偽りの自分に気付け!
君たちが常に考え、思い、感ずるということがいかにナンセンスであるか、ということについて話してみよう。
元々君たちの思考がどのような回路で成り立っているかを、君たちは理解する必要があるだろう。生まれた時、君たちは無言だった。
これはとても重要なことである。語る以前に、考える以前に、思う以前に、君たちは生まれたその瞬間に、光輝を全体に放っていた。
そして君たちが年齢を重ねるに従って、思うこと、考えること、感じることに光輝が失われていった。
君たちはいつの間にか、考えること、思うこと、感じることを優先してしまった。
そしてそれ以外に、君たちは君たち自身を取り戻す術を見失っている。
君たちはどこに行ったんだろう? そして君たちはこれからどこに行こうとしているんだろう?
中心を見失った君たちの行き着く果てがどこであるのかを、私は敢えて語らない。また語りたくない。
君たちの言葉がどこから流れて来るのか、思索したことがあるだろうか?
君たちは語る。常に語っている。しかしそれは大海の滴一つにも満たない、小さな小さな閉鎖的な世界から発信している言葉である。
これから伝えることをよく注意して頂きたい。
君たちの語る言葉はすべて虚偽の言葉である。
君たちは非常に狭い視野の観念の中でのみ語っている。その狭い視野の中でどれほどの語らいを行おうが、どれほどの議論を重ねようが、明解なる答を見いだすことは不可能である。君たちの何人がこの道理を理解しているんだろうか?
君たちの心の中は常に問題だらけである。どのように平静を装ってもすぐに仮面が剥がれる。今安定していても、何かのきっかけによってその安定は砕け散る。
常に他者の状況が気になって仕方がない。常に周りのことが頭からいつも離れない。
このように君たちは常に君たち自身を見失い、ごたくの海に溺れていることすらも気付かず、それを・・・その状態を君たち自身のすべてだと信じ、疑わずに語り続けている。
このような分裂した君たちの語らいがどれほど有意義なものなのか、そしてその状態における語らいが君たちの未来に対して、また君たちの子孫に対して、どのような果実を与えるのだろうか?
君たちは一度でも真剣に考えたことがあるだろうか?
君たちの想いが、君たちの未来に、そして君たちの子孫にどのような影響を与えているのか考えたことがあるだろうか? 君たちの一挙一投足が、人類の未来を決定し得る因となっていることを理解できる人が、何人いるだろうか?
結局君たちは、君たち自身をもてあまし、君たち自身に振り回されているのが、君たちのいつわらざる現実だといえよう。
そのような「井の中の蛙」式人間には、君たちの今この瞬間の思いが、人類の未来に、子孫に、多大なる影響を与えている、という道理に気付く余裕もないであろう。そのような人間に何ができるというんだろう。
君たち自身の思考回路が分裂し、首尾一貫性の無い願望を満足させることしか頭になく、自分が完成することしか頭に無く、口では成長したいと望んでいながら、もう一つの口ではレベルアップした自分を人に見せたいという虚偽の願望に振り回されていることに気付かず、また、あなたの家庭は平安で他者の家庭が問題の渦中にある時、あなたはその家族から被害を受けたくないと願望し、その虚偽に気付かないであろう。
また、今あなたの人間関係がスム−ズにいっている時、その人間関係を壊す人間をあなたは拒否するであろう。一方の口では人間関係がスム−ズにいっていることを神に感謝し、もう一方の口では、その人間関係を壊す人間は許さないという差別思考に囚われているという、君の分裂した思考回路に君たちは気付いているだろうか?
君たちが、君たち以外の人間のことを考えた瞬間、それは虚偽に変化する。何人の人がこの道理に気付いているんだろうか?
低俗なところでは、人のあら探しを神の言葉にすり替えて語る人間がいる。人のあら探しをする人間ほど、悲しく哀れで貧しい人間はいないだろう。
そしてそれを神・創造の言葉にすり替えて、もっともらしく人に語る人間がいる。君自身がその一人であることに気付いているだろうか?
子供の幸福を願い、その反面では、子供に不幸な目に合わされることを恐れている。
子供から不幸な目に合わされたくないという願望の中に、君自身生きているということが理解できるだろうか?
今君に与えられている立場を失うことを君は最も恐れている。そのような君が心の中に存在していることを、君は多分気付かないだろう。そうして君は無限の中に有限の孤立した世界を作り上げ、さらに神・創造からかけ離れていく人生を選択していることに気付かないだろう。
このように君たちの心の中は分裂極まり無い世界である。その世界からどのような言葉を語ろうが、それは更に分裂した世界を作っていくということが、神・創造に背を向けた哀れ極まり無い行動であることすら、気付かないであろう。
結局君たちが何を求めているのか、私は正直言って分からない。
君たちの心の仮面をかなぐり捨てることが、それほど恥ずかしいことなんだろうか。
苦しい時は君一人が苦しいわけでもなく、悩んでいる時には君一人悩んでいるわけでもなく、恥ずかしいときは君一人恥ずかしいわけでもなく、君たちと同じように悩み苦しみを感じている人が、この地球上にどれほどいるのだろうか。
一度でも、そういうことを考えたことがあるのだろうか?
いつまでたっても個人的感情に振り回され、「私だけが苦しい」と、「私だけが恥ずかしい」と、「私だけが悩んでいる」と・・・甘ったれるのもいい加減にしろ!
少しは目を覚ませ! どこまで君自身を偽ったら気が済むんだ!
結局君の心の中は、自分さえ良ければそれで良いという、甘ったれた小児病患者の域を卒業していないのだろう。
常に人間というものは自分のことを知ろうとせずに、他人のことばかり気になる、始末に追えないものである。どれほど素晴らしいことを語っても、そんなものは一体何だというんだ。
君自身が神・創造であることは間違いなく、それは真実である。
神・創造とはすべてを受け入れ、すべてを許容する、すべてを肯定する大らかな生命の源である。
ところが現実に生きている人間は、その大らかさからかけ離れ、自分の虚偽の姿を人に見せまいとする策略のみに終始しているのが現実である。
ここで重要なのは、現実に生きている人間は、常にそのような虚偽の策略に振り回され、人類の未来のことを忘れ、子孫が少しでも大らかに負担感無く生きてもらいたいという願いも失い、君のこの瞬間のそれらの思いが、人類の未来に、子孫に多大なる影響を与えていることを忘れ、分裂した思考回路の味方をしている。おめでたいとしか言いようのない、ていたらくである。
神・創造を語るならば、今現在の君の虚偽に満ちた姿を君の目ではっきりと見なさい。
君がもしそれを受け入れるなら、未来の人類も開放され、子孫もまた開放される。
君よ! 君自身の手で呪縛を解き放ってごらんなさい。それを行なう君を、神・創造は、暖かなる微笑みをもってご覧になっている・・・
クリエ