競争原理からの脱皮

 人間が生きるには生きる基準が必要である。皆さんは何がしらかの原理に属して生きている。さて地球上における原理とは、「競争原理」・・・つまり自他排斥原理である。

 私は地球上において、その原理は原理として必要だと考えている。一番の問題は、地球上にはその原理しかない・・・正確にはその原理しか見えない、ということにある。

様々な価値観を持つ人がいる。しかしその根底に流れている原理とは、競争原理であることは間違いない。
つまり、氷山の水面上の突起の部分をつまんで、「あなたと私とは考え方が違う」と言ったところで、水面下ではしっかりと手を握り合い、同じ競争原理を共有しているのである。

 戦争反対派も、戦争推進派も同じ原理で動いている。冷静に考察すれば理解できるはずである。そのような原理において平和というものが存在できるだろうか?

私はこの原理を壊せとは言っていない。ただそれに変わる原理が、これからの時代必要であるように思われてならない。
地球上における問題とは、その原理しか見えなくて、他の原理が見えないというところにある。
ここでは選択の自由は当然のごとく無視される。なぜならば、唯一の原理の中で行動し、思考している限り、選択の自由は当然無きに等しい、ということは理解できるはずである。

 さて、もし地球上にいくつかの原理が存在していると仮定しよう。現実に目に見える原理は競争原理ではあるのだが、目に見えざる時空間においては、無数の原理が既に用意され、現実に投影する出番を今、待っている。そのどれを選択するかは皆さんの自由である。

 競争原理を無意識に信仰視しているのが、今のあなたがたである。原理は常に変化する。しかしそれを限定し、その原理を絶対視すると、それは当然のようにあなたの心身を蝕むようになる。

いくつかの原理がこれからの地球には必要になってくる。
今の不況も、そして世界における犯罪の増加、虚無感、イデオロギ−の崩壊、方向性の見えない時代・・・それらの現実は、本来心配の種になるようなものではない。
なぜならば、それが競争原理という資本主義の原理の限界なのである。それは良いとか悪いとかの次元の問題ではなく、システムとしての機能の成果なのである。

難しいことは言うつもりはないのだが、理解しようがしまいが、原理というコンパスがあってこそ、人間は生きていけるのである。
ただその理が分からないと、原理に主体性を置き、原理に振り回され、ミイラ取りがミイラになってしまうような錯覚を起こすのである。

私は、「その後の原理」について話す気はない。
 なぜならばあなたが上記の意味を自らの実感として理解したとき、それに代わる原理は忽然と見えてくるのである。
神を信ずる人も信じない人も、同じ自他排斥原理の中での主張であることは間違いないのである。
 ここであなたは議論の無意味さを悟るはずである。

今あなたは、どの原理に属しているかを明確に理解しなければならない。
つまりあなたという存在が生きていく上でのコンパスを明確にしておかないと、あなたの立場は常に不安定で、原理に振り回されたままの状態で人生を終えてしまう。

 あなたの心の中にある不安とは、あなたを動かしている原理がはっきりとしないから、不安に駆り立てられるのである。そしてそのようなシステムを誰かが作ったのである。

つまり、あなたという人間を管理するコントロ−ルシステムを作ったのである。今あなたは、自らの心の中に染みついて離れない不安をどう処理していいのか、手をこまねいているはずである。
つまり、あまりにも不安を絶対視し過ぎている。さらに輪をかけたように、その不安を現実の出来事に当てはめ、こういうことがあったから、ああなったから不安になった、というように不安の材料ばかり見つけて自らを苦しめていることにも気付かない。

しかし、競争原理システムメ−カ−たちには、あなたのその不安病は、競争原理を存続させる上での最も重要なエネルギ−源になる。
つまり優と劣、有能と無能、自負心と謙虚心・・・その意識をさらに育てていくための貴重なエネルギ−蛋白源になる。そしてあなたは付け込まれ、またそのことに気付かず、あるシステムメ−カ−たちの計画に、最初からはまっているのである。

さて今私の言ったことに対して、あなたはどのように考えるだろうか? 不安とは実態があるのだろうか? 
そのエネルギ−は、今地球上における、「生かすための推進力」としてのエネルギ−にしか過ぎない、ということをよくよく理解して頂きたい。あまり答を言い過ぎても、あなたはまた、わかった振りをしてしまう。

この競争原理にエネルギ−を与え続け、あなたの思考が自他を限定し縛り付けてしまっているということにも気付かず、それを無意識に行ってしまうから、あまり答を言わないようにしよう。
 今私は、この原理を超越した原理について話をしているのである。つまり、今この地球上の原理を包含する原理について述べ、その原理の中において、地球上のこの原理を相応しい形で残したいと思っている。

どうも私が書くと難しいように取られてしまいそうだが、これほど単純な考え方は無いのである。
つまりすべてを肯定し、人を育てる上でそれは必要なこととして存在を認めようとしているのである。
それには、それを超える超越した原理が、当然のように必要になってくる。ただそのことを伝えたいのである。
そして、その原理をあなたが求めたいか、を問うているのである。

最後に、いま地球上における原理が生みだした子供とは・・・これを私は原理子と呼んでいるが・・・その原理子とは、虚栄心、自負心である。
あなたは今もその中に生きているということを決して忘れずに、そのことに対する苦痛を感じとって戴きたい。
つまり、今あなたが30歳なら、5歳の時の洋服を着るのは窮屈で仕方ないだろう。それと同じことである。

窮屈さを感じるということは、苦痛を感じていること自体が、あなたはもう既に宇宙の運行に沿って生きている自然な姿である、ということを証明しているのである。
虚栄心、自負心に対して苦痛を感じるということは、良いとか悪いとかではなく、恥ずかしいわけでもなく、卑下することでもなく、
今この地球上における競争原理、自他排斥原理はあなたにはもう合わない、ということを宇宙が示しているというだけのことなのである。

自分の中に虚栄心、自負心を発見しても自分を傷つけないように。
 また理屈を並べたて、見ている振りをしないように。
 これは創造が創造自体を目覚めさせる上での愛のシステムなのである。
もちろん本当にそうであるかどうかは私にはわからないが、あなたはあなたの言葉を通して理解しなさい。
私の言葉を通してではなく、あなたの言葉を通して理解して戴きたい。

クリエ