2.6 客観性について
想念観察を進めていくと、先入観なく「ただ淡々と無心に見守っている」境地に行き着くことが、いかに大変なことかが徐々に分かってきます。
ただ淡々と無心に…とやっているつもりが、「ただ淡々と無心に」というエゴエネルギーを注いでいる結果になっているとは、実際なかなか気づかないものです。
感情を入れずに…としながら観察を進めることは、感情どころか「感情を入れない」という自体が「思い」でありエゴエネルギーなわけですから、シンプルになっているはずがありません。
仕方なく代替策として、「一切の想念や表現にこだわらない」ということにしても、それ自体が想念であり、能動姿勢でもあるわけで、もう何から何まで想念と表現の波動の海にいつもどっぷりと浸かっている…、これが現実です。
やれやれではどうしたら、いつになったら文字通り「ただ淡々と無心に」になるのでしょうか?
宇宙の人のアドバイスに期待しましょう。
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あなたに自我という個の意識と固定観念という持ち物(ものさし)がある限り、エゴレベルの想念と表現の種は尽きません。
宇宙は、(あなた)がこの原理を思い知って自ずから「もうたくさん!」となるまで、試行錯誤を繰り返すシステムになっています。
想念観察が深まり(あなた)があなたから離れて本来のバランスを取り戻した後は、あなたの想念と表現の波動は、それまでより深くて高い意識レベルに変化しています。
しかし深く高いといっても、三次元世界に同化している限りは、あなたと同化の(あなた)からエゴエネルギーが離れることはありません。
従って、エゴレベルのエネルギーが全く関与しない「ただ淡々と無心な」見守りは、特殊なケースを除いてはあり得ません。
では代わって、「ただ淡々と無心に」の基準をどこに置くかとなると、「少なくとも人間の意識段階にある限り、より完全な客観性は得られない」というのが結論です。
確かなものや完全さを求める思いがどこから何ゆえに来ているか、考察して下さい。
宇宙に変化しない確かなものは何もありません。
確かに見えるのは、同化の(あなた)の主観でしかありません。
「根源のものさし」でさえ、場合によっては例外ではありません。
「大いなる意識」が理念を変えれば、瞬時に変化してしまいます。
宇宙に在るのはただ、意識と潜在エネルギーと多種多様で果てしない変化です。
従って客観的か主観的かという視点では、「大いなる意識まで厳密・完全無欠な客観性はあり得ない」というのが私たちの理解です。
あなた方は結局、「より客観性のある主観」をものさしにしているのが実状です。
勿論この状況は、私たちも免れることはできません。
主観は、どんなに客観性が高いとしても、意識がその意識レベルに焦点を合わせてとどまっている状況です。
従って、(あなた)が何かに関心を示している主観の状況は、裏返せば、息つく間もなく「はまり込み」「振り回され」ていると言っても言い過ぎではありません。。
あなた方も私たちも、意識がいつも何かに「はまり込み」「振り回され」ています。
あなたが「根源のものさし」に意識を置くようになっても、「はまり込み」と「振り回され」に違いありません。
結局あなた方も私たちも、いつも何かに「振り回され」ながら、変化したと言っては「はまり込み」から「はまり込み」へと部屋を移動しているにすぎないのです。
想念観察の視点では、この「はまり込んでいる」「振り回されている」という気づきがとても重要な要素になっています。
(あなた)の客観性を考察して下さい。
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「どこまでも、どこまでも観察の視点が後ろに退いていって、静かに想念と表現を見守っている」つもりが、「目覚めに必要なことを何もしないで雑音の聞こえない固い殻の中に閉じこもったまま、小さな穴から外をのぞいているだけだった」なんてことになっていないでしょうか。
こんなことなら、あちこちで他人とぶつかって指摘し合い・小突き合い、また、なぶり合い・傷つけ合い、そして一方ではただ淡々と無心に見守っている方が、まだましで目覚めやすいと言えないでしょうか。
実感としては、かなりつらいでしょうけれども…。
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客観的主観がよく分からないなら、このイメージはいかが…
……あなたはある木をすみかとしている青虫です。
その木はあなたには無限に広がる宇宙ですが、実際の宇宙では、ある広大な銀河系の片隅の一個の小さな星雲の先端にある小さな太陽系の一角の地球という小さな星にある、小さな島のそのまた一角の森を構成する一本です。
あなたは毎日その木の葉を食べ、少しずつ成長しています。
しかしあなたの客観性の広がりは、いくら頑張ってもせいぜいその木の一枝ぐらいですから、いくら背伸びしても、宇宙の大きさ広さや多様性など想像もつきません。
ところがあなたの主観は、一枝の知識や体験で「私のものさしは客観的だし宇宙的だ」と主張して譲りません。
ここでは(あなた)はまだ、あなたそのものです。
時が過ぎて、(あなた)にも羽化のときが巡って来ました。
これは宇宙の摂理で、(あなた)がいくら嫌だと言い張ってもどうにもなりません。
(あなた)は段々糸を引いてさなぎになっていきますが、今までの客観的主観から抜け出せない青虫は、自身の変化に対応できません。
そしていい知れない、いつまでも解決しない不安・恐怖に苦悩しながら、青虫の(あなた)は、さなぎの殻から決して外へ出ようとはしないでしょう。
従って(あなた)は、それから何度も生まれ変わって、再び羽化のチャンスが巡ってくるまで、あくまで青虫の主観で客観性を追求してしまいます。
一方、客観的主観のからくりに気づいてへきえきしていた青虫の(あなた)は、喜び勇んでさなぎの殻を脱ぎ蝶になって、木の外の自由な世界へ飛び出していきます。
はまり込みは変わりませんが、同じはまり込みでも蝶の(あなた)の主観の範囲は、青虫のそれとは比べられないほど広く深くなっているでしょう。
この説明を読んでもまだ、(あなた)は青虫でいたいですか?
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幽体離脱を体験する人が最近増えてきましたが、幽体離脱のときでも観察の客観性はあくまで主観的だと言います。
実はあなたが眠っている間は、(あなた)も幽体離脱している場合が多いことは知っていますか?
(あなた)はあなたが眠りにつくと、同化の疲れをとるために、そそくさと肉体を抜け出すそうです。同化はとにかく疲れるそうですよ。
怪獣ゴジラのぬいぐるみを脱ぐように、「おお、重いっ」などと言いながら肉体から抜け出してきて「ふうっ」と一息つき、(あなた)の仲間と純粋エネルギーのシャワーなど浴びながら、それぞれ仕入れた世間のうわさの裏話なんぞに花を咲かせたりして…。
意識が開いている人は、離脱の間に意識体チームと今後の手はずを打ち合わせたり、死期が近づくとせっせと移行の準備をしているそうです。
但し、同化の(あなた)は例外なく、離脱後は安全確保のため意識体チームの管理下に置かれており、また、離脱のときの意識レベルは大抵、同化の(あなた)に近いレベルに調整されているそうです。
また、目が醒めてあなたの意識レベルに戻ると、離脱のときの出来事はほとんど忘れるようなシステムになっていると言います。
(あなた)が強い同化になっているときは、眠ってしまってもあなたから離れることがなかなかできなくて、同化の(あなた)は疲れるはずがないのに疲れていて、いつもボーッとした状態になっているのだそうです。
これでは客観的どころじゃありませんよね。