絶体絶命について
絶体絶命に追い込まれた時、二つの道が用意される。生か死か。
絶体絶命の素晴らしさとは、感情にウソがなくなること、感情に逃げ場がなくなること、そして答が出なくなること。
無理矢理押し込まれた善悪の価値が通用しなくなる時、人に責任転嫁をすることに空しさを感じ始める時、これが絶体絶命によって人間の得る創造の福音である。
そこでもし人に責任転嫁をしたり、不満が絶えなかったりするのであれば、それは絶体絶命に陥っているわけでもなく、ドラマチックな人生にわが身を満たそうとしているひま人のひまつぶしである。
絶体絶命とは、絶対性における絶対性の生命を感じ、表わすことである。今のあなたを越えるには、絶体絶命は貴重な創造の贈物である。
そして物心にわたって絶対に追い込まれる以前に気付くこと・・・自らのごまかし(責任転嫁)に気付くことが賢者の行動である。
絶体絶命に追い込まれてようやく気付くのはひま人のひまつぶしである。これは皮肉ではなく、あなた方を馬鹿にしているわけでもなく(そのようにとってもらっても結構だが)、ただ事実を事実として語っただけにしか過ぎない。
これは創造のゲームである。諸君もぜひとも楽しんでもらいたい。
追伸
上記の言葉・・・今表現した瞬間に死んでしまった言葉(この意味は理解しなくていいから聞き流しなさい)・・・これは事実を語っているのであって、真実を語っているわけではない。(言葉に表現されたものに愛は絶対にない。詩を読んで感動するとは、言葉に感動しているわけではなく、言葉の響き、その奥に流れ続ける唯一の音に感動しているのであって、それを顕在意識でことさらその状況を納得させる必要はないのであって、要は考えるな、ということだ。つねられたら痛いのであって、なぜ痛いの?どうしていたいの?・・・やかましい!)
真実が見えないのは、深刻さに囚われている事実に気付かないからである。深刻さを「絶対的に壊れない、崩すことのできないものだ」と思い込んでいるのである。
この「深刻さ」もあなた方の創造の産物であり、あなた方の創造性が創作した創造物に過ぎない。自らが創造しておきながら、それに気付かないだけである。
あなた方は無限の力を秘めている。力そのものである。だからこそ、深刻さを・・・日々の虚しい囚われを・・・あなた方は思考力を通して創造することができたわけである。
それは間違いなく、あなた方一人一人の無限の力において創造したものである。
あなた方の力というものは、それほどまでの力なのである。ただその事実に気付かず、人に責任転嫁をしているだけなのである。
クリエ