エピソード19
 「柔 道」


愛知大学名古屋校で徹夜のライブコンサートが開催された事がある。愛知県内の大学から多数のロックバンドが参加して盛り上がった。
私たちのグループももちろん参加したがその名はMBI(メイク・ブルース・イマジネーション)と言いエリック・クラプトンが率いる3人編成のグループ「クリーム」に憧れてギターの丹羽君(現在は愛知県庁の職員)、ドラムスの桑原君(現在はサンデーフォークプロモーションの社長)、そしてベース担当の私(現在もただのサラリーマン)の3人でバンドを組んでいたが司会兼メンバーとして気が向くと坪井君も参加してくれた。
この日もブルースハープを片手に参加してくれたのである。

「何やら難しげな顔をしてモクモクとドラムを叩いていますのは桑原宏司。 スネアーかじりのドラム息子と異名をとるほどの大の親不幸者。 親の因果が子にたたり前には歩けません。横に這って歩きます。」と紹介すると桑原君はそれを受けてスネアードラムのリムを「カン・カラ・カン・カ・カン」とコミカルに叩きながら横に移動しスティックを頭の左右にカニのハサミのようにかざしながら横に這って歩きだす。
坪井君が加わる事によりバンドのカラーは一挙にコミックバンドヘと変身する。

演奏曲はクリームのナンバーから「ホワイトルーム」「ストレンジ・ブルー」「アウトサイド・ウーマン・ブルース」「クロス・ロード」「サンシャイン・ユア・ラブ」。レッドツェッペリンのナンバーから「胸いっぱいの愛を」「ハートブレイカー」「リビング・ラビング・メイド」「あなたを愛しつづけて」「移民の歌」。その他「泣かずにいられない」「孤独の叫び」「ヘリコプターで帰ろう」「タバコ・ロード」「ワイルドで行こう」「紫のけむり」「オール・ライト・ナウ」などほとんどがへビイな曲ばかり。
静かな曲と言えば「ブラック・マジック・ウーマン」「夢のカリフォルニア」と最近CMで時々耳にするバーズの「ミスター・タンブリン・マン」の3曲くらいでした。
坪井君は当時からブルースパープが得意でしたがベースを弾きながらハーモニカを吹く坪井君の姿を見ていると何か特異なものがあります。
おしりをチョンと突き出して蟹股で右足と左足で交互に足ぶみをしながらリズムをとるのですが坪井君には悪いけどちょっと笑ってしまいそうな姿でした。

ラスト曲にドラムスの桑原君のボーカルでザ・フーの「サマー・タイム・ブルース」を演奏しましたがメンバーも観客も一体となり盛り上がりも絶好調にに達しました。ギターの丹羽君もかなりの乗りようで弦を巻き上げてわざと切り更にギターを床に叩きつけて壊してしまいました。
実はこれ「ウッドストック」という映画の中でのザ・フーのまねで30万人の観衆の前でサマータイムブルースの演奏の最後にギターを叩き壊してしまったシーンを見たからなのです。

(ちなみにこの映画は当時、坪井君とふたりで見に行ったのですが、私が途中でトイレに立とうとすると「待て花木!これを見なきやだめだて!これを聞かなきやこの映画を見に来た意味が無い!」としつこく引き止められました。
私も限界に達していましたので「あかんあかん。」と言いながら卜イレに立ちましたがスクリーンを見ると私の知らないシンガーでフオ一クギターを弾きながらブルースハープを吹いていました。
どちらかと言うと私は迫力のあるハデな口ックが好きだったのですが彼はそういったブルースっぽい曲が好みだったようです。)

ところで丹羽君は大事なギターをなぜ壊してしまったのか!?
彼は初任給が5〜6万円位だったその当時に夜遅くまで毎日アルバイトをしてついに20数万円もするギブソンのSGというギターを購入したからだったのです。ですからそれは長年愛用していたギターの最後の晴れ舞台だったわけです。

ところで、これを読んで下さっている方は「タイトルにある柔道はどこへ行ってしまったのだろう」と不審に思われてきた事でしょう。
お話はここから始まります。
このコンサートはタ方から明け方まで行なわれたのですが客席にイスなどはなくムシロや毛布を敷いて適当に座ったり寝ころんだりして聞いていましたがなぜか話題が柔道の話になりました。ご存知の方も多いと思いますが彼は柔道初段の腕前。私も高校時代に1年間位、県のスポーツ会館に柔道の練習に通いましたが適当にやっていたので昇級試験も受けた事もなくもちろん白帯。話の弾みから私はコンサー卜会場で勝負に挑んだ。しかし勝負は一瞬にして決まった。いつの間にか私は投げられ寝技に持ち込まれ締めつけられた。
「苦しい!ま・まいった!」「マイリマシタと言え!」「マ・マイリマシタ!」

彼はラジオ番組の中で「昇段試験の時には肘を突っ張って自分も技をかけられないけど相手も技をかけられなくして勝ちもなく負けもなく引き分けばかりで合格した。」と言っていたがそれは謙遜でそれなりの実力のある黒帯だと思います。仕亊の転勤で続けられなくなり茶帯で終わってしまったけど私も社会人になってから3年間、空手道場に通ったのでもう一度、再挑戦してみたいという思いもあるのですがお互いに50を過ぎてしまっては思うように体が動かないでしようね。やっぱりやめておこう。考えただけでもしんどいわ!