『過去』
何故、再び文鳥を飼う気に成ったのであろうか。今思うと02年の5月位の事だったと思う。
インターネット上でネットサーフィンをしていて、何気なく文鳥飼育のHPを彷徨っていたのがそもそもの始まりであった。
私は中学生の頃、文鳥を飼っていた時期があった。同級生が、十四松を飼っていて繁殖させていたのを見て自分も小鳥を飼いたいと思い、
文鳥を飼う事にしたのであった。
私の住んでいた田舎町には鳥屋なんか無く、バスに乗って1時間近くの「I」市にあるペットショップで、桜文鳥のペアを買って来た。
オスの文鳥は美しいさえずりをし、胸のぼかしの美しい鳥であったが、メスとして購入した文鳥はさえずる事の無い、原鳥みたいな鳥であった。
しかし、1年経っても卵を産む気配も無く交尾している様子も無かった。一般的な籠が悪いのかと庭籠タイプのものをわざわざ買ってきて
みたりしたが効果は無かった。文鳥同士は喧嘩する様な事は無かったが、相性が悪いのかと仕方無く新しく嫁を迎える事とした。
またもやバスに乗り、嫁を買いに行った。今度は白文鳥を購入して来た。
中学生の小遣いでは、先妻用の為に余計に籠を買う余裕は無く、籠に3羽とも入れて飼っていた。
三羽同居で喧嘩する様な事もなかった。どちらかと言うと、桜の夫君と白の後妻が仲が良い様で、先妻はちょっと邪魔者的であった。
(文鳥に対して名前を付けて呼んでいた記憶が無い。成鳥で購入したので付けても意味が無いと思っていたのかも知れない)
そういったある日、壷巣の中に待望の卵を発見したのであった。多分3個ぐらいは産んでいたと思う。
いくつの卵が孵るのか楽しみにしながら静かにその日を待っていた。そして遂にその日が来たのであった。
巣の中でうごめく生き物を発見した時は、歓喜狂舞の気持ちであった。結局、孵ったのは1羽だけで、他の卵は中止卵であった。
飼育書に書いてある通りに、ある時期に雛を取り出し、餌付けを開始した。
雛の羽は白いので、将来は美しい白文鳥に成長する事だろうと楽しみにしていたのであった。
悲劇は、突然、訪れた。
雛がようやく歩ける様になった頃のある日、雛を床の上に置いて遊んでいた時、ちょっと、その場を離れて戻って来た時の事であった。
床の上でぐったりと横たわっている雛がいた。
一体どうした事か、何が起きたのか、何がなんだか判らず茫然としていた。
結局、当時5歳位の弟が誤って踏んだ事が原因だったらしい。どのくらい弟に対して怒ったかはあまり覚えていない。
目を離した自分の責任、実際にその場を見ていない事、幼い弟に注意力を求める事が出来ない事等の理由で、
弟に対してそんなに怒らなかった気がする。たぶん。
(自分を美化する気は毛頭ないが)
次の雛がまた産まれてくれたら良いという気持ちもあったからかも知れない。
雛を埋葬したその後の記憶はある事を除いてぼんやりとしか残っていない。
ある事とは、白い後妻を逃がしてしまった事であった。
季節は、春だったと思う。
家の外でかごの掃除をしていた時、網扉を開けたままにしているのを忘れ、その場をちょっと離れた。
その隙に白い後妻が逃げ出してしまった。家の近所を探して廻ったが、見つかる事は無く、悲嘆と落胆に暮れるのみであった。
その後の記憶はほとんど無い。文鳥を飼育する気力が萎えた私が、文鳥の世話をあまりやらなくなった為かも知れない。
餌が無くなっている事に気が付かず、夫君は、飢え死にさせてしまった気がする。もしかすると二羽共なのかも知れない。
いや、見栄えのしない先妻はまだ生きていたと思うが、私は彼女の最後をまったく覚えていない。誰かにあげた様な気もする。
つまり、悪しき思い出なので覚えていないのだ。良心の呵責に対する為か、心の中に深く封印されてこの時期の記憶がはっきりしていないのだ。
ただ、文鳥たちが全ていなくなった時、自分の油断、いい加減さ等から来る命への冒涜。(他に表現が無かった)
罪悪感等から私は二度と文鳥は飼わないと、(文鳥だけでなく他の動物類等も)心に決めた事だけは覚えている。
こうやって、最初の王朝は短くして幕を閉じたのであった。
後記
その後、私は、ペットショップのある「I」市の高校へ通学し、東京の大学へ進学し寮生活を送った。
社会人となりバブルの最忙期に嵌り、今に至っている。
その間、街中のペット屋で文鳥を見かけると必ず傍に寄って覗き込んだものであった。
いつになっても文鳥をものすごく好きであったのだと思う。実家にまだ残っているかどうかはわからないが、
中学時代の美術作品の課題としてあったレリーフ、(素材はゴムみたいなものだった)これの題材として文鳥を彫刻した覚えがある。
自分では良い出来だと思っていた。(これは余談)
この稿を書き始めたのは、02年の10月中旬である。
何度も読み直して校正し終えたのが、1月下旬である。文鳥を買って来る場面までは、順調な筆運びであったがその後が、なかなか筆が進まない。
途中で投げ出して、本王朝の飼育記を書いたりして誤魔化していた。
本来なら、年内に終わらせてHP開設時に公開しようという予定であったが、なかなか筆が進まない為、脱稿出来ずにいた。
自分の心の中にある、嫌な思い出を掘り起こして文面にするのが嫌だったからだ。
でも、これを書かないと、自分に対して嘘を付いている様な、誤魔化している様な気がしてならかった。
つまり、目覚めが悪いのである。
この文章を書く事は自分自身へのカタルシスなのだと思う。
寮やアパートでの生活や単身赴任生活を送った時期があったのが、文鳥を飼わなかった他の理由として挙げられる。
しかし、再び、文鳥の飼育を20年以上ぶりで始められたのは、文鳥飼育家のHPで表現されている飼育家の文鳥に対する愛情を
見せてもらったからだ。その方達に、この場を借りて深く感謝申し上げたいと思う。