理解を中心に納める
浅き夢見し
浅き夢見し
浅き夢見し
さて上記の言葉を君たちはどのように受取り、感じるだろうか。この言葉こそ、君たちが真に求める言葉なんじゃよ。
ま、時期が来て、ようやく浅き夢見し・・・この言葉を送ることができるようになって、我々はとても嬉しい。
と言っても、まだ理解できる人間はそういないんだが、いま刻印を打っておかんと、駄目なんで表現するわけじゃ。
小さな視点から大きな視点を見ると、そこに何が起こるじゃろう?
それは限界の苦しみじゃね。
小さな視点はどこまで行っても小さな視点にしか過ぎず、大きな視点を見ることも理解することも不可能に近いことじゃね。
つまり、君たちという神が、大きな神を理解しようとすると、そこに必ず葛藤が起こるわけだ。さて私は今非常に重要なことをしゃべっておるので、注意深く聞いてくれよ。
葛藤を現実の出来事を通して君たちは体験するわけじゃが、葛藤の起こる原因というものはただひとつしかない。
それは君たちがこの宇宙を知ろうとした瞬間、必然的に葛藤が起こる。
この関係だから、このように物事が動いたから、このような現実があって、このような因果関係によって葛藤が起こる・・・なんてことは嘘である。
葛藤というものは、宇宙というものを進化させる上においての、基本的エネルギ−である。
ただ、このように表現しても、なかなかピンと来ないことだと思うが、それは真理に対する君たちの理解不足が原因なのであって、少しづつ理解されていくことじゃろう。
葛藤が終了した時に、上記のことを理解できる人間はいるわけだが、わかりやすく言うと、
「何事も後になって判る」
ということじゃ。
それはそれで重要な認識である。しかし、その葛藤の最中においては、まったく盲目であるわけじゃ。
ではなぜ盲目になってしまうか、といえば、君たちはこのように考えるじゃろう。
創造がそのようにしているから。
神様がそのようにしているから。
私に今、その経験が必要だから。
・・・馬鹿こけ! そんな馬鹿なことがあるものか!
それこそ小さな視点で大きな視点を見る非常に疲れる考え方だね。それは裏返せば、いつになったら神様と一つになれるんだろう、と言っとるようなものじゃ。
いま君が生きとるのは何の力によってなのか、ということをわしは言いたいわけじゃ。
あんまり種明かしするのも良くないんじゃが、わしは君たちのことを愛しとるから、甘やかすことを承知でついつい答を与え過ぎてしまう悪い欠点があるんじゃよ。
といっても、まったく気にしておらんが。
さて終わった後に理解するということは、いつも君が後手後手に回っているということじゃね。では、なぜ瞬間に理解できないのか、といえば、これも実に簡単な答なんだ。
それは、頭の中10cmでものを考えているからじゃよ。酔いが回って、ワケのわからん状態にいるということじゃな。
その人間の酔いが醒めると同時にやっとそのことが理解できる、ということじゃ。
正確には「酔いが醒める=理解している」という科学の力が働いている、ということじゃがね。
まあ、酔っとる時の君たちの話を聞いていると可笑しくて仕方がないんじゃよ。
君たちの一番の欠点は・・・ええかな、ここからが一番重要だよ。
認識瞑想をして、何度も次の言葉を復習して欲しいね・・・
理解するということは、ただそれだけで理解したことにはならない。
理解したことを中心に納めて、初めて理解が理解として生きていくということである。
そしてそれこそが、創造の内的富と言われる光である。
わかったかのう? 大切なことだからもう一度言う。
瞬間に理解したこととはどういうことか。
「人の話を聞いてうなずく」・・これも理解しとるということだね。しかしそれはまだ理解ではない。
記憶が蘇ってきただけである。瞬間に理解したことを中心に納めてこそ、理解は理解として生きるということだ。
この表現も君たちは頭で聞き理解しとるね。注意しておきたいことは、頭というのは五感の中心だね。
だからこそ頭があるんだから、頭で聞いていいんだし、頭で聞かざるを得ないんじゃよ。
わしがこう言うことを伝えると、頭脳の存在を否定する極端な人がいるから忠告しておくが、頭は創造を受信する受信機であるから、それなくして人間は生きていけないだろう。
ただ受信したエネルギ−を瞬間に「中心に納める」というテクニックが、君たちはヘタクソなんじゃよ。
いくら追及しても時間ばかりかかり、かえって回り道をするもんじゃよ。
追及する人間のタイプとして科学者がいるわけだが、彼らも中心に納めるテクニックを知っておれば、理解する時間は半分に短縮できるわけじゃね。
最も時間のかかることをやっておるのが科学者だ。
そして君たちだ。簡単にできることを簡単にしようとしない。まあ、それは淡々と生きることにさほど魅力を感じておらんせいかもしれんがなあ。
さて「理解したことを瞬間に中心に納める」にはどうすればいいか、ということじゃが、それは唾液を飲み干すごとく、上のエネルギ−を下に落とせということだ。
このテクニックを是非とも身に付けて欲しい。なぜならばこの領域こそが創造であるからである。
元々色も何もついておらんのが創造なんだから、頭のエネルギ−を中心に納めること、即ち創造と一体になっている、ということじゃね。
「知識に溺れるな」ということは、どれだけ注意しても溺れてしまうものなんじゃよ。
それでも説明する側の人間は、知識に溺れないようにと伝えるわけじゃが、それはそうだろう。
言っとる本人が知識に溺れていることを忘れているのだから、その程度のことしか言えんのじゃよ。
わしならばこのように表現するわけじゃよ。
知識に溺れてもええ。
わかったふりをしてもええ。
知ったかぶりしてもええ。
ただそのエネルギ−を中心に納め、飲み干しなさい。
これが不動心である。
そこにはびくともしない活気がみなぎっている。
それでいて柔らかく、水のような私が居ることを必ず感じるようになる。
中心に納めるということは、腹に納めるということである。そのやり方については内緒じゃ。いじわるクリエという声が聞こえてきそうじゃがのう。
このメッセ−ジを境に君たちの理解は急速に進歩することになる。頭の中のエネルギ−が中心に帰れば帰るほど、大浄化が起こる。
それこそ我々が待ちに待ったその時である。とにかく君たちにはピンとこんじゃろうが、我々にとって、このメッセ−ジは非常に重要な意味を持つことになる。
言語での会話を極力少なくしなさい。言語での会話は、即ち頭での会話であり、頭での会話は、即ち中心に帰っていないエネルギ−であり、せいぜい10%しか納まっていないんじゃよ。
もっと早く変化した方が楽でいいじゃろう。頭のエネルギ−を100%中心に納め、創造と即一体になれるように、その感覚を体得してもらいたい。イライラするのが目に浮かぶようじゃね。
最後に、君の感じることすべては、それがいかなることであっても、宇宙の感じる愛そのものである。そして君が今、感じるそのすべては愛である。
そこに一切の理解は無用である。なぜならば、その時の理解は詮索になるからである。中心に納めるテクニックをマスタ−すると、上記のことが少しづつ理解されていく。
クリエ