『'05夏』
外伝と書いても、夏の帰省時の出来事を書いているだけになってしまったが・・・・
ま、いいかナ (ネタ無し人生だから・・・・貧乏が悪いんだよ _| ̄|○)
我が家の家族は、盆明けそうそう一足早く、義妹の車に便乗して田舎へ行っちゃいました。
今年からは、今までみたいに長い休みが取れなくなったので(8日→4日)今回は、文鳥たちを家に置いていくという事にした。
その為、休暇の初日は久しぶりに、独りで一日、ゆーーーーーっくりと、のーーーーーんびりと家で、くつろぐ事が出来た。
たまには、いいもんだなぁ・・・・・。本当にくつろげた、一日中、マンガ読んでただけだが・・・・
二日目は、午前中に、文鳥たちの籠を掃除して、二日分の餌と水を与えて、エアコンの温度を28℃に設定し、
午後から独り、東北道を走る〜
三日目は、我が家で一番人気のラーメン屋へGO!
表郷村のラーメン屋「たいち」 チャーシューワンタンメン:900円
ここのラーメンは、いつ食べても( ゚Д゚)ウマーです。白河市街から少し離れているので、あまり混まないのも グ-(^-^)g
本当は、カネダイのラーメンも食べたかったけど、今回は時間が無くて諦めますた
最終日、義妹の希望で「大内宿」へ行く事に決まる!
前の晩から、みんなの会話の中で「大内宿」・「大内宿」という言葉が飛び交うが、何の事やらさっぱりわからない???
観光地らしい事は何となく理解できたけど・・・・・・、みんなが行くというので、 ま、いいか!!
と、言うわけで行ってきました。(゚Д゚;)
シーズンになると、駐車場に入りきれないというくらい、人気が有るらしい・・・・謎だ?
淡々と旧街道を車を走らせ、どうやら到着!
しかし、駐車場の廻りには何もない???
ここは、何なんだろう?こんなところが人気スポットなのか?
謎だ???? 一応、カメラを持って義妹たちに付いて行く・・・・・・
と、ありました w(゜o゜)w オォー
大内宿について<宿場内立て看板より引用>
国重要伝統的建造物群保存地区
大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)宿場の一つである。
この南山通りは会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹道路の一つとして整備したもので、
廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にはこの道を利用するなど重要な街道であった。
大内宿が宿場として整えられたのは17世紀中頃と推定され、本陣・脇本陣がおかれた。
保存地区は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約500メートル、東西200メートルの範囲である。
本地区の町並みの特徴は寄棟造の建物が道路と直角に整然と並べていることである。
主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、
倉や納戸は主屋の奥に建つ。
主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の二室を座敷としている。
道路の中央には広い溝が設けられ、宿場の用水として利用されたが、明治19年になって埋め立てられ
道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなどの変遷があった。
この町並みに、会津及びそしてその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、
その多くが失われた今日もなお往時の姿を良く残している。
また、周囲の社寺や自然環境とも一体になって優れた歴史的景観を今に伝えている。
いい感じです 萱葺きの大きな家
昔の宿場町の面影を残している町並み
この建物が本陣だそうだ
小学校の校庭に猫がのんびりと歩いていた 昔ながらの日本の神社(鎮守様)の雰囲気
水路の水で冷やしてます(売り物) ハウスものじゃないみたいで美味そうだった
蕎麦屋の囲炉裏では、岩魚を焼いていた
有名な蕎麦屋で昼食を取ったけど、人気が有りすぎて2時間待ち!(;¬_¬)
みんなが、待てるということなので、 ま、いいか
2時間待ったかいは・・・・・・・・・・・・・ あったような、ないような ビミョー です。
先に予約して、街を散策する事をお勧めします。ほんとに!
義父&義母&義妹(+子供)たちとは、ここで別れてうちの家族は千葉へ戻りました。
せっかくだからということで、「塔のへつり(地元言葉で、危険な崖)」へ寄り道して・・・・
ナマ蝮を売っていたのにちょっと驚いた
少し、文鳥たちを気にしながら・・・・一人起きたまま運転して(当然だけど)帰宅。
こうやって、今年の夏休みは終わりました。