ご由緒
伊太祁曽神社について、正史では『続日本紀』文武天皇大宝2年(西暦701) に現れます。
これは現在の地への社殿造営に関する記事で、第10代垂仁天皇の御代までは、現在の日前宮の地に鎮座したと伝えられ、大変古い神社であることがわかります。
延喜式神名帳には「明神大・月次・新嘗・相嘗」とあり、朝廷の崇敬篤い神社です。
明治18年には国幣中社、大正7年には官幣中社に列格されたおります。
また、紀伊國一の宮でもあります。
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