救助船の中は常に慌しかった。私の他にも救出者がいて機能回復訓練をしていたようだし、新たな漂流者が発見されるたび、船内で信号音が鳴り響き救助隊が走る音が聞こえた。私はそんな活気に溢れる船内で、一人、人目を避けるように過ごした。
 唯一の社交場とでも言うべき食堂では、いろいろな症状の人たちが自分の遭難の様子や武勇伝を語り、いつも騒々しい。
 仲間の消息が気になったが、そこに知った顔が見つからなかったので、みな無事でちゃんとカプセルの睡眠装置が働いていることを願いながら、なるべく混まない時間帯を選んで、一人でそそくさと食事を済ました。
 体力が回復すると大部屋に移されたが、部屋でも訓練室でも、他人と目を合わせなかった。この性格は今始まったものではないが、とにかく今はそれ以上に一人でいたかった。私の傍らにはいつもレリスの唄があって、あのメロディーと、何度となく励ましてくれたあの暖かい意思を感じていた。
 忘れたくなかった。他人と話すことで、あの唄やレリスの優しさが薄れていくのが怖かった。
 部屋の仲間が寝静まった頃、私はレリスに呼びかけてみる。何度も何度も念じてみる。今なら声も出る、
「レリス」
と小さく呟いてみたりもした。
 しかしあの声はもう聞こえなかった。
 夢のはずはなく、レリスの唄ってくれた唄の旋律もはっきりと覚えている。
 でもあの懐かしく、暖かい不思議な言葉を耳にすることは二度とないのだという想いは、私を救助された喜び以上に打ちのめした。
 何度かレリスの外見を想像してみたことがある。仕事柄母星と交流のある異星人はたくさん知っているし、直接会ってもいる。しかしそのどれにも重ならない。レリスはただの透明な意思、冴え冴えとした星を透過する、大きさも深さも計り知れない不思議な意思力だった。その意思に惹かれた私には、今の救出者という立場がなんとも味気ないもの感じられさえするのだ。
                         

 母星まであと僅かというある日、私は救助船の艦長に呼ばれた。
「宇宙局の総監が君と話したいそうだ。ヴィジフォンが繋がっている。くれぐれも言葉使いに気をつけるように。」
いかつい体に救助隊の制服を身につけた艦長が、きびきびとした口調で言う。
「え?宇宙局総監が直接私にですか。」
「そうだ、君にだ。」
私は緊張しながらも首を傾げた。母星の宇宙士科大学に掲げてある宇宙局のナンバーワンの凛々しい大型映像を思い出して、その偉い総監がまったく面識のない末端の宇宙士になんの用があるのだろうと、不思議に思った。
 私がよほど驚いた顔をしていたのだろう、艦長がウィンクしながら言った。
「総監も宇宙士時代に睡眠漂流を経験していてね。同じ体験をした誰にも地上に着く前にヴィジフォンをくれるのだよ。」
 私は艦長の後を緊張して歩きながら、地上の報道でよく見ていた柔らかい口調と深い目をした総監の顔を思い出し、総監も漂流経験があることを始めて知った。
 その部屋は個室になっていた。総監じきじきのヴィジフォンということで、特別の計らいらしい。
 深呼吸をしてヴィジフォンの前に座ると、一瞬画面が揺れ想像よりだいぶ高齢の穏やかそうな老人が現れた。私は姿勢を正した。「総監!自分は宇宙士ナンバー・・・」
「いやいや・・」
総監はそんな私を笑いながら制した。
「分かっています。あなたがこの度、睡眠漂流をされた方ですね。」
「はい、正確には睡眠装置が未作動のため、覚醒漂流でした。」
「なんと! それはお辛かったでしょう。」
かすかに眉をひそめる総監の表情に親近感を感じ、わずかだが緊張がほぐれた。
「ありがとうございます。でも今はすっかり元気ですから。」
「それは何よりです。」
 それでヴィジフォンによる会見は終わりかと思ったが、総監がまだ私のことを見ている。
「あの、何か・・・」
 やや間があり、やっと総監が言った。
「いや、その長く苦しい時間をあなたがどうやって乗り越えてきたか、それを伺いたいと思いましてね。」
「・・?」
これは今後の事例のための参考尋問なのだろうか?確か艦長は睡眠漂流者として私を扱っていたはずだが。
 答えられない私に総監は繰り返し聞いてきた。
「意識のあるまま漂流をするというのは想像を絶します。私はあなたが覚醒漂流だと言うことを今初めて知りました。
 でも、それなら一層あなたに聞きたい。どうやってその孤独を乗り越えましたか?」
総監の目が真摯に私を見つめた。通り一遍の答えを求めているのではないことを感じた。
 僅かに迷ったが、結局私は言わずにいられなかった。
「あの、総監はもしかして・・」
「もしかして?」
「・・唄でしょうか。」                    
         
 そのとたん、総監の目が大きく開かれた。「唄、と言いましたな。唄が漂流にどう関わりました?」
言葉は抑えているものの、目は私を睨み付けるように見ている。私は確信した。
「唄を聞きました。レリスの歌をたくさん聞きました。そして私は生き延びたのです。」
 
総監の表情がそれと分かるほど歪んだ。くしゃくしゃになった顔が、泣きそうに私を見た。懐かしそうな、切ないような、溢れる感情をやっと抑えているように見えた。
「聴いたのですね、あなたもあの唄を。
 やっと見つけました。やっと・・」
答えた
総監の声が震えている。
 私たちはモニターを通して見つめ合った。
 救助されてからずっと胸に沈めていたレリスの唄への思慕が急激に湧き上がってきた。
 そして今向かい合っているこの人の心にも、同じ想いが溢れていると思ったら、相手が宇宙局総監という立場であることも忘れて、すべてを話したくなった。
「ええ、私はあの唄に命を救われました。レリスの唄がなかったらとても生き続けてなどいけませんでした。
 総監、あなたもそうだったのですね。」
 ここに来てから何度も反芻したあの唄声が蘇えり、私の体まで熱くなった。あの唄こそ、私の命そのものだった。
 「ご想像通りです。私は眠りながらその唄を聴きました。あまりにも心地よくて、救助されたときは早過ぎると思ったくらいです。いや、実はかなりの時間を漂流していたのですがね。
 で、その『レリス』というのは、曲の題名ですか?」
総監はそう聞く。
「え?レリスはあの唄を唄ってくれた意思の固有名詞です。」
「何故それが?」
「彼自身がそう言いましたから。『私はレリス』だと。」
「なんと!」
総監が立ち上がったようだ。ヴィジフォンの画面が揺れ、顔の位置がずれた。
「話したと? あの唄の主と話したと言うのか?」
総監が大声で言った。私は驚いた。
「すみません、いけなかったでしょうか。」
「なんと言うことだ・・」
総監はヴィジフォンの向こう側で、両手で頭を抱えてしまった。私は頭が真っ白になってしまいそうだった。
「あの・・・・」
どうしていいか分からずにただ画面を見つめるばかりの私に、総監の顔がアップになって問いかけた。向こうで画面に顔を寄せたに違いない。

「あなたは覚醒漂流でしたね。」
私は声を出さずに頷いた。
「そうだ、そのせいなんだよ。だから唄の主と意思の疎通ができた。
 ああ、私の時も睡眠装置が壊れたらよかったのに!」
今度は目をつぶり激しく頭を振り始めた。
 そのようすに私の中の威厳に満ちた総監のイメージが崩れていく。そこにいるのはただあの唄を恋しがっているだけの魂だ。そしてそれは私も同じで、これほど身分が違っても今二人は同じ想いで繋がっていた。
「総監・・」
「すまない、つい興奮してしまった。
だが君もあの唄に惹かれた一人だ。私の気持ちが理解できるだろう?」
その目が肩書きも年齢もかなぐり捨てて、熱っぽく輝いていた。口調まで変わっている。
「はい。救助されてからも毎日毎日、あの唄を思い出して口ずさんでいました。あの唄を忘れられるわけがありません。」
私もきっと熱い目をしていたと思う。
 そう、とてもよく分かる。総監もあの唄に魂を揺さぶられ、こうして自分に戻った今でもあの唄を深く愛している。私たちは、あの
唄によって生かされた者たち同士だ。嬉しくて切なくて、互いがいじらしかった。
 「総監、他の漂流者の中にもレリスを聞いた者はいましたか?」
私の問いに
「いや、そういう唄を聴いた気がする、と言う者は何人かいたが、旋律まで記憶している者は誰もいなかった。」
「そうですか。・・そうですよね、眠っていたのだから。」
 総監の、すべての漂流者に向けた見境のない直接ヴィジフォン攻勢の理由が分かり、私は少し笑った。きっと長い間あの唄への熱を溜め込み、だれかれとなく尋ねまわったのだろうと思うと、気持ちが分かるだけにほほえましい。
 こんな高い地位の、常に選択と判断を相手に戦っている人が、
「・・!!」
私は立ち上がった。突然思いついたのだ。私は自分の身分も忘れて叫んだ。
「総監!私をレリスのいる惑星に行かせてください!」
 一瞬ヴィジフォンの画面が揺れ、それが治まると総監が真顔で私を見ていた。私も負けずに見返した。
 そうだ、レリスに会いに行けばいいのだ。そして、命を救われた感謝を直接伝えればいい。
 総監は長い間、私を見つめ、やがてこう言った。
「・・それはできないんだよ。」
一瞬耳を疑った。血が引いていくような気分になった。
「何故ですか?資格の問題ですか?それなら一生懸命勉強します。
 環境に耐えられないからですか?星間に政治問題があるのですか?いくらでも待ちます、許可をください!」
 私は興奮してきた。
 この気持ちが総監に分からないはずがない。そして総監ならそのための充分な力がある。そして私にはたくさんの時間があるのだ。
 せっかく救助されていながら、私はあの唄が聞こえなくなったことの方が辛くて、生きる目的を失った気になっていた。でももしレリスに逢いに行くことができるなら、私はどんなことでもするだろう。
 しかし総監は私から目を逸らしたまま、苦しげな声でこう言った。
「もうないのだよ。あの星間地帯は大分前にビッグバンが起こって、すべての星たちが消え失せた。」
「え?」
信じられなかった。そんなことがあるはずがなかった。
「何をおっしゃっているのですか?私はたくさんの唄を聴きました。レリスと話もしました。慰められ励まされて、生き延びました。総監はあれを夢だとおっしゃるのですか?」
 総監は辛そうに私の言葉を聞いている。顔を見れば嘘ではならしいと分かったが、おいそれと納得はできなかった。
「・・そう、私もあの唄を聴いた者だ。君の気持ちはよく分かる。あれ以来あの唄が心から離れなくて、私は私なりにいろいろ調べたのだよ。」
総監は小さくため息をもらすと、遠い目をした。
「私は母星に戻ってから暇を見つけは、あの唄の歌詞の雰囲気を丹念に思い返し、宇宙言語辞典と比較してみた。漂流中の自分の位置をそれと照らし合わせ、あの唄の発生地点を特定しようした。
 でもうまく行かなかった。どうしてもその星群が見つからない。
 国内外に問い合わせてもみた。私が漂流していたあたりで、何かを発見したことはなかったか、音が聞こえたことはなかったか・・
 だが何の反応もなかった。それどころか、あのあたりは何もない宇宙空間なので、瞬間移動のいい中継点なんだそうな。つまり、それくらいまったく何もないのだ。
 それでも諦め切れなくて、過去の文献を探り、友好関係のある星から資料を取り寄せ、四苦八苦して解読もしたよ。」
総監は当時を思い出してか、苦笑いをする。
「まるで何かに取り付かれてしまったみたいに、必死になって探しまわったよ。最後はどうしても嫌だった自己解析装置にも入った。それがみんな夢だったなどという結果が出たらどうしようかと思ったが、私の深層意識は、ちゃんとその時の唄とその感動をしまっておいてくれたよ、間違いのない事実としてね。」
「・・・・」
「しかしやはりその星はなかった。ビッグバンの報告は残っていたが、付近の意識体が存在する惑星の詳細は一切分からなかった。」
「・・じゃ、どうして、私達にそれが聞こえたのでしょう・・」
やっと私はそう言った。総監は宇宙の果てを見るように視線を揺らすと、小さく微笑んだ。
「レリスは残存思念なのだろう。非常に意思が強く博愛精神に満ちた特別の個だったと思う。・・なにしろあれだけの唄を表現できる存在だからな。」
総監の微笑みがひどく寂しく見えた。
 私は虚脱感で眩暈がしそうだった。
(いない、レリスはこの宇宙にいない、ビッグバンで消えてなくなった・・)
 だが、と私は思った。総監は唄を聴いただけだ、しかし私はレリスと話している。ちゃんと意思の疎通をしたのだ。
「総監、おっしゃることは分かりました。レリスの住む星はもうないのでしょう。
 でもだからと言って、レリスがいないとは限りません。私たちが想像のつかない形で、ずっとどこかに存在しているのではないでしょうか。
 総監の捜索に落ち度があったとは思われませんし、その事実をご自分で受け入れるまでなさった努力には頭が下がります。そしてそれは、レリスの唄にそこまでさせる何かがあった、ということですよね。私もその何かに落ちてしまいました。だから総監の言葉だけで自分を諦めさせることはできないと、思い直しました。
 お願いです、私にもう一度レリスを探させてくださいませんか?」
「その気持ちは分かるが、いったいどうやって探す気なんだ。」
「・・まだ分かりません。
 でも、私はあのたくさんの唄を覚えています、口ずさむこともできます。」
そして私は一つのメロディーを歌いだした。歌詞がわからないからハミングだったが、ヴィジフォンの向こうで、総監が体を硬くしたのが分かった。
 私はそのメロディーを歌い続けた。あの絶対的な孤独の中で、慰められ励まされた大切なメロディーだった。
 総監が目を閉じて聴き入っている。私はれリスが乗り移ったように、唄に想いを込めた。言葉では上手く言えない気持ちが、このメロディーでなら伝えられそうな気がした。
 その時総監の閉じたままの瞼から涙が一筋流れ落ちたのを見て、私は唄をやめた。
 涙を見た途端、レリスの唄に感じたさまざまな想いが一気に心の中で爆発して、とても唄い続けることなどできなくなったのだ。
 レリスに逢いたかった。もう一度唄を聴きたかった。
 私は両手で顔を覆うと、声を殺して泣いた。ずっと機能を停止していた涙が次から次から溢れてきた。
 片手をヴィジフォンの画面置くと、総監もそうした。画面の向こうとこちら側の手が繋がった。私たちは今、レリスの唄の中にいる、互いにそれがよく分かっていた。
 どのくらいそうしていたか分からない。ほんの短い間だったかもしれないが、私は急にヴィジフォンの相手が宇宙局総監だということを思い出し、慌てて手を引いた。
「総監、大変失礼しました。」
直立して、頭を下げた。
「おや、なんのことかな?
 それより君には大きな使命ができたんだろう?私も陰ながら応援させてもらうよ。」
「総監?」
顔を上げてまじまじと総監を見た。
「レリスはいつか逢えると君に約束してくれたんだろう?それならきっと遭えるに違いない。私は君が羨ましいよ。
 だから、本気で逢いたいのなら、努力を惜しまないことだ。」

「はい、きっといつかレリスの存在を確立します。それがもし実態のない透明な思念であったとしても、私が命を救われたことや意志を伝えあったことは本当のことです。
 唄もれリスの意思も透明な存在なら、それゆえに一層尊いのだと思うのです。
 総監が同じ気持ちでいて下さる事にとても勇気付けられています。レリス、よくぞ総監にも唄を聴かせてくれたね、と叫びたいくらいです。」
 救助されてから続いていた無気力は完全に消え去っていた。
 「私のようなものを救助してくださって、ほんとにありがとうございます。早く完全に回復して、仕事に復帰するように頑張ります。」
私はヴィジフォン越しの総監に、深々と頭を下げた。
「うむ。これから先のことは、どんなことでも認可するから頑張りたまえ。」
すっかり平素の態度に戻って、総監が重々しく応えた。そして、ちょっとあたりを見回してから、また画面に顔を近づけてこう言った。
「とにかく地上に着いたら、私の所に来なさい。レリスの旋律をもっともっと教えて欲しい。」
 敬礼を交わし、総監からのヴィジフォンが切れた。
 個室を出ると、ドアの前で聞き耳を立てていたたくさんの野次馬達が慌てて散った。その中には艦長の姿も見えたので、
「申し訳ありません、大声が聞こえましたか?」
今度は私が艦長にウィンクをし返した。みんな、そんな私を見て顔を見合わせた。
 顔を上げ背筋を伸ばして食堂に向かうと、振り向いた仲間達の頭上に、 [地上まであと41時間]の電光掲示板が光っていた。
                   戻る

 

STORY       選評     HOME