2007.12.01 松本康子
平成19年11月12日から4泊5日で85歳になる父と四国遍路の旅
に行って来た。
以前から徳島生まれの父が歩いて霊場を回りたいと言っていた。
しかし母の介護があって、今まで機会がなく昨年母が他界し一周忌も済
んだので、私が誘うと父は足に自身がなくなったので歩いて行くのは無理
だという。それならバスツアーで行こうと話すと団体は皆んなと一緒に歩
けないと迷惑をかけるのであきらめたと言う。私も還暦を迎えやっと遍路
をしてみたいと思うようになり、近所の友人に勧めれら父と2人でレンタ
カーで回ることにした。
現代の遍路は、信仰の旅に加えて、自分探しや、癒し、観光といった理
由が挙げられる。豊富な自然や旅先での人々とのふれあいが遍路旅の魅力
でもある。
一日目:
羽田からJALで1時間余り昼頃徳島空港に到着した。そこからレンタ
カーで早速一番札所の霊山寺へ向かった。そこで、白衣、金剛杖、輪袈裟、
納経帳など必要な物を買い揃えた。参拝の方法があり、
@ 札所に着いたら境内に入る前に山門で一礼
A 手水場で心身を清める
B 鐘楼で鐘をつく
C 本堂の納札箱に氏名、住所、日付、願い事を書いていれる
D 灯明、線香、賽銭をあげる
E 本堂で読経する
F 大師堂に参拝し読経する
G 納経所で納経帳に本尊の墨書と朱印をもらう
これが一通りのマナーである。
六番札所の安楽寺の宿坊には温泉があると本に書いてあったので一泊目
の宿として予約しておいた。夕食後は本堂でおつとめがあるとのことだっ
たので行ってみると、まず全員で「般若心経」の読経をした後、御住職か
ら遍路についてのお話を伺うことができた。この日は高野さんから男女2
0名程の人達が修業で遍路に来て宿坊に泊まっていた。
二日目:
朝食時、父が風邪気味でせきをしていたら、広島から一人で歩き遍路に
来ていた青年が風邪薬をくれた。
七番札所の十楽寺では愛媛から車で来ていた御夫婦にカーナビの使い方
を教わり、十二番札所の焼山寺まで6つスムーズに回ることができた。十
一番札所の藤井寺から焼山寺までは山道で40キロあり1時間半かかった。
この山道を自転車で巡拝している青年や若い女性と会った。
この日はおば(父の妹)の家に泊めてもらうことになった。おじ(父の
弟)の墓参りに行くこともできた。
三日目: |
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十三番札所の大日寺ではライターを
車に置き忘れ、お参りしていた外人さ
んにマッチをいただいた。この日は十
七番札所の井戸寺まで5つお参りでき
た。
父のせきがひどく、途中風邪薬を買
って、この日は無理をせず、眉山山頂
から徳島市の雄大な景色をながめ、眉
山中腹にある簡保の宿に泊ることにし
た。夜景がとても素晴らしかった。 |
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四日目:
十八番札所の恩山寺までは20キロあり車で1時間かかった。この寺は
かっては女人禁制だったが、ここで修業中の大師を訪ねてきた母のために
解禁を祈祷し境内に迎えいれたと言われている。二十番札所の大龍寺へは
西日本最長を誇るロープウェーで10分乗ると山門まで運んでくれる。バ
スツアーの団体客と一緒になった。高いところにあるので紅葉がとてもき
れいだった。
阿波「発心の道場」最後の札所は薬王寺である。発心とは四国霊場巡拝
を志すこと、はるか1200kmあまりの辺路(へぢ)の旅である。日和佐
の海を望む山の中腹にあり厄除けに霊験あらたかな寺として有名で境内に
は33段の女厄坂と42段の男厄坂がある。
私も一つひとつの石段に厄除け祈願の1円玉を置いてきた。夏には海が
めが沢山産卵にくるそうだ。又冬には「だるま朝日」といって大きくて真
赤な太陽が海から昇ってくるのが見えるというから素晴らしい。
五日目:
薬がきいたのか、父のせきも止まり、すっかり元気になっていた。
予定通り二十三番札所まで回ることができたので、後は帰るだけ。昼の
飛行機で時間があったので、鳴門公園へ行き、鳴門のうず潮を見ることに
した。きれいなうず潮は見られなかったが、久しぶりで鳴門大橋の雄姿を
見ることができた。
父娘2人での遍路。天気にも恵まれ良い旅ができた。来春は高知県への
二十四番札所から「修行の道場」へ遙かな道のりが待っている。
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