エピソード11
 「コンタクトレンズ」


私は小学校を卒業するまで両眼共1.5の視力があったのだが中学の頃から徐々に視力が落ちはじめ大学時代になると0.3ほどの視力になった。にも関わらず若い頃はメガネが嫌で授業中に黒板を見る時や映画やテレビを見る時などどうしても必要な時以外にはメガネをかけなかった。
しかしコンタクトレンズなる便利なものが現われて以来、早速それを利用した。坪井君も私と同様近視であったがやはりメガネが嫌いらしくメガネをかけるのは必要な時だけだったがやがてコンタクトレンズを購入する事になり注文したコンタクトレンズの受け取りに私もメガネ屋まで同行した。お店の人から「今日は初日ですから1時間程ではずして下さい。少しずつ時間を延長し除々に慣らして下さいね。」などと注意事項の説明を受けていた。

それにしても初めてコンタクトレンズをつけて「いかがですか?良く見えますか?」との言葉に振り返って見る眺めはバッと世界が明るくなったようで感動そのものであった。視力の良い人には理解できないであろうがハッキリ、クッキリと映る周囲を見て「こんなにも世間は美しかったのか!」と感動してしまう。
初めてメガネをかけた時もそうであったがメガネをかけなくてもハッキリと見えるのだから感動もひとしおである。たぶん坪井君もその時そんな感動に浸っていたと思うがお店の人の話は上の空で聞いていたのかも知れない。

そしてメガネ屋を出るといつものように栄や名古屋駅の地下街をブラブラしたり当時大盛況だったオスカーとかエコーといったジヤズ喫茶に行ったりして時を過ごしていたが坪井君がもう何時間もコンタクトレンズをつけているのに気づき「もうそろそろコンタクトレンズはずさなけりゃいけないんじゃないの?」と聞くと「大丈夫、大丈夫。」との返事。「いいのかな?」と思いながらも本人がいいと言うんだからいいんだろうと思いつつ更に時は流れていったがやがて坪井君に異変が起こった。

「お、おい花木。目が目が痛いわ!痛くて目が開けられへん!」と涙をポロポロと流している。初日から長時間に渡りコンタクトレンズをはめていたため目に傷がついたのかも知れない。とにかくコンタクトレンズをはずしたが痛くてまったく目を開けていられないらしい。
当時の坪井君は一宮に住んでいたが目が開けられないのだから家へ帰る事もできない。幸い私の家は名古屋駅から地下鉄で6分、下車して徒歩7分の所にあったのでまずは私の家まで連れて帰る事にした。

当時の私たちは(私は今もであるが)タクシーに乗るという贅沢も許されない貧乏学生であったし、涙をポロポロと流しながら目を開けられないでいる坪井君の手を引きながらどのような姿で地下鉄に乗り、歩いて帰ったのか!? きっとすれ違う人の目には「男同士で手を引いて一体あの人達は何んだろう!」と思ったに違いない。
その夜は私の家で夕食をとったが坪井君にとって目を閉じたままでの夕食はきっと味気ないものだったろう。食後は私の母が寝床と洗面器に入れた氷水とタオルを用意してくれて濡れタオルで目を冷やしながらすぐ就寝しました。そして翌朝、目覚めると目は開けられるまでに回復し先ずは一安心しましたがつボイノリオのラジオ番組「聞けば聞くほど」のタイトルのようにお店の人のアドバイスをちゃんと聞いていればあんな痛い思いをしなくても済んだのに。

それにしても「喉もと過ぎれば熱さ忘れる。」とはよく言ったもので翌日の坪井君はケロッとしたもので家を出ると近所の本屋へ出かけ1冊の雑誌を買ってきた。タイトルに「薔薇族」とあり表紙に男性ヌードのイラストがある。何とホモ志向の人達が見る雑誌ではないのか。「そういう趣味があったのか?」と聞くと。「そうともよ。なあ花木、男はな、男の歓ぶツボを一番よう心得とる。男はえ〜ぞ。」と誘うような目で言う。
その口調は嘘か真実か判断に苦しむ様なブラックなジョークを言う時の坪井君独特の静かに諭すような口調である。まあこの言葉は勿論冗談であるが、坪井君曰く「色々な趣味嗜好、性癖、考え方を持った人々の世界を偏見の目を持たずに知ることが物事を語る上で重要」なのだそうだ。

確かに相手を理解した上でなければその相手に賛同することも批判することもできないだろう。そういえばつボイノリオのラジオ番組を聞いていても思うのだが彼はどんな分野の事柄についてもそれを語り解説し、またそれについての自分の考えを述べる事が出来る。この能力はこうした習性(?)の積み重ねの上にあるのではないかと思う今日この頃である。