2.9 全託と依存について
地球の求道者にとって全託とは、「最終的には何もかも超越して全てを宇宙に委ねている境地」で、これは私たちにとっても理想の世界観です。
私たちもこの境地が、想念観察の究極の終着駅だと理解していました。
ところが、宇宙の人たちの説明は、私たちの固定観念に風穴を開けるものでした。
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あなた方地球人の基本的な勘違いは、(あなた)とあなたの強い同化から始まります。
あなたが(あなた)に限りなく近づいてから、やがて目覚めのときがやって来たとき、(あなた)は、物質的価値観から抜けだそうと道を探し求めます。
そして、やがてこれらしいと探り出した目標が「全託」なのですが、私たちはこの理解について否定はしないが肯定もできないのです。
なぜなら、(あなた)もあなたも求める以前に元々全託だからです。
(あなた)は元々何もかも超越して全てを「大いなる意識」に委ねている存在です。
全てを委ねていなくては、(あなた)は一瞬もその世界に存在していません。
従って、全託を手に入れる必要は何もありません。
いつもただ淡々とありのままの「それ」が全託です。
(あなた)はただ淡々と無心に「それ」に気づいているだけで全託です。
あなた方地球の求道者の多くにとって、全託の境地はとても手の届かない理想の世界ですが、これはあなた方が勝手に対象化してしまった錯覚と制限にすぎません。
あなた方は「崇高な境地」という、身勝手な対象化の産物に依存してしまいました。
全託へのあこがれはまた、様々な宗教を生み出しました。
古今東西様々な宗教が、遠い全託への道を説いてきました。
しかし「元々自身とその身近な世界が全託の境地だ」という宗教はひとつもありません。
なぜでしょうか?
この全託の真実を知ってしまったら、どの信者も依存に気づいてしまうために、どの教団も店をたたまなくてはならないからです。
自身が全託から遠いという理解は、あなた方の根本的な錯覚です。
この錯覚から実に様々な依存が派生しました。
依存は停滞の源泉です。
停滞はさらにまた依存を生み、いまや地球は「依存の星」と呼ばれるようになってしまいました。
深く高い意識レベルの全託の境地は、「大いなる意識」からエゴ体の意識レベルに至るまでの無数の役割と秩序に目覚めていることでもあります。
つまり、(あなた)は、「大いなる意識」をユーザーとした人間というプロジェクトの全ての役割の当事者です。
(あなた)は全てを兼ねています。
これらの無数の役割は、それぞれ自立しながら緻密に連携して宇宙の秩序を維持しています。役割と連携は依存ではありません。
例えばあなたの肉体の各部位が、あなたの脳に依存しているでしょうか?
あなたの手や足が怪我をしたり痛いからと言って、あなたの脳に治してくれと頼むでしょうか?
あなたの心臓や肺や内臓が、死にたいというあなたの脳の意図に従って、その役割を放棄するでしょうか?
(あなた)がいつもこの役割や連携に目覚めていたら、依存などは思いつきもしないでしょう。
人間以外の生物に依存はない事実を考察して下さい。
最近の「あなたが神」「内なる神」などという表現には、注意を要します。
言葉の持つイメージには、十分用心する必要があります。
これらの表現は一見妥当に見えますが、今までの宗教が外に神を置いてきた結果、信者が離れていった対策として、個人の内側に移動させたものです。
「あなたが神」と言っても、顕在のあなたも同化の(あなた)も、まだ神と呼ぶ意識レベルではないので、依然として神とあなたが分離している事実は変わりません。
「内なる神」という表現も同様です。
同化でない(あなた)の意識体チームは、確かに神と呼んでもいい意識レベルですが、あくまで(あなた)の意識領域であって、エゴレベルのあなたから願い事をするような筋合いではないことに気づいて下さい。
これらは相変わらず、顕在サイドの二極相反のものさしでの理解ですから、そこにはまり込んでいるなら、分離や依存から抜け出すことは容易ではありません。
依存とは、身も心も入れ込んで我を忘れてしまった熱中の状態、また、熱中でなくても、目の前からそれが消えてしまったとき、強く未練が残るものを指します。
また、元々私たちもあなた方地球人も、自然や宇宙に全託して自由に生きている生物ですが、かといって身勝手な振る舞いが許されているわけではありません。
地球人は、宇宙の摂理として、秩序を守る役割と連携を維持する義務があるのに、地球や自然を意のままにしようとして身勝手に振る舞ってきました。
過去の文明は、宇宙の摂理に沿わなくなって後、ことごとく滅んできました。
あなた方の文明も今はその道を歩んでいますが、この「滅亡のサイクル」を転換して恒久的な「発展・進化のサイクル」へと転換するには、地球人ひとりひとりが意識を開いて「根源のものさし」を体現する以外に有効な方法はありません。
(あなた)の依存について考察して下さい。
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依存がいけないなら、宇宙の人たちのアドバイスに頼っている私たちは依存ではないのか、と疑問に思うかも知れませんが、私たちの見解は…
宇宙の人たちから受け取ったアドバイスを鵜呑みにして、ロボットのようになってしまえば依存と言われても仕方がないでしょう。
しかし宇宙の人たちのアドバイスは、そのまま実行しようにも簡単にはできないものばかりですから、想念観察を実践して裏付けしながら、試行錯誤で自己流を工夫し理解を進めていかなくてなりません。これは依存に当たらないと思います。
宗教を信じる人々の中にも、その宿命的な依存の体質の欠点に目覚めて、自立の道を歩んでいる人たちがおり、これは決して依存ではないと思います。