2008年の

定年後のミカン作り

   1997年春、39年間のサラリーマン生活に別れを告げて、四国の松山に移住し、
  放置されていた30アールのミカン山の手入れを始めました。
  最初の年は、人の背丈を越えるイタドリ、カヤなどの雑草と、ミカンや雑木に絡まる
  ツタ、イシミカワやハゼなどの雑木の刈り払いに費やされました。

         
     手入れ前のミカン山        姿を現したモノレール

   2年目は、日当たりが良くなったため、イタドリやセイタカアワダチソウが繁茂し、
  クサマオ・イシミカワなどもはびこって来て、夏場は草刈りに追われました。

   3年目は、セイタカアワダチソウは激減し,ホトケノザ、オオイヌノフグリ等の野草が
  増えましたが、イタドリやクサマオは未だ衰えず、イタドリやクサマオの根を片っ端
  から掘り起こしました。一方、薬剤散布、施肥、みかんの剪定、摘果などのルーチン
  業務にトライし、苗木も新植しました。

   4年目(2000年)は、スモモや柿、ネムノキ等の大木を剪定・伐採し、ミカンの日当
  りを良くしました。猛々しい雑草は減り、ホトケノザ、エノコログサ、オオイヌノフグリ等
  の野草が増えましたが、毛虫が異常発生したので、薬剤で駆除しました。

     
      薬剤散布               高圧ポンプ

  5年目は、柿の木の追加伐採を行い、再度の毛虫発生を駆除した外は、ルーチン
  業務をこなしました。樹幹をカミキリムシにやられていた古いミカンの木は、台風や
  大風で倒れたり、自然に枯れてしまいました。

   6年目は、毛虫の異常発生も無く、柿の木の伐採を再度行った以外は、ルーチン業
  務だけで済みました。しかし、松山は異常気象で殆ど雨が降らず、8月中旬から石手
  川ダムの水位は50%を割る状態が続きました。10月の秋雨前線も全然駄目で、
  小形の移動式スプリンクラーを作り、ナギナタガヤの種を播いた後で、潅水しました。

   古いミカンの木は、何本か自然に倒れたり、枯れたりしましたが、代わりに、3年前に
  植えた苗木に実が付きました。心配していたミカンの出来は、まずまずでしたが、水不
  足の為、甘みも、酸味も共に増しました。


   7年目は、これまでの、見様見真似から脱却しようと、昨年下期から始まった松山市
  の「農業実践講座」を受講しました。

  昨年、種を蒔いたナギナタガヤは部分的に根付き、全面的な効果には至りませんで
  したが、今後どれ位増えるか楽しみにしています。

       
          果樹研修                      野菜研修


   8年目、楽しみにしていたナギナタガヤは思ったほどの効果が無く、夏の草刈りに追
  われました。今年は、例年に無く数個の台風が四国に上陸し、その上、イノシシの被害
  も重なり、ミカンの木が数本倒れました。苗木を植えてもイノシシにやられますし、今後の
  イノシシ対策が課題です。

       
       イノシシの被害                   イノシシの被害

   9年目(2005年度)は、異常気象で、7月初めの豪雨以後、雨の降らない日が8月末の
  台風まで続き、玉太りが悪く、12月は例年にない冷え込みで、ミカンの熟すのが遅れ、
  採り入れを遅らせましたが、糖度はそれ程上がりませんでした。

   10年目(2006年度)は、イノシシ対策として、早生ミカン周辺部分にネットを張りました。
  ネット内はOKでしたが、外は相変わらず荒らされて,ミカンの木が被害を受けました。
  それでなくとも、ミカンの不作の年で、例年の半分ぐらいしか採れませんでした。

       
        イノシシネット                   イノシシネット

   2007年1月に、私の不整脈が悪化して入院、ペースメーカー植え込み手術を受け、
  退院後、体を馴しながらの、伊予柑と八朔の採り入れとなりました。

   11年目(2007年度)は、夏の残暑が続き、雨が少なくて心配しましたが、9月中旬から
  平年並みの雨が降り、一息つきました。イノシシの被害は相変わらずで、温州ミカン周辺
  部分に、もう1カ所、ネットを張りました。私の体調も春・秋のペースメーカーの検査では
  異常なく、採り入れも無事に終えました。収穫は、隔年結果の生り年で、昨年の2倍採れ、
  品質もまずまずでしたが、来年は不作の年に当り、昨年の二の舞となりそうで心配です。

       
         追加イノシシネット             追加イノシシネット

   12年目(2008年冬)は、隔年結果の不作の年に当り、予測した通り,例年の半分ぐら
  いしか採れませんでした。

   13年目(2009年冬)は、生り年の筈でしたが、台風18号の被害で老木が倒れたり、
  カミキリムシが幹に入った木が倒れたりして、不作の年と同じ量しか採れませんでした。
  2010年2月、私がモノレールに挟まれて動けなくなり、家内の連絡で救急車のお世話に
  なり、右骨盤3〜4箇所、左恥骨、右仙骨、横突起の骨折で入院。リハビリを含め100日
  の入院生活を送り、一時は車椅子の生活を覚悟しましたが、幸いな事に、リハビリが功を
  奏し、一応、普段の生活に帰ることが出来ました。

   14年目(2010年冬)は、不作年で2008年に比べても80%の出来でした(生り年の
   40%)。昨年、私が入院し、ミカン山の手入れが殆ど出来なかったせいも有りますが、
   老木が倒れたり、枯れたりして、ミカンの木の本数が減ったことが主な原因です。
 

戻る ホームへ 次へ