 U闘争編 第1部、-、チカ修練時代
第2部、-、チカ定着時代
第3部、-、チカ激闘時代
解 説
お菓子屋だった甚七の願望は、饅頭屋の息子のもとに嫁いで行ったチカによって果たされるかに見えた。だがその今井家の二代目(正喜)は鉄工所の仕事に就いていて、既に辞めてしまった饅頭屋の家業には全く関心が無かった。
チカは両家の一代目が無くしてしまった家業を立て直す重要な位置にいたが、そのことに気がつかずにいた。 チカも不思議と家業を継ぐ気が全く無かった。 もはや家業を継ぐものは、戦地に行った次男(芳喜)しかいなかった。
舅の喜平は、芳喜に期待をかけようとして待っていたが、芳喜は戦地から病気になって日本に帰って来たのも束の間、病院で息を引き取って死んでしまう。
もはや、誰も家業を継ぐ者が居なくなった中で、饅頭を作る道具だけが埃(ほこり)を被って眠っていた。は、それを悲しげに見ているような芳喜の遺影の写真がその部屋の横にひっそりと置かれた。
ある日、舅の喜平は「継ぐ気があるなら教えてやるからやってみないか?」と家業の再建の願いをチカに託そうとするが、チカはどうしても気が進まなかった。「うちはやる気は全くないです」と、きっぱりと断わってしまう。
棚から振って来たような(ぼたモチ)のように、突然与えられた使命を、うかつにも拒否してしまった時、チカの前に輝こうとしていた未来の光は力を失い、みるみるうちに暗闇に代わって行った。 その時から、チカは山での苦労と忌まわしい戦いを強いられていくようになる。
「光の道を備えよ!」という一代目の家訓を立て直すために来たチカが、眠っていた象徴の家宝に光りを当てることを自らの意志で拒み、その使命を床下に眠らせたまま封印してしまう。結果的に、このチカの定着時代は、糸島の地に竹のように深く根を張って行き、無くした光の道を再び立て直しながら、三代目の実体的路程につなぐための中間路程にもなっていく。
長編、 「 」 U、闘争編
第2部、(チカ、定着時代)
あらすじ
暗黒の地から抜け出し、緑と光溢れる糸島の地に嫁いで来たチカだったが、結婚式の時から、その後の人生を暗示するかのような、波乱づくめの出発が始まっていく。
チカが、今井家の嫁としてやって来た時、夫の弟(芳喜)の姿は見えなかった。既に16歳で義勇軍の兵士として満州に出征していった後であった。
やがて、病気になって日本に帰って来ることになるが、(元気に回復したら、家に帰って家業の饅頭屋を継ぎたい….)と悔やみながらも、急速に病状は悪化していき、その願いを残したまま、遠い陸軍病院の一室でとうとう力尽き命果ててしまう。
その芳喜の無念の恨みは、今井家に嫁いで来たチカと、そのあと生まれた子供たちに背負わされていく。その念願は元お菓子屋の娘だったチカによって実現されるかに見えた。
チカは、舅から「饅頭屋の仕事をする気があるなら教えてやるから始めないか?」と聞かれるが断わってしまう。 チカにとってお菓子屋も饅頭屋も同じ様なものであった。 苦労の割には儲からない商売であることを、既に嫌というほど体験していたのである。だが、チカはそれを断わった瞬間から、災いと苦しみの道を歩いていくことになる。
それは、チカが立て直さねばならない戦いの始まりでもあった。
舅も姑も、家業の饅頭屋がうまくいかなくなってからは、親戚から山を買って稲作を初めたばかりであった。みんな稲作の仕事は、付け焼き刃みたいなもので、なかなか馴染めなかった。 博多の雑踏での生活苦を体験して来たチカにとって、穏やかな山と海に囲まれ、どこか、のんびりした田舎の暮らしは、異次元の世界に入り込んだような爽やかな感覚があった。
夫が鉄工所に出かけた後、一人取り残された妻のチカに、新しい戦いが始まっていく。 稲作の体験のないチカには、山での仕事は何もかも戸惑うことばかりであった。 そんな様子を見ていた姑のゼンは(どうせ博多から来た嫁さんやから…)と当てにしなかった。
よそ者扱いをされながらも、黙々と農家の仕事を一生懸命に覚えていった。今井家の人にも近所や周りの人たちにも、始めは「都会から来たおとなしい嫁」として見られていた。
都会の人と田舎の人との、物の考え方の違いから来る誤解や心の微妙なすれ違いを感じたまま、嫁と姑の静かなる戦いも始まっていた。
出産、育児、そして稲作の辛くきつい仕事、激しいストレスの中で、今井家に馴染んでいこうと無理を重ねていくが、一時期、心と身体のバランスをすっかり失い、肺炎にかかりしばらく寝込んでしまう。
だが舅たちが蒔いた種が、やがてチカたちの代に大きな問題となって振りかかる時、チカはどうしても一家の矢面に立たされるようになっていく。
次々と襲いかかる難題を解決していく度に、秘めていたチカの本領が発揮される。
やがて、子供が育っていくにつれて、嫁としての自分の使命に目覚め、次第に農家の嫁としての自信を勝ち取っていく。 その地に昔から伝わる祭や、田舎のしきたりや伝統と風習、そして稲作の仕事なども、ほぼ完全に覚えて慣れていった。
毎日山に登り、きつい稲作の仕事を続けていくうち、チカの身体は病気に負けない丈夫な体になっていく。 気が付くとチカは、いつの間にかどんな艱難が訪れても負けない、強靭な肉体と精神力をも身に付け、更に一層、逞しい度胸と直感に磨きがかけられていた。
烈風が何度も吹いて来ても、竹のようにサラサラと音をたててしなやかに揺れながら、さっぱりとした性格で静かに地中に深く根を張りながら定着していくかのように…。 詳しくは「食文化の謎」で説明
(殺菌作用を持つ竹は、その中に清められた聖なる空間を暗い地中の筍(タケノコ)の段階で既に密かに持っている)(竹とウニの謎)
チカは今井家に嫁ぎ、竹のように聖別された空間を作る使命があった。その頃から、チカを更に試練をするかのように、不思議なトラブルが何故か、たびたび発生して来るようになる。
だがチカは、振り掛かる災いから山の木や家族たちを守るために、田口家から受け継いだ智略を十分に発揮しながら、全身全霊の気力と知恵をかけて「宿命の戦いの道」に挑んでいくようになる。
その第一の戦いは、、今井家に与えられたお寺の上に位置する山の(稲、木、水、境界)に関する争いであった。
第2部、(チカ定着時代のあらすじ)、おわり、
前編、
波乱の出発、
田口家と今井家は、一時期、お互いの誤解と思い込みで激しく睨み合い、破談になりかけたが、何とか無事に話が和解して、チカは再び今井家の嫁として戻って来た。 だが、一度こんなトラブルがあった後、姑のゼンのへそは少し曲がってしまった。
(優しく嫁を迎えてあげよう)という気持ちが消え、いつしか嫁に対する敵対意識が芽生えていた。 ゼンは、嫁のチカが実家に帰ったきり戻って来なかったことに腹を立てていたが、息子の正喜が、わざわざ嫁の実家まで出向いて、頭を下げて取り戻しに行ったことに、内心いまいましく思っていたのだった。
だがこれは、将来、今井家に重大な危機が訪れた時に、嫁のチカによって救われる条件として、最低の払うべき代価(条件)でもあった。 今井家にとって、その鉄の花嫁チカという、いわば救世主的存在を迎えたことの価値は、黄金の宝にも代えがたいものであり、その意味は到底、人知では計り知れないものであった。 このことを身に滲みて判り、感謝する日が来るのは、はるか未来の先の事で、当初は、今井家の誰一人も気がつかなかったのである。
新天地での出来事、
今井家は、昔、饅頭屋をやっていたが、戦況が厳しくなるに連れ、砂糖や油など原料が手に入らなくなり、仕方なく店を閉めてしまうことになった。代わりに学校を卒業して鉄工所に勤めるようになった息子の正喜が家計を支えるようになっていた。今井家は正喜の稼ぎに頼って何とか生活していた。
そんな時、姑ゼンの姉(カツ)の夫、近藤定男がある日やって来た。
「うちは、戦争で息子たちが取られてしもうて、もう稲作をする者が誰も居なくなってしもうた。そんで相談やが、お寺の上の方にある段々畑の山を安く譲るけん、お宅で田んぼを買ってくれんやろうか?」と相談に来た。
農業なんてほとんどやった事が無かった舅の喜平は、最初は全く乗り気では無かった。だが、酒が好きな喜平のことを良く知っていたのか、「稲作の仕方は俺たちがちゃんと教えちゃるけん…。お酒を付けるから、ぜひ買ってくれんじゃろうか?。」と言って、定男は二升の酒を目の前に差し出した。 喜平は、その酒を見ると、すぐ飛び付いて買うことに決めた。
この当時は物不足で、普段、いい酒も仲々手に入らなかった時代であった。酒に目がない喜平の心を変えるのは、赤子の手をひねるように簡単だった。
これまで喜平とゼンは、一緒に饅頭屋をやって来たが、どんなに一生懸命に働いて稼いでも、飲ん兵衛の喜平が、売上金を次から次にお酒に使ってしまうのであった。
ゼンは、しばらく手をこまねいてばかりいたが、売り上げのお金は、小銭だけを残してそのつど大きなお金は別の所にしまって、喜平の目に触れない前に密かに貯金していくようになった。だが、ここに来て喜平が酒の誘惑に負けて、山を買うことに決めたので、ゼンは、仕方なく、やっと貯めていたそのお金を降ろして来て払った。
こうして、二人は、お寺の上の方にある山を買いとって、やり方を教えて貰いながら稲作を始めたのであった。舅(喜平)と姑(ゼン)は本業を捨て、慣れない農業のやり方を姉夫婦に聞きながら見よう見まねで米を作るようになった。 博多から嫁いで来たばかりのチカは、その様子を見ていたが、嫁としては黙って舅たちの決定に従うしか無かった。こうしてチカも稲作の仕事を嫁として手伝うようになった。
しかし今井家の人間は、チカのことを何かというと「博多の人」と呼んで(都会から来た嫁が、農業の仕事など何の出来ようかい…!)と、軽んじて見ていた。だがチカは、決して裕福な都会暮らしをして来た、なまっちょろいお嬢さん育ちではなかった。
いつも厳しい貧しさの中で、目の見えない父と幼い兄弟達を支えて、生活に追われながら、亡くなった母親代わりになって働いて来たのだった。
お金が無ければ一日も生きていけない都会と比べれば、田舎は捜せばいくらでも自然の食べ物があふれていて、恵まれた環境であると思った。
今井家には、まだ嫁に行かない娘たち(小姑)が三人も居た。だが、チカは既に、母親代わりになって長女以上の責任ある訓練を受けて来ていたので、たとえ長男の正喜の嫁として来て、義理の妹たちがたくさん居ても、そんなには苦にはならなかった。
緑と光溢れる糸島の地に嫁いで来たチカは、何か暗黒のような博多の地から抜け出してきたような、ホッとする気分にもなっていた。 稲作の仕事は初めてだったが、すべてが新しい経験で物珍しくもあった。覚えるべきものが沢山あったが、農家の生活には、ほのぼのした心が安らぐ感覚があった。
姑のゼンは、元々農家の生まれだったので、稲作や畑の仕事にはすぐ慣れていった。
だが、舅の喜平の方は、饅頭屋をする前は左官の仕事しか知らない人であった。 鋤をうまく使えないので、板木を削って大きめのコテを作り、左官屋さんがセメントを塗るように丁寧に畔を整えていた。 近くを通った農家の人は、「ほおー、悠長なことさっしゃるなあー…」と、半分、呆れた顔で見ていた。
だが、この山を買う時、たった二升の酒に目が眩んで買ってしまった舅の、いい加減で曖昧な態度から窺い知れるように、登記の際にも、山の境界をしっかり確認しないで、全く人任せにしてしまったせいで、後の二代目チカたちの代になって、大きな問題を残すことになっていく。
消えた後継者
付け焼き刃的な状態から、何とか農業のやり方を覚えていった舅の喜平であったが、稲作の仕事は少し辛そうであった。やがて、砂糖など市場から消えていた原料が少しずつ出回るようになった。 喜平はその事を知ると、ある日、何だかうきうきした様子でチカに近寄って来た。
「チカさん、あんた、もし饅頭屋をやる気があるなら教えてやるが、やってみる気はないか?」と、元お菓子屋の娘であったチカに何か期待を込めて聞いて来た。
思いがけない質問に、チカは、驚いて咄嗟に答えられなかった。「え、…」 チカの頭に、幼い頃のことがふと浮かんで来た。父の甚七が、何度も失敗して来た商売であった。佐世保にいた頃、チカも店番をしていたが、お客がお菓子を買いに来る度に、自分の食べる分まで余計に掴んで取っては、陰で隠れて食べるのが習慣になっていた。
店に置いてある商品の中で、おいしそうなものはほとんど把握していたし、隠れて食べてばかりいたので、(ほとんど店の儲けなどなかっただろうな…)と、つくづく思い出すのだった。その辺のことはよく承知していた。
「うちはあまりやる気はないです。 昔うちの家もお菓子屋で、小さい頃から加勢して来ましたが、忙しいばかりでちっとも儲からない商売でした。折角作っても子供たちに食べられてしまう分が多くて、馬鹿らしくてやってられませんよ」と答えていた。
喜平は期待してチカの良い返事を待っていたのに、そのそっけない返事を聞くと実に残念そうな顔をした。
喜平は、若い者がいれば、もう一度、饅頭屋をやってみたかった。楽しみながら饅頭作りの仕事をして働いた後、売り上げの中からいくらでも自由に好きな酒が飲めた時代を懐かしく思い出していた。
チカが元は菓子屋の娘だったので、(ひょっとして、チカが『やりたい』と言えば、もう一度、あの時の気楽な良い時代に戻れるかも知れない…)と夢みて、チカにさぐりを入れたのだが、チカに「うちは、全然やる気は無いです!」ときっぱりと断わられてしまった。
「おいしい思いをする者と馬鹿らしい思いになる者がいる」と、言われると、自分の下心を見すかされたようで、それ以上何も言えなかった。
誰も饅頭屋を継ぐものがいないので、喜平は仕方なくまた農業を続けるしか無かった。
今井家の二代目には、本業の饅頭屋を継ぐ者が居なくて、一代目の喜平は、仕方なくあきらめたものの、無念の思いが残ったままになった。 こうして、チカのそっけない返事によって、その後、チカ自身が山での辛い稲作の仕事を、いつまでも続けなければならなくなっていく。
それ以来、喜平は饅頭屋を立て直すことは諦め、仕方なく農業に専念するしかなかった。だが、年を取った喜平にとって、家から遠い山の上の田んぼまで毎日、坂道を登って通うのも骨が折れて大変であった。 ある朝、いつものように山に向かっていた喜平は、お寺の横から続く草木の生い茂る山道を登っていた。 岩がゴロゴロと点在する急な傾斜の渓谷を、一歩一歩足場を確かめながら、滑らないように登っていった。
シダの生い茂る薄暗い坂道を抜け出すと、やっと太陽が差し込んで明るくなった。だがそれから先もまだ険しい山道をしばらく登っていかねばならなかった。やっとの思いで自分の買った田んぼまでたどり着いた。ヘトヘトに疲れ果てた喜平は、山水の流れる所で水を飲んで、しばらく腰を下ろして休んで、今登って来たばかりのはるかな道を見下ろした。
(確かに景色のいい所だが、毎日こんな辛い思いをするのはかなわない…)と思った。喜平は海の水平線を見ながら、ふと閃いた。(ここは綺麗な水が流れているし、ここに小さな山小屋を造って、そこで生活すれば見晴らしは良いし、毎日山に登る苦労をしなくても済むじゃないか…)
喜平はそう思い付くと、何処に家を建てようかと廻りを見渡した。 近くに根元の部分が傾いた一本の若い木が生えていた。 その傍に家を建てるのに手頃な場所を見つけた。 そこは崖っ淵であったが、ここしかないように思えた。(そうだ、ここが良い、大工さんに頼んで、ここに小屋を造って貰ってゼンと一緒に住もう…)
こうして、人里離れた誰も住まない山の上に小さな家を建てて貰うことになった。 だが、いざ家を建てて瓦ぶきする段階になると、山の奥まで瓦を背中に担いで運ぶだけでも大変であった。
それでも何とか、山の上に人が住める小さな山小屋が完成した。喜平とゼンは二人でそこに暮らすことになった。
家業を継ぐものが居なくなった時、一代目は家に居ることを許されなくなり、不思議と荒野の山で生活するようになっていった。
今井家は、ある時が来るまで、どうしても稲作を続けなければならなかった。
それは、後に生まれて来る子供の頭の中に、神秘的な稲作の様子が記憶として残る日までである。 その子は、一時この世から捨てられねばならない宿命を辿るが、やがて長い眠りから目覚める時、二つの家系の謎と、稲作を続けて来た日本史の謎も同時に解明していく日が来る。 泥水の中に植えられてから、刈り取られて人に食べられるまでの稲の一生は、実のところ、選ばれた日本民族の辿る運命を象徴していたことが後から判って来る。 終わりの日が来る時、太陽の光を浴びて黄金色に輝くたわわに実った一束の稲穂は、収穫の時が来て刈り取られ、天の御蔵に納められるようになる。
(稲作に関する詳細な説明は
E解明編で述べたい)
正喜と弟妹たち
夫の正喜は、朝早くから蒸気機関車に乗って、博多の鉄工所に勤めに出かけていった。饅頭屋の息子として育った夫の正喜は、学校を卒業してからすぐ、鉄工所の見習いに行くようになったので、稲作や山の仕事のことには、ほとんど感心が無かった。
正喜は、子供の頃から機械や工作が好きで、山で遊んでいても、モクモクと煙りを吐きながら通り過ぎて行く汽車の姿を、遠くから夢と憧れの思いでいつまでも見ていた。
その形を記憶すると、山から幾つかの木を伐って来て、一車両ずつ何日もかけて窓や車輪の形を丁寧に削って作っていった。出来上ると、最後にかまどのすすをニカワで溶いて塗ると、本物と見間違えるほどの見事な蒸気機関車を作って見せたのだった。
弟の芳喜は、正喜の作った汽車を見ると、「すごかー。兄ちゃんは何でも本物そっくりに作る才能があるとばい」と母のゼンに話していた。芳喜は、その兄の見事な工作力に敬服して正喜を見ていた。
正喜は小さい頃から、木を削ったり精密な物を作ることが、飯を食うよりも好きだった。饅頭屋の長男として生まれたが、饅頭を作ることよりも、その機械の仕組みの方に興味を持った。 小さい時から、父の喜平の仕事を見て育ってきたが、父は仕事が終わると売上金を勝手に持ちだしては、酒を飲んで酔っぱらってばかりいた。
そんな父に苦労ばかりしている母のゼンの姿を見て育った正喜は、父の饅頭作りの仕事には魅力を感じるどころか、逆に全く反対の、きっちりした精密な仕事を求めていくようになった。 正喜は体が小さくて、入隊検査の時、身長が足らず不合格になった。
一方、弟の芳喜は、学校に通っていたが、兄の正喜を追い越すほど、すくすくと背が伸び始めていて、ちょうど育ち盛りであった。 芳喜は、小さい頃はお菓子がとても好きな子供だった。
昔、店に置いてあった大きなキューピーのお菓子がどうしても食べたくなって、誰も居ない時、それを盗んで近くの山の陰に隠れて一人で食べていた。 だが、子供がどんなに一生懸命に食べても、とても一人で食べ切れるものではなかった。 日が暮れても帰って来ないので、家の者たちは心配して待っていたが、芳喜は、とうとう食べ切れずに、あきらめて残りの半分を山に残したまま、夜遅くなってやっと家に帰って来た。
「食事もしないであんた何処に行ってたとね?。早う夕飯食べなさい」「いや、もう要らん。腹は減っとらん…」お腹を大きくして帰って来たので、(何処かでご馳走にでもなったのだろう…)とゼンは思い、そのまま寝かせた。
次の日、芳喜は昨日のことでそうとう懲りたのか、「姉ちゃん、あのお菓子は、一日じゃあ絶対食い切れんから、一人で食べるのは絶対やめた方がよかよ」と姉達に話して諭すのだった。
喜平は、この次男の芳喜に、(自分の仕事を継いで貰いたい…)と願っていたが、芳喜は家業を継ぐ年令になる前に、十五歳で義勇軍として志願して満州に出兵していってしまった。
当時、南方の方では次第に戦況が厳しくなろうとしていた。 まだ学生たちは徴兵を猶予されていたが、軍事教練を受けながら、芳喜は日本の危機を感じて、次第に決意していくようになっていった。「今、俺はのんびり学校に行っている時ではない。、役に立たない授業を聞いている暇は無いんだ。 今こそ、この若い自分の体で日本を守りたい、お国のためにこの命を捧げることが出来るなら、これこそ男子として生まれた本分である」 芳喜は満州義勇軍の話に自ら進んで手を上げ入隊していった。
大自然と初心者
夫を送り出した後、チカは農家の嫁らしく、もんぺ姿に着替えて山に登っていった。
農家の仕事をしたことのないチカは、何もかも戸惑うことばかりだった。しばらくは廻りの人たちから、「都会から来た異質な何も知らない嫁」として見られていた。
農繁期になると猫の手も借りたくなるほど忙しくなった。舅や姑たちも、見よう見まねで農業の仕事を覚えてどうにかやっていた。 農具の名前も知らないチカは、一から覚えなければならなかった。
小屋の近くに居るチカに、舅の喜平が、「ミツマタを持って来てくれー!」と山の上から叫んでいるのだが、それが何のことか判らなかった。
チカは、小屋にたくさん掛かっている農具を見てしばし考えた。 だが見当をつけて三つに別れているクワを選んでから、不安だったので他のもう一本のクワも持っていった。 チカは、言い訳する暇など無かった。喜平が何か言いつける度に、しばしば、見当をつけて第六感を働かせねばならなかった。
要領が判らないことがあって姑に色々と聞いても、ゼンはチカに詳しく教える程では無かった。(うちの嫁は都会から来た人やから、何も判らんし、あてにならん…)とあきらめていた。
夫が鉄工所に出かけた後、一人取り残されたチカに、田舎の嫁として定着するための新たな戦いが始まっていた。 だが、博多の雑踏の中で、薄汚れた工場の仕事ばかりを見てきたチカにとって、大自然に囲まれた田舎の暮らしは、目の醒めるような、異次元の世界にやって来たような安らぎがあった。
「チカ」は、大きな山の自然に囲まれ、新鮮な空気を吸って、心地よい孤独さの中で自由な自分の存在をかすかに感じながら働いていた。 喉が乾いた時には、柿、びわ、ぐみ、ミカン、季節ごとに色んな果物がなっていて、いつでも自由に取って食べられた。田んぼの泥水の中に入って歩くのも、何だか子供の泥遊びをしてるようで、心地良かった。
絶え間なくサラサラと流れる山水は、真夏でも冷たくておいしかった。チカは、一仕事終えて、透き通った水を手ですくって飲み干すと、身体の中から生き返るような爽やかな気分になるのだった。
始めは、山の生活が何でも物珍しく、見るもの聞くもの面白くて仕方が無かった。
だが、だんだんと慣れてくると、稲作の仕事の大変さを実感していった。(一年を通して、田植えや草取り、農家の仕事も以外と手間がかかり、決して楽なものでは無かった)
一生懸命に働いても、収穫してみると、カマスにわずか何十俵かで思ったより少なく、(お金に代えても、いくらにもならなかった。) それでも、姑たちは、黙々と疑問を感じないで働いていた。草取りをしながら、チカの中に人知れず心の問いかけが始まっていた。
しばらくして、チカは、最初の女の子(正子)を産んだ。出産、育児、農作業、激しいストレスと無理を重ねながら、農家に馴染んでいこうと努力していくが、幾たびか心と身体のバランスを失いそうになることがあった。
戦時の風景
日本は既に敗戦の道を走り始めていた。戦況がますます悪化していく中で、政府は鉄、銅などの資源不足を補うために「金属類回収令」を出すようになった。 やがて糸島でも隣組ごとに各家庭から鍋、やかん、扇風機など金属製の物が次々と集められた。
宝石や貴金属なども供出させられた。ゼンも前線で戦う息子の芳喜たちの武運と勝利を祈りながら、わずかしかない指輪などを全て供出した。 ためらったり隠したりすると、たちまち隣近所から非国民呼ばわりされた時代であった。 生活は苦しくなるばかりで、戦争は誰しも嫌だったが、不満を言ったりすることは許されなかった。
正喜の勤める鉄工所の中にも、戦時体制が敷かれ、作業員たちが一個でも多く砲弾など軍用品を仕上げるように、毎日、軍から監視兵が来て見張るようになった。 給料は四分の一ほどに減らされ、生活がますます苦しくなっていった。
正喜は、何人かの若い部下たちを受け持っていた。 毎日残業続きで、なかば徹夜状態で機械を動かしていたが、一人の部下が、ついに睡眠不足で事故になり怪我をしてしまった。
(無理してやらせても怪我して危ないし、かえって能率が下がる結果になる…) 正喜はそう考えると自分の配慮で、交代で部下たちを休ませながらやらせることにした。ところが、仮眠していた部下の部屋に、たまたま監視員が来て見つけてしまった。「貴様ら!この戦時に何事か!」正喜の部下を叩き起こして殴り飛ばした。
やがて仮眠していた筈の部下が殴られてアザを作って戻って来た。「あっ、お前たち、どうしたとや?」不思議に思って正喜は部下に聞いた。 正喜は詳しく事情を聞くと、腹の底から怒りがこみ上げて来た。監視員たちは、昼間から酒を飲んで一眠りした後に、見回りをしていたことを知っていたからである。
「何だ、あいつらは自分勝手な…!。よーし!、俺が文句言うて来てやる」 正喜は、機械を止めて、すぐ上官の居る部屋に文句を言いに行った。
「お願いがあって来ました」「入れ!」 正喜はドアを開けて中に入った。
「昨日、部下の一人が不注意で大怪我をしました。 人間は何日も寝ないで作業したら、意識がもうろうとして良い製品は出来ないし、大変危険だと思います!。交代でたとえ少しでも睡眠をとってからやれば、仕事の能率は格段と上がる筈です。お願いです、交代制をとってやらせてください。!」「何だと!今頃、兵隊たちは前線で、不眠不休で命がけで戦っているというのに、何を言うか貴様!」
「では、監視の人たちも、これ以上事故が起きないように、不眠不休で監視してください!。昼間から酒を飲んで、十分な仮眠を取って監視に来る人間が、神経の疲れる仕事をする作業員に、一時の仮眠も許さないで働け!という資格は無いと思います!」
上官は、正喜の言う正論を聞くと、「判った…」と肯いたまま、それ以上何も言わなかった。
正喜は、普段は無口で黙々と仕事をしていたが、上官の理不尽な態度を見ると、黙っておれなかった。おとなしく見えた正喜は、身体を張って部下たちをかばった。そんな部下思いの上司であった正喜は、職場のみんなから尊敬され慕われていた。
正喜は、黙々と旋盤を動かしながらも、(こんなにゆとりの無い、いびつになってしまった軍国主義の日本なんか崩壊してしまえばいい!…)と密かに望んでいた。
義勇兵士の悲願
チカが今井家に嫁いで来た時は、夫の弟(芳喜)は、既に十五歳で満州の義勇兵士として出征していた後であり、チカは義弟の芳喜のことは何も知らなかった。だが、ある日、三重県の陸軍病院から手紙が来た。「今井芳喜上等兵が病気になって日本に帰国しています。家族の方は、一度ぜひ見舞いに来てあげて下さい」という内容であった。 喜平は、駅に切符を買いに行ったが、二人分の切符しか手に入らなかった。
この時代、人が乗る客車など後回しで、軍事物資を運ぶ車両が優先され、交通事情が非常に悪かった。座席も二人掛けを三人で座るのが常識であり、三時間ごとに立っている人と交代せねばならなかった。汽車も常に混雑して思うように乗れなかった。
ゼンは(一緒について行きたい…)と思っていたが、「もし、芳喜を連れて帰ることになれば、看護婦になったばかりの娘の文子の方が、万一何かあった場合に役に立つかも知れない」ということになった。 喜平と文子の二人は、ゼンを残してすぐ見舞いに行くことにした。
この時、芳喜は、既に死の宣告を受けていた。陸軍病院の人が、余命が限られた芳喜のあわれな姿を見て、(最後に一目だけでも、家族の人たちに合わせてあげよう。)と、連絡をしてくれたのだった。二人が見舞いに来た時、芳喜は既に危篤状態だった。
陸軍病院に着き、病室に案内されて、喜平たちは寝室に寝ていた芳喜に再会した。
病室で寝ていた芳喜は、元気に出征していった時とは、すっかり変ってしまっていた。あまりの変わり果てた姿に二人とも驚いてしまった。顔も身体もすっかり痩せこけ、ひどくやつれていた。喜平は言葉を無くしてしまった。息子の姿を見た時、戦争の悲惨さを今更ながら実感したのだった。 芳喜は話す力も消えかかっていた。「芳喜…」 喜平は息子の手を取ったが、芳喜はもう握り返す力も無かった。
喜平は、痩せこけてしまった息子の手を強く握りしめたが、あまりにも頼りない感触で、情けなさについ大粒の涙を流していた。「芳喜、こんなになってしまって…」 喜平は、つい取り乱してしまった。芳喜は父と姉の姿を見ると、安心したかのように微笑んで、力無く目を細めたまま静かに息を引き取っていった。
喜平も文子も芳喜の悲しそうな目を見ながら、最後の芳喜の姿を見送ったのだった。 せっかく、七年ぶりに逢いに来たのに、ほんのわずかの間に、目の前でわが子は息を引き取っていった。
二人は、しばらく遺体にすがって泣き崩れて過ごした。だが、喜平は(息子は、お国の為に立派に死んだのだ…)と、自分に言い聞かせて、取り乱してしまった自分を反省し、静かに心を持ち直そうと努力した。
芳喜の遺体を棺に移動して、ベットを片づけていた時、枕の下から手垢の付いた、くたびれた二枚の写真が出て来た。喜平は、それを見ると不思議に思った。何だかその写真には芳喜の悲しい思いがこめられているような気がした。喜平はその片身の写真を胸のポケットに大事にしまった。
やがて、病院の横にある葬儀場で火葬を済ませ、遺骨を壷に拾って入れた。二人は無念の思いのこもった写真と遺骨を持って帰って行った。
帰って来た芳喜
ある日、駅から歩いて来た人が今井家の玄関に寄って、「今から、喜平さんが芳喜さんを連れて帰って来らっしゃるそうですよ」と言って来た。チカはその時、たまたま家にいたので、その報告を聞いたが、ゼンは何処かに出かけていた。
チカは、そのことを伝えるために、急いで姑のゼンを捜しに外に出た。その頃、ゼンは近所の家に行っていて、畑にまくための、カマドの灰を貰いに行っていた。 あちらこちらと聞き歩いて、やっとゼンのいる場所を捜し当てると、「あっ、お母さん!、今、お父さんたちが芳喜さんを連れて帰ってこらっしゃったそうですよ」と伝えた。
ゼンはジュウノウに灰をかき集めて袋に入れていたが、チカのその言葉を聞くと「えっ!」と飛び上がって喜んだ。(芳喜が帰って来る…。きっと病気が治って一緒に帰って来たんだ…)ゼンの頭の中では、息子が家の中に帰って来た元気な姿が、ありありと浮かんでいたのだった。
芳喜に会える喜びを思い浮かべると、胸一杯にうれしさがこみ上げて来た。ゼンは、やりかけの道具もほったらかして、そのまま、先に急いで家に戻って行った。「芳喜、芳喜、帰って来たね…」
家に入ると、既に喜平と文子が帰っていた。「芳喜、芳喜はどこにおるね」二人に「お帰り」とも言わず、息咳切って現われたゼンに、どう答えていいか判らず、喜平は、「そこにいる…」と床の間の方を顎で示した。 ゼンが息咳切って床の間の方に行くと、そこには芳喜の姿は無く、遺骨がぽつんと置かれていた。それを見ると、ゼンはあまりのショックにそのまま、ガックリとへたりこんでしまった。
この時のゼンの、喜びと悲しみの落差は筆舌に尽くしがたいものだった。それなりに死を覚悟して遺骨を見るのと、元気に生きて帰って来た姿を期待しながら見るのとはあまりにも、落差が大きかった。
ゼンはこの時ほど、嫁のチカがたまらなく意地悪に感じた事は無かった。早とちりして思い込みをしてしまう、ゼン自身のせっかちな性格が悪かったのだが、ゼンは悲しみのあまり、嫁のチカに対して深い憎しみの情を持つようになった。
託された写真
喜平は、チカに写真を見せた。「芳喜の遺体を移動する時、これが枕の下から出て来た」 それはチカの写真と、娘の正子の写真だった。 チカは、その色あせてくたびれた写真を喜平から受け取った。その写真はチカのアルバムの中に大切にしまわれた。
芳喜は、戦場にいる時から、家から送ってくれたチカと正子の写真をポケットに入れて、時々出しては、食い入るようにいつまでも羨ましそうに見ていたのだろうか…。 (チカさんと言うしっかりした嫁さんが家に来てくれた。兄ちゃん良かったなー…) 芳喜は、写真を見ながら、幾たびもチカと正子を、あたかも自分の妻と娘のように慕いながら、いつか家に帰って相まみえることを、最後の時まで夢に見ていた。
戦場の渦中にも、チカと正子の写真を見るたびに、平和だった学生時代の自分の姿を何度も振り返って考えていた。(自分の選んだ道は正しかったのだろうか?…、自分の人生はお国のために捧げた筈なのに、この虚しさは一体何なのだろうか…?)
学校では、いつも軍事官僚たちがやって来て「満蒙は日本の生命線である」教えられていた。その言葉に触発され、多くの者が若気のいたりで義勇兵士に志願して満州に渡って行った。 今までお国のためと称して戦って来たが、泥沼のように続く、現実の戦地の悲惨さを目にして、次第に疑問を感じるようになっていた。
アジア諸国の開放と南方資源の確保という美名で満州に渡って聖戦を繰り広げる筈だったが、現地の人間にとっては、日本軍が他国に勝手に入り込んで来たとしか見なかった。満州国の成立に憤慨した彼等はしきりに妨害工作を仕掛けて来た。
当時、満州国では、現地の人達を日本人として教育する皇民化政策が行なわれていた。言うことを聞かない人たちに対しては、容赦なく力づくでも強要しなければならなかった。
戦場は中国全体に広がり、占領地全体に軍隊をまんべんなく置くためには、中国はあまりにも広すぎた。部落、山間いたるところに敗残兵が潜伏していて、狙撃したり抵抗を続けるのだった。抵抗するものは容赦なく即座に殺戮して行った。終日各所で銃声が聞こえた。
次第に中国軍の抵抗が激しくなり、ゲリラ戦に悩まされるようになった。日本軍は翻弄され続きで疲れ果て、食料も武器も補給が続かなくなっていた。兵士たちは、自暴自棄になり、暴行、略奪、虐殺も正当化され、まさに侵略行為となんら変らない殺戮の泥沼に落ちていった。
(こんなことなら平和な糸島の故郷で、父や母の饅頭作りの仕事でも手伝って、のんびりと家族たちと暮らしていれば良かった…) 今更ながら、こんな地獄の世界に志願して来てしまったことを、つくづく後悔していた。 優しい心を持っていた芳喜は、人が人を殺し合う戦争という妖怪の正体が何であるのかを真剣に考えるようになっていた。
だが解けない疑問と、今更引き返すことも出来ない取り返しのつかないことをしてしまった後悔と、人間としての大きな罪と呵責を負いながら、戦意を無くした様子を隠したまま、食料も無い泥まみれの戦地の中で、虚しく戦い続けて行った。
このころ制海権はアメリカに奪われ、日本からの補給は思うようにいかず、兵器、弾薬、食料が窮乏して来ていた。全軍、食料が無くなり空腹を満たすために、木の葉や、草の根、までも食べるようになった。ほとんどの者が下痢をして次第に栄養失調になり、日に日に衰弱していった。 芳喜の心は完全に「虚脱せる魂」になっていた。意識がもうろうとなり、歩く気力も無くなり遂に戦地の途中で気を失い倒れた。こうして芳喜は、かろうじて気力で命を留めた状態で、なんとか日本に帰されることになった。
だが、三重の陸軍病院に帰って来た時、もうすでに芳喜の身体は、回復不可能なほど重い病に犯されていた。 (国のために戦って死んでも悔いは無いが…、男として一度の青春も味わえずに、人生の何たるかを知らないまま死んで行かねばならないのか…) 芳喜はこみ上げる後悔の情を糸島の地に向けながら、チカの写真を何度も見ていた。(生きて帰りたい…、手足がもげても生きて帰って逢ってみたい…。自分もいつかこんなお嫁さんを迎えて、可愛い子供を産んで、貧しくてもいい、平凡でいいから幸せな家庭を持ちたかった…) いく度もいく度もその写真を見ては、悔しい無念の想いが湧いて来て、涙が流れて仕方が無かった。
芳喜は、もうろうとした意識の中で、まだ見ぬチカと正子の写真を、いつしか自分のお嫁さんと娘かのように慕いながら、自分の果たせぬ「理想の家庭の姿」を夢に描くようになっていた。
死の間際まで、震える手を伸ばしながら、そのチカの写真を枕の下から何回も出しては、涙で滲む目でいつまでも見ていた。そしてその思いは、生きて戻れぬ遥か遠く離れた糸島の地に飛んで彷徨っていた。(母さん、父さん、姉さん…俺は生きて帰りたい。帰りたい…)芳喜は意識が薄れていく生と死の間際に、やっと現われた父と姉の顔をうつろな目で見ながら、静かに息を引き取っていった。
こうして喜平たちは、あまりにも悲しい芳喜の最後の姿を看取りながら、病院の近くで簡素な火葬を済ませた。芳喜の遺骨は喜平の首に下げられ、文子と一緒に帰りの途についた。(芳喜、一緒に帰ろう。母さんが待っているぞ)喜平は遺骨につぶやいた。二人は汽車に乗って帰って行った。
この時、帰る二人の後ろから、芳喜の霊が病院からずっと一緒について来ていたのだが、そのことを二人は気が付かなかった。
その後、遺骨は海の見える浜辺の納骨堂に納められた。戦争が終わってからであるが、英霊を静める忠霊塔が今井家のすぐ裏の山に建てられた。
芳喜の遺影は二階に置かれた。その写真の目は、埃を被った饅頭を作る道具を悲しげに見つめているようにみえた。 芳喜の霊は戦争が終わってからも、忠霊塔と納骨堂と今井家の三点を結ぶ空間をいつまでも彷徨い漂っていた。
そして、今井家の家が新築された後は、二階のゼンの部屋の(床の間に置いてある写真)から、じっとチカの子供たちが成長するさまを見ていた。
その後、遺骨は海の見える納骨堂に納められ、戦争が終わってからであるが、英霊を静める忠霊塔が今井家のすぐ裏の山に建てられていく。
芳喜の遺影は二階に置かれた。その写真の目は、埃を被った饅頭を作る道具を悲しげに見つめているようにみえた。
芳喜の霊は戦争が終わってからも、忠霊塔と納骨堂と今井家の三点を結ぶ空間をいつまでも彷徨い漂っていた。そして、(二階の床の間に置いてある写真)から、じっとチカの子供たちを見ていた。
中 略
おわり
主の言葉が私に臨んだ。「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『…と…の子孫のために』と書き、またもう一本の木を取って、その上に『…と…全家のために』と書け。これは(エフライムの木)である。あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。 エゼキエル34章15 |
長 編 「 」
U闘争編 第2部(チカ定着時代)
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