返ってこない子には電話しちゃう」
 絵里「おおおお。そうそう。そういうシステムになってた」

 ・ガキさんが、高橋愛ちゃんに長いメールを送っても、顔文字一つで返ってくる。有名なエピソード。しかも、たいして意味はないらしい。
 ・メールを打ったら、読み返しもせずに、決定→送信する絵里。しかも「予測辞書」でポンポンポーンと打って送るので、とんでもない間違いがあるらしい。
 絵里「それには驚きますよね」人ごとですか。
 絵里「読み返したときって色々間違いがあって…だからこれは…メール派かな?突然、質問の趣旨を思い出したとか。なんというテキトーさ。
 なんとか、話をまとめに入ろうとする絵里。
 絵里「いまスタッフさんの目がねー、私に期待の目だよ」
 里沙「期待の目じゃないよ、呆れてるよ、もう」ガキさん…同感でし!
 里沙「『いふらいふ』さんの言うことをまとめて、結果を言ってよ、ちゃんと。わかった? ハイどうぞ!」
 絵里「もっとソフトに言ってください! ソフトに!」
 そして、『いふらいふ』さんの悩みを、なんとか、それらしく説明する絵里。なのに……
 絵里「でも、亀井の場合は……」
 里沙「…………自分の話?(笑)」
 絵里「(笑)亀井の場合は、メールをまず打ってぇ、見返してぇ、それを送ります♪」口から出まかせもここに極まれリ。
 絵里「だから、要するに………………メール派?……(笑)」アドバイスはどうなったんですか、アドバイスは?
 里沙「(笑)あー、もう全然まとまってない、亀の事聞いてるわけじゃないんだから! どうしたらいいですか、ってことですよ、ほんとにこれは」ガキさん、呆れ果ててます。
 絵里逆に『いふらいふ』さんにフォローしていただきたい
 どうにもならないので、たまりかねてガキさんがフォロー。
 里沙「……(中略)……「元気?」とか訊く時は、メールで絵文字ポンポンって入れれば、全然、気持ち伝わると思いますよ」
 絵里「伝わると思いますよ」と、最後の一句だけ、ガキさんの発言にかぶせて、さも、自分が丁寧な長いアドバイスをしたかのような感じにしちゃう絵里。最高です。
 里沙「(笑)カッチーン!」
 絵里「(笑)イラー」

(・e・)<亀ちょっといい?
ノノ*^ー^)<なんスかガキさん?
(・e・)<リスナーさんの相談をね、もっとちゃんとね
ノノ*^ー^)<あ。終電が! お疲れさまでしたー! お先に失礼しまーす! (脱走)

2007.06.21(木)
■藤本美貴をあきらめない

あなたをあきらめない
あなたの小さな手を離さない
あなたを信じることが あなたの希望となるのであれば
あなたの希望が ふたたびわたしたちを照らすことを
わたしたちは信じなければならない
わたしたちは信じることができる
わたしたちは信じる

嘲笑と 失望と 軽蔑と
愛のない関心と 愛のない無関心に取り囲まれ
その翼をもぎとり地に引きずり下ろそうとする冷酷な力に
思わず膝を屈し 地に臥してしまっても
あなたは立ちあがらねばならない
あなたは立ちあがることができる
あなたは立ちあがる

モーニング娘。を奪われ ガッタスを奪われ
GAMさえも奪われてしまったとしても
その小さな顔に吹きつける砂塵混じりの逆風の強さに
思わず顔を背けてしまっても
ふたたび 毅然として 真正面を向いて
あなたは歌わなければならない
あなたは歌うことができる
あなたは歌う

あなたが人を幸せにすると同時に 自分も幸せになることは
許されないことなのか 不可能なことなのか
いや違う それは簡単なことだ
あなたを「アイドル」という概念の処刑台に磔にする
定義付けという暴力から 身を引き剥がし 逃れればいい
あなたは自由になる

「アイドル」に「処女性」が求められるというなら
そんな安っぽい称号など 熨斗をつけて丁重に叩き返せばいい
「アイドル」という狭苦しく不自由な檻を抜けだし
広大な大地を自由に駆ける野生の獣に 美しいヒョウになればいい
あなたは荒野に生きる自由と 過酷とを手に入れる その過酷に
あなたは立ち向かわねばならない
あなたは立ち向かうことができる
あなたは立ち向かう

数々の輝かしい奇跡の瞬間
あなたはモーニング娘。そのものであり
あなたこそモーニング娘。だった
あなたがアイドル失格ならば モーニング娘。も失格であっていい
しかし あなたがモーニング娘。の歴史に刻み込んだ数々の奇跡を
その功績を 歴史から抹消し
その記憶を 消去することは
誰にも許されない 誰にもできない

わたしたちは待ち続けなければならない
わたしたちは待ち続けることができる
わたしたちは待ち続ける
あなたが心から笑う日が ふたたび来ることを
腹の底から沸き起こる喜びと幸せに
大きく口を開けて
目を見開いて
鼻の穴を広げて
あなたは笑う

2007.06.22(金)
■藤本美貴の「ドキ☆みきnight」2007.06.18より

 美貴「そうですね、わたしも、GAMライブのあと、どういう形で、歌を歌っていけるのか、お仕事が出来るのか、まだ分からないんですけども、あの、精一杯頑張っていくので、これからも応援よろしくお願いします」
 仕事の予定が分からない。
 デビュー以来初めての、空白のスケジュールが待っているのだろうか。
 だとすれば、それは、みきちゃん本人にとって恐怖かもしれない。
 もし、万が一、本当に予定が空白になったとしても、絶望など不要だ。
 絶望ほど藤本美貴に似合わないものはない。
 まだ22歳。
 中澤裕子は、まだデビューすらしていなかった。ぼんやりと将来への夢と不安を抱いていた頃。
 まだまだ、これから。
 お楽しみはこれからだ。
 『ガラスの仮面』で言えば、ようやく北島マヤが芸能界から追放されるあたり。その辛い経験を乗り越えて、北島マヤは「アイドル女優」から脱皮し、本当の舞台女優へと成長を遂げる。
 漫画と現実は違うけれど、これだけは確信している。
 藤本美貴は過去の人などではない。
 藤本美貴は、これからの人だ、と。

ノノ*^ー^)<まだまだですよ! ガラスの仮面だって、まだ完結してないしー!
从*~ー~从<何十年続いてるん、って話よね
从VvV从<それは作者が行き詰まってるだけですよね

2007.06.22(金)no.2
■2人のツンデレ女

 さて、藤本美貴といえばハロプロ随一のツンデレ女として夙に有名である。
 ツンデレ女と聞いて、わたしが思い出すもう一人の女性が居る。
 日本文学史上屈指の名作、谷崎潤一郎の『春琴抄』の春琴こと本名鵙屋琴こそその人である。
 琴は、生まれつき容姿端麗にして高雅であったが、幼くして視力を失い盲人となる。彼女は、琴三味線を極めてその道の師匠として身を立てる。
 その彼女を恋い慕う佐助という男。
 春琴の弟子となって、何くれとなく身の回りの世話をするが、春琴は決して、佐助の思いに応えようとはしない。今で言うアッシー君メッシー君(死語?)の地位に甘んじる佐助。それでも、彼は誠心誠意春琴に尽くし、彼女を愛し続ける。
 これこそ、アイドルとファンの理想の関係なのかもしれない。
 春琴は、その驕慢な性格ゆえ周囲から恨みを買い、ある夜、何者かに、顔面に熱湯をまともに浴びせられ、その美貌を失う。それ以後、春琴は誰にもその顔を見せることはない。無論、佐助にも。
 春琴の美貌が二度とは戻らぬと悟った佐助、春琴の醜い姿を見られたくないという思いを受け止めた佐助は、己の両目を針で差して潰し、自らも盲人となる。
 そうして、春琴と佐助は、過去の美しい思い出を抱いて余生を過ごす。
 ここには確かに、崇高な愛の形が刻まれている。
 しかし、佐助の行為が正当化できるのは、二人にはもう、未来はないという事情、過去とともに生きるしかないのだ、という事情がある限りにおいてであろう。
 そこに輝く未来という可能性が、わずかでもあるのであれば、佐助はその実現を我が目でしかと見届けるために、その両目を見開いて、現実を、春琴を襲った不幸を、そして彼女がこれから乗り越えねばならない苦難を見つめ続けるべきであった。
 その可能性がない、ということ。それが、春琴と佐助の悲劇であった。
 しかし、わたしたちには、わたしたちのツンデレ女には、まだ無限の可能性がある。
 なんと幸せなことであろうか。
 わたしたちは、未来の可能性に胸を膨らませながら、藤本美貴の悲惨と、彼女がこれから辿るであろう苦難の道程を、しかと見つめ続けねばならない。

2007.06.22(金)no.3
■ハロモニ@#9(北海道06.21、東京06.03)(舞台は台東区アメヤ横丁) 「よい子だねえ」の巻

 今回も、亀ちゃんはいまいち地味でした。さゆ絶好調。れいなも元気だった。

2007.06.24(日)
■アイドルファンにとって「愛」とは何か・フラグメント(素描)

 藤本美貴を巡る騒動の過程で出てきた論題として、「アイドルの恋愛は是か非か」が議論されている。しかし、それは問題ではない。

 藤本美貴が、私生活で恋愛をしようと、ひきこもっていようと、プライバシーの範疇であり、それが自由なのは当然のことであり、問題にするに足りない。

 「アイドルの恋愛事情」がスキャンダルとなってしまうような、「アイドル−ファン関係」のあり方こそが真の主題でなければならない。

 本筋に入る前に。
 そもそも、我々が、アイドルの恋愛事情を知りうるのは、「芸能人のプライバシーは侵害しても構わない」という、芸能マスコミの恐ろしい感覚と、それに基づく人権侵害行為があるからである。我々は、芸能人が、本来保護されるべき私生活上の秘密、プライバシーを侵害されるのを漫然と座視しつつ、しかも、その反倫理的な行為の結果として知りえた情報を元にして、「やれアイドルの恋愛は職業倫理に背く」などと言い立てるのである。
 我々は、本来知らずにいるべきことをマスコミの売上至上主義的な狂った行為の結果知らされてしまう。その事実にこそ、怒りを向けるべきであるように思われる。

 アイドルの恋愛の是非は問題ではない。問題は何か。

 ファンの「愛」のあり方こそが問題とされるべきだ。
 一般に、男女間に恋愛関係が成立する前提として、「清純なイメージを維持する」すなわち「処女性」を女性に求める感性は、女性蔑視的であり、時代錯誤であって、まったく論外と言うべきだ。
 もし現実に、恋愛した女性が、たまたま非処女だったら、彼は「裏切られた」と感じるべきだろうか。
 彼は、相手が処女でないと安心できないという己の童貞的感性をこそ問題視すべきなのではないか。

 「反=対価性」としての愛。
 アイドルの「清純なイメージを維持する」という義務の履行に対して、その対価として、ファンの応援(CD、写真集等の購入、ライブ参加)がある、という考え方は恋愛とは何の関係もない。
 そのような対価的、互恵的関係は、単純な経済的取引関係に他ならない。

 見返りを求めることは愛ではない。
 愛は、一切の対価性を否定し、見返りを求めない。無償性こそが、愛の基本条件だ。裏切られても、振り向いて貰えなくても、ひたすらに愛し続ける、愚かさ、狂気に似た感情こそが愛の名に値する。

 例:『痴人の愛』『春琴抄』

 そのような絶対的無償性としての愛をアイドルに捧げるファンはどれほどいるのか。「恋愛」という名の下に、「処女性」と「応援」を等価交換する経済活動に勤しむ者が、過半数を占めるのではないのか(「過半数」は極めて控え目な表現である)。

 アイドルとファンの絶対的非対称性。
 一人のアイドルに対して万単位のファンがいる。その絶対的非対称性こそが、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である。
 この「非対称性」の規模をある程度の規模に保てない存在はそもそも「アイドル」として、経済的に成立しえない。
 いいかえれば、「アイドル」とは、本質的に、マス(大衆)メディア現象なのだということ。

 一人のアイドルに対して数十人しかファンがいない、というような、いわゆる「地下アイドル」の場合、その非対称性は相対的に小さなものとなる。「地下アイドル−地下アイドルファン関係」は、ほとんど普通の友人関係に近いことすらあるかもしれない。

 推測になるが、地下アイドルファンはメジャーなアイドルとの関係における絶対的非対称性の苦しみと、虚しさに耐え切れず、地下アイドルへと移行していくのかもしれない。
 しかし、地下アイドルといえども、地下に甘んじることなくメジャーを志向する以上は、その非対称性を拡大することを望む。
 地下アイドルファンもまた、地下アイドルを「応援」する以上、非対称性の拡大に尽力することを求められよう。非対称性を避けて地下に潜っても、そこでも非対称性の拡大に荷担し、己の意に反して自らの存在の重みを小さくしていくことを求められる矛盾を抱えた存在、それが地下アイドルファンなのではないか。

 アイドルとの「本気の恋愛」志向。
 「擬似恋愛」ではなく、「本物の恋愛」を志向するファンの存在。
 一対一の恋愛関係はあり得るか。
 あり得ると考えるのは、ほぼ現実逃避に等しい妄想ではないのか。
 それを実行に移そうとすれば、限りなくストーカー行為に近づかざるをえないのが、アイドルとファンの関係ではないのか。

 アイドルに恋人が発覚すれば、アイドルは「アイドル」ではいられないという現実──意気消沈すべき、情けない現実──がある。そうでありながら、アイドルを「自分だけの女」にしようとすることは、すなわちアイドルに廃業を迫ることと同義であろう。

 ファンが、具体的な一人の「アイドル」に対して、「アイドルを辞めて、自分だけの女性になってください」とプロポーズすることは、可能性としてはありうることだろう。しかし、それは同時に、アイドルの否定そのものでもある。

 このようにアイドルとの「一対一」の関係を過剰に夢想することもまた、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である絶対的非対称性に耐えられない脆弱性の現れなのではないか。愛の脆弱性。

 万人の崇拝と憧れの対象であるアイドルを自分だけが独占しようとすることの自己中心性。それはおそらく「恋愛」の名の下に正当化されるのであろう。惜しみなく愛は奪う。恋愛という大義。

 その昔の「親衛隊」や「グルーピー」と言った存在は、そのような抜け駆け行為を自らに固く禁じる倫理性を保持していた。たとえば、「3人以上集まらなければ憧れの対象に会いに行かない」などの「鉄の掟」として、それが表現されることもあった。
 そこには「アイドルはみんなのための存在」という公共意識があった。今、アイドルを自分だけの女性として独占することを夢見るファンには、そのような公共性はない。ただ、身勝手な自己中心性があるばかりだ。

 愛とは過酷な倫理的実践である。
 しかし、アイドルファンの多くにとって、「アイドル」はエンタテインメント=娯楽にすぎないだろう。アイドルを愛することで、苦しみ、悩み、神経を擦り減らしながら、その愛の過酷さに耐え続けようとするものは少数派であろうと思われる。

 ファンがアイドルに支払う幾許かの「金銭」。その「金銭」という言葉の響きは、声援や、ファンレターや、その他の行為を伴うことで、「応援」と呼ばれる美しい響きへと昇華される。それに対して、アイドルは対価として「水着グラビア」や「歌」や「ライブパフォーマンス」や「笑顔」や「清純なイメージ」や「処女性という幻想」を対価として提供する。

 多くのアイドル消費者が求めているのは、そのようなお手軽な等価交換による娯楽にすぎないであろう。
 ファンがアイドルに抱く恋愛感情は、多くの場合、その娯楽をより魅力的にするスパイスとして機能するにすぎないものであろう。
 恋愛感情が介在することで、金銭とサービスを交換することの虚しさが、糊塗され、魅力的なニュアンスが付加される。
 それが、多くの「ファン」が、「アイドル」に対して抱く「恋愛感情」の実態であろう。

 そうでないとするなら、何故、相手に恋敵がいると分かった時点で、恋から醒めたりできるのか。

 「わたしがアイドルに抱く感情は、そんな安っぽいお飾りとは、断固として違う」
 そう断言する者を、わたしは同志と呼びたい。
 振り向いて貰えなくても、見返りなど何もなくても、絶対的非対称性に耐えながら、アイドルを愛し続ける苦しさを、共有できる存在を。

 モーニング娘。達はしばしばファンに対して「皆さんの愛を感じる」と語りかける。
 モーニング娘。はファンが支払う金銭のことを「愛」と言い換えているのか。
 断じて違う、モーニング娘。は本当にわたしたちの「愛」を受け止めているのだ、と断言しよう。
 そして、わたしたちは、金銭とは交換も換算もできない「愛」を、彼女たちに捧げていると言えるのか、自問しつづけよう。
 ファンが「アイドルを愛する」という、厳しく倫理的な実践として。

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2007.05月←2007.06月→2007.07月

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