2008/12/02
松本 康子
 第2回目の四国遍路は、2008年3月31日〜17日までの5日間、室戸、足摺の2つの岬を回り16札所を巡拝した。
 その後、愛媛県松山市にある53番円明寺まで14札所を巡拝、合計30の札所を回ってきた。
 今回は、第3回目の四国遍路で11月10日〜17日まで8日間の旅である。

一日目:
 羽田12:15発ANA589便にて松山空港へ、いよいよ最後のお遍路が始まった。
 空港でレンタカーを予約しておいたので、まず51番石手寺にて、前回高速バスの中に置き忘れた金剛杖を購入し54番延命寺へ急いだ。広島とつなぐ、しまなみ海道の町今治市である。3ヶ所お参りしたところで夕方5時になってしまった。一泊目の宿坊である59番仙遊寺に到着した頃にはもうあたりは真暗になっていた。

 翌朝6時からおつとめと御住職の講話があるとのことなので夕食後は早々に床につく。

二日目:
 朝6時ちょうどお経が始まった。講話は、四国八十八ヶ所参りを世界遺産にしようとしている苦労話であった。
 オランダから遍路に来ている男性やロスから来ている人もいたが、関東近辺から来ている人が多かった。岩手から自転車で遍路に来ている女性もいた。
 60番横峰寺がある石鎚山の中腹は四国霊場の中で3番目に高い標高にある深山の礼所で駐車場からさらに20分歩かねばならなかった。
 伊予の国最後の札所65番三角寺も山間中腹にあり車で1時間ほどかかった。

 讃岐の国に入ると最初が四国霊場の難所である雲辺寺で標高920mあまりという最高所の札所だ。ロープウェーは、7分で山門まで運んでくれるが、車で行くことにした。雲辺寺は、正確には徳島県池田町が所在地であるが、なぜか讃岐の札所に数えられる。高所にあるので、紅葉がとてもきれいだった。

二泊目は、観音寺かんぽの宿を予約しておいた。高台にあり、ちょうど夕日が真赤に空を染めていた。
 夕食は、松茸のほう葉焼きにどびん蒸し、そして釜めしと秋の味覚の王様松茸づくしで、ぜいたくな秋の香りを楽しんだ。


三日目:
 68番神恵院と69番観音寺は、境内を共有していて、それぞれ2つの本堂と大師堂がある。納経所も共通しているめずらしい札所だった。
 71番弥谷寺は、標高400mの弥谷山に札所がある。日中でも薄暗い石段が境内まで400段あり、本堂へは、さらに150段以上続いた。

 72番から75番善通寺までは、比較的楽な道であった。善通寺は、弘法大師誕生の地で西院の御影(大師)堂で誕生したと言われている。
 76番から80番の平地をお参りした後、81番白峰寺へは、山道の旅であった。坂出市からヘアピンカーブを進み白峰山に上る。途中、瀬戸大橋を望む展望ポイントがあった。
 三泊目は、坂出かんぽの宿を予約してあった。ここも高台にあり夜景が素晴らしかった。翌朝は、瀬戸大橋に浮かぶ真赤で大きな月を写真に納めた。


四日目:
 84番屋島寺は、平家物語の舞台として有名な屋島にある。屋島は、海に突き出た半島で文字通り家の屋根のような形をしている。断崖の上から広がる眺望が美しかった。バスツアーの団体客と一緒になってしまい85番八栗寺へ行くケーブルカーは満員だった。ここから結願の88番大窪寺までは、徳島県境まで南下する。

大窪寺をお参りした後は、発願の第1番所霊前寺を目指し、四国八十八ヶ所結願のお札参りをした。
 今回も600kmを走行し、階段を沢山上り下りしたが、86歳の父は、一生懸命歩き通した。
 無事四国遍路の旅を終えたので、徳島県吉野川市に住んでいる叔母(父の妹)の家で4〜5日ゆっくりさせていただくことにした。

 1年がかりの四国八十八ヶ所めぐりの旅であったが、父娘で想い出深い旅ができて本当に良かった。
 四国遍路の締めくくりは、聖地高野山へ詣でるという。また、機会があったら父の元気なうちに是非高野山へもお参りできたらと思う。