2.5 変化のサイクル
宇宙の人はたびたび、私たちが当たり前として注目もしていなかった大切な原理を掘り起こしてほこりを払い、「ほら、これもそうよ」とさりげなく持ち出してきました。
これから紹介する原理原則もそのひとつです。
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想念観察の視点からは、あなたが日常生活で知覚し体験する現象や事件には幾重にも始まりと終わりがあります。
それはいつも顕在のあなたの実状を見透かし、「思わず」「不意に」というタイミングで起きています。
つまりあなたは四六時中、現象や事件という学習の「きっかけ」や「チャンス」に恵まれており、一瞬一秒たりとも遭遇していないときはありません。
そもそもあなたがその世界に存在すること自体が「きっかけ」です。
「事件など何も起きてない」と思いますか? とんでもない!
想念観察の視点では、道を歩いたり偶然出会った人と立ち話をしたらその始まりです。
あなたが相手から嫌な印象や好い印象を受けたら、もう立派な事件なのです。
観察の対象は、あなたが知覚する現象・事件と、それに伴う自身と他者の想念と表現の全てであり、どんな些細なきっかけも、深い洞察に至る鍵になり得ます。
さて、ここからが本題です。
「きっかけ」が起きてきた後、あなたが何もしないでいることはできません。
あなたは無意識に次のような活動のサイクルに踏み出します。
これを「変化のサイクル」と呼びましょう。
あなたの活動は常に一瞬一瞬変化しながら、次の図のように時計回りに循環する「変化のサイクル」を繰り返していきます。
あなたは、現象・事件として「知覚」したものを無意識に「分析」し、自身のものさしと「照合」して違いを識別し、自他にとってそれが何かと「評価」し、何をするか「対策」を立て「実行」します。
すると、「実行」という表現に沿って自他に何かの反応があり、また新たな現象・事件が起きたように「知覚」されます。
もちろん「実行」という表現自体がひとつのきっかけです。
こうして次々と「変化のサイクル」が循環していきます。
「変化のサイクル」は、宇宙の全ての生命活動の、その成長・進化の基本プロセスであり、原理原則です。
このサイクルは、局面と当事者によって様々に目指す方向が変わります。
例えば、あなたが物質的な人から「根源のものさし」の人に変わりたいなら「成長進化のサイクル」、何かの知識や技術を身につけたいなら「体得のサイクル」、苦しいことから逃れたいなら「逃避のサイクル」、自滅堕落の道を選べば「退化のサイクル」、病気になるときは「病気のサイクル」、死にたいなら「自殺のサイクル」、そしてあなたが今のままでいたいなら「停滞のサイクル」です。
但し、どの方向を選んでも、あなたの活動は「変化のサイクル」に沿って進んで、大局的には進化に向かいます。
想念と表現も、それぞれのステップで様々に起きてきます。
この「変化のサイクル」の渦中で、あなたの活動の一部始終を見守っている観察者の(あなた)は、常にサイクルの中心に居座って、どのステップにも片寄らないでいるはずです。
もし同化の(あなた)が観察していなくても、(あなた)のチームはいつも見守っています。
しかし、あなたと(あなた)が本来のバランスでなくては、それには気づかないし観察は決して深くなりません。
なぜなら、(あなた)があなたに片寄りすぎて、意識体チームの意図に沿っていこうとしないために、いつも顕在サイドの喧噪に巻き込まれてしまうからです。
あなたは(あなた)には決してなり得ないのですから、どこかで手を引かなくてはなりません。
サイクルは必ずしも、「知覚」から「実行」まで回る必要はありません。
また、(あなた)は、顕在サイドでの問題解決や結果や納得に、必ずしもこだわる必要はありません。
なぜなら、(あなた)には体験と学習が第一義であり、きっかけのほとんどはあなたが大事に抱えて離さないものさし(固定観念)の発掘のためだからです。
回らないサイクルがある一方、必然的な「変化のサイクル」は、自動的に回ります。
たとえば、あなたが生活のために仕事や家事をしたり、何かの趣味に没頭しているなら「生活のサイクル」や「楽しみのサイクル」は無意識にスムーズに回るでしょう。
しかし、あなたにとって不都合な問題を解決する変化のサイクルはなかなか回らず、そこからさらにまた新たな問題が起きてくるかも知れません。
しかし、それらの不都合は正に、観察が深くなるきっかけや貴重な学習のチャンスにほかなりません。
そして(あなた)が素直にその現状を受け入れると、自動的に進化成長のサイクルが巡ってくるでしょう。
あなたの日常の「変化のサイクル」について考察して下さい。
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変化のサイクルは、悪循環や好循環とも同義です。
私たち人間は、無意識に複雑に絡み合った変化のサイクルを回しているそうです。
特に、強い同化になっているケースでは、とても複雑に絡み合っているそうですが、想念観察が進んでいったん同化がゆるみ始めると、たちまち糸がたぐられるように絡みが薄くなっていくと言います。
つまり、想念と表現が単純明快(シンプル)になってきます。
「じゃあ、繊細さがなくなるということですか?」と聞いたら、それが全く逆で「宇宙はとても単純明快でしかも繊細」なのだそうです。
「地球人の意識の不明快さや粗さにはとてもついていけない」そうで、交流している私たちも思わずシュン…。
「変化のサイクル」を平凡な日常生活の出来事に当てはめてみますと…
……あなたはあるデパートの洋服売場にいます。
ふと、ある洋服が目にとまりました。…(知覚)
それはスーツで、色はブルー系、有名な〇〇のデザインしたものです。…(分析)
有名ブランドだけあって、値段も高いが気に入った、しかも私にサイズがぴったりだと…(照合・評価)、買うことに決め…(対策)、店員に告げ、お金を払って買い、家まで大事に持って帰りました。…(実行)
家に帰ってみると、その顛末を知った家族は、「あなたにはそのスーツが似合わない、そんな高いものを現金で買っては家計に響く、返してきたら…」と言います。…(知覚・分析) あなたは、家族の言い分を聞き、それが自身にとり何なのかを…(照合・評価)し、次にとる態度を決め、表現します。…(対策・実行)
すると、あなたの表現の結果、反応した家族の表現が知覚されてきて……と、際限なく「変化のサイクル」が回っていきます。
変化のサイクルのそれぞれのステップは、必ず二つ以上の選択肢を持っていて、私たちは常に一瞬一瞬選択を迫られ、また、選択それぞれに学習のチャンスが訪れています。例えばこのケースで、家族の言い分を聞いてから、あなたの選択は…
・もっともだと素直に言い分に従う。
・反発して怒り出す。
・がっかりしてふさいでしまう。
・無視する。
・これは学習のチャンスと見守っていく。
…と、思いつくだけでもこれだけ選択の余地があります。
しかし、その選択が都合不都合のどちらに転ぼうとも、私たちはひたすらそれを受け入れ、見守って生かし切るという、体験学習の理念を忘れるわけにはいきません。