La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux
聖地巡礼の記
2004年5月21日。紺野あさ美さんのお父様が経営するカクテルバーを訪れた。
それは紺野あさ美原理主義者たる私にとって唯一の聖地。
か弱き、迷える一信者による巡礼の一部始終を記録すべく、以下の文章を記す。
「CACKTAIL BAR NIGHT IN 紺野」訪問記
■ 目 次 ■
1、(読み流すべき)前史・その一 なれそめ
2、(読み流すべき)前史・その二 サイト開設前夜
3、(ようやく本論に近づいた)前史 巡礼に向けて
4、巡礼前夜
5、巡礼の日
6、聖地にて
7、カクテル「あさ美ちゃん」
8、最後の数分間
9、巡礼を終えて
2001年の初夏。
長期出張中の身であった私は、二ヶ月以上の間、投宿先の旅館と、そこから車で三十分以上離れた現場とを往復する毎日を送っていた。
重度の音楽依存症を患う私は、作業車の中で聴くためのカセットテープを数本持参していたが、それは椎名林檎の「無罪モラトリアム」以外はすべてクラシック音楽という極端な取り合わせだった。
現地で雇ったバイト君がクラシック音楽を好んで聞くとも思えず、気を利かせて「無罪」ばかりをかけていたのだが、数日後にはそれにも耐えられなくなったらしい。
バイト君が「何かカセット持って来ましょうか」と言い出した。
勤労意欲の湧かない現場の行き帰りに、気のすすまない音楽を聴くことになれば、一日一日をやりすごすことがますます苦痛になる。ありがた迷惑な話に困惑する私に、彼はさらに、
「あゆとかGLAYとかモーニング娘。とか、色々ありますよ」と言いつのった。
正直言って、ハマサキもGLAYも勘弁してほしい。しかし何故かモーニング娘。なら聞いてもいいと思えた。
「じゃ、モーニング娘。持って来て」
それが、果てしなく続くモーニング娘。天国へと続く、長い長い道への入口だと、その時は、気付こうはずもなかった。
しかし今にして思えば、その時「モーニング娘。なら聞いてもいい」と感じたのは、既にモーニング娘。に対して何らかの好感を抱いていた、ということの証でもある。
以前から、ラジオや街中で流れる「LOVEマシーン」や「恋のダンスサイト」を耳にして、妙な歌だな、面白いことをやっている集団があるな、ファンはえらく熱くなっているらしいな、くらいには思っていた。
ちょうどその頃は、モーニング娘。が世間では「黄金の9人体制」と呼ばれ、社会現象とまで言われ、老いも若きも猫も杓子もモーニング娘。に注目していた、そんな時代だった。
アイドルにはまったく、そしてJ−POPにもほとんど興味がなかった人間でさえ、「聴いてみてもいいかな」と思うほどの勢いが、モーニング娘。にはあった。
そして、作業車の中で、現場への往復の1時間(そして、後には昼休みの1時間も)『ベスト モーニング娘。1』を、一ヶ月以上の間、毎日ひたすら聴き続ける日々がはじまった。
そこで私を待ちうけていたのは、それぞれに個性的な、キラ星のような名曲の数々だった。
「真夏の光線」「DANCEするのだ!」「Say Year! −もっとミラクルナイト−」……そして、特に「ふるさと」に惹かれた。バイト君に「これ、誰が歌っているの」と尋ねて、それを歌っているのが「安倍なつみ」だと初めて知った。
旅館の部屋で、ノートの切れ端に、すっかり諳じてしまった「ふるさと」の歌詞を書き起し、夜、酒を飲みながら一人で歌った。
そして、私は、自分が急速にモーニング娘。に惹かれはじめていることを自覚した。
飲茶楼のオマケのチャチなキーホルダーを集めて、作業車の中に飾ったり、「ザ☆ピース」の金色の衣装でモーニング娘。が写っているコンビニのチラシを持ち帰って、旅館の部屋に飾り、それを眺めながら、酒を飲み、一人ひとりの名前を覚えていった。
そして、「LOVEオーディション21」を、同じ旅館のTVで観た。はじめて紺野あさ美さんを見た。彼女との遭遇。
最初から、彼女には強烈な印象があった。
もちろん丸顔の可愛らしさにみとれたことも、Tシャツの下で静かに自己主張している存在感のある胸に、つい眼が惹きつけられたことも隠そうとは思わない。
しかし、なによりも、その視線の強さ、どこか遠くを一心不乱に見つめているような瞳の力、その大きな眼の中で輝きを放っている強い意志の力が、私を、惹きつけて離さなかった。
そして、「何事にも頑張る姿を見てほしい」というあの言葉。
その時すでに、彼女の不思議な魅力は、確実に私の存在の奥深くまで根を張りはじめていた。
コンビニで、レジに出すのがためらわれる類いの雑誌を、モーニング娘。の記事読みたさに購入した。
そこに「紺野あさ美の父親が経営するカクテルバー探訪記」という内容の記事があった。
そして、その店の存在を知った。
札幌の中心にほど近い住宅街の中にあり、カクテルバーと言いながらも、カラオケも置いてあるような、こじんまりとした店らしい。
「自分がここを訪れるのは宿命なのだ」
などと思う訳もなく、そのときはただ、いつか行ってみたい、とボンヤリ思うだけだった。
その先の経過は決して平坦ではなかった。
その間にも、底知れないモーニング娘。の魅力にとらえられ、日増しにのめり込んでいく。
その後、訳あって職場を辞めた私は、家事、育児、就職に向けての勉強、そしてモーニング娘。漬けの日々を過ごしはじめた。
やがて転機が訪れた。
ネット初心者らしく、ネットをさまよって、紺野さんの愛くるしい画像を集めた。
2003年9月に「をたばん」という掲示板を作り、10月には、目的を決めずに確保してあったジオシティーズのwebスペースを使って、紺野さんへの愛を綴ることだけが目的のサイト「モー想系。」を立ち上げた。
それから先のことは、このサイトの過去ログに記録されている。
サイトを続けるうちに、私は紺野あさ美原理主義者を名乗るようになった。
紺野さんへの思いをひたすら綴る日々を過ごすうち、ふたたび、紺野さんのお父様のお店への関心が高まっていた。
そんなときだった。ネット上でお付合いさせていただいているとあるサイト(当時はまだ、かろうじて小川麻琴推しサイトであった)で、その記述を目にしたのだった。
即座にその店名でネットを検索すると、いくつかの遠征レポートが見つかり、それらを読むうちに、聖地巡礼への思いは、一層急速に高まっていった。
未だ実際に会ったことすらない白水君から「その時は是非連れて行ってください」との連絡をいただいたのは、その書込みをしてまもなくのことだった。
思いは募るものの、自由に呑みに出られるようなご身分ではない。いつになったらそのチャンスが訪れるのだろうか、虎視眈々と機会をうかがう日々が長く続いた。
* * *
物事はそうそう思うようには進まないものだ。
紺野さんへの思いが冷めたわけではない。
この悩みについては、ここでは深入りせず、別の機会に譲りたいと思う。
とにかくその時、これまでにないほどにテンションは下がっていた。
仮に今、紺野あさ美ソロ写真集やソロDVDが出版されたとしても、それを購入することなど、不可能だと思われた。一体、どんな顔をして、紺野さんの曇りない笑顔と、全てを見通しているようなあの澄んだ瞳と向き合えばいいというのか。
そんな淀んだ日々を鬱々と過ごしていた矢先であった。
『実は行きたい店があるのですが、そこでいいですか? 紺野パパの店なんですが。』とメールを送り、友人の快諾を得た。
急激に気持ちが高揚しはじめた。ついに、お父様に会える。
5月21日、金曜日。
午後4時半。
ショップを出て、旧友との待ち合わせ場所に着いたのが6時。しかし、わたしは大きな勘違いをしていた。待ち合わせは7時だったのだ。
お父様の店は今日、本当に営業しているのか、確認しておかねばならなかった。急に決まった巡礼なのでそれすら確認していなかったのだ。
はじめて、お父様と言葉を交わしたことに興奮していた。
電話が終ると、あとは旧友を待つだけだった。
* * *
旧友は変わっていなかった。
札幌市営地下鉄南北線澄川駅での、白水君との待ち合わせが、8:30PMの予定だったので、それまでは、旧友と二人、懐かしい思い出話に思う存分花を咲かせるつもりだったのだが、いつのまにやら、すっかり紺野さんモードに突入、可愛い、可愛い、と壊れた蓄音機のように同じ言葉を繰り返す。
旧友が、
旧友をすっかり置いてけぼりにして、一人テンパリはじめた頃、店を出て、澄川へ向かう。地下鉄に乗るのが面倒、ということで、タクシーを拾う。
澄川駅で白水君と落ち合った時点で、もうすっかり気が焦っていた。
早足で、店があるであろう方向に向かいながら、白水君と重要な打ち合わせを。
途中、青果店の店主に道を聞き、比較的スムーズに、ネット上で見覚えのあるビルを発見。この時点で、おそらく8:45頃だったろうか。時間が惜しい。思わず、恥も外聞もなく駆け足になるのだった。おそらく旧友は呆れていたことであろう。
エレベーターで三階に上がると、目の前が聖地だった。
少し落着いたところで、店の中を見渡す。予想以上に狭い。
しかし、カウンターの内側には、紺野あさ美さんのお父様がいるのだ。
女性店員さんに、オリジナルカクテルの説明を聞きながら、一杯目を注文した。
お父様がカクテルを作りはじめる。出来上がるのを待つ間、白水君と話。
買ってきたばかりの写真を取り出して、カウンターに置いた。
* * *
私の注文した「椿姫」を、お父様が目の前で、シェーカーからカクテルグラスに注ぎ、出してくれる。そこで、思い切って挨拶を。
「椿姫」はシソを使った、鮮やかな赤色が印象的なオリジナルカクテル。かなり甘口。シソの香りが強烈。情熱的で甘美というイメージ。
お酒が行き渡ったところで、ファンがメッセージを書き残すという噂のノートを出してくれた。
店は、ますます混んで、いつのまにか満員になっていた。入店できずに帰る人までいる状態で、女性店員さんも、こんな早い時間から混むのは珍しい、と言う。
私たちも二杯目を注文。私はドライマティーニ。ビーフィーター(ジン)とノイリー(ベルモット)で、とリクエストするが、これはどちらも定番の酒なので、実は言うまでもなかった。半可通の知識をひけらかすという恥ずかしい性癖が出てしまったのは、酔ってきた証拠。
白水君の二杯目はマスターに勧められて、「シーブリーズ」
さすがに心配になり、白水君に「酔っていないか」と声をかけた。
* * *
二杯目を愉しみながら、件のノートに書込みを開始する。一番手を無理矢理白水君に押しつける。そして彼が書きあげたメッセージを一瞥、「ほおおおぅ」と冷ややかな声を掛けて差し上げ、それから猛然と自分のメッセージを書き出した。
替え歌を見た白水君が、これはスゴイ、これはスゴイ、と言いだした。
* * *
酩酊がますます深くなり、酔っぱらいのわたしは、白水君にからんで、妙な先輩風を吹かせはじめた。旧友には「昔と変わっていない」と言われる始末。
終電に乗るには、あと30分ほどで店を出なければならない、という時間になり、私はいよいよ焦っていた。
しかし、帰り支度をしなければならない時間が迫っているのだった。
お父様が女性店員さんに、フレッシュオレンジを、と指示する。他の酒を後回しにして、取り掛かってくれた様子。本当に申し訳なかった。
お父様が、シェーカーを振り終え、目の前のグラスに「あさ美ちゃん」を注ぐ。(読み流すべき)前史・その二 サイト開設前夜
ライブやその他のDVDを買いはじめたのもこの頃からだった。
だが、新たに加入した五期メンは、なかなかメディアに姿を現さなかったし、姿を現した後も、その魅力を順調に打ち出して行ったとは、お世辞にも言えなかった。
その頃、圧倒的に目を惹いたのは、加護ちゃんの愛くるしさであり、吉澤さんの美少女ぶりであり、矢口さんの利発さや芸達者ぶりであり……五期メンの存在は、彼女たちの圧倒的な魅力の陰に埋もれがちだった。
「13人がかりのクリスマスSP」や「モーニング・タウン」(ただしDVD)での活躍を目にして、自分の中での紺野あさ美熱が再び高まりはじめた。
その巡回先でめぐり会ったとあるサイトが、モーヲタテキストサイトとの出会いだった。
その時までモーヲタテキストサイトの存在自体をよく知らなかった。そういうものもあるらしい程度の認識。
そして、なんとはなしに、ファンサイトを運営している人間というのは、余程イっちゃってる人間か、道を踏み外した人間か、とにかく自分とは住む世界が違う人間なのであろう、と感じていた。
しかしそのサイトを読み込むうち、どんどんテキストサイトへの興味が生まれ、リンク先のサイトを覗いてみたりもするようになった。
そして、気がつけば、自分も紺野さんへの愛を綴るサイトを作りたいという思いに囚われはじめていたのだった。
テキサイ界がどのような世界かも知らず、そこにどんな恐るべきテキストが蓄積されているのかもしらず、何のスキルもなく、知合いもなく、もちろん空気も読まず、方針も定めず、ただひたすら思いのままに、徒手空拳でモー想を書き連ねる日々が始まった。
五里霧中だった、あの頃。
(ようやく本論に近づいた)前史 巡礼に向けて
(原理主義の意義についてはここでは多くを語らないが、誤解を避けるために注記すれば、それはいわゆる「推しメンさえよければ他はどうでもいい」という意味での原理主義とはまったく異なるものなのである。)
そして同時に、自分のことを「紺野さんの心のお父さん」と位置付けはじめた。彼女を応援する気持ちや、愛のありかたは、いよいよはっきりしてきた。
しかし、店名も分からず、札幌市の電話帳をめくってもそれらしき名前も載っていなかった。
あの古い記事の記憶をたどり、「たしかお父様は北海道バーテンダー協会の役員をなさっていたはず」と思い、その関連のキーワードでネットを探っても、やはり肝腎の店には辿り着けなかった。
オフ会で会った人がその店を訪れた、という話。
「紺野あさ美」という名のカクテルのこと。
雲を掴むように不明瞭で、具体的な予定もなかった聖地巡礼が、にわかに身近なものとして我が身に迫って来た。それは「あり得ること」である以上に、すでに「なすべきこと」であった。
焦りにも似た思いに突き動かされるようにして、メールフォームに「行ってみたいので店名を教えていただけませんか」と書き送った。
そして、待つこと数日。
届いた返事には、店名、住所、ビル名まで、丁寧に記載されていた。
そして、このサイトの中に、聖地巡礼の計画を書込んだ。(3月12日)
チャンスが訪れるのを待っているうち、今度は自分の内側から危機が迫っていた。
中澤さんのことで頭が一杯になり、気持ちが離れた、ということでもない。
テンションが下がった原因は、むしろ、紺野さんがとても多くの人から愛されている、という事実そのものだった。
さまざまな想いを抱いた人々が、さまざまな愛し方で紺野さんを愛しているのだった。しかも、熱烈に。
そして紺野さんへの思いを綴る様々な記述がネット上に溢れていた。その中には、紺野さん自身が読んで、心から元気づけられるだろう記述もあれば、そうとばかりも言えない記述、彼女を傷つけるだろう記述、悲しませるだろう記述もあった。あるどころか、それらの吐き気を催させる記述はいたるところに溢れ返っていたのだ。
そのようなネット空間の中で、自分もまた紺野さんへの個人的な愛を語り続けていくことに疑問を感じずにはいられなかった。
サイト運営についての悩みが、紺野さんへの思いそのものにまで影響を及ぼしていた。
今思えば、本末転倒としか言えない。しかしあの時、それは深刻で切実な悩みだったのだ。
自分が紺野さんを(我が心の娘を!)裏切っていると感じ、罪悪感すら覚えていた。
そして、ひたすら愛を綴り続けた半年間を、自ら否定しようとしている自分に愕然としてもいたのだった。
そしてもちろん、あまりに申し訳なくて、お父様に会いに行くことなどもってのほかだと思われた。
巡礼前夜
機会は突然訪れた。
5月20日。
旧友から携帯にメールが届いた。出張で札幌に向かっているという。二三日は札幌にいる予定だと言う。
旧友との数年ぶりの再会。それは夜、妻子を置いて家を空けることが許される、この上なくまっとうな理由だった。
そして急遽、明日の夜一緒に飲む約束をした。
そこで、突如沸き起こった思いが「このチャンスを逃してはならない」というものだった。明日行かなければ、きっと一生行くことなく終る……そんな無根拠な確信があった。
白水君が「行く時はぜひ誘ってください」というメールをくれていたことを思い出した。
しかし、旧友との数年ぶりの再会だ。
私は少しだけ躊躇した。
が、やはり、彼に黙って聖地を訪れる訳にはいかなかった。私は、聖地を訪れるにあたって気持ちの上で少しでも禍根を残すようなことをしたくなかったのだ。私は自分の巡礼を自分にとって最高の体験にしたかった。
白水君に誘いのメールを出すと、すぐに返事が来た。「ぜひ連れて行ってください」と。
それから、旧友に「若いモーヲタを一人連れて行きたいのですが」というメールを出し、了承を得、その後も数度のメールのやり取りを繰り返しながら、明日の予定を詰めて行った。
巡礼の日
その日は小雨が降っていた。
朝から、努めて冷静に、普段通りの日課をこなした。
午後二時からは「気ままにクラシック」を聴いて、中澤さんが今日も元気であることに感謝し、今日も投稿メールが読まれなかったことに、いつも通り少しだけ肩を落した。
日課が終った。
残りの時間は、すべて紺野あさ美さんに捧げる聖なる時間となった。
顔を洗い、もう一度髭を剃り、出来るだけ小奇麗な服装に着替えて家を出た。
雨に濡れ、薄暗くうずくまる景色を車窓から眺めながらも、気持ちはいよいよ高揚していた。
5時45分頃、札幌に到着。まっすぐハロプロショップ札幌店に向かった。
今までに、数度足を踏み入れたことはあったが、それは、娘。たちの舞台衣装を見るためだけの訪問で、グッズを買ったことはなかった。娘。の生写真を家庭に持ち帰るのは、ここには記し得ない理由で、憚られるのだった。
しかし、今日は気持ちをより高めるために、紺野さんの写真を三枚購入した。
ステージ写真二枚(さくら組の衣装で笑っている写真と、グレイのノースリーブの衣装で凛々しく一点を見つめている写真)と、スタジオ写真一枚(浪漫の衣装)。
中澤さんのソウルツアーの写真を一枚買ったことは、ここで報告するには及ぶまい。
とりあえず、『着いてしまった』というメールを入れると、手持ちぶさたになった。
やはり、電話帳では番号を探すことができなかったが、NTTの番号案内で店名を告げるとすんなり教えて貰うことができた。
馬齢を重ねたせいで、多少のことでは動じなくなっているとはいえ、
『はい。ナイトイン紺野です』
という声が受話器から聞えてきたときには、さすがに緊張した。それは、間違いなくお父様の声だった。
「おそれいります。今日はそちらは営業されてますか」
『もちろんやっておりますが』
それだけ確認すれば用は足りたのだが、電話を切るのが惜しいような気がした。もっと言葉を交わしたかった。
「あのー、今日は混みそうですか?」
これは、考えてみれば随分と失礼で、かつ答えづらい質問である。
『いやー、今日はこっちは雨降ってますしねえ』
「あー、ですよねえ」
混まなそう、という感触の答えにわたしは内心喜んでいた。すいていればそれだけお父様の話を聞ける可能性が高まるからだ。
『前に来られた方ですか?』
「いえ。初めてなんですけど」
『道外の方ですか?』
やはり、遠方からわざわざ訪ねてくる紺野さんファンは相当に多いようで、こういう電話にも慣れているのであろう、と思われた。
「いえ、××です」
割と近い町に住んでいるので、正直にそう答えた。
『あー』
近いですね、とも、遠いですね、とも言いづらい微妙なニュアンスの嘆息。
「8時半頃行きたいと思いますので」
『そうですか。お待ちしています。気をつけていらしてください』
そう言葉を交わして電話を置いた。
なにしろ、あの紺野あさ美さんを生み育てた人なのだ。女神の父、ある意味ゴッドファーザーなのだ。
声の感じが、落ちついていて親切そうだったので、わたしはホッとした。
事前に読んだレポートでも「お父様は紳士」という評ばかりだったので、心配はしていなかったが、実際に声を聞くと、ほんとうにいい人らしく思え、やはり嬉しかった。
ともあれ、ススキノから離れた住宅街の中にあり、それほど有名店という訳でもない小さな店に、わざわざ市外から訪れるということだけで、娘さんのファンであることは既に告白したも同然であり、それだけでも、一つ肩の荷が下りたように感じていた。
鞄からデリダの『グラマトロジーについて』を取り出し、続きから読もうとしたが、目は同じ行を何度もなぞるばかりで、一向に言葉は頭に入ってこなかった。
この状況で、聖地巡礼以外のことを考えようとするのが、そもそも間違っているとしか言えない。
今思えば、旧友にはつくづく申し訳ないことなのだが。
が、久々に繰り出した札幌の街は少々変わっていた。お目当ての居酒屋もなくなっていた。
その後、飛び込みで入った某居酒屋チェーン店で久闊を叙しつつ、腹ごしらえをした。
ビールジョッキをあおりながら、彼は仕事上の真面目な愚痴、私はモーヲタサイト運営についてのたわいのない愚痴を言い合う。国際情勢や景気の動向を論じ合うことなどはもちろんなく。かといって思い出話に懐古的になるわけでもなく。あの頃のように、芸術論を戦わせることもなく。
しかし、喋っているうちに、気分だけはすっかり大学時代に戻っていた。
私は、紺野さんの写真を鞄から取り出して、旧友に見せびらかした。そういう振舞い自体が、まるで大学時代に戻ったようだった。
そのあたりから、空気が変わってきた。
すでに、傍から見たらおかしな人としか思えないくらいテンションが上がっていた。
酔っているわけでもないのに、36歳の妻帯者に向かって、16歳の美少女の写真を見せつけて「可愛いでしょ? ね? 可愛いでしょ?」と言い募る35歳妻子持ちの図。これをキショいと呼ばずして何をキショいと呼ぶのだろうか。
我が旧友はきっと呆れ果てていたことと思う。彼は非ヲタであるから。本当に、申しわけない状態なのだが、それを気にする余裕もないくらい、私は舞い上がっていた。
「今日はどういう作戦で?」
と訊いてきた。
「とりあえず店のメニュー全制覇?」
「いや、違うんだよ。飲むのが目的じゃなくて、紺野さんのお父様に会いに行くんだよ」と、これまたイタすぎる返事をする。
「『ファンです』とか、正直に言うの?」
「もちろんです」
それを伝えずに何を伝えるというのか。
ちなみに今回の作戦は、名付けるならば「徹底ノープラン作戦。別名:全部ガチンコ正直自己申告作戦。作戦コード名:おじゃまる」なのである。そう、プリティポーズ対決に挑むおじゃまるのように、ガチンコ、しかもノープランで勝負に挑むのである。いや、何の勝負なのかはよく分からないのだが。
これが失敗だった。道が混んでいて、なかなか目的地につかない。
白水君から携帯メールが届く。「少し遅れるかも」
私が出した返事は「だめ。おいら時間ないの」。続けて「どのくらい遅れそう?」
すると、「今駅に着きました。どこにいます?」
(タクシーの中だよ……とほほ)
人に遅れてはいけない、と言いつつ、自分は遅刻するという、このダメ人間ぶり。白水君には本当に申し訳ないことをした。
タクシーも失敗だったが、澄川集合が8:30という時間設定もそもそも問題であった。
旧友ともゆっくり喋りたい、という考慮の結果ではあったのだが、バーで喋れば済む話だった、今思えば。
最終電車を逃せない立場上、10:45あたりがタイムリミット。
それまでの一瞬一瞬がこのうえなく貴重な時間となる。
今日は18歳モードで行くのか、20歳モードで行くのか、と尋ねる。
この時点では、大人しく「ノンアルコールで」と言っていたのだが。
私は「18歳なら別にいいんじゃないの」とは言えない頭の固い人間なので、その返事にちょっと安堵した。
聖地にて
店の扉は開け放たれていた。
(そのせいで、「トムクルーズの店」と現在でも書かれているのか、確認し損ねてしまった。)
店内に入ると、女性店員さんが「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれる。
「お電話下さった方ですか」
「はい」
そして、席はBOXがいいか、カウンターがいいかと尋ねられる。お父様の話を聞きたくてやってきたのだから、もちろんカウンターがいい。しかし予想に反してお客さんが大勢いて、店は混んでいた。
幸いなことにカウンターの奥側の端が3席分空いていたので、そこに座ることに。
「みなさん、××からいらしたんですか」
「いえ。こっち(旧友)が○○で、こっち(白水君)が△△。僕だけ××」
すると、旧友の住む○○から来る常連さん(なっちファン)がいる、という話になり、しかもその人は、旧友の知合いでもあることが判明。世間は狭い。女性店員さんと旧友は、その知合いの常連さんの話で盛り上がりはじめた。
私はほっとした。肩肘張らずにくつろげる雰囲気。オシャレ過ぎず、かえって落着くことが出来る。
その居心地のいい雰囲気、初めて来たのに落ち着ける温かい感じは、きっとお父様の人柄の顕れでもあるのだろう。
そういう、人をほっとさせる、人懐っこいムードには、どこかしら、あさ美ちゃんと共通性があるような気もする。
「おすすめオリジナルカクテル」や「人気カクテルトップ10」の掲示物が、パソコンで自作したらしいものだったり。
少し雑然としたバックバーだったり。
地元の常連さんの需要があるのか、通信カラオケの設備もあるような、そんなお店。
そして、店内を見渡す限りでは、紺野あさ美を思わせるものは何もなく、ごく普通のカクテルバーだった。
チェック柄のチョッキを着て、きちんと蝶タイを締めている。年相応の風格、というか、長年バーテンダーとして店を切り盛りしてきた人間の、仕事人としての貫禄を感じた。
しかし、決してよそよそしい感じはなくて、挨拶を交わした時の笑顔は人の気をそらさない、感じのいい笑顔だった。
その時の私は、きっと場違いなお見合いの席に来てしまった、とっちゃん坊やみたいな顔をしていたと思う。
ここで、白水君が暴走し、「やっぱり飲む」と言いだした。
ちょっと心配ではあるものの、せっかく盛り上がっている気分に水を差すのも悪い。彼を信じて任せることにする。
彼はモーニング娘。のコンサートに行ってきたばかりで、自分のサイトにレポートを書いていたので、その話をする。
ボードへの反応がすごくよくて14人中10人がボードを見てくれた、など。すると、お父様が、
「ボード出すってことはいい席だったんですね、前の方の」
と反応してくれた。当然だが、コンサートの様子はよく御存知の様子だった。
目の前に座っている客がモーニング娘。のファンであると分かっても、とりたてて特別扱いするわけでもなく、ごく自然に接してくれ、モーニング娘。の話も、普通の話題として受け止めてくれるのが嬉しかった。
しかし、私はとにかく緊張していたので、うまく会話を続けることが出来ないのだった。
白水君が、コンサートでレスを貰った自慢話を続ける。私が、
「サイトに『ミキティがすごく睨むのでコワイ』ってことばっかり書いてたよね」と言うと、お父様と女性店員さんが笑った。私が、
「彼女はそれがカッコイイんだから」と続けると、お父様が、
「そうですそうです」と同意してくれる。
今反省してもしかたないのだが、ここからいくらでも話は膨らんだことだろう。しかし、緊張が頂点に達していた私は、未だお父様の顔を直視するのもためらうような状態で、下を向いたまま、
「だって、ミキティはそういう顔なんだから仕方がないでしょ」と、不適切きわまるオチをつけるのだった。もちろん誰一人笑わず。
「テンション高めるために買って来ました」
と言って、お父様のほうを見ると、カクテルを作りながら、こちらを見て微笑んでくれた。
白水君が「何やってるんですか。そこまでするんですか」と呆れていた。
立ち上がってお辞儀をし、
「娘さんのファンです。ファンサイトやってます。サイトでは、勝手に『心のお父さん』とか名乗っています。ごめんなさい」
と、一気に喋る。
いい歳してファンサイトなんかやってるのもどうなのか、と弱気なことを呟いていると、お父様が、
店に来てくれたファンの中には60すぎの方もいらっしゃいますよ、とフォローしてくれる。ちなみにその方は、お孫さんを喜ばせようとしてネットを調べているうちに、自分がファンになってしまったそうだ。
旧友が頼んだのは、「N43」というオリジナルカクテル。ちなみに北海道の緯度が北緯43度。味見させてもらったら、強くて男らしい味だった。アルコール度が高くて、それが北国の冬の厳しさを連想させるような気がした。
白水君には、おすすめのカクテル「さくら さくら」が運ばれてきた。桜リキュールとヨーグルトリキュールを使った、ジンベースのお酒。
(参考:「さくら さくら」
【使用グラス】カクテルグラス【技法】SHAKE【副材料】ライムピール、マラスキーノチェリー
【使用材料】ゴードン7/12、クレームドぺシェ2/12、サクラリキュール2/12、レモンジュース1/12
お父様のレシピがこの通りかどうかは不明)
「名前を書いて行ってください」と。
飲みつつ、あちこちの書込みに目を通す。誰もが、熱心に熱い思いを書込んでいた。小さなノートに込められたむせ返るような熱気。ショップで買った生写真を貼っている人も多い。白水君によると、貴重な限定物のトレカもあったようだ。
お父様は、急がしそうに注文されたカクテルを作り続けている。到底、しつこくあさ美ちゃん情報を聞き出せるような状況ではない。
お父様は、慣れた手つきでテキパキとお酒を作り続けながら、お客さん全員に気を配り、終始にこやかに話し続けていた。
(参考:マティーニ
【使用グラス】カクテルグラス【技法】STIR【副材料】レモンピール、スタッフドオリーブ
【使用材料】ドライジン3/4、ドライベルモット1/4
お父様のレシピがこの通りかどうかは不明)
(参考:シー・ブリーズ(Sea Breeze)
【使用グラス】氷入りオールドファッションドグラス【技法】SHAKE
【使用材料】ウオッカ1/3、クランベリージュース1/3、グレープフルーツジュース1/3
お父様のレシピがこの通りかどうかは不明)
白水君から横取りして味見。実に爽やかで、まさに夏の海を吹き抜ける風のよう。
ここで旧友が、名采配を振るった。旧友(36)の保護者として私(35)を、そして私の保護者には白水君(18)を任命。白水君は酔いつぶれた私を連れて帰らなければならないという責務を負わされたので、論理必然的につぶれることが出来なくなった訳だ。これで問題はすべて解決。さすが旧友である。大学時代も、飲むたびにこんなことやってなあ、と懐かしく思い出す。
酔いが回ってきたのか、旧友氏は私が大学時代に好きだった女性(すべて儚い片思い)の名前を列挙するという悪逆非道の振舞いに出たりもしたのだが、残念ながら、彼女らのことを知っている人間はここには誰もいないのだった。
これについては反撃はいくらでも出来たのだが、なにしろ頭の中はコンノさんコンノさんコンノさんで一杯だったので、完全に黙殺してしまった。申し訳ない。お詫びに、今ここで、旧友がかつてちょっかいを出していた女性の名前を列挙しておく……のは止めておく。武士の情けだ。
この時点で相当酔っていたので、旧友の二杯目は残念ながら名前を覚えていない。
たしかカタカナ4文字の名前のオリジナルカクテルだった。
これも、力強くすっきりとした味わいだった。
味と色だけは覚えているという不思議。
ところが、酩酊が度を越しており、手も頭もまるで思うように動かない。必死で脳神経と運動神経を奮い立たせ、文字を書き込むが、どうみても酔っぱらいの戯れ言にしか見えないのが自分でも分かった。誤字脱字のオンパレードだったに違いない。
それでもなんとか、紺野さんへの感謝の気持ちと、自分のサイト名と、12月に作った「晴れ 雨 のち スキ」の替え歌を書込み、ダイエットはあまり無理をしないで、と書き添えた。
「なんだ、過去ログ読んでなかったの?」
と皮肉を言ったが、私も彼のテキストを普段読んでいないので、人のことは言えないのだった。
しかし、褒められれば素直に浮かれる私は、調子に乗って、その場で自作の替え歌を歌いだすという醜態まで晒してしまったのだった。
そして、カウンターに置いたオフィシャル写真の、こんこんの右脇の下のやや背中よりの部分を指差して、
「ここにホクロがあるんですよ」
などと、どう考えてもお父様の前で話題にすべきではないようなことまで言い出す始末。
「ちなみに中澤さんは、右肩のここのところにホクロがあるんですよ」
恥の多い人生を送ってきた私は、今も、そしてこれからも恥の多い人生を送りつづける予定だが、それもこれも、すべて酒のせいだということにしておきたい。
カクテル「あさ美ちゃん」
お父様はまったく手を休めることなくお酒を作り続けている。とても、ゆっくり話を聞ける状態ではない。
それに肝腎の「紺野あさ美をイメージしたカクテル」をまだ飲んでいない。
お父様は娘への思いを一体どんなカクテルに託しているのだろうか。それをこの目で、この舌で確かめたい。確かめたいのだが、実際に注文するのは照れくさいというか、恥ずかしいというか、少し覚悟が必要なのだった。
しかしやはりこれを飲まずには帰れない。文字どおり酒の力を借りて、努めて冷静に、
「紺野あさ美さんをイメージしたカクテルを」
と女性店員さんに注文する。注文を受けた彼女は、
「マスター、『あさ美ちゃん』です」
と。慣れた口調でお父様に伝える。
白水君が驚く。
「そんなものあるんですか」
「あるんです」
「知ってたならどうして最初から頼まないんですか!?」
そんなヲタヲタしい注文を最初からするのは、到底無理というものだ。次に行った時には真っ先に頼みたいと思うけれども。
「固定したレシピがあるのですか?」
と女性店員さんに聞くと、彼女は、
「レシピって固定ですよね」
とお父様に確認する。答えは、
「いや。固定はしていない」
私が、「その日の気分で変化するのですか?」と聞くと、
「そうです」
との答え。今日は、どんな気分で、どんなカクテルを出してくれるのだろうか。期待が高まる。
だが、注文された酒を順番に作っていくので、「あさ美ちゃん」にはなかなか取り掛かる気配はない。気持ちばかりが焦る。
時計を気にしていたら、女性店員さんが、
「11時くらいまで大丈夫ですか」と訊いてくれた。終電の時間があるので、と言うと、彼女は気をつかって、お父様にそのことを伝えてくれた。彼女に感謝。
女性店員さんが「いつものですね」と答えた。
レシピは固定ではない、と言いながらも、ある程度パターンは確立されているらしい。おそらく時間のない時はいつも通りに作り、余裕のある日は、客の好みなども考えながらあれこれと工夫してくれるのではないだろうか。
「なんだか急がせちゃったようでごめんなさい」
「いえいえ」
キレイな淡いオレンジ色の液体が少し泡だちながら、カクテルグラスを満たしていく。柔らかく優しい印象のオレンジ色。
レシピは、ジンがベースで、フレッシュオレンジジュースとピーチリキュール。という説明だった。
「これが『あさ美ちゃん』か……」
緊張しながら一口飲む。
最初、オレンジの爽やかさがあり、それから、桃の甘い香りが口の中に広がる。そのあとジン特有のちょっと癖のある苦味が。思っていたより度数は高い。
フレッシュオレンジジュースの爽やかさは、あさ美ちゃんのさっぱりした性格を表すのだろうか。
ピーチリキュールの甘さは、女の子らしい可愛らしさ、スウィートな魅力だろうか。(愛読書が「ピーチガール」だからというのはおそらく関係ない)
そしてジンの力強い味。これは内に秘めたたくましさ、芯の強さだろうか。
想像は尽きない。
お父様が、このレシピに込めた思いを、ゆっくり聞いてみたかった。次に訪れた時にはきっと訊いてみようと思う。
横から、旧友と白水君も味見。一杯のカクテルは三人の胃の中に仲良く収まり、またたく間になくなった。