La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux
La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007
亀井絵里4th写真集『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』について |
★ 目 次 ★
讃歌『啓示 ── αποκαλυψιs』
写真集の全写真について
写真集を振り返って
メイキングDVDの感想(絵里の全発言書き起こし)
我が天使であり、女神であるえりりん。
その4th写真集を祝う讃歌。
Eririn, my Angel, my Goddess.
A homage for the 4th photograph collection of Eri.
『啓示 ── αποκαλυψιs』 |
Revelation ── αποκαλυψιs |
あなたがその聖なる体を わたしに向けて開くとき 絵里 この宇宙のなかに あなたとわたしの 二人 他に何ものも存在しない |
When you reveal your holy body to me, Eri, nothing exists in the universe, besides only two: You and I. |
あなたの澄んだ眼差しが 全宇宙をくまなく照らし わたしの心を覆いつくす かたくなな鎧を打ち毀し わたしの全存在を 貫く |
Your limpid eyes shine on the whole universe, and destroy the armor covering my stubborn heart, and penetrate through whole existence of me. |
存在する全ての美と善は あなたの美と善となって 今 この一点に凝集する αποκαλυψιs 大いなる啓示が 訪れる |
All of the beauty and goodness is becoming your beauty and goodness, and now, it coheres to this one point. αποκαλυψιs The great revelation visits me. |
人間の真実 世界の意味 宇宙の神秘の全てが 今 絵里によって開示される 二人だけで執り行われる 秘めやかな 聖体拝領式 |
Truth of the human, meaning of the world, and all mysteries of universe is disclosed by Eri now. It is receiving the Eucharist in secret executed by only two: You and I. |
「見よ 世の罪を除く 神の子羊」 |
"Behold, the Lamb of God, who takes away the sin of the world!" |
(2007.3.7) |
March 7, 2007 |
(注:英訳は、おそらく無茶苦茶だと思います。
語学に堪能な方、どうか誤訳をご教示ください。
もっとましな訳詩を作ってくれる方を心底募集しております。)
表紙(カバー)
表紙(本体)
見返しと扉の見開き ──プーケットの美しいビーチ──
オレンジ色の水着のシークエンス (扉裏、p1-p7)
遊具のある公園にて (p8-9,10,11,12-13)
シュノーケリング・迷彩ビキニ (p14,15,16,17,18,19,20,21)
赤いタンクトップ (p22,23,24,25)
青いタンクトップ・象乗り場 (p26,27,28-29)
白いビキニ、プールにて (p30,31,32,33,34-35,36,37,38,39,40,41)
タイの留学生 (p42,43,44,45,46,47)
念願のピンクの水着で (p48,49,50,51,52,53,54,55)
ペントハウスにて (p56,57,58,59,60,61,62,63)
はじめてのピンクの水着 (p64,65,66,67,68,69)
プーケットの市場にて (p70,71,72,73)
白いセーター (p74,75,76-77,78,79,80-81)
濃い藍色のチューブビキニ (p82,83,84,85,86-87,88,89,90,91)
白いワンピース(サマードレス) (p92,93,94,95,奥付,背扉裏)
背扉と見返しの見開き ──プーケットの美しいビーチ、再び──
背表紙(本体) ──ジャンプ!──
背表紙(カバー) 白いサマードレス
photo no.1
海岸の岩場にて撮影。
衣装は、深い藍色のチューブビキニ。
首元で「ばってん」にクロスさせた肩紐。
絵里曰く、「しっとりとした感じ」
の水着。
この大人っぽい色気を表現する濃紺のチューブビキニの水着のシークエンスは、写真集の最後のクライマックスを形成する部分(p82からp91の10ページ)だ。
(おそらく撮影一日目の午後一番に撮影されている)
その中でも、これは一番大人っぽく、恋する女の子の表情をストレートに表現した一枚。全写真のなかでも、特に美しく、セクシーな写真。
表紙に選ばれるのは必然だと思える。
第一に特筆すべきは、肌の色合いの美しさ。
光の奇跡。
絵里の肌がほんのりとピンク色を滲ませながら、白く輝いている。
健康的な骨格と、逞しい肩幅。それを少し恥ずかしそうに、両手を後ろに回して隠そうとしているようなポーズ。
少し濡れた髪。焦げ茶色、肩にかかるセミロングの髪が、日の光を浴びて光っている。
どこか、切なさを帯びた視線。微かに開きかけた唇。絵里は、何かを語りかけようとしている。その何かが、これから明かされていくのだ…という期待感が否応なく高まる写真。
(2007.3.15)
photo no.2
公園の芝生の上にて。
芝生の芝は伸び放題で、そこかしこに枯れ葉が落ちている。
理想的に整備された芝生とは、人工美の極致なのだということ。
そして、ここにある芝生は、むしろ自然に近い。
常夏の楽園であっても、そこには常に、幾分かは冬の気配が含まれているということ。
どこまでも青々とした「常夏の島の芝生」という理想的環境ではなく、常夏の島であっても、そこには枯れ葉も落ちているという現実。
その現実味あふれる日常的空間こそが、絵里という少女のための絶好の舞台なのだ。
非日常的で非現実的な、純粋培養の美しさではなく、日常性と生活感に溢れた「普通っぽい」美少女の魅力を余すところなく表現できる存在。それが絵里。
絵里の衣装は、白い半袖のポロシャツ(ポロネックの三つボタンは開けて)。赤・藍・白のチェック柄(ブランケット・プラッドという格子柄に近い)のミニのプリーツスカート。裾の裁断が、内側に巻き込むような立体的な珍しい形。
足元は白いスニーカー。
両手でピースサインをする絵里。ピンと伸ばした4本の指。
明るく溌剌とした笑顔、白い歯。
青々とした緑のあふれる中で、生き生きと笑う絵里。
しかし、その笑顔には、わずかな緊張と含羞みが含まれている。
その少し内股気味の両足も、やはりどこか含羞むように、芝生を踏みしめている。
(この衣装はp42からp47のシークエンスと、本体の背表紙にも、再登場する。)
(2007.3.15)
photo no.3
マレー半島の西側に浮かぶ、タイ王国最大の島、プーケット島は「アンダマン海の真珠」と呼ばれる。南洋の楽園、美しいリゾート地として有名。
そのプーケット島西海岸のカリム湾にあるパトンビーチが、この写真集の主な舞台である。
撮影に使用された、Holoday Inn resort PHUKET がパトンビーチにあることから、そう推測される。(あるいはそこに絵里も宿泊したのかもしれない。)
見開きの大きな画面に広がる、開放的な白い砂浜と、青い海、青い空。
海と空の間には、緑の山。カリム湾の南側に位置する山々だと思われる。
あふれる光に照らされて海は明るく輝いている。
しかし、空にはいくつかの雲が浮かび、遠景の山々と共に、うっすらと靄がかかったように見える。
海、山、空が作り出す、青のグラデーション。
波打ち際と海の中にいくつかの黒くて丸い小岩がある。砂浜にも、木の破片のようなものが散らばっている。
「真っ青な海と真っ白な砂浜」という非現実的なまでの純粋な美しさを誇る風景ではなく、小岩や木の破片のような異物、ある種の「汚れ」をも含み込んだ現実的な風景。
それは、1st写真集に登場した、大きな石がたくさんある海辺を、微かに想起させる情景。
画面の左下に、控え目な大きさで写っている絵里は、少し俯いて、左前方の水を見ながら、水際を歩く。
打ち寄せる白い波に、何かを感じ、何かを思っているかのような、思慮深い表情。
次の一歩を踏み出そうとして中に浮いている右足。軽く左右に開かれた両腕。輝かしいえりももの量感。(以下、絵里の太ももの美しさが尋常でない場合に「えりもも」と表記する)
絵里の衣装は、緑・白・オレンジの三色のビキニブラとオレンジのビキニパンツ(両腰に白いリボンを結んでいる)。
絵里の「テーマカラー」
の水着。
(2007.3.15)
見返しからp7まで(便宜上、タイトルページをp1としてカウントする)が、絵里のテーマカラー
であるオレンジ色の水着のシークエンスを形成しており、10ページ分を占めている。
photo no.4
海辺にある、海の家の前の、青いビーチベッドがたくさん並んだ場所。
ビーチベッドの青く塗装された木の枠は、ほとんどが塗装が禿げかけていて、木材の、うら悲しい地の色が剥き出しになっている。
そのビーチベッドの間に、すっくと立つ絵里。(ほぼ全身写真)
右に小首を傾げて、低い位置から撮るカメラを、さらに下から見上げようとするかのように。少し照れたような、また、微妙な緊張を感じさせる、優しい微笑。
髪は、おでこの上を濡れた手で掻き上げたような状態で、おでこが露出している。
ふっくらとした腹部から、えりももにかけての曲線美、プロポーションの美しさ。
自然なポージングが産み出す逆S字曲線と、やや左に傾いた構図が、画面に心地よい動きを与える。
photo no.5
カバーの写真では、鮮やかなピンク色だった、ERI KAMEIの文字は、このタイトルページでは、水着の色に合わせて、絵里のテーマカラー、オレンジになっている。ERI KAMEI
この写真集に収められた、絵里がジャンプする2枚の写真のうちの1枚。(もう1枚は、本体の背表紙にある。)
波打ち際の、水の中でジャンプする、絵里。
足元で弾ける水飛沫が、速いシャッター速度で、画面に固定されている。動きのある写真だが、髪の毛一筋もブレていない。
そして、水飛沫とともに、絵里の髪も、水着の白いリボンも、宙に舞っている。
弾ける笑顔。大きく開かれた口。白い歯。
そして、両手でピースサインをする絵里。堂々と前に突き出された腕、ピンと伸ばした4本の指。
本体の表紙に続いて反復される、ピースサイン。
しかし、それにしても、ピースサインなのだ。
それは通常、素人が記念写真に収まる時に採る、あまりにも芸のない、ありきたりなポーズ。
プロフェッショナルな被写体が、ソロ名義の写真集という真剣勝負の場で用いるべきポーズではない。しかもタイトルページという大事なパートで。
では何故、あえてピースサインが、写真集の冒頭部分で二度も繰り返されるのか。
素人臭いポーズも辞さないほどの、普段の表情、自然体の亀井絵里を表現しようという意思(絵里の? 写真家の?)の現れだろうか。
それもあるだろう。
しかし、それだけではないはずだ。
過去の3冊の写真集では、一度もピースサインは使われていないのだ。
ではなぜ、この『ラブハロ!』では、ピースサインが使われるのか、しかも、二度とも両手ピースサインで。
絵里は、『亀井絵里』(2004.12)、『DAYS』(2005.9)、『17才』(2006.5)、そして『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』(2007.2.28)と、毎年、4年連続で、4冊の写真集を発表してきた。それが、両手ピースで示される、ピンと伸びた4本の指の意味するところではないだろうか。
2003年にモーニング娘。に加入し、以後4年間、ファンに愛され支持され続けて来た。そして4冊のソロ写真集を出せた。そのことを感謝する気持ち、そして誇らしく思う気持ちが、4本のピンと伸びた指に表現されてはいないだろうか。
だから、仮にこのタイトルページの写真に標題を付けるとすれば、
『みんな! 4年間ありがとう! 4冊目は、プーケットから、お届け〜! 』
とするのがふさわしいように思える。(筆者が「発汗!」ヲタであるため少々発汗!風味になっていることをお詫びします)
photo no.6
浮き輪だらけ画面。絵里の頭上にも足元にも、背後の遠景にも色とりどりの浮き輪。
色彩あふれる楽しい写真。
海の家の浮き輪売り場に釣り下げられた浮き輪を、両手で持ち上げるポーズ。
軽い浮き輪を持ち上げる、非力なヘラクレス。
「わたしって怪力でしょ」といって笑っているかのような、楽しげな照れ笑顔。
目にゴミでも入って、思わず片目を閉じてしまったような微妙なウィンク。
こぼれる白い八重歯。
両腕をあげることで露出された、脇の下。
そして、肘からえりももまで続く曲線美。
photo no.7
大写しにされた横顔の美しさ。
顔は斜め横、左下の辺りを向いている。
何を見つけたのか、絵里は、楽しそうに笑っている。
左手を軽く握って、胸の前に置いている。
茶色い髪を、陽光がキラキラと光らせる。
photo no.8
ビーチベッドに、逆向きに膝をついて座り、そのまま上体をベッドの背もたれに預ける絵里。両手で青い木枠にしがみついている。
背中から始まって、腰、えりもも、ふくらはぎへと連なるS字曲線の、丸味を帯びた柔らかさ。
広い画面を占領する絵里の体の、充実した量感と美しさ。その美しさを喜んでいるような、晴れやかな笑顔。
見る度に幸福に満たされる一枚。
ちなみに、ビーチベッドは木枠の青い塗装がなるべく禿げていない奇麗なものを選んで撮影されている。
絵里の肌色と、鮮やかな青のコントラスト。
photo no.9
p6の写真は、扉裏(タイトルページの前)の写真と対応している。同じ、ビーチベッドの前に立った姿勢で撮影。
扉裏では、口を閉じ、ちょっとおすましした笑顔だったが、この写真では、口を開いて破顔。
左右に伸ばしかけた腕。
画面左(絵里から見て右)からの風になびく髪が顔にかかって、揺れている。
画面に対して斜めに立っている絵里の体は、ウェストの位置で、その傾斜を、直立へと補正するかのように、少し曲がっている。まるでピサの斜塔のように。
不安定なバランスを保つ姿勢と、風と、破顔が、動きのある生き生きとした画面を作り出す。
photo no.10
軽く握った左手を、招き猫のように構える絵里。
一般に、右手を挙げた招き猫はお金を招き、左手を挙げた招き猫は人を招く、と言われる。
絵里が欲しいものはお金じゃなくて、ファンからの愛…そのことをこの写真は意味している…訳もなく。たんなる偶然が生んだポーズだと思われる。
大事なことは、対応するp3の写真との関連性、p3からの変化。
p3では、左胸の前に配されていた腕が、ここでは体の外側に開かれて、それで招き猫ポーズになっているのだが、その結果、絵里が、この写真集のために作ってきたピンク色の爪の先がはっきりと呈示される。
もう一つ、はっきりと呈示されるもの、それは絵里の胸。
p3では左胸は、腕で隠され、右胸は画面の外に隠されていた。
それが、この写真ではじめて完全な形で、アップで画面に現れる。隠されていたものが現れる、という動きによって、その存在はより強調される。
思わず目が引き寄せられても致し方ないし、その存在は無限の妄想を引き起こしもするのだが、もう一つ目につくことがある。
それは、絵里の胸を覆い隠しているビキニブラの生地が、少々ケバ立っていること。卸したての衣装ではなく、まるで何度も洗濯機で洗っては使い込まれた衣装のような印象がある。
これは、予算の都合で新しい水着を用意してもらえなかったのではなく、あくまも、生活感を漂わせる衣装が絵里の魅力を華麗に引き立てる、そのためにあえて選ばれたものなのだ……と、涙ながらに納得しておきたいのである。
p3の写真からの変化で一番重要なことは、p3では、左下を見ていた絵里が、ここではまっすぐにカメラを(こちらを)見ているということ。
振り向く、という動きが、複数の写真によって描かれる。
絵里を見つめているこちらが、絵里に見つめ返される、という経験。
このこちらを振り向いた絵里に見つめられるという経験を組織すること。それは、この写真集のなかで何度も反復される重要な主題である。
また、p1(タイトルページ)からp6まで、一貫して白い歯を見せて笑っていた絵里が、ここでは口を閉じている。
そのことが逆に、この写真を、訴えかけの強い写真にしているように思える。
(2007.3.16)
子供用の遊具が設置された、公園でのシークエンス。
衣装は、鮮やかな黄色のTシャツと、デニムのホットパンツ、黄色いビーチサンダル。肩のところに、ピンクの水着の肩紐が見えている。
(実際の撮影順は、ピンクの水着が先。その後で、上にTシャツなどを重ね着して、このシークエンスを撮っている。写真集では時間が逆行している)
photo no.11(A)
photo no.14(B)
この2枚の写真は組になって対応している。
横向きの位置で顔を上げて上空を見上げていた絵里(A)が、上を向いたままの姿勢で、こちらを振り向く(B)。
この、2枚をセットにして、2枚目で絵里がこちらを向く、という動きを含んだ構成は、この写真集の中で、何度も繰り返される構成。
読者は何度も、こちらを振り向いた絵里に見つめられるという体験をする。
まるで、自分を見つめる熱い視線に気付いた絵里が、こちらを振り向いて、「今、絵里のこと見つめてたでしょ?」と言い出すかのような錯覚に襲われる。
その瞬間、写真集を見つめる者が、画面の中から見つめ返してくる美少女との恋に落ちてしまっても、なんの不思議もない。
全人類を一瞬で悩殺しかねない1枚。
photo no.12
対になる2枚の間に、遊具で遊ぶ姿が2パターン収められている。
その1枚目が、雲梯(ウンテイ)にぶらさがる絵里の写真。
まったく同様の構図を持つ写真が1st写真集『亀井絵里』の中にある。
同じようなホットパンツ。おヘソの出る短いシャツ。それに膝を後ろに曲げた姿勢。
絵里の体形も、1stと4thで3年の時を経ていながら、実に似ている。むしろ、15歳の頃からえりももがあれほど充実していたことに、今更ながら驚くほど。
しかし、この2枚には、重要な違いがある。
それは、一つには「陰と光」である。1stの写真では、絵里は太い木の枝に掴まっている。画面は大部分が──絵里の顔も上半身も──大木の作り出す陰の中にある。
1st写真集は、全体として深い陰(シャドー)の表現が重要な位置を占めている写真集だった。
しかし今回の4thでは、南国の明るい陽光が画面に溢れている。それは、三年の時間を闘い抜いてきたことで勝ちえた、亀井絵里自身の明るさの象徴だ。
もう一つの大きな違いは、笑顔にある。
1stでの15歳の絵里は、屈託のない弾けた笑顔を見せている。4thでは、その笑顔は照れを含んでいる。18歳という大人になって子供のように遊ぶ姿を見せることの気恥ずかしさ。
もう一つの意味深い違いは、4thでは脇の下を露出して見せているということ。絵里の身につけた強い自信の表現。
(それにしても、この柔らかそうなお腹、おへそ回りの質感は、言葉にならないほど愛らしくセクシーだ)
photo no.13
ほぼ45度の傾斜の斜面に、左脚をピンと伸ばして、ずり落ちないように軽く踏んばっている。そのせいで、絵里の脚の緊張した筋肉の美しさが見事に表現されている。
動きのあるポーズと、肩ごしに振り向いてカメラに向ける視線の強さ──絵里の芯の部分の勝ち気さ──が、活動的な印象を与える。
デニムの短パンのお尻のポケットに、銀色に光っている、水滴のようなスパンコールの飾りが、さり気なくオシャレ。
気になることは、背中に見えるピンクの紐。ビキニブラの背中の紐だが、それにしても長すぎはしないだろうか。もしかして雲梯で頑張りすぎたせいで、背中のリボン結びがほどけてしまったのではないか、などと、余計な心配と妄想を掻き立てるブラ紐の存在。
(本来この紐の長さは、どの程度なのか、ピンクの水着を着たシークエンスでは背中が写った写真がないので確認できない。もしかすると、DVDでは確認できるだろうか)
■この4枚は、その少ない枚数の中で、見る者に擬似恋愛妄想を掻き立て、架空のデートを成立させる。子供っぽい遊具で無邪気に遊ぶデートは、お互いに余計な格好をつけなくてもよい打ち解けた関係を思わせる。
背中の妙な箇所にブラ紐が見えてしまっていたりして、その無防備な感じに、どぎまぎする彼氏……
また、このシークエンスの写真は、遊具の赤と青、衣装の黄色と青、木々の緑という四つの原色に、肩紐のピンクも加わって、実に鮮やかな色彩を溢れさせている。光と、色と、楽しさに満ちた4枚。
(2007.3.20)
海辺で、迷彩柄のビキニを着用。
右胸にピンクのハートが2つ。小さなバラが2つ。中抜きのピンクのハートマークはラブハロのトレードマークとして表紙も飾っている。
ビキニパンツの、パレオの裾の縁どりもピンク。
シュノーケリング用のシュノーケル(ストローのでかい奴)とフィン(足ヒレ)を効果的な小道具として使用している。
迷彩柄とは、本来、軍服や戦車などが、森の景色に溶け込むよう、カムフラージュするための柄(そもそも迷彩とはカムフラージュの訳語)。
これは自然界にも多く見られる、自分を天敵から見つかりづらくするための模様。保護色である。
しかし、ファッションとしての迷彩服は違う。それを街中や海辺で着れば、逆に目立ちすぎるほど目立つ。
色彩として目立つばかりでなく、一種のミリタリールックであることから、「やんちゃ」で「攻撃的」なメッセージ性を発揮する衣装となる。容姿に自信があり、性格的にもトンがっていて、街中や海辺で誰よりも目立ちたい、という人が着る柄と言える。
絵里にとって、写真集では初挑戦の迷彩柄。
しかも、テーマはシュノーケリングだ。
「海にも潜っちゃう、活動的な絵里ですよ?」と言わんばかり。
海と、迷彩のビキニと、アウトドア的小道具が、開放的なセクシーを表現する。そして、絵里のいわゆる「ダイナマイトバディ」のグラマーぶりも、このシークエンスで最大限に魅力を発揮する。
独立した8枚で構成されるシークエンス。
photo no.15
頭頂部と足元が切れるほど全身を大きく写した迫力のある画面。絵里は、前屈みになって右手で右足首を押さえている。
この前屈みのポーズは胸を強調する。前屈みのポーズが、ここで初登場。
丸い胸、丸い二の腕、そしてX字にくねる両脚の曲線。水に濡れた両脚。
見応えのある体のボリューム感、セクシーさが強調されるが、足にフィン(足ヒレ)を履いていることで、それで活動的な印象も保っている。
髪の毛が顔の輪郭にかかる。
目元の優しさといい、この美少女ぶりは奇跡的。
photo no.16
この写真では、砂浜に寝そべり、上体を斜めにひねるように起こしている。後ろに引いた右肩を持ち上げる姿勢。
やはり胸を強調する姿勢だが、ピントは顔に合っている。
これほどセクシーなポーズをとりながらも、照れも、余計な力みも感じさせない、優しい表情をしている絵里。あくまでも丸い肩のラインも優しい印象を強めている。
セクシーを表現しようとするときに、余計な力みがないところに、絵里の成長が感じられる。
photo no.17
おへそから上のショットで、頭部は画面から出ている。
何かを発見したのか、それとも姿勢を崩したのか──少し左側に傾いだ体勢──、驚いたように口を開いて下を向いている絵里。
これは想像だが、足に履いたフィンを脱ごうとして、左足のフィンを右脚で踏んづけて、立ったまま脱ごうとしてバランスを崩したのだろうか。
そう考えると、ちょっとお間抜けな感じで、さらに愛おしさが増す。
photo no.18
p16に続き、下を向いている。
カメラは少し引いて、ビキニパンツまで画面に収まっている。絵里は体重を右脚に掛けて、左脚はおそらく左後方に跳ね上げているらしいが、はっきりしない(画面の下ぎりぎりに見えている左腿の向きが気になる)。
左手には、脱いだフィンを持ち、右手にはシュノーケルと水中眼鏡(ほとんど写っていない)を持っている。
よくよく見ると、この迷彩のパレオの生地は、光に透ける薄い素材。パレオの下のビキニパンツの股の部分のラインが透けていて分かる。(ここを凝視している自分が変態と思えてくる)
それで、ますます、絵里の左脚の姿勢が気になる。
ここから、画面を左に傾けた写真が4枚続く。
このシークエンスでの絵里は、髪を後ろで一つにまとめているが、ポニーテールのように真後ろではなく、体の右側(正面を向くと画面の左側)の首もと付近で止めている。
その非対称性が、まだ活き活きとした印象を強めている。
この髪型の非対称性と、画面が左に傾いていることとの相互作用。
(ただし、左に傾いた画面はタイトルページ他の写真にも散見するので、写真家の「手癖」のようなものかもしれないが)
photo no.19
弾けるように明るい笑顔。顔の輪郭に掛かる髪。
左手にフィン、右手にシュノーケルを持って、後ろに伸ばした両腕。
前屈みの姿勢。
水に浸かっている足元。
画面の傾きのせいで左に傾いてみえる絵里の体勢。
それらが、動きの溢れる、活動的な印象を生む。
だが、思い切り内股になってXの字を描く両脚が、どこか気恥ずかしそうで、内気な少女らしさを漂わせている。
絵里は、両腕を斜め後方に広げて、少し前屈みになっている。このポーズは何度も登場する。(胸の存在感が強調される?)
(この写真でも、やはりパレオの生地が透けていて、奇麗に腰のラインが浮き出ている)
photo no.20
膝上の立像。p18と同じ角度で傾く水平線。右を向いている絵里は、背中を反らせているように見える。
顔を左前方に傾けて、右側のカメラを見る絵里。
閉じたアヒル口。
ちょっとおすまし。
どこか不敵な印象を与える笑顔。
パレオの裾のピンク色の縁どりの下に見えている、絵里の、太ももとは明らかに違う丸みを帯びたお尻のライン。
そのどこまでも奇跡的なまでに丸い曲線の美しさを、この写真集の中で一番はっきりと表現した1枚。
photo no.21
上半身のみを、低い位置から仰角で押さえた写真。
やはり左に傾いた画面が、絵に力強さを与えている。
絵里の背中の美しさ。奇麗に盛り上がった背筋。
筋肉が産み出す力強さと、皮下脂肪の柔らかい印象との調和。
photo no.22
シークエンスの最後を締めくくるのは、バストショット。
大人びた落着きを感じさせる絵里の笑顔。
本来、体勢を少し前屈みにして、顔はほとんど水平線と平行になるまで、傾けている絵里。そうして、下から撮影するカメラに対抗して自分も姿勢を低くしようとしているかのよう。
だが、写真家は、画面を60度近く左に傾けて、絵里の顔を起こす。
それで、絵里は上体を反らせているように見え、その結果、ビキニブラに包まれた絵里の胸が、堂々と強調される。
その圧倒的な存在感。
もともと美しいものが、上向きの角度を与えられることによって、より一層美しく輝いている。
(2007.3.22)
今度は海辺を離れて山に向かう絵里。
絵里、象さんに会いに行くの巻。
ロケ地は、山の中。おそらく象乗り場に向かう途中なのであろう。
衣装は、赤いタンクトップの上に赤基調のギンガムチェックの長袖シャツ。ボトムはカーキ色のだぶだぶズボン。それに、緑色のビーチサンダル。
赤い衣装が、暗い緑と茶と灰色が支配的な荒々しい自然の風景の中に映える。
山に向かうにふさわしい活動的な服装だが、足元がビーチサンダルというあたり、リゾート地のお気楽気分で(まるで、観光地で山に登っている若い女性を見かけたら、足元がハイヒールだった、という感じ)。
こういう活動的な、やや「ストリート系」のニュアンスのある衣装を着て、髪をまっすぐに降ろした絵里は、デビュー当時の「SPEED」の今井絵理子(1983.9.22−)を思わせるような、純粋な可愛らしさを発揮する。
今井は当時12歳。その、沖縄から出てきた12歳の少女よりも、さらに純粋な空気感を表現する東京下町荒川区出身の18歳。
絵里の魅力の多面性には限界というものがない。
まさに変幻自在。
photo no.23
「つりさわ」状に束ねてあるネットに掴まって寄りかかる絵里。白い歯をみせて楽しそう。
この写真での絵里は、ネットに寄りかかって、山の斜面に添うように体を後ろに倒している。
前ページ(p21)では、写真家の操作によって作られた胸の上向きの角度が、この写真では、実際に絵里の姿勢の傾きによって産み出される。
そして、広角レンズで寄り気味に撮ることで、遠近法が強調され、その豊かさをはっきりと示す絵里の下半身。
(仮に、背後の木々が垂直に立っているべきだとしたら、ここでも写真家は、画面を左に30度近く傾けていることになる)
photo no.24
ズボンのベルトがわりの紐を結びなおす絵里。
カメラは絵里を低い位置から見上げるように撮影している。
おそらく次ページに登場する大きな岩のうえに立って撮影しているのだろう(背後の丸い形の大きな葉から推測される)。
それによって、前ページほどではないが、やはり下半身が大きく表現され、安定感と力強さを表現している。
自信に満ちた笑顔。輝く白い歯。風になびく襟足。
右肩に向けて軽く傾げられた頭から始まる逆S字曲線。
photo no.25
岩の上に腰かけて。右足は岩より前に出して浮かせている。
左足は、岩の端ぎりぎりで踏んばっている。
おそらく、岩の角に腰掛けて脚をぶらぶらさせて、というような指示があったのではないか。そして、その姿勢を取ろうとしている途中の瞬間なのではないか。
腰掛けている岩の上面が、前方に傾斜しているので、体ごとずり落ちそうになって、それで少し緊張している。そんな表情。
ギンガムチェックのシャツは、脱いで腰に巻きつけている。そうして、肩と腕を剥き出しにする。
(背景、画面左下の岩に白いペンキで「KEEP…THE…」と書かれている。立ち入り禁止の表示だろうか)
photo no.26
岩の上か、山肌の斜面に、膝を曲げて中腰になり、上半身を屈めている絵里。右手を右前方の木の幹に掛けて、少しだけ体重を預けている。緊張した上腕から肩にかけての凛々しさ。
左手は左膝について、屈めた上体を支えている。
カメラは再び、絵里を見上げる位置に戻っている。
上空を覆う木の葉の合間から差し込む強い陽光の白さ。
赤いギンガムチェックの長袖シャツは画面から姿を消す。
p22,p23では着ていたシャツ。p24では、腰に巻いていたシャツ。そして姿を消すシャツ。衣装を徐々に脱ぎ捨てること。
それは、繊細で微妙な striptease の表現である。
(何枚も重ねていた衣装を、曲を追うごとに脱いでいき、最後は半裸同然に肌を露出した衣装になる、という流れはモーニング娘。のライブの基本的な流れでもある)
微妙に男心を刺激する繊細な striptease の果てに露出されるものが、逞しい肩の骨格と上腕の筋肉の美しさであるところが、絵里らしさ。実に健康的。
(2007.3.23)
いよいよ絵里は、象乗り場へ。象との御対面。
山の中を流れる川が、象に乗っての遊覧 Elephant Trekking のコースらしい。
川に面した乗り降り場所を借りての撮影。
「ヘタレ」の絵里にとって、動物園のように、柵などで隔離されていない、「ナマの象」に接近することは恐怖そのもの。
象に会う、と考えただけで、もう半泣き状態。
しかし、DVDで本人が語ったところによると、「絵里は戦った。ほんと、立ち向かった」
と言うことらしい。
その戦いぶりを収めた貴重なドキュメント。
衣装は、青いタンクトップ。胸には、サイケデリック調の花模様と「MUSIC TELEVISION」の文字。その30年も前に流行ったようなデザインと、くすんだ色調が、実にアジアらしい。ズボンは、前のシークエンスと共通。サンダルは黄色に変更。
photo no.27
川に掛かる橋の上(?)で撮影。金属製の手すりに両手で掴まり、背後のカメラを振り返る絵里。
この青いタンクトップに着替えた1枚めは、一番「なんちゃって今井絵理子」感が強い気がする。
まだ、周囲に象さんがいないので、絵里は余裕の笑顔だ。
photo no.28
いよいよ象さんが登場。
象乗り場の板敷きの床の端っこに、胡坐をかく絵里。
絵里は、「背後で何が行われているのか」
と気になってしかたがない。いつ象が急接近してくるかもしれないという恐怖と戦いつつも、必死に笑顔を浮かべて写真に収まる絵里。
笑顔にも、緊張感が漂う。
あきらかにびびっていて、心の中は、半べそ状態。
それがまた絵里らしくて可愛い。
胡坐も、衣装に合っていてキマっている。
photo no.29
内心ビビりつつも、象さんに向かって笑いかける絵里。
楽しく笑うというより、恐さのあまり、へらへら笑い。
しかも、手すりも何もない台の端っこに立っているので、それも恐くて明らかに腰が引けている。
「ちょっとでも象さんが寄ってきたら、すぐに逃げよう」と思っているかのような「へたれっぷり」が楽しく、限りなく愛おしい。
前シークエンスの赤いタンクトップと、このシークエンスの青いタンクトップの対比。
この「赤/青の対比」という主題は、象の背に乗せてある座席の色でも表現されている。
「赤/青の対比」という色彩的主題は、p64からのシークエンスで再び反復されることになる。
(2007.3.27)
パトンビーチから離れた山中で、象さんとの対決を終えた絵里。今度はホテルのプールでの撮影(ただし、実際の撮影順序は不明)。
プールサイドは南国らしい植物の緑に溢れ、前シークエンスの野趣を残している。
象さんとの戦いを終えた絵里を待ち受けているもの、それは、白との戦いである。
絵里にとって、白い衣装とは挑戦を意味する。
白い水着は、画面の中でハイライト(もっとも明るい部分)を構成することになる。
その白の色調を飛ばさずに表現するには、露出をアンダー気味にする必要があり、必然的に、肌の色を白く表現することには困難が伴う。
これは、絵里にとっての挑戦であると同時に、ある意味では写真家にとってもまた、一つの挑戦だったのかもしれない。
絵里の、これまでの3冊の写真集で、純白の衣装はごく控え目に使用されただけだった。
1st写真集『亀井絵里』の冒頭付近では例外的に1枚だけ紹介された。
『DAYS』では、白いシャツブラウスは2種類使用されているが、全身白い衣装はない。
セクシーの表現を徹底的に追及した『17才』には、純白のネグリジェを着たシークエンスがあるが、それ以外では、白いシャツが、わずかに登場するだけ。
ところが、この『ラブハロ』では実に4パターンの白い衣装に挑戦している。
@純白のビキニ
A白いポロシャツ(スカートはチェック柄)
B純白のセーター
C白いサマードレス
白という色に対して、勝負を挑む絵里。プーケットは、絵里にとって、白との真っ向勝負の場なのである。
こうして、4th写真集は、絵里が白を克服し、ついに白という色を手中に収めるまでの過程を描いた闘争のドキュメントでもあるのだ。
12ページ、11枚の写真で構成される、写真集中、最大最長のシークエンス。
衣装は、絵里にとって初の白いビキニ。
細かい網目状のレース模様が美しい生地。この立体的な模様によって、生地は純白でありながら、細かい影を無数に含むようになる。その結果、ディテールの表現が明瞭になる。
腰には長いリボンを結んでいる。いわゆる「ヒモパン」で、セクシーさを存分に発揮できるデザイン。
髪は、小さな透明なボールがたくさんついたゴムで、高い位置でまとめたポニーテール。「さくら組」の時のパイナップル頭を思い出させる。少女らしく可愛らしい髪型。
また、髪を上げたことで、耳たぶのほとんどない個性的な可愛らしさを持つ耳が、はっきりと表現されるシークエンスとなっている。
photo no.30
絵里は、胸までプールの水に浸かっている。
両手に大きめの五弁の白い花を持つことで、白というテーマを強調している。
水面は、絵里のバストトップの付近で揺れている。
「水面と絵里との戯れ」が、このシークエンスのもう一つの主題として呈示される。
揺れる水面。水の戯れ。
その水面が、光を不規則に屈折させ、水の中の絵里の下半身をグロテスクにデフォルメする。左腿は奇妙にくびれ、右腿は巨大なモンスターのように膨張する。
仮に、絵里の笑顔を純粋に美しく表現したいなら、腰から下はトリミングするのが自然だろう。しかし、写真家は、あえて無気味に変容する下半身を画面に取り入れた。
水面の上では、このうえなく楽しそうに微笑む美少女。しかし、水面下では、その印象を裏切るような過酷な戦いが演じられているということ。写真家は、白との戦いの困難な様相を、このシークエンス冒頭の1枚によって象徴する。
photo no.31
バストショット。絵里は白い五弁の花(中心部だけ黄色い)を顔の前に掲げ、左手にもった花で左目を隠している。
この白い花の繊細なニュアンスも、ビキニブラの色調も潰すことなく表現し、同時に絵里の肌の色を美しく描いているところに、写真家河野英喜のプロとしての矜持をみる思いだ。
前ページ同様、水面は絵里のバストトップのあたりで揺れている。
それにしても、この八重歯の愛らしさは、なんだろうか。
どうかいつまでも、この八重歯を矯正したりしないでほしい、と切に願う。
photo no.32
プールサイドの岩のうえに登り、体を丸く屈めている絵里。横向きの姿勢で、画面いっぱいを占領する絵里の体。背中が画面の外に切れてしまっているのが残念。
えりももの丸さと、ふくらはぎの筋肉。
photo no.33
同じ岩の上で、今度は、正面を向き、立ち上がって膝に手を突いて上半身を屈めている絵里。
いわゆる「だっちゅーの」ポーズだが、そこで強調されるのは胸の存在ではなく、むしろ逞しい肩幅。そして、ぴったり合わさった両ひざの上に置かれた両手の、意外なほど、骨ばった、ごつい印象。
ポーズがポーズだけに、照れ臭そうな微妙な笑顔。
photo no.34
見開き一杯を占める絵里の体。
プールの水際の石の床に、頭を左にして寝そべっている。
右腕は頭のうえに伸ばしている。
左手は、石床について姿勢を支えている。その手先は半分水に隠れている。
横向きに寝そべった姿勢は、女性の体の曲線を美しく見せる姿勢。
だが、画面右端は、太ももの中間で切れ、左端はぎりぎり頭が収まっているが、頭の上に伸ばした右腕は肘の先で画面から外れている。出来れば、全身が織り成す曲線の美しさを画面上で確認したかったが、写真家は、むしろ迫力ある表現を選択したのであろう。
体を飾る無数の水滴の水玉模様と、ビキニのレース模様との対比。
腰の部分のリボンは水気を含んで真下に垂れ下がり──プールの水面にもそのリボンは幻影のように写り込んでいる──、その先端からは、今まさに水滴が滴り落ちようとしている。
姿態の美しさと、絵里の自信に満ちあふれた眼差しが強い印象を残す、写真集中の最初の頂点とも言うべき1枚。
画面上、3層に積み重ねられた色彩。
画面下の、プールの水の色。中間に位置する、水着の白と、肌の白(ビキニの白い生地は水の色を写して青く光っている)。そして、画面の上半分を占拠する、背後の植物の緑色(その南国の植物の生々しい緑色は強烈だ。まるで生き物の舌のように見える形の葉が、今にも絵里に襲いかかりそうな印象を与える。植物でありながら、ほとんど動物的な、邪悪なまでのエロスを発散する緑の葉。この緑の葉の強い印象は、腰ひもに一番近い位置の葉の先が茶色く変色していることで、より一層生々しく強調される)。
手前に青、背後に緑を配置することで、白を印象的に表現している。この3色の見事な対比。
このシークエンスにおける写真家の基本戦略が、濃い色(緑や、樹々の影の色)との対比で、白を印象的に浮かび上がらせることにあるのは明白だ。
それは、特にこの写真と、photo no.39、photo no.40で顕著な特徴だ。
絵里の美しい姿態を、シンプルな構図と、南国の生命力溢れる緑の中に捉えた傑作。
photo no.35
横向きの角度で、やや前傾姿勢を取る絵里。
右脚は太もものつけ根まで水の中にあり、左脚を折り曲げて、水面よりやや低い高さの岩のうえに上げている(足首の上まで水没)。両手はプールサイドの白い岩のうえに置き、その手の手前には、さっき持っていた二つの白い花を並べてある。
絵里の体を飾る、妙に艶めかしい水滴が、彼女が寸前まで水の中にいたことを物語る。
注目すべきは水面の高さ。ビキニパンツの下端、つまり太ももの付け根あたりで、絵里と水面は交差する。際どい位置で揺れる水面。その性的なニュアンス。
photo no.36
そしてこの写真でも、水面は、その際どいポジションを維持している。カメラに正面を向けた絵里の、太ももの付け根で揺れる水面。揺れる水面に愛撫される絵里。
その照れ臭そうな、恥ずかしそうな、目をきつく瞑った笑顔の意味。
絵里はプールサイドの石床に両手を突き、腰を軽く角に乗せている。お腹周りに踊る水滴の生々しさ。
(別に、特別に変態的に絵里の股間を凝視していたわけではないのだが──こんなレビューを書いている時点で充分変態的という点はさておき──その股間近くの水面の下には、紛うかたなき数滴の気泡が視認できる。その気泡がいかなる理由で発生したものなのか、その理由を深く考えることは絶対に禁じなれねばならないし、また、その気泡の発生原因と、恥ずかしそうな笑顔の意味とを関連づけて考えることも、断固として拒絶されねばならない。)
ともあれ、絵里の存在の核と戯れた水面には、これ以上の戯れは許されない。そうして、使命を果たしたプールの水面は、写真から退場することになる。
photo no.37
プールの水から上がった絵里は、大きな緑色の葉と戯れる。大きな歯でビキニブラをほとんど隠している。水着の存在が画面から消されることで、裸に近い印象を生んでいる。
このバストショットの幻想的な色調は素晴らしい。
photo no.38
画面上方の、大きな緑の葉を透かす透明な陽光。緑の葉を通過した光に照らされて、不思議な色調を見せる絵里の顔。
右目を閉じて奇麗なウィンクを見せている。その閉じた右目の二重瞼の深い襞の持つイメージ。そして、開いた左目の奇麗なアーモンド型。
大きな葉を摘まむ絵里の指先。爪の先に塗られたピンク色。
内側に軽く曲げられた指先の優しい表情。
photo no.39
暗い背景から浮かび上がる絵里。
ちょっととぼけた表情、半開きの口、驚いたように大きく見開いた目。
こういう曖昧な表情も、「アイドル」の写真集には、異質なものであるように思える。
右脚側(画面左)に傾いたアンバランスな姿勢。だが、それは写真家によって作られた角度かもしれない。
photo no.40
背後のこの世のものとは思えないテラテラと光る生々しい緑色の葉。その大きな葉の背後の深い闇。
その暗さと、絵里の白く輝く体がはっきりと対比される。
光を浴びる絵里の体。ぎりぎりのオーバー気味の露出。ビキニブラのディテールがわずかに飛んでしまうほどの。
少し後ろに傾いた姿勢が、堂々たる印象を与える。
(その角度も写真家によって強調されたものかもしれないが)
この堂々とした写真は、絵里と写真家の、白に対する勝利の宣言だ。
絵里、純白の水着を制す。
白を手中に収めた絵里は、次のシークエンスでもさらに白への挑戦を続行する。
(2007.3.31)
プーケットにある大学(Phuket Rajabhat University)の構内を借りての撮影。
絵里曰く、「タイ語」と「タイの人」について勉強に来た留学生、という設定。ちょっと知的で、裕福で、海外留学先にタイを選ぶ冒険心(と、遊び心)も持ち合わせているような、そんなお嬢様を見事に表現する絵里。もともと社長令嬢だし、ギャルに憧れるのを止めて「下町のお嬢様
」路線を目指している絵里の面目躍如、まさに我が意を得たり、というべき設定だ。清楚、可憐、上品、そして……。
衣装は、白いポロシャツに、赤と紺が基調のチェックのミニの変則的プリーツスカート(裾を内側に巻き込んだような変ったデザイン)。靴は白いズック靴(布製で底がゴム製)。
白との戦いは、前シークエンスから続いている。
しかし、ここでの絵里は、前シークエンスで勝ち取った勝利を、ただ悠々と確認するだけだ。
スカートに濃い色彩を持ってきたこと、ビキニよりも肌の露出度が低いことで、戦いは容易なものとなっている。絵里の表情にも余裕が漂う。
もはや、白との戦いは、ここではメインの主題とはなりえない。そこで、絵里と写真家は新たな主題を導入する。
それは、「触れる手」の主題である。
絵里の手が「何かに触れる」という動作。その動作の持つ微妙なエロティシズムの表現が追及される。
それは、ビキニになって肌を露出したり、水に入ったりすることとは違う、能動的・積極的なセクシーの表現である。
photo no.41
大学の建物の外側の通路にて。
開放的な木の扉と、幅の広い日除けが南国情緒を感じさせる。
白との戦い。敵は衣装だけではない。背景までもが白。しかし、絵里の勝利は揺るがない。
絵里の肌はあくまでも美しく輝いている。
中澤裕子がその年齢という条件に抗って美脚を保つように、亀井絵里は生来の肌の色に抗いつつ、そこに美を表現する。そこに崇高な「美」が宿る。
それは、生まれつき白い肌を天から与えられた存在には、決して表現できない種類の美なのだ。
絵里の全身が画面の中央に配され、正面から捉えられた写真。
その立ち方の妙。
ピッタリと揃えられた両足。
そこから、左膝をやや内側に曲げることで、腰は──スカートとシャツの裾のラインも──左側に傾く。
そこからウェストは右へと傾いていき、バストと肩のラインは右を下に傾き、下がった右肩から伸びる右手がスカートの裾を摘まんでいる。
そして、首はさらに左へと傾き、それに合わせるように、左の肘は少し外へ(左方向へ)と曲げられて、体から離れている。一体ここには、何種類のS字曲線と、傾きとが表現されているのか。
これは、初期によく言われた「クネクネ」感を漂わせる、繊細なポージングだ。
人は、どうすれば、こんなにも可愛らしく地面に立つことができるのだろうか。
photo no.42
大学の構内(廊下)で。白い壁の壁際に立ち、画面右を向いている絵里。
膝上から頭部までを画面いっぱい表現し、絵里の体の充実した量感を感じさせる写真。
手首から先だけが見える左手は、白い壁と体に挟まれて、お腹を軽く触っている。
右手は、膝を曲げて持ち上げた脚の足首を触っている。
絵里は、ただ肌を露出することで「セクシーな視線」を受け止める受動的な「客体」であることには止まらず、「触れる」という能動的行為によって自ら積極的にセクシーを表現する「主体」となる。そういう強さを持った存在なのだ、絵里は。
画面右上の、真っ赤な郵便受け(のような箱)が、アクセントとなって画面を引き締め、同時に異物感を挿入している。
photo no.43
大学での撮影での移動中に、構内で、絵里自身が発見した、巨大な亀(聖火を掲げている)の像の前で。「亀だけに亀
」の前で記念撮影。
像のポーズを真似る絵里。
右手で聖火を掲げ、左膝は後ろに軽く曲げて、しかし、軽く握った左手で亀像の台に触れている。
自分の象徴とも思える亀に出会えたことで、つい自然に楽しそうな表情になる絵里。曲げた右肘と左膝が照応しつつ、活発な印象を生んでいる。
写真家にとっては、おそらく予想しなかった収穫なのだろう。
画面左三分の一を占領する、白い建物の柱。そこに剥がし忘れられたガムテープの切れ端がいくつか。亀の乗っている台にも掲示物を止めていたらしいテープが。生活感のある背景。
photo no.44
窓際にたたずむ絵里。
上半身だけの写真。 右肘を窓枠に掛け、左手は右手首のうえに乗せている、上体を窓枠に預けている。 どこか「DAYS」の頃を思わせる、自信に溢れる表情。どこまでも優しげな目元。
この二の腕の丸さはえりももの丸さに匹敵する。
photo no.45
階段を登る絵里の後ろ姿。
両手で右側の手すりを掴んでいる。
背景のほとんどは、光の差し込む真っ白な窓。その窓とポロシャツの白が同化して、潰れてしまっていることが惜しまれる。
筋肉のしっかりした脚線美。
右脚に体重を掛け、左膝は後ろに軽く曲げて、靴底をこちらに見せている。
その下を向いた左足の爪先と、右上方を見上げる絵里の、ツンと上を向いた顎。その姿勢が伸びやかな躍動感を生んでいる。
曲げた左足のふくらはぎ──力強さと美しさの完璧な調和──が、窓からの日を浴びて光る。
photo no.46
階段の途中に立って、後ろを振り向く絵里。
まっすぐ伸ばした左足に体重を掛け、右足は一段上の段に乗せている。その太ももが、すらっと伸びた左腕と共に、陽光を浴びている。
photo no.42で表現された体の量感は、ここでは、背中に向けて傾けた体勢によって、さらに強調されている。その量感は、ビキニを着て肌を露出したどの写真にも負けないセクシーさを放っている。
右手は手すりに掴まったまま、手すりに軽く体重を預けている。
左手は、もう一度スカートの裾を触る、軽く裾をめくりあげるように。
左肩越しに、カメラを振り向いた絵里。その凛々しい瞳に力が漲っている。強気な視線が、カメラを見据える。その視線は、まるで、見る者に対して、視線を逸らすなと命じているかのようだ。「絵里の表現するセクシーから目を逸らすな」と。
こうして、右手でスカートを摘まんで始まったシークエンスは、左手でスカートをめくりあげる写真で完結する。
(2007.4.02)
(ここで、三ヶ月以上の中断。その間に、サイト名をマイナーチェンジした)
La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007
衣装:ピンクの水着。ブラの本体と肩紐の間に銀色のリング。ビキニパンツの腰部分にも大きめのリング。
ヘアメイク:ピンクのゴムで、高い位置で止めてパイナップル頭にしている。
ロケーション:公園の緑の中で。そしてプールにて。
独立した8枚で構成されるシークエンス。
モーニング娘。には歴代「ピンク大好きキャラ」が多数いる。石川梨華、紺野あさ美、そして、絵里と同期の道重さゆみ。
ピンクは、「女の子らしい」「少女らしい」「可愛い」とされる色彩の王道。当然、絵里も本当はピンクが大好きなのだった。
しかし、誰も彼もが、ピンクピンクと連呼しては、個性を表現できない。絵里は、ピンクを主張しない道を選んだ。
「亀井」という名もまた、どちらかといえば、緑や茶系の自然な色彩と調和する。
そのせいか、絵里は、色々な機会で、他のメンバーが着ないような、ナチュラル系の、アーシーな色調の衣装を割り振られることが多かったし、過去の三冊の写真集では、絵里は一度もピンクの水着を着たことがなかった。
だから、これは、絵里にとって、ほんとうに念願のピンクの水着。写真集で初のピンク水着。絵里の悲願だったピンク色の獲得なのである。
今まで、ピンクという一番女の子らしい色彩を封じられていた絵里にとって、今回の写真集で最大の収穫がピンクを獲得したこと。
そして、ピンクの衣装は、この水着に始まって、なんと4シークエンスに渡って連続する。ピンクの氾濫。ピンクの大盤振る舞い。
これは、困難に立ち向かい、鬼門である「白」に打ち勝ったことへの、ご褒美としてのピンクであるようにも思える。
そしてまた、写真集で、ピンクの水着を着られるようになったということは、他のメンバーとイメージ的にカブることを避けるために大好きなピンクを諦める、という弱気から解放されて、他のメンバーとぶつかっても構わないから自分の好きな色を着る、という強い姿勢に転じたことをも表わしているように思える。
photo no.47
軽く握った右手を顎に当てている。「何かに触れる手」の主題の余韻。
優しげに微笑む眼。可愛らしいアヒル口。意外と立派に太目に描かれている眉。
だが、その笑顔は、なにかしら寂しげな雰囲気を漂わせている。表情が作りきれていないような印象。
この笑顔は、「アイドル」の写真集にありがちな、プロフェッショナルな、ステレオタイプの笑顔とはまるで違う。中途半端で、曖昧な、まるで、素人の被写体がたまたまそういう笑顔で写真に収まってしまったかのような自然さがある。
その、いかにも絵里らしい笑顔は、絵里の内面を直接に映し出してみせているようにすら思える。
しかし、その笑顔は、本当に無意識に、自然に出たものなのか。それとも、究極の自然さを演出する作為の結果なのか。
絵里は清純な乙女なのか、それとも乙女の皮を被った小悪魔なのか。不思議な笑顔が問いかける、解けない謎の中に、私たちは宙吊りにされてしまう。
photo no.48
膝から上の、ほぼ全身像。
左手で背後の巨大な、扇のような、孔雀の羽根のような形の植物を触り、カメラに向かって体を斜めにして立っている。
「触れる手」の主題の継続。
ここでの笑顔は屈託がない。こぼれそうな白い歯。軽く右肩側に傾げた首。
頑丈な骨格と逞しい筋肉を誇る、絵里の健康的な肉体が、日を浴びて輝く。
photo no.49
斜め後方に向かって両腕を広げるポーズ。
この姿勢も、なんどか繰り返される。
右脚を前に踏み出し、やや前屈みになる。強調される胸の丸み。
背後の水の青さ。岩壁の深い藍色。
photo no.50
首を右肩側に傾げ。閉じた口の口角が上がって、アヒル口を強調。曖昧な照れを含んだ微笑。
光を白く反射する水面。水中で、陽炎のように揺らめく絵里の脚。複雑な形に歪む、プール底の白いタイル。
水中で絵里の体が水の色に青く染まっている。
前ページ(photo no.49)では、広げられていた手指が、この写真では、ギュッと握られている。
photo no.51
美しいプロポーション。締まった筋肉のためにそれほど細いという印象を与えす、逆に、とても背が高い人に見える。しかし、絵里はモーニング娘。の中では、平均的な身長で、特に背が高いわけではない。つまり、実際は、思ったよりも細い、ということなのだろう。写真集のために相当体をしぼってきた努力の結果なのかもしれない。
背後にウォータースライダーの出口があり、そこから水が流れ出て、かなり激しく飛沫を飛び散らせている。細かく揺れる水面。足元の白いタイルが複雑な模様を描く。
絵里は、口を大きく開けて笑っている。しかし、この笑顔も、どこか、弾けきれていないような、曖昧さ、微妙さを残している。
照れなのか。
撮られることへの不安なのか。
「グラビア撮影に挑むアイドル」という存在規定との微妙な齟齬。そこからはみだす不定形の自意識。
あるいは、自分が「亀井絵里」であることへの違和感。
あるいは、「自同律の不快」(埴谷雄高)。
photo no.52
芝のうえにしゃがんで、膝に胸を押しつけている。その膝の前に両腕を突き出して。
左に傾いた画面の中で、こちらを見上げる絵里。
そのまっすぐな目線が、何かを問いかけているようだ。
photo no.53
両腕を斜め後方に向けて伸ばし、左右に広げるポーズが、ここでも再出。
えりももの逞しさ。充実ぶり。
顔を上に向けて、陽光をまともに顔面に浴びながら、眼を閉じる。
首を伸ばしているせいで強調される鋭角的な顎。そうか、やはり亀井絵里は石川チルドレンだったのか
健康的な明るさを感じさせる写真。
photo no.54
白い巨岩に、軽く体重を預けて立つ絵里。
バランスの取れたプロポーション。
健康的でセクシーな肢体の美しさはほとんど完璧だ。
しかし、やはり絵里の微笑は謎めいていて、見ているものを不安にさせる。ある種の挑発性。
その澄んだ瞳は、カメラのレンズに向けられていながらも、カメラマンも、写真を見る私たちも通り越して、その背後の虚空を見つめているようにも思える。
(2007.7.10更新再開)
ロケーション:Holiday Inn Resort PHUKET の最上階のペントハウスを借りての撮影。ペントハウスとはホテルなどの建物の最上階に設けられた最高級の部屋を指す。VIP御用達の部屋。
衣装:オフピンクの柔らかい印象のTシャツに、藍色のショートパンツ。
「タイの留学生」のシークエンスと同様、すべてのカットに「触れる手」の主題が現れる。
「触れる」という行為の持つ、セクシーな含意は、よりあからさまに表現される。
photo no.55
このページだけが写真集全体のなかで、唯一白いワクで縁どられた画面になっている。特別な一枚。
ホテルの備え付けの便箋(「Holiday Inn Resort PHUKET」というロゴ入り)に、カクカクとした可愛らしい大きな文字で、手紙を書く絵里の右手。
絵里は東京に残してきた誰かを思いながら、その誰かに向かって言葉を紡ぐ。
絵里です。
今プーケットに来てます。
毎日あつくて海
まで書かれていて、今、絵里は、次に続く「へ」を書いている。可愛らしく端正な文字。ピントは、手にではなく、絵里が書いた文字に合っている。
ここでは絵里の書く文字が主役。
高級感あふれる室内と、絵里の書くお世辞にも上手とはいえない文字の落差が、痛快。
「触れる手」の主題は、鉛筆を握る右手という姿で、さりげなく自然に導入される。
photo no.56
南国にしては穏やかな朝の陽光が差し込む部屋で、手紙を書く絵里。
絵里です。
今プーケットに来てます。
毎日あつくて海へあそびに
行ってます(キラキラのマーク)
(五行めは識別できない)
絵里は、そこまで書いて、ふと手を止め、左上方に視線を向けながら、手紙の続きを考える。
後ろで二つ縛りにした髪が、穏やかで、賢そうな印象を生む。なのに、どこか抜けているような、ほのぼのとした、とぼけた表情。
矛盾するベクトルが同時に、何の違和感もなく共存している様が、とても絵里らしい。
オフピンクの可愛いTシャツ──胸にはグレーの花模様──の下で、丸みとボリュームのある胸が存在感を誇示している。
ピンクの衣装は前シークエンスに続いて、二つ目。
背景には、やはり淡い色調の緑色のソファと、金色のクッションがある。
「触れる手」の主題は、右手の鉛筆に加えて、テーブルの上に左肘を突くことで、強められている。
全体として、穏やかな朝のひととき、というニュアンスでまとめ上げられた写真。しかし、それは嵐の前の静けさだ。
photo no.57
ページをめくると、そこには圧倒的な存在感のえりももが現れる、突然炎のごとく、画面の下方を占領する、えりももを乗せたソファの燃えるように鮮やかな真紅。不意打ちの暴力性。
前ページまでの穏やかな空気を、えりももが狂暴に切り裂く。
赤いソファの上で、折り曲げた左脚の上に乗る、右えりももの量感。
左手はソファに突いて体重を支え、右手は左足の爪先を掴んでいる。そして、視線がその爪先に向けられることで、「触れる手」の主題を明確に印象づける。
軽く曲げられた両肘、折り曲げられた両膝、前屈姿勢、傾いた肩のライン、すべての曲線と傾斜が絶妙な形態を描く。
前屈みになった姿勢によって、絵里の体の豊かな量感が強調される。
丸いえりももと丸い胸は触れあわんばかりに接近し、互いの存在感を響かせあう。
絵里の体つきと、ソファも、セクシーな音色を響かせあう。
そして、シャツの袖のよれ具合と、肩のあたりに見える毛羽だちと、何度も洗ったような柔らかな風合いが醸し出す、生活感。その生活感、日常性によって、絵里のセクシーさが、一層のリアリティを持って表現され、、生々しささえ感じさせる。
この傑作を含むシークエンスによって、水着で水と戯れることもなく、朝の室内で、この写真集は、エロティシズムの頂点を形作る。
(前方に投げ出された右脚のふくらはぎだけが、やや残念な形に写ってしまっている。本来絵里のふくらはぎはもっと美しく表現できるはずなのに、と惜しまれる。これは写真家にも後悔を残したであろう。厳しい時間的制約の中で作品を作り出さなければならない商業芸術の宿命的制約の現れとも言えるが、そうだからといって、傷が治癒される訳ではない。しかし、その点を差し引いたとしても、この写真は傑作だと思う)
photo no.58
絵里は右膝をぐっと引き寄せ、胸に押しつけて、その上に両手を重ね、首をかしげて、右頬を右手の甲に乗せる。
絵里の全身が、ただ一点に、この重ね合わされた膝と手と頬に向かって、凝集する。
「触れる手」の主題は、この1枚で頂点を形作る。
アーモンド型の奇麗な目が、カメラを見つめている。
頭には小さな青いアクセサリー(ごくさりげないアクセント)。
画面の右下3分の1の面積を占める、圧倒的な左えりもも。
乙女チックな淡いピンクではなく、大人びた濃いピンクに塗られた唇と、この写真集のために絵里が作ってきた爪──同じ濃いピンクで爪の先3ミリほどを塗っている──とが、近い位置に接近して、共振し、共鳴する。
もちろん、濃いピンクや赤は「発情」「興奮」の記号である。ピンクの唇、ピンクの爪、真紅のソファ。
photo no.59
ついにピンクの唇とピンクの爪が触れ合う。
右手人差し指の、指先を舐める、俯いた絵里の横顔。
指を舐める行為。指先をふくむ、軽く開かれた唇。その性的なニュアンス。
(あるいは、朝食のときに、フルーツを手掴みで食べて、手についてしまった果汁を舐めた、という設定だろうか?)
この写真の主役は絵里の右手。皮下脂肪の作り出す女性的な丸味を排した、確かな骨格と筋肉が産み出す硬質な形態、その繊細な表情、そして、ピンク色を身にまとう媚態。
photo no.60
同じ構図で、こちらを見る絵里。
二枚組で「こちらを振り向く動作」を表現している。
振り向いた絵里は、笑顔ではない。
何を意図しているのか曖昧な、むしろ意図を隠蔽するような表情。気持ちを隠すことによる媚態。
斜め下を向いた顔から、仰ぎ見るように、まっすぐレンズに向けられた視線が、写真を見るものの心まで見透かしている。
(わかってるんだから)
(わかってるんでしょ)
見られる者と見るものの、密やかな共犯関係。
唇の中には、人差し指に加え親指も。
軽く握られた右手が作り出す小さな空間。そこに生まれる影までが赤い。
画面の中央で、複雑に絡まりあう、唇の赤、爪の赤、影の赤。
右目の斜め下の、微かなシミのような小さな淡いホクロ。
「触れる手」は、この2枚で、ついに唇に触れることで、そのエロティックな本性をむき出しにする。
photo no.61
朝の穏やかな室内を突如襲った、えりももとピンク色と真紅の、暴力的なエロティシズムは、この写真によってチルアウトし、(つかの間の)収束に向かう。
食事のあとは歯磨き。
絵里の写真集といえば歯磨き。
前作、3rd写真集『17才』で、すべてのファンを魅了し尽くし、萌え狂わせた、「歯磨きえりりん」のアンコール。
「歯磨き」は、何故これほどまでに「萌え」なのか。
歯磨きは、そもそも舞台裏の行為。排泄や、化粧と同じく、本来人に見せるものではない。恋人同士でも、同棲しているぐらい親密でなければ、見せない行為。
それは、見せる者と見る者の距離を、美しく体裁を整えた外づらしか見せない関係から、食べ物で汚れた口腔の存在を許しあう関係へと、一挙に縮める。
歯磨きは、それを見る者を絵里の公的領域から、私的領域へと招き入れるのだ。
軽く右に傾げた首。
そこから腰にかけてのクネっとした逆S字曲線。
歯ブラシを咥えているせいで膨らんだ右頬。
ちょっと奇妙な持ち方で歯ブラシを持つ右手の、おかしな方向を向いた親指。
えりももに勝るとも劣らない、二の腕の丸さ。
少しよれた半袖シャツの袖口。
肘を曲げて腰に当てた左手。その肘が、背後の大きな鏡に写っている。
「触れる手」は、片方は歯ブラシを持ち、片方は腰に。
頭には、小さな水色のアクセサリ。東京タワーかエッフェル塔のような形。
この写真でだけ確認できる、ショートパンツのウエスト部分の、赤白黒のストライプ。
歯磨きは、朝の身繕い、外出の準備でもあり。
そういえば、この衣装は、外出するような服装ではなかった。
むしろ、この格好で寝ていた(という設定)であってもおかしくはない印象。
photo no.62
英語の本を読んでいるフリをして、そのわざとらしさに照れ笑いする絵里。
そのいたずらっぽい笑いを含んだ眼の表情は「エリック=茶髪=ショート」時代を髣髴させる。後ろで二つに縛った髪がよく見えないせいでその印象がさらに強まっている。
本は「CULTURESHOCK!」という、タイの習慣やエチケットについて解説された旅行者向けの本。
むろん、撮影という本番中の今、その本を実際に読むわけではないのだが、「本を読む」という設定も、それはそれでまた楽しい。「もう出掛けるという時になって、そんな本を読みだしても泥縄だよ。そういう予習は日本で済ませて来なさいよ」という、さりげないツッコミどころ。
その本の黒い表紙には、ところどころアクセントに赤やピンクの色が踊っている。その色と、本を持つ絵里の指先のピンクとが、響きあう。
画面中央で、本を支える絵里の左手、すっと伸びた細い指の描く逆S字曲線(こんなミクロな部分まで、クネッと!)。
ブレて二重に写った本と左手の輪郭が、被写体の動きを伝える。その動きと、いたずらっぽい表情の相乗効果が、絵里をさらに活き活きと描き出す。
(2007.7.21)
ロケーション:ビーチ(おそらくパトンビーチ)の、砂浜からやや離れた場所にて。
ピンクの水着はp48-55のシークエンスに続いて2種類目。
メイキングDVDによれば、こちらの水着のほうが先に撮影されている。
鮮やかなディープピンクの生地に、青と黄色の2色の斜めストライプが入った、上下お揃いのビキニ。ブラは首も背中も後ろでリボン結び。パンツも両腰をリボン結び。いわゆる「ヒモパン」。
大好きなピンクの水着を着ての初めての写真集撮影。
絵里は、「ピンクの水着を着れるとテンションがあがるので、嬉しいです。」
と、その喜びを語っている。
そして、このシークエンスのもう一つのテーマは、赤と青の対比だ。
このシークエンスは、独立した6枚の写真で構成される。
photo no.63
赤い車に手をかけて、背中を向けている絵里。
肩ごしにこちらを振り向いている。その視線の生き生きとした動き。
赤い車の後ろには、別の、青い車が映り込んでいる。赤と青の共存と対比。
少し縒れたビキニパンツの、どこか無防備なしどけない感じ。それは純粋に視覚的にいえば美しくない状態で、むしろ観る者に生々しい現実を直視させる。
「理想的なアイドル写真集」を作ろうとし、すべてを完璧な美でまとめようとすれば、選ばれることはないであろうショット。
しかし、そこに漂う現実感を、あえて呈示してみせることこそが、強烈な亀井絵里らしさの表現たりえている。
photo no.64
真っ青なビーチベッドの上に、浅く腰かける絵里。
腰からえりももにかけてのラインの完璧な美しさ。
輝く髪が陽光を透かしながら、肩の上で揺れる。
穏やかな、大人しそうな笑顔には、ピンクを着ることができた喜びと、誇らしさ、そして気恥ずかしさが滲んでいる。
p64,65の見開きで、赤と青のコントラストがはっきりと打ち出されている。
photo no.65
バストショット。
赤い車のボンネットに頭を乗せてもたれかかる。
いかつい車は、男性を暗示するのでもあろうか。
頭を傾けた絵里は、髪が顔に落ち掛かってこないように、髪を耳に掛けて、チャームポイントの耳たぶのほとんどない小さな耳(ぎょうざ!)を見せている。
絵里が観る者に注ぐ、まっすぐな強い視線は、硬質のセクシーさを放射している。
笑みを含まない絵里の表情は、気位の高い美少女の表情。どこか危険な香りも漂わせつつ。
車のヘッドライドの銀色の枠に映る、小さな、絵里のすました顔。
カメラをまっすぐに見据える強い視線が、横から捉えられているのが、興味深い効果をあげている。
photo no.66
車のボディの上に腰かけて、体を後ろにひねって、左手をボンネットに掛ける。
丸みを帯びた体や腕や顔の柔らかな質感。
微笑んでいる絵里の目は、彼女が本来持っている強烈な勝ち気を滲ませている。
左腕の背後には、ビーチベッドの青い色が映り込んでいる。
右斜め45度に傾斜した画面の躍動感が、絵里の内面から発する《強さ》を強調する。
photo no.67
赤い車の、大きな後輪タイヤに寄りかかるように立つ絵里。
赤い車の側面には、大きな青い星マークが描かれている。
屈託のない、楽しそうな笑顔。撮影の緊張も少しほぐれて来た時点なのだろうか。
美しい胸のライン。
ヘソの上で組んだ両手。
ほんの少しだけ、ポッコリとしたお腹のふくよかさ。
そして、まるで競泳選手を思わせる、圧倒的なえりももの力強さ。
photo no.68
青いビーチベッドの上に座り、膝を曲げて体育座り。両手で爪先を掴む。
すこし照れたような、どこか寂しさを漂わす笑顔。
優等生的な線の細さ、か弱さ。
この、p68,69の2ページでも、ふたたび赤と青のコントラストが現れる。
赤と青の対比は、絵里の持つ、強気で元気な側面(赤)と、穏やかで優しい側面(青)という、相矛盾するような2つの傾向を、同時に表わしている。
p67 赤:強い笑顔
p68 赤と青:ニュートラルな笑顔
p69 青:弱さを垣間見させる笑顔
(2007.8.24)
ロケーション:プーケットタウン市街の市場にて。写真集撮影最後のロケ地。
衣装:赤いキャミソールのうえにピンクの服(水着のようなフリルが三重についている)を重ね着。
(この服はメイキングDVDでは、濃いオレンジに写っている。おそらく写真集では、肌の色の発色を考慮して、慎重に色調が補正されているのだろう。)
洗い晒した古着のような風合いの青いデニム生地のミニスカート。
左耳の上には、紫がかったピンクを基調とした大きな花飾りを着けて、南国情緒を強調している。
髪型は、横の髪を後ろでまとめ、まとめた後ろ髪を垂らしている。
4つのシークエンスに渡って連続してきた、ピンクの衣装、ピンクの持続の、最後のセクション。4枚の独立した写真からなる。
photo no.69
市場の路地に張り渡されたヒモ(電気のコードだろうか)に両手を掛ける絵里。
ヒモを掴む指先の微妙な、遠慮がちな表情。
画面には、衣装のピンクのほかに、黄色(店の屋根)と緑(店内)も。あふれる色彩。プーケットの市場の雑然とした賑やかさ。
しかし、絵里の表情は、その雑然とした活気を楽しんでいるようには見えない。むしろ、異国の人々が発する雰囲気、理解し難い外国語の響き、アジア的な生命力に、圧倒され、気圧され、不安と緊張を隠せないかのような表情、どこか無理のある作り笑顔に見えもする。
下からあおるように撮るカメラに対して、いったい絵里の目線は、誰に向けられているのだろうか。
photo no.70
タイ名物トゥクトゥク(小さな三輪車タクシー)に乗り込み、上半身を乗りだす絵里。
青いデニムのミニスカートがわずかに見える。赤と青の対比が、前のシークエンスからの余韻として、続いている。
市場への移動中の写真だろうか。表情は明るい。
トゥクトゥクの乗り降り口の手すりに手をかけて、上半身を支えている、ほぼ垂直に伸び切った腕の力強さ。
photo no.71
市場の青果店の店内で、青いリンゴを五つも胸に抱える絵里。持ちすぎ。欲張りりん。そのいたずらっぽい表情にも、やはりどこか緊張が漂っている。
五つも抱えたリンゴが落ちないように、思いきり開いた指のしなやかさ。リンゴの緑色と、赤い衣装の対比。
店内の少ない光で撮影するために、おそらくISO1600や3200の超高感度フィルムが使用されたのではないかと思われる、粒子の粗い画面。
墨を流したかのように黒く塗りつぶされた髪の色。繊細なディテールが消された映像は、どこか古風な印象を与える。
そのせいか絵里までが、まるで昔の正統派美人女優のようにみえる。むしろ、そもそも絵里の顔だちは、現代的なギャル風ではなくて、古風といっていいような、正統派の美人の顔だちなのだ、ということを改めて思い起こさせるような写真。
このことを指して《昭和の香りがする》と言っても許されるだろう。小津安二郎や成瀬巳喜男の映画の準主役級として画面に収まっていても違和感がない。そんな空気感。
それは、どこか大人びた色気でもある。
photo no.72
雑然とした市場に咲いた一輪の花、絵里。
プーケットには悪いが、掃溜めに鶴ならぬ亀、という言葉がつい思い浮かんでしまうような画面。
アヒル口の、キュッとあがった口角の可愛らしさ。
しかし、その笑顔は、やはり、どこか、市場の放つエネルギーに圧倒され、脅えているようだ。
びびりん。
しかし、この写真で、もっとも心にひっかかるポイントは別にある。
4枚の写真の中で、はじめて明確に描写される、洗い晒した古着のような風合いの青いデニム生地のミニスカート。
その両側のポケットを飾る、大きな、柔らかい生地の、小花模様の白いフリル。
その異様に場違いな、少女趣味的存在感。
まるで、猥雑な現実世界に、おとぎの世界からやってきたエリザベス亀井が混じっているかのような。
(2007.8.31)
ロケーション:ホテルの部屋。市場から一転して、落着いた部屋での撮影。白と茶と、ベージュの室内。
衣装:衣装も白いセーターでモノトーン。ただ、セーターの下の、淡い紫色の水着の肩紐だけが、紫色の色彩を微かに添えている。白いセーターは大きめのサイズで、編み目も大きく肌が透けて見えるうえに、胸元と背中も大きなVネックで肌を露出している。そのくせ、手がほとんど隠れるくらい腕が長くて、折り返してようやく指先が出るくらい。裾はちょうどお尻が隠れる長さ。
そして毛糸の柔らかい印象が、絵里の持つふわふわとした空気感を強調する。
上半身をほぼすべて隠し、えりももを付け根からむき出しにする、この白いセーターの効果は絶大だ。まさに絵里にふさわしい必殺の萌えアイテム。
2つの見開きを含む、6枚の単独の写真によって構成されるシークエンス。
亀井絵里ならではの多彩な表情と、匂いたつような上品なセクシーさに溢れたシークエンスに仕上がっている。
ここからの3つのシークエンスは、衣装が白、濃紺、白と、彩度の低いモノトーンでまとめられており、前シークエンスまでのピンクを基調にした色彩感あふれる画面との鋭い対比を産み出している。
そして、色彩を抑制することによる落着いた雰囲気が、写真集の終りにふさわしい内面的な高まりを生む。
絵里の表情も、それにふさわしい表情のカットが選ばれており、口を開けて楽しそうに笑う写真は、このあと一切現れない。
photo no.73
ソファーベッドの背もたれに肘をついて寄りかかり、左肩越しにこちらを振り向く絵里。力強い視線が見るものを射る。
下に降ろして、自然な感じに動きを持たせた髪型が美しい。
セーターの毛糸の柔らかさと対照的な、絵里の筋肉質で健康的な肉体の美しさ。セーターの裾から伸びる、力強いえりもも。
photo no.74
両手で左膝を抱きかかえ、体をまるめて、ソファーベッドの背もたれに置いたクッションに軽く寄りかかる絵里。
体を小さく見せ、しかもセーターで覆い隠すことで、肉体の発散する強さを隠蔽しようとしているかのよう。しかし、絵里の肉体は小動物的な可愛らしさのイメージに収まったりはしない。体を丸めた姿勢からも、隠しようのない圧倒的な量感が感じられる。
あらわな左えりももと、セーターが肩からずり落ちて今にもあらわになりそうな左肩。長い袖に隠れた左手、少しだけ覗いている右手の指先。
左前方に視線を投げる絵里の白目の美しさ。
絵里の、普段は隠している負けん気の強さを滲ませる表情。
カーテンの白とセーターの白、シーツの薄茶色、髪の毛の茶と窓の木枠の茶とが産み出す上品なグラデーション。カーテンを透かす陽光が、絵里の顔を輝かせる。
photo no.75
p74と同じ姿勢で、ソファの背もたれに寄りかかっている、顔のアップ。
この写真は、写真集の白眉の一つ。
くっきりと赤く塗られた口紅が強調するアヒル口の可愛らしさ。
左肩越しに振り返る絵里の目がまっすぐにカメラを見据える。その視線の強さ。利発さと、勝ち気と、自信に満ちた視線。白いセーターよりも白い、青みがかった白目の美しさ。その青みは、窓の外にみえる海と空の青さを映しているのか。
そして、それらの青と響きかわす、薄紫の水着の肩紐。
photo no.76
起き上がり(おそらくソファーベッドの上に)、何か真剣な面持ちで下を見ている絵里。真一文字に結んだ唇の険しさ。
頭の中で何か膨大な計算が行われているかのような一種の不穏さ。目に見えない内的な運動性を感じさせる写真。
この不穏な表情、それが想像させる何か強くて険しい内面性は、絵里という人間を考えるときに忘れられない要素なのではないだろうか。それはアイドル性や、少女性とは無縁な何か。
寝起き風に乱れた髪の、ワイルドな魅力。
前ページでくっきりと描写されていた、セーターの毛糸の網目模様は、ほとんどこの写真の主役とも言っていい。
大きな網目から透ける絵里の肌と、薄紫色のビキニの水着の存在。
体を包み隠すことで、隠された肉体への視線の欲望をさらに鼓舞するこのセーターは、その白く柔らかな印象とは裏腹に、かなり狂暴なセクシーさを演出する力を持っている。
photo no.77
ソファーベッドに寝そべり、肘をついて、顔だけ起こしている絵里。まっすぐにこちらを見て、優しそうに微笑む。
少し乱れた髪が、右肩に掛かっている。
この写真もまた、前ページの写真とは逆の意味で、アイドル的ではないかもしれない。
この写真には邪気がなさすぎる。芸能人としての、アイドルとしての、被写体としての意識がほとんど存在しないかのような、無防備なまでに自然体の表情。
まるで、子供が親に「笑って」と言われて、でも、あんまり大袈裟な笑顔を作るのも恥ずかしくて、微妙で中途半端な、照れを含んだ曖昧な笑顔になってしまった、まるでそんな様子を思わせる写真。
あるいは、ほとんど、そのままベッドに伏せて眠り込んでしまうのではないかと思えるような、眠たげ──欠伸を噛み殺して涙が出てしまった後のような目の赤み──な、緊張を感じさせない表情。それは、本当に心を許しあった家族になにげなくスナップ写真を撮られた時のような気安さ。いや、絵里はプロとして写真を撮られ慣れているからこそ、素人以上に撮られることの緊張を感じることなく、カメラの前で素をさらけ出せるのかもしれない。
寝乱れた風にセットされた髪もうまくその印象を高めている。
また、どこにピントがあっているのか定かでないような、どこかぼんやりした画面(眠たい画面!)が、絵里の表情と相乗効果を産んでいる。
photo no.78
そして、究極の一枚。ソファーベッドのうえで体を丸めて眠る絵里。絵里といえば寝顔。絵里といえば寝姿。
同時に発表されたDVDでは、絵里は冒頭、寝ながら登場する。いつも眠そう、いつも寝ている、と言われる絵里。眠ることと、絵里には深い近親関係があるのかもしれない。
あまりにも美しい寝顔。両手は軽く握られている。
寝顔はどこか険しさを感じさせる。まるで睡眠という厳粛な儀式を執り行っている巫女のよう。
神聖な寝顔と、白いセーターと、朝の光が織り成す、柔らかで、透明な空気感。しかし、体をまるめて膝を曲げた絵里が、セーターの裾から盛大に露出させるえりももが、画面右のほとんどを占領している。
柔らかな空気を切り裂く、えりももの、狂暴なまでの存在感。頭がおかしくなりそうな二律背反。
はちきれそうなえりももだけではなく、寝姿の絵里の体全体に、眠ることの快感と安らぎとが漲り、それが柔らかく暖かい光となって満ちあふれ、画面全体を包んでいるかのようだ。
そうして眠ることで絵里の小さな体は、ふたたび過剰なまでの生命力に満たされていくのかもしれない。
この見開きの寝姿も、あきらかに、写真集の頂点の一つを形作っている。
(2007.9.28)
ロケーション: 海岸の岩場と、そしてバンガローのような建物の前でも撮影している。
衣装:濃い藍色のチューブビキニ。肩紐を首の前で「ばってん」に交差させてしばっている。ブラは背中でリボン結びにするデザイン。その「しばってあるだけ」という危うさが、セクシー。裏地は鮮やかなエメラルドグリーンで、それが、表生地の縁取りにもなっている。
(備考:雑誌「ザ・テレヴィジョン」のインタビュー記事では、絵里は「茶色の水着」と呼んでいる。しかし、写真で確認できる限りでは茶色には見えない。)
10ページで構成されるこのシークエンスは、表紙をも飾ることになった、この写真集最大の見せ場。
写真集の帯のキャッチコピーには、「『楽園』で魅せた、18歳の正統派水着!」
と記載されている。このシークエンスこそ、まさに「正統派水着」を代表していると言えるだろう。
絵里自身は、この水着を、「しっとりとした感じ」
と表現している。大人の女性らしいセクシーさを、無理なく表現できる衣装。正統派の水着姿。
陽光の加減と、おそらくフィルターの選択のせいで、このシークエンスは、3種類の色調で描かれている。
1、岩場での写真は、青みがかった寒色系。
2、バンガロー風の建物での写真は、黄色い光が自然な暖色系。
3、表紙にも選ばれた、おヘソから上の立ち姿の写真は、レフ板を駆使して光を集めた白く輝く色調。基本的には寒色系だが、溢れる光に輝く画面という印象が強い。
絵里の肌は、光にあたった部分はほんのりとピンク色がかり、陰の部分は青みがかっている。
3種類の色調を使い、変化を持たせたことからも、この衣装、このシチュエーションへの写真家の意気込みが感じられる。
photo no.79
シークエンスの冒頭を飾る写真は、セクシーというよりむしろ、気高く凛々しい美しさに満ち溢れている。
右足に体重を掛け、左足を斜め後方に伸ばした絵里。かかとをあげて、伸ばされた左足。左ふくらはぎの盛り上がった筋肉、そしてひかがみの美しさ、えりももの力強さ。しっかりとした骨格と、逞しい筋肉とが織り成す健康美。
それをカメラは斜め後方から捉えている。
それはまるで、古代ギリシア彫刻の傑作、サモトラケのニケ(勝利の女神)像を思わせる、凛とした美しさだ。
ニケ像の別画像
優美さと力強さの完璧な調和。後ろにのばした腕までが、勝利の女神ニケの背中から伸びる大きな翼のように思えてくる。そして、両腕を斜め後方に伸ばすポーズが、この写真集で何度も繰り返されていたことにあらためて気付く。
サモトラケのニケ像が、古代ギリシアの彫刻家が産み出した人類の至宝だとすれば、亀井絵里は、自然が産み出した人類の至宝であり、ほとんど神の造形とも言うべき究極の美を示している。
撮影場所は浜辺の岩場、1メートル級の岩が積み重なり、中には2メートルを越す巨岩もある。非日常的、神話的な荒々しさを感じさせるロケーション。しかし、巨岩の圧倒的な存在感に対して、絵里の肉体美はまったくひけを取らない。まさに、女神が舞い降りるにふさわしい舞台装置だろう。
しかし絵里は、ただ単に、「勝利の女神」という、理解しやすいイメージの中に収まりはしない。絵里は「理解し難い」人間なのだ。
それは絵里の表情に表れている。不審げな目線。どこか、すっとぼけた表情は、都会っ子らしい複雑に屈折した内面を思わせる陰影を帯びている。
肉体の古代的な高貴さと、表情に現れた内面の現代的な一種の卑俗さとを、同時に体現すること。あるいは健全な肉体に宿る不健全な精神。そのミスマッチぶりや、中途半端ぶりをこそ、まさに亀井絵里的と呼ぶべきだろう。
photo no.80
バストショット 大きな岩の壁に寄りかかって。
カメラマンは、ここでもまた画面を左に30度程傾けている。
その結果、ほぼ垂直であるはずの岩壁の傾斜も、絵里のほうに倒れかかってくるように見える。
握り締めて岩に置いた手の表情。
あるいは、胸の前の腕は、チューブブラによって強調された胸の谷間を恥ずかしそうに隠そうとしているかのようだ。
セクシーを表現するまっすぐな、強い視線。そこには、3rd写真集『17才』でセクシーを表現したときのような、背伸び感はない。ごく自然な表情で、余裕すら感じさせる。無理にセクシーを演じるのではなく、ほんとうにセクシーになった自分を見てほしい、という強い訴えかけが感じられる写真。
メイキングDVDでは、このシークエンスの撮影について、絵里は、「あんまり普段しない表情…だったのでぇ、あ、自分こんな表情するんだ、と思ったし、みんなに見られるのが、ちょっと恥ずかしかったです」
とコメントしている。
人は本当にセクシーになるときの表情をふだんから他人にみせたりはしない。それは、大切な人のためにそっと取っておく表情だから。しかし、「自分こんな表情するんだ」
という言葉は、絵里が見せた表情が作為的に作ったものではなく、ほんとうにセクシーになったときの自分の表情そのものであることを感じさせる。そして、絵里は、その表情を写真に撮られることで、初めて自分自身を発見したのだ。その発見の、率直な驚きが、この発言からは感じ取れる。
愛おしい相手にしか見せない表情を、写真を通じて、分け与えられる喜び。それは、とても複雑な喜びだ。
このp82,83の二枚の写真は、寒色系の自然な色調で表現されている。
photo no.81
岩場からバンガロー風の建物に場所を移して撮影。
建物の木の柱に抱きついて。その体と柱の密着具合。ああ柱になりたい、とそれを見た誰しもが思ったことだろう。
そして柱とは、言うまでもなく、男性の象徴の象徴に他ならない。その太い木の柱に、絵里は両手で抱きつき、腹部を密着させ、あろうことか、美しいえりももを絡ませてすらいるのである。
特に、右えりももを前に出して柱に絡めるポーズは明らかに反則技だ。「アイドルのグラビア写真集」で許される限度を超えているのではないか、とすら疑われる。
首をかしげて、下から上目づかいにカメラを見る、その目線も反則。
絵里が表現するエロスと、暖かい陽の光の開放感との、強烈な落差。
photo no.82
今後は同じ柱を背にして、立つ。少し柱に寄りかかるような姿勢。
穏やかな表情のバストショット。
セクシーな衣装に対する気負いもなく、穏やかで、落着いた、大人っぽい表情。自然体。
微かに開いた唇からのぞく白い歯。
photo no.83
見開き。
大写しのバストショット。
光に溢れた真っ白な風景。
限界に近いハイキーな色調が産み出す、風景の夢幻性、その中で、安らぎと慈愛にに満ちた微笑みを見せる絵里。
柱に抱きついたポーズだが、エロスは控え目で、むしろ、いつも何かに頼っていたい、支えられていたいという、甘えっ子気質、妹気質を思い起こさせる。
白く輝く肩の産毛。
露出過多で、背中の色が白く飛んでしまっており、そのせいで、絵里の白い背中が、光に満ちた白い背景と一体となり、その中に溶け出していくかのよう。
まるで白昼夢のように。
そして今、絵里はプーケットの陽光と一つになる。
p84-87までの3枚の写真は、暖色系の自然な色調で表現されていた。
そして、以下の、このシークエンスを締めくくる4枚は、レフ板を多用し、光に溢れる寒色系の色調で表現されている。その結果、絵里の肌は、神々しいばかりに白く輝く。この写真集全体の頂点を描く奇跡の光景が展開する。
photo no.84
岩に接する砂地に座り、後ろの岩に右手をついている絵里。
左手で、曲げた右膝を抱える。左足は伸ばして前方に放り出している。左に小首を傾げたポーズ。切なげな表情でカメラを見る。
白く輝くふくらはぎ。伸ばした左えりももの質感。
この「切なげな表情」は、18歳になったばかりの絵里が、セクシーな表情の限界に、真正面から挑んだ表情。そして惜しくも敗退したことで、絵里の大人への成長のあまりの速さを心配するファンを、少しだけ安堵させる写真。
かつて、ラジオの放送(ヤングタウン土曜日2006年6月など)で、当時のモーニング娘。のメンバーに「いやらしい」「こんな亀ちゃんは見たくなかった」とまで言わしめた『17才』の背伸びしすぎた無理のある表情──それゆえに、「いやらしさ」が誇張され、グラビアにはセクシーをこそ求めるファンには、絶賛された──に比べれば、ずっと自然な表現になっているが、しかし、やはりどこかに無理を、背伸びを、頑張りすぎ、感じさせる。その背伸び感のなかに、少女らしいあどけなさの痕跡が残っている。
これが中澤裕子であれば、さりげない笑顔の中にも匂いたつような大人の女性のセクシーが表現されるだろう、しかし、絵里のなかには、そういう表現を可能にするだけの経験がまだまだ圧倒的に不足しているのだ、と感じられる、そんな不自然さ。わたしたちは、そのことに、つい安心してしまうのだが、それとも実は、絵里の、手の込んだ詐術にまんまと騙されているのだろうか。
photo no.85
p88の姿勢から、さらに前屈して、アゴを膝の上に乗せ、両手で足首を押さえる。
右耳に髪を引っかけて、耳を出している。
耳出しえりりん。
微かに恥じらいを含んでみえる微笑みには、気負いや、余計な緊張がなく、寛いだ安心感が漂っている。それは、セクシーであることとの和解なのだろうか。
photo no.86
photo no.87
いよいよ、この写真集の真のクライマックスが、この2枚対の写真で形成される。
美少女性(キャワりん)、どこか幸薄い悲しげな表情(鬱りん)、セクシーな訴えかけ(エロりん)などの、様々な要素がここで一挙に頂点を迎える。
岩場で立ち上がって、両手を背中に回して隠した姿勢。
絵里は、気恥ずかしそうに伏せていた目を(p90)、何かを決意したように、パッとこちらに向ける(p91)。
ここまで、なんどとなく繰り返し予告されてきた、2枚組によって振り向く動作を表現する手法は、この頂点へと向けて組織されていたのだ。
photo no.87まっすぐにこちらを見つめる絵里の視線が、何かを語りかけている。
おそらく、この直後の写真が、 表紙の写真だろう。表紙の写真は唇が微かに開いて、白い歯が覗いている。
何かを話しかけようとするかのように、開く唇。まるで、「ねえ。絵里はもう大人になったよ。大人になった絵里を、ちゃんと見て」という声が、聞こえてくるようだ。
この写真集のクライマックス、それは、この写真集を貫く亀井絵里と読者とが共有する秘めやかな恋人幻想の頂点でもある。
p90、恋の妄想に囚われた読者に「絵里のことが好きだ。君の気持ちを聞かせて」と問われて、俯く絵里。
p91、恋する青年に答える決意をして、彼の目をまっすぐに見つめる絵里。
表紙、答えの言葉を囁くために、微かに唇を開く絵里。この10秒後に「わたしも、あなたのことが、好き」という答えが、絵里の口から告げられる。表紙の表情は、恋愛という未知の人間関係へと入っていくことを覚悟した、絵里の不安や緊張をも映している。
表紙には「Love-Hello!」の文字がある。恋よ、こんにちは!
(2007.11.02)
写真集の最後を飾るこのシークエンスは、素晴らしいクライマックスの後を受けて、この傑作写真集をしっとりと締めくくる、穏やかなコーダ(結尾部分)。
淡く美しい夕焼け、カリム湾に沈もうとする夕陽から差し込む低い光が、なにもかもを黄金色に染め上げていく、チルアウトの時間。
氾濫する賑やかな色彩は、画面から退場する。わずかに海辺の食堂の赤いプラスチック製の椅子だけが、リゾートのビーチの賑やかさの名残を、昼間の活気の余韻を響かせている。
この衣装の白さもまた、色彩の後退を演出しているが、しかし、この衣装は、写真集中もっとも奇抜で斬新なデザインの衣装でもある。
アンシンメトリー(非対称性)を追及した、そのデザインの複雑さ。白を基調とした複数の布地を、パッチワーク状に縫い合わせているが、そのどれもが正確な正方形などをなしていない。生地のあちらこちら、右胸の下や裾近くに白い花模様の刺繍。白の上に白が積み重ねられる。ウェストの高い位置を、刺繍の入った生地が斜めに横断している。右の裾に近い部分には一ヶ所だけ麦藁色のメッシュ生地が使われ、その上を金色のスパンコールがさりげなく飾っている。裾が、複雑な波形を描く。左胸の位置には、小さな金色のハートマークがたくさんちりばめられている。現代的なデザインの斬新さと、可愛らしさと、アジア的民族性を同居させた服。
絵里といえば、奇妙なデザインの服。
奇妙なデザインでも、着こなせてしまう、似合ってしまうという、絵里の実力。あるいは、奇抜な衣装でなければ、絵里の奇妙奇天烈で自由奔放な個性には太刀打ち出来ないとでもいうような。
photo no.88
右手がワンピースの裾を、軽くつまみあげる。可愛らしい膝小僧が覗く。
海から上がってきた絵里の脚と、白いドレスの裾が濡れている。夕方になるとさすがに水が冷たいのか、絵里の足が赤く火照っている。
その濡れた両足が、しっかりとビーチの砂を踏みしめている。絵里の歩いて来た足跡が、平らな美しい砂浜のうえに、いくつかの微かな凹凸を残している。
photo no.89
絵里は、アンダマン海に、今まさに沈んでいこうとする夕陽を見つめ、その日最後の、消えかかった陽光を、横顔に、髪に、全身に受け止めている。肩にかかる襟足が、濃いオレンジ色に染まり、背後の陸地から吹いてくる柔らかな風に、軽くなびいている。
沈み行く夕陽に、絵里は何を思うのだろうか。
photo no.90
時間を遡り、海辺の食堂(タイのシーフードを食べさせる店)の日除けの下で。
正面からの全身像。
絵里は左手を、真っ赤なプラスチック製のイスに掛けている。
右足の曲げて踵をあげ、顔を下げて、右手で、ずれてしまったミュールを直す。右肩も下がった姿勢で、全体に体が軽く弓なりの曲線を描く。絵里の完璧なプロポーション。
画面の正面(絵里の背中側)から差し込む夕日が、サマードレスの薄い生地を透かして、隠されたえりもものラインを浮かび上がらせる。幻のような光景。
ストラップに、小花の飾りをあしらったミュールが、とても愛くるしい。
右上に「Thai Food Sea Food」と、宣伝文句の描かれた、店の看板。深緑色のテント生地の屋根、青いパラソル。はるか向こうに、数台の車が停まっている。夢の中に侵入する現実の痕跡。そして、一人の男が、通りがかりざまに、撮影しているこちら側に視線を投げ掛け、おそらく一人の美少女に目を止める。
photo no.91
足先が切れているが、ほぼ全身像。
背後から、まさに落ちようとする夕陽の、金色の光が降り注ぐ。
絵里は、精一杯のセクシーを込めた強い視線をカメラに投げかける。軽く開いた両脚と、裾をたくしあげて露出した膝が、そして赤い椅子に背中をもたれ掛け、後ろに傾斜した姿勢が、一層セクシーなニュアンスを生もうとする。
強い視線と、強く握りしめられた拳が、お互いの印象を高めあう。
photo no.92
霞がかかったような空の中、もう少しで沈もうとする夕日。ごく薄い赤紫に輝く空と、海。
絵里は、両手に、脱いだニュールを、指先に引っかけるように持って、最後にもう一度、海に向かって、泡立つ波打ち際に向かって歩いていく。
その後ろ姿。歩いてく。その先の空へ。
後方に向かって軽く広げられた腕が、再び、勝利の女神の羽根を想起させる。
軽く曲げた指の先に揺れているミュールの、金色のピンヒールが、夕陽に光る。可愛らしい小花の飾りと、セクシーな金色のピンヒール。それもまた、この写真集に描き込まれた、少女と大人の境界線の一つなのだろう。
付録DVDのレーベル面は、ディープピンクの地に、白い文字を抜いた二色で構成されたシンプルなデザイン。
ピンクと白。それは、この写真集で、絵里が、白と戦い、その戦いに勝利を収め、ご褒美として、憧れだったピンクを与えられる、という物語を象徴するかのように、そこに挿入されている。
photo no.93
軽く肘を曲げ、両手をおヘソの位置で、握り合わせている。
まるで、本当は、この人は南の島の王妃なのではないか、と思わせるような、気品と、静かな威厳を感じさせる。
物怖じしない強い眼差しがまっすぐにこちらに注がれている。
絵里の心臓の位置に踊る、小さな金色のハート模様。
このなんの衒いもない、正面を向いた立像が、写真集最後のシークエンスを、堂々と纏め上げている。
(2007.12.03)
photo no.94
この見開きは、写真集冒頭の、見返しと扉の見開きと対応しており、対称的な構造になっている。
絵里は、この最後の見開きから、最初の見開きに向かって歩いており、実際の撮影順序とは、時間が逆行している。そのことは、背景の海の中の小岩の位置関係から明らかに分かる。最初の見開きの写真に捉えられているのは、この数秒後の光景なのである。しかし、写真家は、最初の見開きでは絵里を左に配置し、最後の見開きでは、彼女を右に配置することで、絵里が前方に向かって進んでいるという仮象を、構図的な操作によって産み出そうとしている。そこに生まれる捩じれ。
絵里は、前方に歩きながら、時間を遡る。永遠の循環。プーケットの明るいビーチでの絵里の時間は、永遠回帰する。
絵里は、やはり、少し険しいような表情。沈思黙考の体(てい)で。賢そうな、広い額を顕わにし。左手は、顎の高さまであげ、手首を外にカクンと曲げ、指を内側に軽く曲げている。このポーズは、どこか、弥勒菩薩を思わせないこともない。
そして、強い陽射しの元、鋼のように輝く強い肉体美。
写真家は、カメラを左に向けて、構図をずらすことにより、画面の中に背景の、森の姿を大きく写し込む。砂浜に張り出した岩場と、荒々しい原生林。写真家は、「どこまでも白く続く砂浜」などというイメージを放棄し、敢えて、画面に異物感を与える。それは、絵里にとってのプーケットの意味の変化、深まりを象徴しようとするものだろうか。奇麗な海に象徴される「南のリゾート」としてのプーケットから、荒々しい自然を抱くアジアとしてのプーケットへの変化。
そして、最初の見開きとの対で表された「時間の逆行」の主題は、次の背表紙(本体)でも、再び出現する。
積み重ねられた逆行!!
(2007.12.14)
photo no.95
表紙裏の見開きの対と同様、表紙(本体)と、この背表紙(本体)もまた、対を構成している。
白いポロシャツに、チェックのミニスカートという衣装から、撮影場所は、大学(Phuket Rajabhat University)の構内の運動場の側の芝生であることがわかる。
この背表紙(本体)と表表紙(本体)の時間的関係は明らかとはいえないが、後ろを向いてジャンプして着地した瞬間(背表紙)、そして次に、カメラを振り向いて、両手でVサインをして笑った(表表紙)、と考えるほうが、自然だと感じる。
つまり、ここで時間の逆行が反復されているのである。
繰り返される、永遠回帰の表象。
着地の瞬間の、プリーツスカートの裾がふわりと捲れ上がって、えりももが露出している。そして、大地を踏みしめるために緊張した力強いふくらはぎの筋肉。
これは、ジャンプという動きを写した、たった2枚のうちの1枚であり、もう一枚は、タイトルページ(p1)という冒頭部分にある。
この写真集全体が、いわば、2つのジャンプの写真で挟まれている訳だ。
タイトルページでは、海の水の中でジャンプし、空中に静止。そして、この背表紙は、芝生の上での着地。
もしかすると、この写真集全体が、一つの大いなる跳躍の軌跡なのかもしれない。
(実際には、タイの自然にはビビっていたかもしれないし、辛いものが食べられないのに、タイの料理は激辛が売りだったりして、色々と大変だったようなのだけれど)
(2007.12.14)
photo no.96
撮影一日目の最後の撮影場所となった、夕方の海辺が、写真集最後の一枚である、背表紙(カバー)を飾る。
パトンビーチの夕暮れ、もう日は落ちた頃だろうか。
絵里もカメラも海の中に入って立っている。
斜め後ろのカメラに向かって、右肩越しに体をひねり、カメラを振り返る絵里。
足元を海の波が洗っている。
一日の終わりと、写真集の終わりの、美しい重なりあい。
絵里との神聖な儀式の時間は、穏やかな幸福感に包まれて終了する……と、キレイに締めたいところだが、絵里の表情には、一日を終えた充実感だけではなく、疲労感にも似た、戸惑いのようなものが隠しようもなく浮かんでいる。その微妙に暗い表情は、「大人らしい女性」の演出でも何でもなく(いや、ひょっとすると本人はそのつもりでオスマシしているのかもしれないが)、絵里という個性の持つ、捉え難さ、理解し難さの現れであり、「アイドルのグラビア写真集」という通俗的概念を遥か彼方に置き去りにする、絵里の、あらゆる概念化を逃れた実在性の表現そのものなのである。
(写真集、終り)
(2007.12.14)
「暗さ」
この写真集を最初に見た時は、全体として、どこか寂しげな表情が印象的に思えた。笑顔ですら、陰を感じさせる。それは、絵里が昔見せていた「幸薄い」感じとも違う、見知らぬ「暗さ」だった。「南の楽園」での撮影ということからくる、浮かれた先入観をあっさり覆すような暗さ。
それは大人になること、少女時代からの決別の悲しさなのか。最初はそう思えた。少女時代という輝かしい季節の喪失。それがこの写真集には記録されているのか、と。
しかし、おそらくそうではないのだ。
絵里は大人になることを恐れてはいない。
絵里自身がメイキングで語っている。
なんか、いつもとぉ、違う景色で、ちがう全然違う環境で、雰囲気も全然ちがくて、すごい戸惑ってたんですけど
写真に捉えられたのは、その戸惑いだったらしい。
通いなれたハワイとは違う、タイ王国、プーケット島。南国のリゾートとはいえ、そこかしこに得体の知れぬアジアの底深さを感じさせる土地。その土地の発する独特の「気」に、絵里は戸惑いを感じていたのだろう。ヘタレで「びびりん」な絵里が、たかだか2日の日程で、初めての、いつもと全然違う環境に心底馴染むことなど、到底無理な話だったのだ。
だからこそ、アジアが否応なく露呈する野外での撮影では、どこかしら、表情に不安や緊張、かたさが感じられるのに対して、豪華なホテルの、外界から隔絶した西洋風の環境の中では、安心して寛いだ表情を作りやすかったのではないだろうか。
「少女と大人の境界線」
緊張感に満ちた環境のせいもあり、少女らしい元気な笑顔、普段の絵里が見せる、あの壊れたようなバカ笑いは、一切出ることがなかった。それは、少女らしさをすでに失った、ということでは無論ないけれども、この写真集をみる限りでは、絵里は「少女と大人の境界線」から一歩大人の女性の側に踏み出して、そこから、すでに乗り越えた境界線を振り返っているように見える。
しかし、絵里は、決して大人になることに脅えているわけではないのだ。少女らしさを失うことの喪失感に打ちひしがれている訳でもない。
絵里は、自分を変えようと決意してモーニング娘。となり、そうして努力して、自分を変えてきた。思いのままに、自分の信じる方向に向けて、自分を変えてきた。
少女から大人への変化と成長もまた、絵里は自分の望むように乗り越えていけるに違いない。
そして絵里が思い描く大人の女性は、おそらく少女性を喪失した存在ではなく、その存在の内部に少女性をたっぷりとたたえた存在であることだろう。
何も喪失などしない。
何も手放すことはないのだ。
かつて絵里のものであった汚れなき少女性は、今も、そしてこれからも絵里のものであり続ける。
だから絵里は、跨ぎ越してきた「境界線」を、悲しむことなく振り返り、穏やかな視線をそこに注ぐこともできるし、「そんな境界線ありましたっけ?」「絵里、跨いだ覚えないなあ、アハハ」と、とぼけながら、もっともっと先へと軽い足取りで歩いていくこともできる。
そして、この写真集に一瞬幻のように現れた「境界線」が、プーケットの水平線に沈む夕日とともに消え去ろうとする時、絵里は、惜しむことなく、悠然とそこから立ち去るだろう。
そう。失うものなど、何一つないのだから。
(終)
(追記)
実は、この総括は、写真集を見て間もなくの頃に下書きしてあったものです。だから、今となっては、あまりに昔の話にも思えます。
すでに、次の写真集5th『MAPLE』が発表されてからも、随分時間が経っています。
そこでも、絵里は、ますます大人っぽくなった18歳の少女の魅力を発揮しています。
でも、この総括で期待していた通り、絵里は、大人になっても、その子供らしい自由さ、荒唐無稽な魅力を、失うどころか、さらに進化させ続けています。
やはり、大人になることに脅える必要など、なかったわけです。
絵里ちゃんの19歳の誕生日が来るまえに、なんとか、一応『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』の感想文に、形をつけることが出来ました。
まだまだ書きたりない部分もありますが、それはまた、別の形で書くことになろうかと思います。
(謝辞)
拙い詩の英訳作業に協力してくださったm15fightingconconさんに、心から感謝します。
そして、この長ったらしい駄文に感想を下さった皆さんにも感謝します。
ありがとうございました。
(完:2007.12.14)
■プーケットの市場にて、肩を露出した赤いキャミ風の服。
「こんにちはぁ、亀井絵里、です! 写真集の撮影で、わたしはタイのプーケットに来てまーす! じゃーん! 18歳になったわたしなんですけど、あの、可愛い、こう格好して、可愛い表情だったり、18歳になって、ちょっぴり大人っぽい表情だったり、いろんな衣装を着たので、ぜひ、見てください。それでは、メイキング、スタートぉ!」
(両手でVサイン。拍手)
カメラに近づいて、両手を頬にあて、パチン!とウィンクして、「見て!」
と囁く。
(タイトル『ラブハロ!亀井絵里making』)
■ロケバスのドアを開けて登場。濃いディープピンクの生地に水色と黄色の斜めストライプが入ったビキニ。その上にオレンジ色のバスタオル。
「じゃーん!」
といってタオルを取る。「ピンクの水着でーす。可愛いですかぁ? ピンクの水着を着れるとテンションがあがるので、嬉しいです。頑張ります!」
(拳を握って、腕を振る)
(撮影風景)(赤い車と)(大きな浮玉?のついたロープにぶらさがって)
■朱色のタンクトップに、カーキ色のだぶだぶズボン。緑色のビーチサンダル。
■上から順にエメラルドグリーン・白・オレンジと三色のビキニブラ。下はオレンジ一色。
「え、今回は自分のテーマカラーのオレンジと! ……はい。あのー。あのテーマカラーだったので、ちょっと嬉しいです。あのー、すごい、この水着似合ってるよ、って言ってもらえて(んー)(?)嬉しかったです。楽しみにしててください」
と言って、恥ずかしそうに笑い、両手で顔を隠して後ろを向く。でも、カメラにお尻を向けているともっと恥ずかしいことに気がついて、クルッ! と前に向き直る。
(海岸の木陰で撮影。波打ち際に、ペタッと座って、波しぶきを浴びながら撮影)
■(大きな岩の前にて)濃い藍色のビキニ。チューブブラで、後ろはリボンしばり。裏地(あるいは縁飾り?)はエメラルドグリーン。首もとで細いストラップをバッテンにクロスさせている。(表紙を飾った水着)
恥ずかしそうに、両腕を胸の前で交差させたり、二の腕をさすったり、ブラをつまんで直したり。
「えっとー、しっとりとした、しっとりとした感じで」
(首もとを触りながら)「ここのヒモはね、あの、すごいみんなで工夫して、どうしよう、っていうことでバッテンにして、今日は、やってみたんですけどぉ。どうですか? 似合ってますか?」
(この大人っぽいセクシーな水着で撮影)(コテージの木の柱に抱きついて、セクシーにカメラを見つめたりする)
「あんまり普段しない表情…だったのでぇ、あ、自分こんな表情するんだ、と思ったし、みんなに見られるのが、ちょっと恥ずかしかったです(笑)」
■白いサマードレスの上にオレンジ色のバスタオルを羽織って。歩きながらカメラに手招き。
「にゃーん!」
と、カメラに爪を見せる。爪先の3ミリ程がピンク色に塗ってある。「これは、写真集用に、作りましたぁ。何の衣装でも合うように、シンプルに、好きなピンク色を爪先に塗って、写真集用につく…タイバージョンです」
■夕方。白いサマードレス。夕日が沈みかけたビーチで撮影。
「やー、こんなに時間があっというまに過ぎるとは思わなくて。なんかぁ、すごい、すごいなんか、色々ポーズとかも、今までにないような感じのポーズだったりとか、なんか色々勉強になったし、とても自然な表情で撮れたと思います。明日もこの調子で、もっともっといい表情して、頑張りたいと思います。お疲れ様でした。お休みなさーい」
■翌日の朝。ホテルの部屋にて。淡いオフピンクのTシャツを着て。首もとを手で軽く掻きながら。
「ンフお早うございまーす。今日は撮影で、朝食を食べます、だから朝から何も食べてませーん。今結構もうお腹が、s空いてまーす」
と、カメラを見る目の表情が、空腹のせいかちょっと不機嫌っぽい感じで。そこが可愛い。
「メイクしてるときに、お腹空いてぇ、お菓子食べようと思ったんですけどぉ……」
ここで、悲しいことを思い出してでもいるような表情。
「あの……朝ご飯が出る、って聞いてから、お菓子我慢しました」
(もしかしてスタッフさんにストップかけられて、ムクレちゃったりとか、したのかな? と思わせる可愛らしさ)
「だから(笑)お腹空いてます」
「グーグーいう、お腹が」
いよいよ撮影の準備開始。
目の前にフルーツの大皿が運ばれてくる、パパイヤ、マンゴー、スイカ、バナナなどがてんこ盛り。
「フルーツ一杯です、朝から」
わくわくした表情。
「早く食べたいなー」
ところが撮影準備で15分待たされ、さらに5分待たされ……すっかりテンションが下がるえりりん。ようやく食べられたえりりんは、美味しいというより、お腹にものを入れられてホッとしたような笑顔。
つまんだフルーツの匂いを嗅ぎ、
「んー何コレ? これ何だろ」
といいつつ食べてみる(パパイヤ? マンゴー?)
「んー、美味しいっ!」
…ちょっとウソっぽい(笑)。
■部屋で『CULTURESHOCK』という洋書(タイの習慣について解説した本?)を読むフリをするえりりん。
■水着に着替えて、野外へ。頭はパイナップルしばり。シンプルなピンクの水着。腰ひもにあたる部分が金色のリングになっている。
「じゃーん! ピンクの水着、2個めですね。わたしが着たい着たい、って言ってたピンクの水着が2枚も着れました」
くるくると一回転してみせて、「どーですかっ?」
(公園の芝生の上で撮影)
■水着のうえに、黄色いTシャツを重ね、デニムの短パンを履いて、雲梯(ウンテイ)に挑戦する。2度3度進むが、あえなく墜落(笑)
■襟のついた白い半袖のポロシャツに、チェックのミニスカート。髪はまっすぐに下ろして、ちょっと古風な女学生風。街角と建物のなかで撮影。
■象乗り場?にて撮影。青いタンクトップにダークグリーンのズボン。「あー、すごーい。ホントだ、象さんだ」
象さんをケータイの付属カメラで撮影するえりりん。「いやー、こわーい、撮ったぁ。鼻だけ撮ってみました。恐かった」
■最後のロケ地。市場。朱色のキャミ風の服。青いデニムのミニスカート。左耳のうえに大きな花の飾り。
「すごーい。みんな食べてるなあ」
☆店から道路の反対側の店へと渡してある「つりさわ」(?)に手をかけて撮影する。店のなかでも撮影。
「お疲れ様でしたー。二日間の写真集の撮影が終わりました。」
(拍手)「いやもう、すごい、楽しくてですねぇ、なんか、いつもとぉ、違う景色で、ちがう全然違う環境で、雰囲気も全然ちがくて、すごい戸惑ってたんですけど、なんか、馴れてくとぉ、えー、こんなところあるのぉ? みたいな。象さんとか、ほんとビックリして。なんか、色々タイのことを知れて、すごいなんかこう、楽しい、いい表情が出来た写真集に、なんかビックリしたら驚いた表情だったりとか、すごーいと思ったら、すごい表情してたりとか、いろんな表情があると思うので……たくさん見てください! 写真集、いっぱい見てください! お疲れ様でした。ありがとうございました。バイバーイ」
(2007.3.07初出)