La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux
ハッピーサマーウェディングの中澤裕子の台詞について
モーニング娘。の9thシングル『ハッピーサマーウェディング』('00/5)には中澤裕子の有名なセリフがある。
この曲は初めて自分が前に出られた曲。
「結婚します」
これを言えるのは中澤しかいないってもらえた台詞。嬉しかったよ。
中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』より(p211)
リーダーだからということではなく、年齢が一番だから(当時27歳)ということでもなく、大人のシチュエーションを無理なく表現しうる力量が評価されての起用。
紹介します
証券会社に勤めている杉本さん
背はまあ低いほうだけど、優しい人
お父さんと一緒で釣りが趣味なの
だってお父さんが
釣り好きの人に悪い人はいないって言ってたし
ね お父さん
『ハッピーサマーウェディング』(作詞作曲:つんく♂)
このセリフには、これから結婚しようという相手を初めて父親に紹介するときの、意気込み、緊張が表現されている。そして、彼のことを何とかして父親に気に入ってもらいたい、という切実な願いが。特に、「だってお父さんが」
に続く理由の、根拠の薄弱さ、無理のあるこじつけ感が、「もう是が非でもお父さんに気に入ってほしいの」という気持ちのリアリティを高めている。
このせりふをプロデューサーつんく♂は、事前に手渡すことなく、レコーディングブースの中で、中澤裕子に一言づつ直に口伝している。(ASAYAN「ハピサマREC徹底公開SP」参照)
「父さんが2メートルくらい向こうで、ちょっと背中を向けているような感じ」
「中澤の……例えば、本当に大切な人が出来ました……その人を、本当にお父さんに紹介するっていうか、改めてね、日曜の夕方にでも、なんか、なんかかしこまった感じで、ちゃんと言わなあかんなー、と思って言う感じ」
中澤に対して、そうつんく♂は台詞の背景を解説している。
その時の中澤の心境はどのようなものだったのだろうか。想像するにあまりある。
何故なら、中澤裕子は6歳で父親を亡くしているからだ。
これから結婚しようとする最愛の彼氏を、緊張しながら父親に紹介する。そのような晴れがましい経験を中澤裕子本人はすることが出来ない。
そのような事態は、中澤自身の身には決して起らないのだ。
それどころか、中澤自身は物心ついて以来、大人として、父親と言葉を交わした経験すらない。中澤は、父親との会話とはどういうものなのか、全くの想像で演じる他なかったはずなのだ。
そのセリフをつんく♂が、喋りはじめたときの中澤の心境。
羨望や、幼い頃の薄く霞のかかったような父親の記憶が脳裏をよぎったであろうか。
決して平常心ではなかったでろうことが容易に想像できる。
たとえ二十年近い歳月が流れていても、肉親の死という経験は心の中に痕跡として刻み込まれ、決して消えるものではないのだから。
もちろん本人は、つんく♂の意図するニュアンスをアーティストとして可能な限りうまく表現しようと努めたことだろう。しかしそのセリフに、そのセリフを口に出している自分の声に、自分自身の境遇が反響しないようにすることは不可能だったであろうと考える。
録音ブースでの様子を振返る。
「紹介します」
と二回いう中澤裕子は、何かをこらえているようにも思える。
「証券会社に勤めている杉本さん」
と、つんく♂が言ったとき、中澤は、
「その人が私の彼なんですか」
と楽しそうに笑い転げる。つんく♂はその笑いに対し、
「なんでやねん、真剣やないか」
と答える。だが中澤は、
「お父さんと一緒で釣りが趣味なの」
で再び笑ってしまう。単純に台詞が面白い、ということもあろう。
が、笑うことでしかやりすごせない何かが、胸の内になかっただろうか。
つんく♂のイメージする歌詞の中の若い女性は、なんとか、父親に彼を気に入ってほしい、という切実な気持ちを、たたみかけるようなテンポで表現しようとする。明るく快活な娘さん、という、まさにこの幸せに満ちた楽曲に相応しい表情に収まっている。
しかし、中澤裕子が表現した女性は違う。
決して、つんく♂の意図を掴み切れなかったわけではない。表現力が足りなかったわけではない。
だが、その声は、どこか虚ろに、心がここにないように聞える。
彼女は「不在の父」に向けて、早すぎる死別という痛ましい出来事の記憶とともに思い出の中に住まう父に向けて、天国に向けて、語りかけているようでもある。
録音ブースの中で、つんく♂に導かれながら、
「ね お父さん」
と、三度呼びかける中澤。
時には、優しく、時には明るく快活に声を張って、そして時にはちょっと甘えてみたり。だが、その声のニュアンスは、どれもが喪失の記憶と否応なしに結びついてしまう。それは、つんく♂が求めたニュートラル(普遍的な「若い女性」)な表現とは異なっていたはずだ。
その差異が、楽曲本来のイメージを損なっているのか、それとも、本来生まれなかったはずの不思議な力を付与しているのか、にわかに判断はできない。だが、私は後者であったのだと確信する。
あるいは、つんく♂は、中澤の境遇のことを知りつつ、そのことを意識しながらあえて彼女にこのセリフをあてたのであろうか。
せめて楽曲の中でだけでも、幸せな娘を演じさせたかった、という気持ちなのだろうか。
何時の日か、中澤裕子本人は、仏壇の前で、あるいは墓の前で、このセリフを繰り返すことになるのだろう。声に出さずに。心の中で。
「わたし、絶対に幸せになるからね」と付け加えながら。
参考資料:
テレビ東京「ASAYAN」
中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』
追記:
このセリフは中澤卒業後、次期リーダー飯田圭織が引き継いだ。
偉大な達成を受け継ぐ二代目は最初から不利な位置に立たされている。
誰が引き継いだとしても、オリジナルを越えるには圧倒的な困難が伴う。
だから、オリジナルを乗越えようとするのではなく、自分なりの表現を作り上げるしかなかったはずだ。
中澤の境遇を共有しない飯田にとっては、中澤の表現を模倣することは無意味である。表現の結果を模倣しても、そこには表現の根拠が存在しないからだ。模倣することなく、中澤に比肩する表現をするには、その台詞から中澤の痕跡を消し去るしかない。中澤個人があの台詞に塗り込めた父の記憶を削ぎ落し、つんく♂が本来求めていたであろうニュートラルな表現を、幸せな親娘の情景を、より忠実に描くこと。それがあり得べき戦略だったと思われる。
飯田は、はたしてそれを達成できたのだろうか。中澤の影から脱することができたのだろうか。
('04/1/12初出)
('04/7/07書式修正)
(2007.03.13修正&加筆)