「南米大陸4大絶景を巡る12日間」の旅

 2006年1月23日(月)から2月3日(金)まで、以前から夫が定年
になったら、是非訪れてみたいと思っていた南米を旅してきた。


1日目:
ニューヨーク経由ということでアメリカ入国の際、また搭乗においても手荷
物検査が大変厳しく、スーツケースは鍵を開けておかないと、危険物が入っ
ているとみなされや鍵を壊され没収される。
成田からニューアーク国際空港までは11時間半。入国の際は両手の人差し
指の指紋照会と目の写真を撮られた。6時間の乗り継ぎ時間があったにもか
かわらず空港に缶詰状態であった。
再び13時間のフライトの後、ようやくブラジルのサンパウロに到着した。
成田を出発する時は4度だった気温が、サンパウロでは28度だった。湿度
が高いので蒸し暑くもっと高いように感じた。それもそのはず、南米は日本
の逆真夏なのである。

2日目:
ブラジルは日本の23倍もある広大な国である。国内で時差が3時間もある。
日本とは−14時間の時差がある。
公用語はポルトガル語(ブラジル以外の南米はスペイン語)サンパウロから
最初の目的地イグアスまでは飛行機で1時間半、そこからバスでイグアスの
滝観光へ。
滝があるイグアス公園は東京都と同じ広さというから驚きである。
ブラジルとアルゼンチンの国境上にある世界最大のイグアスの滝は276の
滝が広がり、滝の地響きは25km先まで聞こえるという雄大なスケールだ。
果てしなく広がる熱帯雨林の中を曲流するイグアス川の大屈曲点にあり、赤
味を帯びた流れは、白い水しぶきとなって落下し、遊歩道を行くと流れ落ち
てくる水の迫力に圧倒される。


イグアスの滝(ブラジル側)

3日目:
バスで国境を越えアルゼンチンに入る。この日はトロッコ電車に乗り、アル
ゼンチン側からイグアスの滝を見物した。最奥、最大の落差を誇る「悪魔の
喉笛」は、あいにくの雨と、水しぶきで、迫力ある一つ目の絶景をカメラに
納めることができず残念だった。
その後、パラナ川とイグアス川が合流する場所でブラジル、アルゼンチン、
パラグアイの三ヶ国の国境地点も見て来た。


左がパラグアイ 右側がブラジル
手前がアルゼンチン

昼食後はサンパウロ経由で空路リオデジャネイロへ。
気温は33度と暑かった。ホテルには日本語の新聞があり、テレビもNHK
放送が流れている。
外出は手ぶらで、海岸沿いの早朝、深夜の一人歩きは危険だという。
夕食はサンバショーを楽しむ。

4日目:
空路ベネズエラのカラカスへ一日移動日であった。
ホテルにはプールやプライベートビーチがあり、自由に使えるが、ホテルの
外はやはり危険だという。

5日目:
石油産出がもたらした近代都市カラカスから空路カナイマへ。そこから二つ
目の絶景エンジェルフォール遊覧飛行の予定だったが、天候が悪く翌日もう
一度チャレンジすることになった。
ギアナ高地はベネズエラ、ブラジル、ガイアナの三ヶ国にまたがり総面積は
日本の1.5倍にもおよぶ緑の魔境である。ボートでテーブルマウンテンを
ながめながら川を進み、島までジャングルクルーズを楽しんだ。


テーブルマウンテン

6日目:
昨日見るはずだったエンジェルフォール遊覧飛行を楽しむ。落差979m世
界最大の滝の大迫力に、6人乗りセスナ機で上空からせまる。あまりの長さ
ゆえ、滝つぼはなく、途中で蒸発してしまうというめずらしい滝である。


エンジェルホール


セスナ機で遊覧飛行

カナイマから飛行機を乗り継ぎ再びカラカスへ。
カラカスからペルーのリマへ。
入国の際ボタンを押させられ、青が点灯したらセーフ、赤が点灯したらスー
ツケース、手荷物検査をされるが運よく通過する。
ホテルで休んでいると、添乗員から家に電話を入れるように言われた。いや
な予感が的中した。やはり入院していた母の様態が悪いとのこと。しかし簡
単には帰れそうにない。私たちが家に帰るまで、母が待っていてくれること
を願って旅を続けることにした。

7日目:
リマから空路イカまで行き、いよいよ楽しみにしていたナスカの地上絵遊覧
飛行だ。世界7不思議にあげられる三つ目の絶景である。
荒涼とした赤茶の大地に白く浮かぶ200もの巨大な地上絵は上空から見下
ろすことでしかその全貌を確認することは困難だ。
ハチドリや、フラミンゴ、イヌ、サル、宇宙人、クモ、コンドルなど見覚え
のある形が次々と現れる。セスナの機長は旋回しながら日本語で場所を教え
てくれる。
2000年近く前、古代人は一体何の目的で、どうやって作ったのだろうか。
ナスカは気温が30度を超え、とても蒸し暑かった。


ナスカの地上絵

8日目:
リマから空路クスコへ(標高3360m)
インカ帝国時代一世紀にわたり首都として栄えたクスコ。


インディオとアルパカ

クスコ郊外の城塞や遺跡などを観光した後、高地に慣れるため標高2860
mのユカイで一泊した。
しかし高山病にかかったらしく、頭痛、はきけがあった。
夕食を少量食べたがやはり受け付けなかった。
頭痛薬を飲んで早目に床につく。
夫が家に電話する。母がどうやらもちなおしたとのことだった。

9日目:
いよいよ四つ目の絶景マチュピチュ(2800m)までは列車で約2時間。
それからバスに乗り替えて謎の空中都市めざして幾つものヘヤピンカーブの
山道を登って行く。バスを降りて山道を歩いて行くと突然目の前に古代都市
マチュピチュが現れた。
私がこの旅で一番楽しみにしていた場所である。


マチュピチュ

インカ歴代の皇帝のミイラが発掘された太陽の神殿や、山腹を切り拓いた広
大な段々畑。まさに映像や写真で見た風景である。アンデスの緑濃い山懐に
抱かれた遺跡は美しさにおいて南米随一といえるであろう。このマチュピチ
ュが誰によってつくられ、どの様な人々が暮らし、そして又なぜ放棄したの
か、今もベールにつつまれている。
この日もじりじりと太陽が照りつけ体がだるくてまいってしまった。
帰りのバスでグッバイボーイが現れた。先回りしてバスを待ち「グッバーイ、
さようならー」と繰り返す。
山のふもとまで行くとバスに乗って来てチップをもらうのである。
小学5〜6年生ぐらいの男の子だった。
クスコへもどり夕食はアンデス音楽と民族舞踊のフォルクローレショーを見
ながらいただくはずだった。
しかし、食べ物をいっさい受け付けなかった。
南米の果物はめずらしいパッションフルーツがありおいしかったが、どうし
ても喉を通らなかった。

10日目:
クスコから空路再びリマへ。リマは人口600万人を数える南米屈指の大都
市である。スペイン統治時代の雰囲気を残す建物や近代的な街並みが印象的。
フジモリ大統領のいた官邸や黄金博物館などを見学する。ホテルのテレビで
NHK放映、夕食は久々に和食に舌つづみ。この時は高山病から解放され、
おいしくいただく。
夕食もそこそこにバスで空港へ急ぐ。

11日目:
リマを深夜の飛行機でニューヨークまで7時間半。機中で今度は下痢になっ
てしまう。
今まで海外旅行で、こんなに体調不良になったことは一度もなかった。

12日目:
成田についたのはニューアーク空港を出て13時間後の午後3時。急いで電
話をかけると母はまだ無事でいてくれた。真すぐ病院へかけつける。
今回は広い国ばかりだったので、飛行機での移動がほとんどで、遊覧飛行の
2回も含めて、全部で16回乗ったことになる。
いろいろあった旅だったが、私にとって一生忘れることの出来ない南米の旅
である。
                            −2006.2.14−
                           松 本 康 子 記