・禅との違い
仏教の修業法のひとつで「禅」との違いについて、宇宙の人はこう言っています。
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禅は、私たちの提唱する想念観察と基本的に同じものです。
しかし、私たちが「自然の流れ」としている段階が、一つだけ置き換えてあるために、エゴ体のコントロールにつながる修業から始まっているところが相違します。
その修業はしばしば苦行という形になり、そのための場を設ける必要があるため、一般的なものにはなりにくいという欠点があります。
従って、すでに危険な状況にある現在の地球人には不向きであり、今は各人がそれぞれの家庭で到達できる、想念観察などのレッスンプログラムが必要になっているのです。
禅は「我を滅する」という能動姿勢に問題があります。
その能動姿勢の一歩手前の「無常感」の一点にとどまり続けて、これを徹底認識(客観視)することで、「我」を無意味なものにしていくことが、実際には「自然の流れ」に沿っています。
そしてそれは禅よりももっと早い時期に「理解」を表すことになり、あなたの荷物(執着)の片づけについても、理解以後の方がずっとやりやすいものになるでしょう。
グルジェフやラジニーシといった人たちが行っていたのは、基本的には禅だったことを考察して下さい。
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