日本文学古典コーナー

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作品名作家名種別特質 ページ
万葉集編者不詳771年以降平安前期 天皇から遊行女婦の雑歌・相聞・晩歌約4800日本人の心の原点か 第1ページへ
伊勢物語作者不詳平安前期の歌物語男と女の素朴な情交と哀歓、男は在原業平か 第2ページへ
大和物語作者不詳平安前期の歌物語帝や宮人を取り巻く女達の赤裸々な恋の駆け引き 第3ページへ
土佐日記紀貫之平安前期の日記土佐から京都まで、55日間の船旅の日記体紀行文 第4ページへ
蜻蛉日記藤原道綱の母日記文学の先駆 平安時代に生きた女性の実人生が、赤裸々に描かれている 第5ページへ
平中物語平貞文平安中期の物語権勢に縁遠い男と元気な明るい女房たちとの恋の駆け引き 第6ページへ
和泉式部日記和泉式部平安中期の女流日記奔放で情熱的な女流歌人の恋の贈答歌 第7ページへ
紫式部日記紫式部平安中期の女流日記宮廷行事や和泉式部や清少納言らの人物批評や芸術・人生観 第8ページへ
源氏物語紫式部平安中期の物語人間の心理や自然を写実的に描写した日本最古の長編小説 第9ページへ
枕草子清少納言平安中期の随筆宮廷生活の感想を簡潔・明快に記述 第10ページへ
更級名日記菅原孝標の娘平安中期の回想記源氏物語の浮舟に憧れた少女のそれと乖離した40年間の自伝 第11ページへ
堤中納言物語小式部他不詳平安後期の短編物語十編の作品からなりバラエティに富んでいる 第12ページへ
今昔物語作者不詳平安後期の説話集インド・中国・日本の仏教・世俗説話 第13ページへ
平家物語前司行長鎌倉時代の軍記物語平家の興亡と激動の時代の群像と戦闘場面を抒情詩的な文体で 第14ページへ
古今著門集橘成季鎌倉時代の説話王朝貴族生活・武勇や庶民の生活に関するもの 第15ページへ
方丈記鴨長明鎌倉時代の随筆人生観を対句や比喩を駆使し歯切れのよい和漢混合文体 第16ページへ
徒然草兼好法師鎌倉末期の随筆無常観を根底に、自然観照、処世訓、芸能論等 第17ページへ
増鏡二条良基との説室町時代の歴史物語後鳥羽天皇から後醍醐天皇までの歴史物語、名文として定評 第18ページへ
奥の細道松尾芭蕉1690年代初頭の紀行文学江戸から平泉・北陸を巡って大垣までの五ヶ月2400キロの旅行記 第19ページへ

第1ページ



万葉集〜橘諸兄・大伴家持らか



相聞歌〜恋の歌




その1、長距離恋愛と 単身赴任



妹が家も ()ぎて見ましを 大和なる  大島の()に 家もあらましを
(あなたの家が大和の国の大島の嶺にあって、いつも家だけでも見られたらよいのに)

二人行けど 行き過ぎかたき秋山をいかにか君が ひとり越ゆらむ
(二人で行っても難儀な秋山を、どんなに苦労してあの人は一人越えていることだろう)

石見なる高角山(たかつのやま)の  木の間より 我が袖振るを妹見つらむか

我が背子は いづく行くらむ 
沖つ藻(名張の枕詞〜名張はナバル=隠れるの意、沖つ藻は海中の藻) の名張の山を
 今日か越ゆらむ
(私の夫は、どの辺りまで行っているのだろう、人の姿も見えなくなってしまう名張の山を、 今日あたり越えていることだろう)

あしひきの(山の枕詞) 山のしづくに 妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに

(返歌)我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを(なれたらろいのに)

我が背子が 着せる衣の 針目落ちず こもりにけらし 我が心さへ
(あなたが着ていらっしゃる着物の縫い目の一つ一つに身も心もすっぽりと入ってしまいたい)

後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ()かむ  道の隅廻(くまみ)に 標結(しめゆ)へ我が背
(あとに残って恋しがっているくらいなら追いかけて行こう。道の曲がり目、印をづけておいてください)

(いにしへ)にありけむ人も 我がごとか  妹に恋ひつつ寝ねかてずけむ
(古に生きていた人も、私と同じように、妻が恋しくて寝られなかっただろうか)

その2、熱く激しい恋・恋の不安

居明かして(夜が明けるまで寝ないでいて)
 
君をば待たむ ぬばたまの(あやめ科の植物で黒い実〜夜・黒の枕詞)  我が黒髪に霜は降るとも


古に 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が恋ふるごと
(昔からほととぎすは恋の鳥と言われています。きっと恋しさのあまり、喉を切り裂く様に鳴いたでしょう、私が恋しているように)

恋ひ死なむ 後は何せむ 生ける日の ためこそ妹を 見まく欲りすれ
(恋に死んだ後のなって逢っても何になろう生きている間のためにこそあなたに逢いたいのです)

ただ一夜 隔てしからに あらたまの 月か経ぬると 心迷ひぬ
(たった一晩間をおいただけで、一月も経ったかと思って心は千々に乱れる)

(返歌)我が背子が かく恋ふれこそ ぬばたまの 夢に見えつつ 寝ねらえずけれ
(あなたがこんなに思ってくださるからこそ夢にずっと見えて眠れなかったのですね)

しきたへの 枕ゆくくる 涙にそ 浮き寝をしける 恋の繁きに
(枕をつたって流れる涙川に浮き寝(憂き・不安定な状態)をしたことだ 恋の激しさゆえに)

我妹子に 恋ひつつあらずは 秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを
(あなたに恋して苦しむくらいなら、秋萩の咲いてすぐ散ってしまう花のほうがましです)

相見ずは 恋ひざらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ
(逢わなかったら恋もしなかったろうに、あなたを見てからこんなにも恋しくてどうしたらよいのだろう)

我が妹子を 相知らしめし 人をこそ 恋のまされば 恨めしみ思へ
(あなたを紹介してくれた人を、恋しさがまさると、かえって恨めしく思う)

今のみの わざにあらず 古の 人そまさりて 音にさへ泣きし
(今の世だけのことではないのだ、古の人こそもっと恋の苦しさに声をあげて泣きさえしたのです)

秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益さぬ思ほすより
(秋山の木陰をひそかに流れてゆく水のように私のほうこそ深く思っているでしょう)

恋ひ恋ひて逢へる時だに うるはしきこと尽くしてよ 長くと思はば
(ずっとずっと思っていて やっと逢えたときぐらい 優しいこと言って頂戴。 少しでも永く一緒にいたいなら)

ますらをや(自嘲的・自己嫌悪) 片恋せむと 歎けども
 (しこ)のますらを なほ恋ひにけり

(ますらおが、片恋などするものかと歎いても、みっともないますらおだ、やはり恋しい

(返歌)歎きつつ ますらをのこの こふれこそ 我が結ふ髪の  ()ちてぬれけれ
(ますらおを歎くあなたが、恋するからこそ、私の結った髪が濡れてほどけたのですね)



その3、許されぬ恋等

秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 
君に寄りなむ  言痛(こちた)くありとも

(秋の田の稲穂がなびいているその様に、ひたむきにあなたに寄り添いたい、噂はひどくても)

ひとり寝て 絶えにし紐を ゆゆしみと 
せむすべしらに音のみしそ泣く

(ひとり寝をして、切れてしまった紐が、不吉に思われ、どうすることもできずに声をあげて泣いてしまった)

  我が持てる 三つあひに縒れる 
糸もちて付けてましもの 今そ悔やしき

(私が持っている三つ縒りの 糸を使って、しっかりつけてあげればよかった 今となってはそれがくやしい)

神木(かむき)にも 手は触るといふを うつたへに 
人妻といへば 触れぬものかも

(神木でもてぐらい触れてよいというのに、人妻というとむやみに触れられないものだろうか)

出でて去なむ 時しはあらむを 
ことさらに妻恋しつつ 立ちて去ぬべしや

(お帰りになる時はいつでもありましょうに、 ことさら奥さんのことを思いながらお帰りになる様なことがあってよいものでしょうか

春日野の 山辺の道を 恐りなく 
通ひし君が 見えぬころかも

(春日野の山辺の道を怖がりもせずに通って来られたあなたが、見えないこのごろです)

ひさかたの(雨の枕詞) 雨も降らぬか 雨つつみ 
君にたぐひて この日暮らさむ

( 雨が降ればよい。雨ごもりしてあなたに寄り添い日夜過したい)

庭に立つ 麻手刈り干し 布さらす
 東女を忘れたまふな


みやびをと 我は聞けるを やど貸さず 我を帰せり おそのみやあびを
(あなたは風流人だと聞いていたのに、泊めもしないで私を帰したまぬけな風流人だこと)

みやびをに 我はありけり やど貸さず 帰しし我そ みやびをにはある
(私は風流人であったのだ。泊めもしないで帰した私こそ、真の風流人だったのだ)

娘子(をとめ)らが 玉くしげなる 玉櫛の  神さびけむも
 妹に逢はずあれば

(おとめの櫛笥の中の櫛のように古びてしまったでしょう、あなたに逢わずにいるから)

草枕 旅には妻は()たれども 
くしげの内の玉こそ思はゆれ

(旅には妻を連れているが、本当は櫛笥の中の宝珠のようなあなただけを思っています)

  蒸し(ぶすま) なごやが下に 臥せれども 
妹とし 寝ねば 肌し寒しも

(ほかほかの 柔らかな布団にくるまって寝ているが、あなたと寝ないので、肌が冷たい)

佐保川の 岸のつかさの 柴な刈りろね ありつつも 
春し来らば 立ち隠るがね

(佐保川の岸の高みの柴は刈らないでおくれ、春になったら隠れて逢うために)

黒髪に 白髪まじり 老ゆるまで 
かかる恋には いまだあはなくに

(黒髪に白髪が混じり年寄るまで、こんな恋には逢ったことがない)

事もなく 生き来しものを 老いなみに 
かかる恋にも 我はあへるかも

(何事もなく生きてきたのに、老いてからこの様な恋にめぐり遇ったことだ)

この世には 人言繁し 来む世にも 
逢はむ我が背子 今ならずとも

(現世では人の口がうるさいので、あの世ででも逢いましょうあなた)


〜略〜

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第2ページ


伊勢物語〜作者不詳

1、初冠、
むかし、男、初冠(うひかうぶり) して、奈良の京春日の里に、しるよしして、狩にいにけり、その里に、いとなまめいたる女はらからすみけり。 この男かいまみてけり。思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどいにけり。男の、 着たりける狩衣(かりぎぬ) の裾をきりて、歌を書きてやる。その男、信夫摺(しのぶずり) の狩衣をなむ着たりける。
春日野(かすがの)の若むらさきのすりごろも
しのぶの乱れかぎりしられず


となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
みちのくのしのぶもみじずりたれゆえに
乱れそめにしわれならなくに


といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、 かくいちはやきみやびをなしける。

2、西の京
むかし、男ありけり。奈良の京ははなれ、この京は人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり、その女、 世人(よひと)にはまさりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。 ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、かへりきて、いかが思ひけむ、時は 三月(やよひ)のついたち、雨そほふるにやりける。

おきもせず寝もせで夜を明かしては
春のものとてながめくらしつ
(註、一夜の語らいからかえってきて、わたしはおきてもいず、 ねむしもしないであなたを思い、夜を明かしてす過しました。朝になると春のならいとて長雨が降っています。それを見やりながら、 物思いにふけってまた一日を暮らしてしまいましたよ)

15、しのぶ山
むかし、陸奥陸奥(みち)の国にて、 なでふことなき人の妻に通ひけるに、あやしう、 さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
しのぶ山しのびてかよふ道もがな
人の心のおくも見るべく


>(みやづか)へしける女の方に、 御達御達(ごたち)なりける人をあひしりたりける、ほどもなく離れにけり。 同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男は、あるものかとも思ひたらず。

女、
あまぐものよそにも人のなりゆくかさすがに
目には見ゆるものから


とよめりければ、
男、返し、
あまぐものよそみしてふることは
わがいる山の風はやみなり

とよめりけるは、また男ある人となむいひける。



23、筒井筒

むかし、いなかわたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、 男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、 親のあわすれども聞かでなむありける。さて、このとなりの男のもとより、
かくなむ、

筒井つの井筒にかけしまろがたけ
すぎにけらしな妹見ざるまに


女、返し、

くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ
君ならずしてたれかあぐべき


などいひいひて、ついに本意のごとくあひにけり。

さて年ごろふるほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともにいふかhなくてあらむやはとて、 河内の国、高安の郡に、いき通ふ所いできにけり、されど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、 いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽のなかにかくれいて、 河内へいぬるかほにて見れば、この女、いとよう化粧じて、うちながめて、

風吹けば沖ついら浪たった山
夜半にや君がひとりこゆらむ

とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりけり。
まらまらかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもとくりけれ、いまはうちとけて、 手づから飯匙(いひがひ)とりて、 笥子(けこ)のうつはものにもりけるを見て、 いかずなりにけり。さりすれば、かの女、大和の方を見やりて、

君があたり見つつを居らむ生駒山
雲なかくしそ雨はふるとも


といひて見いだすに、かろうじて大和人、「来む」といへり。

よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、

君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば
頼まぬものの恋ひつつぞ経る


といひけれど、男すまずなりにけり。


123,鶉

むかし、男ありけり。深草にすみける女を、 やうやう()きがたやにや思ひけむ・かかる歌をよみけり。

年を経てすみこし里をいだたいなば
いとど深草野とやなりなむ


女、返し、
野とならばうづらとなりて鳴きをらむ
かりにだにやは君は ()ざらむ


とよめりけるにめでて、ゆかむと思ふ心なくなりにけり。
〜略〜

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第3ページ



大和 物語

1、亭子の院
亭子(ていじ) (註、宇多天皇譲位後の御所が亭子院であったため) (みかど) 今はおりいさせたまひなむとするころ、 弘徴殿(こぎでん) (清涼殿の北にあり、皇后・中宮がおられる所) の壁に、 伊勢の()の書きつけける。

わかるれどあひも惜しまぬももしきを
見ざらむことのなにか悲しき

(註、わたくしはここを別れていくのですが、いっこう名残りを惜しんでもくれないこの無心の宮中を、 これから見なくなるということが、どうしてこんなに悲しく思われるんでしょうか)
とありければ、帝、御覧じて、そのかたはらに書きつけさせたまうける。
身ひとつにあらぬばかりをおしなべて
ゆきめぐりてもなどか見ざらむ


となむありける。

6、はかなき空
朝忠(註、藤原朝忠) (あさただ)の中将、人の妻にてありける人に、しのびてあひわたりけるを、 女も思ひかはしてすみけるほどに、かの男、人の国の(かみ) になりて下りければ、これもかれも、いとあはれと思ひけり。さてよみてやりける。

たぐへやるわがたましひをいかにして
はかなき空にもてはなるらむ


ちなむ、下りける日、いひやりける。

7、あかぬ別れ
男、、女、あひ知りて年経にけるを、いささかなることによりてはなれにけれど、 あくとしもなくてやみにしかばにやありけむ、男もあはれと思ひけり。かくなむいひやりける。

あふことはいまはかぎりと思へども
涙は絶えぬものにぞありける


女、いとあはれと思ひけり。

48、空行く春日

先帝の御時、刑部の君とてさぶらひたまひける更衣の、里にまかりいでたまひて、 久しうまいたまはざりけるにつかはしける。

大空うをわたる春日の影なれや
よそにのみしてのどけかるらむ

(註、あなたは大空をわたっていく春の日であるからでしょうか。 宮中をよそにばかり見て、里でのんびりすごして平気なのですね)

51、花の色
斎院より内(註、宇多天皇)に、

おなじえをわきてしもおく秋なれば
光もつらくおもほゆるかな


御返し、
花の色を見ても知りなむ初霜の
心わきてはおかじとぞ思ふ


60、燃ゆる思ひ
五条の御といふ人ありけり。男のもとに、わがかた (註,ここでは女の側) を絵にかきて、女の燃えたるかたをかきて、 煙をいとおほくくゆらせて、かくなむ書きたりける。

君を思ひなまし身をやく時は
けぶりおほかるものにぞありける




66、いなおほせ鳥

としこ(註、藤原忠房の子、千兼の妻)、 千兼を待ちける夜、来ざりければ、
さ夜ふけていなおほせ鳥
(註、秋稲を刈る頃に来る、せきれい7のどのような鳥ともいわれ、諸説あり) のなきけるを
君がたたくと思ひけるかな


67、雨もるる宿
また、としこ、雨の降りける夜、千兼を待ちけり。雨にやさはりけむ、 来ざりけり。こぼれたる家にて、 いといたくもりけり。「雨のいたく降りしかば、えまいらずなりにき。さるところにいかにものしたまへる」 といひければ、としこ、

君を思ふひまなき宿と思へども
(註、あなたを思うことはすこしもやむときがありません。それとおなじように、 家もすきまのないものと・・・)
今宵の雨はもらぬ間ぞなき


150、猿沢の池

むかし、ならの帝に仕うまつる うねべ ありけり。顔かたちいみじう清らにて、人々よばひ、 殿上人などもよばひけれど、あはざりけり。そのあはぬ心は、帝をかぎりなくめでたきものになむ思ひたてまつりける。
帝召してけり。さてのち、またも召さざりければ、かぎりなく心憂しと、思ひけり。
夜昼、心にかかりておぼえたまひつつ、恋しう、わびしうおぼえたまひけり。帝は召ししかど、 ことともおぼさず。さすがに、つねには見えたてまつる。
なほ世に経まじき心地しければ、よる、みそかにいでて、 猿沢の池に身をなげてけり。
かくなげつとも、帝はえしろしめさざりけるを、ことのついでありて、 人の奏すしけば、聞しめしてけり。
いといたいたうあはれがりたまひて、池のほとりにおほみゆきしたまひて、 人々に歌よませたまふ。かきのもとの人麻呂、

わぎもこが (註、「わが妹」の約)
玉藻かづかば水ぞひなまし

とよみたまひけり。さて、この池に墓せさせたまひてなむ、かへらせおはしましけるとなむ。

161、小塩の山
在中将、二条の后の宮、、まだ帝にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける世に、 よばひたてまつりける時、ひじきといふ物をおこせて、かくなむ、(これは、二条后が、まだ清和の帝の女御 としてお仕えになるまえの、雲上にあがらぬなみの人でいらした時のことである。)

思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむ
ひじき物には袖をしつつも

(註、わたしを思ってくださる情けがおありなら、あれた家でも満足です。 あなたと二人、袖を重ね引きしいて、心あたたかにそこで共寝をいたしましょう〜この歌は、伊勢物語にも書かれている)

となむのたまへりける。返しを人なむ忘れにける。
さて、后の宮、春宮の女御と聞こえて大原野にまうでたまひけり。御ともに上達部・殿上人、いとおおく仕うまつりけり。 在中将も仕うまつれり。御車のあたりに、なま暗きをりに立てりけり。御社にて、おほかたの人々禄たまはりてのちなりけり。 御車のしりより、奉れる御単衣の御衣をかづけさせたまへりけり。在中将、たまわるままに、

大原や小塩の山も今日こそは
神代のことをおもひいづらめ


と、しのびやかにいひけり。むかしをおぼしいでて、をかしとおぼしける。
〜略〜

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第4ページ



土佐日記〜紀貫之

男もすなる日記というものを、女もしてみむ、とて、するなり。
それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の刻に、そのよし、いささかに物に書きつく。
ある人、県の四年五年はてて、例の事(註、慣例の事務引継ぎ)どもみなし終へて、 解由(註、解由状の略で事務引継ぎの確認書)など取りて、住む館より出でて、舟に乗るべき所へ渡る。 かれこれ、知る知らぬ、送りす。年来よく比べつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりに、 とかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。

二十二日に、和泉の国まで、と、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど、馬のはなむけ (註、餞別の意)す。 上中下、酔い飽きて、いと怪しく、潮海のほとりにて、あざれり。
〜略〜

二十八日浦戸より漕ぎ出でて、大湊を追ふ。
この間に、以前の守の子、山口のちみね、酒、よき物ども持て来て、船に入れたり。行く行く飲み食ふ。

八日。障ることありて、なほ、同じ所なり。
今宵、月は海にぞ入る。これを見て、業平の君の「山の端逃げて入れずもあらなむ」といふ歌なむ思ほゆる。 もし海辺にて詠まましかば、「波立ち障へて入れずもあらなむ」とも詠みてましや。今、この歌を思ひ出でて、 ある人の詠めりける、

照る月の流るる見れば天の川
出づる港は海にざりける

とや。 〜略〜

十三日の暁に、いささかに雨降る。しばしありて止みぬ。>
女これかれ、「沐浴などせむ」とて、あたりのよろしき所に下りて行く。 海を見やれば、

雲もみな波とぞ見ゆる海人もがな
いづれか海と問ひて知るべく

となむ歌詠める。

さて、十日あまりなれば、月おもしろし、舟に乗りはじめし日より、舟には、紅濃くよき衣着ず。
それは、「海の神に怖ぢて」と言ひて、何の葦陰にことづけて、 老海鼠(ほや) (註、男性性器の意) のつま (註、連れ合い) 胎鮨(いずし)鮨鮑(すしあわび) (註、女性性器の意) をぞ、 心にもあらぬ脛(はぎ)にあげてみせける。 (註、女たちの水浴の様子を類似表現で戯れてみせた) 〜略〜



十九日。日悪しければ、船出ださず。

廿日。昨日のやうなれば、船出ださず。みな日人々憂へ嘆く。
苦しく心許なければ、ただ、日の経るる数を、今日幾日、 二十日、三十日と数ふれば、指も損はれぬべし、いとわびし。夜は寝も寝ず。

廿日の夜の日の出にけり。山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。かやうなるを見てや、 昔、阿倍の仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、舟に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、 別れ惜しみて、かしこの漢市詩作りなどしける。
飽く数やありけむ、廿日の夜の月出づるまでぞありける。その月は海よりそ出でける。
これを見てぞ、仲麻呂の主、
「わが国にかかる歌をなむ、神代より神も詠ん給び、今は上中下の人々も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しみもある 時には詠む」とて、詠めるける歌、

青海原振り放け見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも


とぞ詠めりける。
かの国人、聞き知るまじく思ほへたれども、言の心を、男文字に様を書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ 知らせければ、心をや聞きえたりけむ、いと思ひの外になむ賞でける。
唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
さて、今、当時を思ひやるて、ある人の詠める歌、

都にて山の端に見し月なれど
波より出でて波にこそ入れ
〜略〜

三十日雨風吹かず。
「海賊は夜歩きせざなり」と聞きて、夜中ばかりに舟を出だして、阿波の海の水門を渡る。
夜中なれば、西東も見へず。男女、からく神仏を祈りて、この水門を渡りぬ。寅卯の刻ばかりに、沼島といふ所を過ぎて、 多奈川といふ所を渡る。からく急ぎて、和泉の灘といふ所に到りぬ。

〜略〜



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第5ページ




蜻蛉(かげろう)日記〜藤原道綱の母

(序文〜はかない身の上)
かくありけりし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふる人ありけり。
かたちとても人にも似ず。
心魂もあるにもあらで、かうものの要にもあらであるもも、ことわりと思ひつつ、 だだ臥し起き明かし暮らすすままに、世の中におほかる古物語のはしなどを見れば、世におほかるそらごとだにあり、 人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めずらしきさまにもありなむ、 天下の人の品高きやと問はんためしにもせよかし、とおぼゆるも、すぎにし年月ころのこともおぼつかなかりければ、 さてもありぬべきことなむおほかりける。 〜略〜

(藤原兼家の求婚)
馬にはひ乗りたる人して、うちたたかす。
たれなど言はするには、おぼつかなからず騒いだれば、もてわづらひ、取り入れてもて騒ぐ。 見れば、紙なども例のやうにもあらず、いたらぬところなしと聞きふるしたる手も、 あらじとおぼゆるまで悪しければ、いとぞあやしき。
ありける言は、

音にのみ聞けばかなしなほととぎす
    ことかたらはむと思ふこころあり

とばかりぞある。
「いかに。返りごとはすべくやある」など、さだむるほどに、古代なる人 (註、古風な人、作者の母)  ありて、「なほ」とかしこまりて書かすれば、

かたらはむ人なき里にほととぎす
   かひなかるべき声なふるしそ(註、繰り返し仰せられてもむだです)

これをはじめに、またまたもおこすれど、
返りごともせざりければ、また、

おぼつかな音なき滝の水なれや
  ゆくへも知らぬ瀬をぞたづぬる

これを、「いまこれより」といひたれば、痴れたる (註、結婚後まったく違ってしまった兼家を知っている作者からみれば、 その時の彼はまるで理性を失っていたとしか思えない、と言う批判を挿入)
  やうなりや、かくぞある。

人知れずいまやいまやと待つほどに
    かへりこぬこそわびしかりけれ

とありければ、
例の人、「かしこし、をさをさしきやうにもきこえむこそよからめ」とて、さるべき人して、 あるべきに書かせてやりつ。
それをしもまめやかにうち喜びて、しげう通はす。
また、添へたる文見れば、

浜千鳥あともなぎさにふみ見ぬは   われを越す波うちやけつらむ 〜略〜


秋つかたになりにけり。添へたる文に、
「心さかしらづいたるやうに見えつる憂さになむ、念じづれど、いかなるにかあらむ、

鹿の音も聞こえぬ里に住みながら
あやしくあはぬ目をも見るかな

とある返りごと、

「高砂のをのへわたりに住まふとも
しかさめぬべき目とは聞かぬを

げにあやしのことや」とばかりなむ。
また、ほどへて、

逢坂の関やなになり近けれど
  越えわびぬればなげきてぞふる

返し、
越えわぶる逢坂よりも音にきく
  勿来勿来(なこそ)をかたき関と知らなむ

などいふまめ文、通ひ通ひて、いかなるあした (註、結婚を暗示)にかありけむ、
夕ぐれのながれくるまを待つほどに
  涙おほいの川とこそなれ

返し、
思ふことおほいの川の夕ぐれは
  こころにもあらずなかれこそすれ

また、三日ばかりのあしたに、
しののめにおきける空はおもほえで
  あやしく露と消えかへりつる

返し、
さだめなく消えかへりつる露よりも
  そらだのめするわれはなになり

〜略〜

かく年月はつもれど、思ふやうにもあらぬ身をし歎けば、 声あらたまるもよろこぼしからず、なほものはかなきを思へば、 あるかなきかのここちするかげろふの日記といふべし。
〜略〜

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第6ページ




平中物語〜平貞文

桜問答

また、この男、おほかたなるものから、ときどき、をかしきことはいひけり。
それに、さくらのいみじうおもしろきを折りて、男のいひやる。

咲きて散る花と知れるを見る時は
心のなほもあらずもあるかな


女、返し、
年ごとの花にわが身をなしてしが
君が心やしばしとまると
〜略〜

なおざりごと

また、この男、なほざりにものいふところありけり。
夏の夜の、月いとおもしろきに、「来む」といへりければ、女いひやる。

ほととぎすいづれの里をみざりけむ
あまたふるすと聞けは頼まず


男、返し、
鳴きふるす里やありけむほととぎす
わが身ならぬをいかがこたへむ

とのみいひやりて、やみにけり。 〜略〜


七夕

この男、いひすさひにけるに、七月になりにけり。
さりければ、七日に川原にゆきて、遊びけるに、この男、 夢のごとあひて、見もえあはせで、言の通ひは、ときどきいひ通はす人の車ぞ、来て、川原に立ちにける。
供なる人々見て、いふを聞きて、男、「かう近きことのうれしきこと。これをば天の川となむ思ひぬる」などいはせて、

男、
彦星に今日はわが身をなしてしが
暮れなば天の川渡るべく

といはせたれば、
女、見には見て、つつむ人 (註、遠慮する)などやありけむ、 ただ、「暮れなば、かしこにを」といひて、いにけり。
されば、日や暮るると、いつしかいきてあひにけり。

またのつとめて、男、
天の川今宵もわたる瀬もやあると
雲の空にぞ身はまどふべき


返し、女、
七夕のあふ日にあひて天の川
たれによりてか瀬をもとむらむ

といへり。
いたく人につつむ人(註、夫のことを気にする) なりければ、わづらはしとて、 男、やみにけり。 〜略〜


揺れる女心

また、この男、ひさしうものいひわたる人ありけり。 「ほど経ぬるを、みづからいかむ」といへば、

返りごとに、女、
あふことの遠江(とうたふみ) なるわれなれば
勿来(なこそ)の関もみちのまぞなき


男の返歌、
勿来てふ関をばすえであふことを
近江にもきみはなさなむ

(註、遠江ではなく近江(ちかたふみ) に近く逢えるようにしてください)

かういへど、この女さらにあはず、 上衆(じょうず)めき (註、上流の女のように振舞う) ければ、男いひわびて、ものもいはざりければ、

いかが思ひけむ、女いひたり。
思ひあつみ袖木枯(そでこがら) しの森なれや
頼む言の葉もろく散るらむ


返し、
君恋ふとわれこそ胸は木枯しの
森ともわぶれ影となりつつ
〜略〜

菊盗人

また、この男の家には、前菜好みて造りければ、おもしろき菊など、いとあまたぞ植えたりける。
間をうかがひて、月のいとあかきに、女ども集り来て、前菜どもなど見て、花のなかに、いと高きにぞ、つけていひける。

ゆきがてにむべしも人はすだきけり
   
 花は花なる宿にぞありける (註、この花こそ花というにふさわしい邸なのです) 

とてぞ、みな帰りける。
さりければ、この男、もし、来て取りもやするとて、 花のなかに立ててぞ、

わが宿の花は植えしにこころあれば
  
守る人なみ人となすにて


とぞ書きて立てたりける。取りにいや来るとうかがはせけれど、たゆみたるにぞ、取りてける。 くちおしく、知らせでやみにけり。(註、主の真意を知ってもらえずに終わってしまった) 〜略〜



また、この男、正月のついたちの日、雨のいたう降りて、ながめいたるに、友だちのもとより、かくぞいひたる。

春雨にふりかはりゆくとしつきの
年のつもりや老いになるらむ

さて、その友だちの久しく訪れねば、男また、
君が思ひいまはいくらに分くればか
われに残りの少なかるらむ


返し、 としごとになげきの数はそふれども
たれにか分けむ二心なし
〜略〜
野の鶯

また、、この男、逍遥しにとて、なま田舎(註、郊外) へいにけるに、はるかに鶯の鳴きければ、「いづ方ぞ」など、供なる人に、

うぐひす(註、「憂く」を響かせている) の声(註、世を憂しと鳴く鶯の声)
のはつか(註、かすかに) に聞ゆるはいづれの山になく山彦ぞ
(註、わたしの泣き声の山彦なのだろうか)

とぞ、口遊びにいひける。
〜略〜

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第7ページ




和泉式部日記〜和泉式部
(書き出し〜追憶と期待〜)

夢よりもはかなき世の中を、歎きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十日余日にもなりねれば、木の下くらがりもてゆく。 築土の上の草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣ももとに人のけはひっすれば たれならむと思ふほどに、故宮にさぶらひし小舎人童(註、貴族に仕えて雑用をする男の童) なりけり。

あわれにもののおぼゆるほどに来たれば、

「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔(註、亡き為尊親王との恋のゆかり)のなごりにも思ふを」
など言ふすれば、童、 〜略〜
宮様、
「これもて参りて、いかが見たまふとてたてまつらせよ」とて、橘の花をとり出でたれば、〜略〜

女、
「なにかは。(註、なにかまうものか) あだあだしくもまだ聞こえたまはぬを。はかなきこと (註、とりとめのない和歌ぐらい差し上げても) をも」 と思ひて、

  薫る香によそふるよりはほととぎす
聞かばやおなじ声やしたると

(註、兄宮様と同じお声であるかどうかと。 同じお声だったら、宮様を偲びたい)

と聞こえさせたり。
まだ端におはしましけるに、この童かくれのかたにけしきばみけはひを、御覧じつけて、 宮様「いかに」と問はせたまふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、

おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす
声はかはらぬものと知らずや


と書かせたまひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。すきがましきやうなり」とて、 入らせたまひぬ。
もて来たれば、をかしとみれど、つねはとて御返聞こえさせず。
賜はせそめては、また、

うち出ででもありにしものをなかなかに
苦しきまでも歎く今日かな


とのたまはせたり。もとも心ふかからぬ人にて、ならはぬ (註、鬱積した心の状態) つれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とどまりて、

御返。
今日のまの心にかへて思ひやれ
ながめつつのみすぐす心を
(註、亡き為尊親王への思慕と新たな弟宮への期待、一方宮には女の多情な噂が先入観としてある) 〜略〜

(忍ぶ恋)
宮、例の忍びとはしましたり。女、さしもやはと思ふうちに、日ごろのおこなひに困じて、うちまどろみたるほどに、 門をたたくにきつくる人もなし。聞こしめすことどもあれば、人のあるにやとおぼしめして、やをら帰らせたまひて、つとめて、

あけざりしまきの戸口にたちながら
つらき心のためしとぞ見し


憂きはこれにやと思ふも、あはれになむ」とあり。 「昨夜おはしましけるなめりかし、心もなく寝にけるものかな」と思ふ。
御返し。
いかでかはまきの戸口をさしながら
(註、槙の戸口は誰一人はいらず鎖したままです)
つらき心のありなしを見む
(註、どうして私の心が薄情かどうか、外からおわかりになるでしょうか)
おしはからせたまふれるこそ。見せたらば」と書いた。 〜略〜
8濃やかな贈答)

女、 高瀬舟はやこぎ出でよさはること
さしかへりにし葦間わけたり

と聞こえたるを、おぼしわすれたるにや、

宮、 山へにも車に乗りて行くべきに
高瀬の舟はいかがよすべき

とあれば、
女、 もみぢ葉の見にくるまでも散らざらば
高瀬の舟のなにかこがれむ
〜略〜

宮、  寝ぬる夜の(註、あなたとともに寝た夜以来の) 寝覚の夢にならひてぞ
ふしみの里(註、伏見と臥しとをかける) を今朝は起きける

御返し
女、その夜より(註、宮とはじめてともに寝たよる) わが身の上はしられねば
すずろに(註、意外にも) あらぬ旅寝をぞする (註、三位の家の車宿りで夜を明かしたこと)

と聞こゆ。
〜略〜

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第8ページ



紫式部日記〜紫式部

土門邸の秋ー寛弘五年七月中旬


秋のけはひ入たつままに、土御門殿(つちみかどどの) (註、左大臣藤原道長の邸宅、京極殿ともいう) のありさま、いはむ方なくをかし。
池のわたりの木ずえども、遣水(やりみづ) (註、人工の小川)のほとりの草むら、 をのがじじ色づきわたりつつ、おほかたの空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経 (註、一昼夜を十二時に分け、 十二人の僧が輪番に『大般若経』『最勝王経』『法華経』等を間断なく読誦する。ここでは中宮の安産祈祷) の声声、あはれまさりけり。
やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のをとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。
御前(註、一条天皇の中宮彰子 ̄21歳〜妊娠9ヶ月) にも、近うさぶらふ人々はかなき物がたりするを聞こしめしつつ、 なやましゅうおはしますべかめるを、 さりげなくもてかくさせ給へる御ありさまなどの、いとさらなることなれど、憂き世のなぐさめには、 かかる御前をこそたづねまいるべかりけれと、現し心をばひきたがへ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。

五壇の御修法(みすほう)七月廿日頃の明け方
まだ夜ふかきほどの月さしくもり、木の下をぐらきに、「御格子まいりなばや」「女官はいままでさぶらはじ」 「蔵人まいれ」などいひしろふ程に、後夜の鉦うちおどろかして、 五壇の御修法(註、五つの壇を設け、天皇、国家の大事に際して行われる修法) の時はじめつ。
われもわれもとうちあげたる伴僧の声々、遠く近く聞きわたされたる程、おどろおどろしくたうとし。
観音院の僧正、ひむがしの対より、廿人の伴僧をひきいて、 御加持(ごかじ) (註、修法終了後、仏の加護を祈るため寝殿に向かう) まいりたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、 ことことのけはいには似ぬ。
法住寺の座主は馬場の御殿(をとど)、 へんち寺の僧都(そうず)は文殿などに、 うちつれたる浄衣姿にて、ゆへゆへしき唐橋どもを渡りつつ、 木の間を分けてかへり入ほども、はるかに見やるる心ちしてあはれなり。
さいさ阿闡梨(あざり)(註、高僧の称) も、大威徳をうやまいて、腰をかがめたり。
人々まいりつれば、夜も明けぬ。〜略〜

御盤のさま七月下旬

播磨の守、碁の負けざしける日(註、碁に負けた側が勝った側にたいして饗応する)、 あからさまにまかでて、 のちにぞ御盤のさまなど見たまへしかば、華足(註、碁盤の足に花形の飾りや彫刻があるもの) などゆえゆえしくして、 州浜のほとりの水にかきまぜたり。(註、まぜてあった)

紀の国のしららの浜にひろふてふこの石こそはいはほともなれ
(註、この小さい碁石こそは、尽きせぬ君が御代とともに末長くあって、 大きな巌ともなりますように) 〜略〜

宰相の君の昼寝姿ー8月二十六日

上よりおるる途に、弁の宰相(註、参議兼左近衛中将、源経房) の君の戸口をさしのぞきたれば、 昼寝したまへるほどなりけり、萩・紫苑、いろいろの衣に、濃きがうちめ(註、濃い紅色)、 心ことなるを上に着て、顔はひき入れて、硯の箱にまくらして、 臥したまはる額つき、いとらうたげになまめかし。
絵にかきたるものの姫君のここちすれば、口おほひを引きやりて、「物語の 女のここちもしたまへるかな」といふに、見あけて、 「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を心なくおどかすものか」とて、 すこし起きあがりたまへる顔の、うち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそはべりしか。
おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。 〜略〜

初孫をいつくしむ道長ー十月十余日
〜略〜
十月十余日までも、御帳いでさせたまはず西の傍なる御座に、夜も昼もさぶらふ。
殿の、夜中にもあかつきにもまいりたまひつつ、 御乳母(めのと)のふところをひきさがさせたまふに、 うちとけてねたるときなどは、 何心もなくおぼほれておどろmくも。いといとほしく見ゆ。心もとなき御ほどを、わが心をやりてささげうつくしみたまふも、 ことわりにめでたし。 〜略〜
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管弦の御遊び〜十月十六日夜

暮れゆくままに、楽どもいとおもしろし。
上達部(かんだちめ)、御前にさぶらひたまふ。万歳楽、 太平楽、賀殿などいふ舞ども、長慶子(ちゃうげいし)退出音声(まかでおんじょう)にあそびて、山のさきの道を まふほど、遠くなりゆくままに、笛のねも、鼓のおとも、 松風も、木深(こぶか)吹きあはせていとおもしろし。 〜略〜

御冊子づくり〜十一月十日 (つぼね)に、物語(註、源氏物語の原本) の本どもとりにやりて隠しおきたるを 御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿(註、道長の次女妍子) に、奉りたまひてけり。 よろしう書きかへたりしは、みなひうしなひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。 〜略〜

和泉式部・赤染衛門・清少納言批評

和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、 そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、 まことの歌よみざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠みそへはべり。 それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりいたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見え たるすぢにはべるかし。はづかしげの歌よみやとはおぼえはべらず。

丹波の守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衛衛門(まさひらえもん) とぞいひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、 もことにゆえゆえしく、歌よみとて、よろづのことにつけて詠みちらさねど、聞こえたるかぎりは、ほかなきをりふしのことも、 ろれころはづかしき口つきにはべれ。ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠みいで、えもいはぬよしばみごとしても、 われかしこに思ひたる人、にくくもいとほしくもおぼえはべるわざなり。

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き(註、仮名文字に対して漢字をいう) ちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、 かならず見劣りし、行くすえうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、 をかしきことも見すぐさぬほどに、尾野津から去る間じくあだなるさまにもなるにはべるべし。 そのあだになりぬる人のはて、いかでかよくはべらむ。
〜略〜

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第9ページ



源氏物語〜紫式部

若紫〜(小柴垣のもと)

人なくて(註、源氏の話相手になる人。「日もいと長きに」〜晩春の暮れなずむ様子。とする本も多い) つれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるに紛れて、かの 小柴垣(こしばがき)のもとに立ちいでたまふ。
人々は返したまひて、惟光朝臣ばかり御供にて、のぞきたまへば、ただこの西面 (註、西側の部屋。西方の極楽浄土を願う者は、西向きの部屋で勤行する) にしも、持仏(ぢぶつ) (註、守り本尊として身近に置いて、朝夕礼拝する仏像) すえたてまつりて、行ふ尼なりけり。
(すだれ)少し上げて、花奉るめり。
中の柱に寄りいて、脇息(けふそく) の上に経を置きて、いとなやましげに読みいたる尼君、ただ人と見えず。
四十余りばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、頬つきふくらかに、まみおほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、 なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな、とあはれに見たまふ。
清げなる大人二人ばかり、さては(わらは)べぞいで入り遊ぶ。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、 走り来る女子、あまた見えつる子どもに似るべうもおあらず、いみじく生ひさしき見えて、うつくしげなるかたちなり。
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらちして、顔はいと赤くすりなして立てり。
「何事ぞや。童べと腹だちたまへるか。」
とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。
「雀の子を犬君が逃がしつる。()()のうちにこめたりつるものを。」
とて、いとくちおしと思へり。
このいたる大人、
「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。 いとをかしうやうなりつるものを。(からす)などもこそ見つくれ。」
とて立ちて行く。
髪ゆるるかにいと長く。めやすき人なめり。
少納言の乳母(めのと)とぞ人言ふめるは、この子の 後見(うしろみ)なるべし。
尼君、「いで、あな幼や。言うかひなうもしたまふかな。 おのがかく今日明日におぼゆる命をば何とも思したらで、 雀慕ひたまふほどよ。罪得(つみうる)ることぞ、と常にきこゆるを、 心憂(つこころう)く。」とて、
「こちや。」 と言へばついいたり。
(つら)つきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり (註、眉の輪郭がうぶ毛のなかに消えた初ゝしい感じ)、 いはけなくかいやりたる(ひたひ) つき、(かむ)ざし、いみじううつくし。
ねび (註、「ねぶ」は成熟する) ゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。
さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
尼君、髪をかきなでつつ、 「気づることをもうるさがりたまえど、をかしの 御髪(みぐし)や。 いとはかなうものしたまふころ、あはれにうしろめたけれ。 かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。 故姫君は、十ばかりにて殿におくれたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし。 ただ今おのれ見捨てたてまつらば、 いかで世におはせむとすらむ。」
とて、いみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。
幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、 こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。

生ひ立たむありか (註、どこに落ち着いて暮らすか。〜誰の妻になるか。) も知らぬ若草を
        
 おくらす露ぞ消えむそらなき


またいたる大人、 「げに」とうち泣きて、

初草(註、紫の上) の生ひゆく末も知らぬ間に
        
 いかでか露の消えむとすらむ

〜略〜

末摘花(すえつむはな)〜(紫の君)

二条の院におはしたれば、紫の君、いとも美しき片生ひ (註、まだ子どもらしさの残っている未成年の人) にて、紅はかうなつかしきもありけりと見ゆるに 無紋(むもん) (註、模様の無い) の桜 (註、桜(かさね)のことで、表が白、裏が赤) の細長なよよかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。
古代の祖母君(おばぎみ)の御名残にて、 歯黒めもまだしかりけるを、引きつきろはせたまへれば眉のけざやかになり (註、眉毛を抜き眉墨を引いてはっきりした) たるも、美しう清らなり。
心から、などか、かう憂き世を見あつかふらむ、かく心苦しきものをも見ていたらで、と思しつつ、例のもろともに 雛遊(ひひな) (註、人形遊び) びしたまふ。
絵などかきて、色どりたまふ。よろずにおかしうすさび散らしたまひけり。
我も描き添へたまふ。
髪いと長き女を描きたまひて、鼻に紅をつけて見たまふに、絵に書きても見ま憂きさましたり。
わが御影な鏡台に映れるが、いと清らなるを見たまひて、手づからこの紅花 (註、紅花からとった染料) をかきつけ、にほはして見たまふに、かくよき顔だに、さて交じれらむは見苦しかるべかりけり。
姫君見て、いみじく笑ひたまふ。
(源氏)「まろが、かくかたは (註、片端は不完全で見苦しいこと) らになりなむとき、いかならむ」とのたまへば、 (紫)「うたてこそあらめ (註、いやですは) 」とて、さもや染みつかむ、とあやふく思ひたまへり。
そら拭ひをいて、
(源氏)「さらにこそ、白まね。用なきすさび(註、つまらないいたずら)わざなりや。 内裏(うち) (註、天皇、お主上(かみ) にいかにのたまはむとすらむ」
と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしとおぼして、寄りて、拭ひたまへば、
(源氏)平中(へいちゅう)がやうに色どり添へたまふな。 (註、業平(なりひら)が女を訪れるときに、硯の水入れを持参して、 その水で目を濡らして泣く振りをしたので、それに気付いた女が、水入れに墨を入れておいたので、 平中の顔がまっ黒になったという話) 赤からむは敢へなむ(註、我慢する)」
(たはむれ)れたまふさま、いとをかしき 妹背(いもせ) (註、この時は、兄妹の仲か。源氏十九歳、紫の上十一歳) と見えたまへり。
日のいとうららかなるに、いつしかと霞渡れる梢どもの、心もとなき中にも、梅は気色ばみほほ笑みわたれる、 とりわきて見ゆ。
階隠(つはしがくし) (註、建物の正面の階段をおおう屋根) のもとの紅梅、いととく咲く花にて色づきにけり。
(くれない)の花ぞあやなく (註、筋が通らない) うとまるる
      
 梅の立ち枝はなつかしけれどいでや」

と、あいなくうちうめかれたまふ。
かかる人々の末々いかなりけむ。 、 〜略〜

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第10ページ



枕草子〜清少納言

春はあけぼの

春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。
月のころはさらなり、やみもなほ蛍飛びちがひたる。雨などの降るさへをかし。
秋は夕暮。
夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。
まして雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとおかし。日入り果てて、風の音、虫の音など。
冬はつとめて。
雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、 炭持てわたるも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、炭櫃(すびつ)火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。 〜略〜
海は、
水うみ。(註、琵琶湖か)
与謝の海。 (註、京都府宮津湾の古名)
かはぐちの海。(註、淀川の河口か)
伊勢のうみ。(註、伊勢湾) 〜略〜

鳥は 鳥はこと所の物なれど、鸚鵡(あうむ)はいとあはれなり。
郭公(ほととぎす)水鶏(くひな)(しぎ)。 みこ鳥。ひわ。ひたき。都鳥。 川千鳥は、友まどはすらむこそ。
雁の声は、遠く聞えたる、あはれなり。
鴨は、羽の霜うちはらふらむと思ふに、をかし。
鶯は、世になくさま、かたち、声もをかしきものの、夏秋の末まで老い声に鳴きたると、 内裏(だいり)のうちに住まぬぞ、いとわろき。
また、夜鳴かぬぞいぎたなきとおぼゆる。
十年ばかり内に候ひて聞きしかど、さらにおともせざりき。
さるは、竹もいと近く、通ひぬばき枝のたよりもありかし。 まかでて聞けば、あやしの家の梅の中などには、はなやかにぞ鳴き出でたるや。
郭公は、あさましく待たれてより、うち待ち出でられたる心ばへこそいみじうめでたけれ。 六月などにはまことに音もせぬか。
雀ならば、さしもおぼえざらましが、鶯は春の鳥と、立ちかへるより待たるる物なれば、なほ思はずなるは、くちをし。
人げなき人をばそしる人やはある。鳥の中に、烏、鳶などの声をば見聞きいるる人やはある。
鶯は、文などに作りたれど、心ゆかぬ心ちする。
庭鳥のひななき。水鳥。山鳥は、友を恋ひて鳴くに、鏡をみせたれば、なぐさむらむ、いとわかう、あはれなり。
谷へだてたるのどなど、いと心苦し。鶴は、こちたきさまなれども、鳴く声の雲居まで聞ゆらむ、いとめでたし。
頭赤き雀(註、紅雀)。 斑鳩(いかるが)の雄鳥。たくみ鳥 (註、みそさざい)。
(さぎ)は、いと見目もわりし。
まなこいなども、よろづにうたてなつかしからねど、「ゆるぎの森(註、滋賀県高島郡万木) にひとりは寝じ」 (註、高島やゆるぎの森の鶯すらもひとりは寝じと争ふものを〜古今集) とあらそふらむこそをかしけれ。
鴛鴦(をし)(註、おしどり) いとあはれなり。
かたみにいかはりつつ、羽の上の霜をはらふらむなど、いとをかし。
雁の声はるかなる、いとあはれなり。 近きぞわろき。

七月ばかり、いみじく暑ければ

七月ばかり、いみじく暑ければ、よろずづの所あけながら夜も明かすに、月のころは、寝起きて見いだすもいとをかし。
闇もまたをかし。有明は言ふにもあまりたり。いとつややかなる板の端近く、あざやかなる畳一枚、かりそめにうち敷きて、 三尺の几帳(きちゃう)奥の方に押しやりたるぞあぢなき。 外にこそ立つべけれ。
奥のうしろめたからむよ。人は出でにけるなるべし。
薄色の裏いと濃くて、上は所々すこしかへりたるならずは、濃き綾のいとつややかなる、いたくは萎えぬるを、 (かしら)こめて、 引き着てぞ寝たンめる。
香染(かうぞめ)めの(註、黄を帯びた薄紅色) 単衣(ひとえ)、紅のこまやかなる 生絹(すずし)の袴の、腰いと長く、衣の下より引かれたるも、 まだ解けながらなンめり。 そばの方に、髪のうちたたなはりて、ゆるるかなるほど、 長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、 あさぼらけのいみじう霧り立ちたるに、二藍(ふたあい)指貫(さしぬき)、 あるかなきかの香染の狩衣、 白き生絹、紅のとほすにこそあらめ、 つややかなるが、霧にいたくしめりたるをぬぎ垂れて、(びん) のすこしふくだみたれば、烏帽子(えぼし)の押入れられたるけしきも、 しどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬ先に、文書かむとて、道のほどもなく「麻生の下草」 など口ずさみて、 わが方へ行くに、格子の上がりたれば、 ()のそばをいささかあけて見るに、 起きていつらむ人もをかし。露をあはれと思ふにや。
しばし見たれば、枕がみの方に、(ほほ) に紫の紙はりたる扇ひろげながらあり。
みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花くれないにすこしにほひうつりたるも、 几帳(きちやう)のもとに散りぼひたり。
人のけはひのあれば、衣の中より見るに、うちえみて、長押(ながし) に押しかかりていぬれば、恥ぢなどする人にはあらねど、 うちとくべき心はへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかなと思ふ。
「こよなき名残の御あさいかな」とて、 簾の内になからばかり入りたれば、 「露より先なる人のもどかしさに」といらふ。
をかしき事取り立てて書くべきにあらねど、 かく言ひかはすけしきどもにくからず。
枕がみなる扇を、わが持ちたるして、おびえてかき寄するが、あまり近く寄り来るにやと、ときめきせられて、引きぞきだらるる。
取りて見などして、「うとくおぼしたること」 など、うちかすめうらみなどするに、明かうなりて、人の声々し日もさし出でぬべし。
「霧の絶え間見えぬほどにといそぎつる文もたゆみぬる」 とこそうしろめたけれ。
出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらあるにつけてあれど、えさし出でず。
香のいみじうしめたる匂ひ、いとおかし。
あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが来つる所もかくやと、思ひやらるるをかしかりぬべし。  〜略〜

雪のいと高く降りたるを、例ならず御格子まいらせて

雪のいと高く降りたるを、例ならず御格子まいらせて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまり候ふに、

「少納言よ。香炉峰の雪はいかならむ」
と仰せらるれば、
御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。 人々も「みなさる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。
なほこの宮の人にはさるべきなンめり」と言ふ。
〜略〜

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第11ページ



更級名日記〜菅原孝標の娘

東国の生い立ち、憧れの門出

あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかたに生い出でたる人 いか(ばかり)かはあやしかりけむを、 いかにおもひはじめける事にか、世中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやとおもひつつ、 つれづれなるひるま、よひいなどに、姉、継母(ままはは) (註、東宮大進高階成行の娘。上京後孝標と離別し、後一条天皇中宮威子に仕えた。) などやうの人人の、 その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、 ところどころかたるをきくに、いとどゆかしさまされど、わがおもふままに、そらにいかでかおぼえかたらむ。
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつつ、
「京に とくあげ給て、物語のおほく、候なる、あるかぎる見せ給へ」
と、身をすてて額をつき、いのり申すほどに、 十三になる年、のぼらむとて、九月三日かどでして、いまたちといふ所にうつる。
年ごろあそびなれつるところを、あらはにこほちちらして、たちさはぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、 車にのるとてうち見やりたれば、人まにはまいりつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見ずてたてまつるかなしくて、 ひとしれずうち泣かれぬ。 〜略〜


住み慣れた上総を後に

かどでしたる所は(註、仮に移り住んだこの家)、 めぐりなどもなくて、かりそめのかや屋の、蔀 (註、黒塗りの四つ目格子の板戸の裏に白木の板を張ったもの)
簾かけ、幕などひきたり。
南ははるかに野のかた見やらる。
東西は海近くていとおもしろし。
夕霧たちわたりて、いみじうをかしければ、朝い(註、朝寝) などもせず。
かたがた見つつ、ここをたちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の一五日、雨かきくらしふるに、境を出でて、 下総の国のいかだといふ所にとまりぬ。
〜略〜

今は武蔵の国になりぬ。
ことにをかしき所も見えず。浜も砂子白くなどもなく、こひぢ(註、泥土) のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、葦萩のみ高く 生ひて、馬に乗りて弓もたる末見えぬまで、高く生ひしげりて、中をわけゆくに、たけしばといふ寺あり。 〜略〜

野山葦荻の中をわくるよりほかのことなくて、武蔵と相模とのなかにいて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこ問はむ」 (註、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」) とよみくるわたりなり。中将の集にはすみだ川とあり。
舟にて渡りぬれば、相模のくになりぬ。 〜略〜

足柄山といふは、四五日かねておろろしげに暗がりわたれり。
やうやう入り立つ麓のほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず、えもいはず茂りわたりて、いとおそろしげなり。
麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いづくよりともなくいで来たり。
富士の山はこの国なり。
わが生ひ出でし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。
さまことなる山の姿の、紺青をぬりたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色こき衣に、白きあこめ (註、宮廷奉仕の装束の。上の衣と下の単の衣との間につける) 着たらむやうに見えて、山のいただきの少し平らぎたるより、けぶりは立ちのぼる。
夕暮は火の燃えたつ見ゆ。

〜略〜

尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただみちて、こよひ宿らむも中間に、汐みちきなば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走り まどひ過ぎぬ。
美濃の国になる境に、墨俣といふ渡りして、野がみといふ所に着きぬ。
そこに遊女どもいで来て、夜ひとよ歌うたふにも、足柄なりし思ひでられて、あはれに恋しきことかぎりなし。
雪ふりあれまどふに、ものの興もなくて、不破の関、あつみの山など越えて、近江の国おきながといふ人の家に宿りて、四五日あり。

みつさかの山の麓に、夜昼、時雨あられふりみだれて、日の光もさやかならず、いみじうものむつかし。
そこをたちて、犬上、神崎、野洲、栗太などいふ所々、なにとなく過ぎぬ。
湖のおもてはるばるとして、なで島、竹生島などいふ所の見えたる、いとおもしろし。 勢多の橋みなくづれて渡りわづらふ。
栗津にとどまりて、師走の二日、京に入る。
〜略〜

ひろびろとあれたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、大きにおそろしげなるみやま木ぢものやうにて、都のうちとも見えぬ所 のさまなり。
ありもつかず、いみじうものさわがしけれども、いつしかと思ひしことなれば、「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」 と、母(註、実母、藤原倫寧の娘、「蜻蛉日記」の作者の異母妹) をせむれば、三条の宮に、親族なる人の、 衛門の命婦とてさぶらひける、尋ねて、文やりたれば、めずらしがりてよろこびて、御前んのをおろしたるとて、 わざとめでたき冊子ども、硯の箱のふたに入れておこせたり。
うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、 誰かは物語もとめ見するひとのあらむ。
〜略〜

かやうにそこはかなきことを思ひつづくるをやくにて、物詣(ものまうで) をわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむとも念ぜられず。 このごろの世の人は十七八よりこそ経よみ、おこなひもすれ、さること思ひかげられず。
 からうじておもひよることは、
「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむひとを、年に一たびにても通はしたてまつりて、 浮き舟の女君のやうに、山里にかくしすえられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、 時々待ち見などこそせめ」
とばかり思ひつづけ、あらましごとにもおぼえけり。
〜略〜

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第12ページ




堤中納言物語〜作者不詳

虫めづる姫君(一)

蝶めづる姫君の住みたまふ傍らに、按察使(あぜち) (註、地方官の治績や民情を視察する役) の大納言の御(むすめ) 、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふこと限りなし。
この姫君ののたまふこと、

「人々の花や蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ (註、あさはかで、ばかばかしい)。
人はまことにあり、本地(註、本体。まことの姿) たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」

とて、よろづの虫のおそろしげなるを取り集めて、これが成らむさまを見むとて、 さまざまなる籠箱(こばこ)どもに入れさせたまふ。
中にも、

「かはむし(註、毛虫〜蝶になる) の心深きさまざまたるこそ心にくけれ。」

とて、明け暮れは耳はさみをして、手の裏に添へ伏せてまぼりたまふ。

若き人々は、怖ぢ惑ひければ、男の童のもの怖ぢせず、いふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、 今新しきには、名を付けて、興じたまふ。
「人はすべてつきるふところあるはわろし。」

とて、眉さらに抜きたまはず、歯黒め (註、成人女性は眉毛を抜いて眉墨で描き、歯を黒く染める風習) あらに、うるさし、きたなし、とて付けたまはず、 いと白らかに笑みつつ、この虫どもを(あした) 夕べ愛したまふ。

人々怖ぢわびて逃ぐれば、その御方は、いとあやしくなむののしりける。
かく怖づる人をば、

「けしからず、はうぞく(註。下品なこと) なり。」

とて、いと眉黒にてなむにらみたまひけるに、いとど心地なむ惑ひける。

この虫ども捕らふる童部(わらはべ) には、をかしきもの、彼が欲しがるものを(たま) へば、さまざまに恐ろしげなる虫どもを取り集めて奉る。
かはむしは毛などはをかしげなれど、おぼえねばさうざうし (註、詩歌など思い出さないので、物足りない)
とて、いぼじり(註、かまきり)・ かたつぶりなどを取り集めて、歌ひののしらせて 聞かせたまひて、我も声をうち上げて、

「かたつぶり角の、争ふやなぞ。」
といふことをうちく(ずん)じたまふ。
童部の名は、例のぞやうなるはわびしとて(普通の名ではつまらなくて)、 虫の名をなむ付けたまひたりける。

けらを(註、おけら)・ ひきまろ(註、ひき蛙)・いなかたち・ いなごまろ・あまひこ(註、やすで) なむなど付けて、召し使ひたまひける。
虫めづる姫君(二)

かかること、世に聞こえて、いとうたてあることを言ふ中に (註、とてもひどい噂をしているなかにあって) ある 上達部(かんだちめ) (註、三位以上の人。公卿) のおほむこ、うちはやりて物怖ぢせず、 愛敬(あいぎゃう)づきたるあり。

この姫君のことを聞きて、
「さりともこれにはには怖ぢなむ。」
とて、帯の端のいとをかしげなるに、 (くちなは) の形をいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて (いろこ)だちたる (註、鱗のような模様のある) が懸け袋にいれて、結びづけたる文を見れば、

はふはふも君があたりに従うはむ
長き心の限りなき身は

(註、蛇に成り代わって詠んでいる)
とあるを、何心なく御前に持て参りて、

「袋など上ぐるだにあやしく重たきかな。」
とて、引き開けたれば、蛇首をもたげたり。
人々心を惑はしてののしるに、君はいとのどかにて、
「なもあみだ仏、なもあみだ仏。」
とて、

「生前の親ならむ。な騒ぎそ。」
とうちわななかし、顔ほかやうに(註、顔をそむけ)、
「なまめかしきうちしも、血縁に思ほむぞ、あやしき心なるや (註、騒ぐのはよくないことだ)
うちつぶやきて、近く引き寄せたまふも、さすがに恐ろしくおぼえたまひければ、 立ちどころいどころ蝶のごとく、せみ声(註、喉からしぼりだすような声) のたまふ声の、 いみじうをかしければ、人々逃げ騒ぎて笑ひいれば、しかじかときこゆ。

「いとあさましく (註、全くあきれた)むくつけきことをも聞くわざかな (註、気味の悪いことを聞くものだ)。 さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことぞあやしきや。」

とて、大殿(おおどの) (註、姫の父君) 太刀(たち))下げて持て走りたり。 よく見たまへば、いみじうよく似せて作りたまへりければ、手に取り持ちて、

「いみじう物よくしける人かな。」
とて、

「かしこがりほめたまふと聞きてしたるなり。返りごとをして、早くやりたまひてよ。」

とて、渡りたまひぬ。

人々、作りたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな。」
と言ひ憎み「返りごとせずはおぼつかながりなむ。」
とて、いとこはくすくよかなる紙に書きたまふ。
仮名はまだ書きたまはざりければ、片仮名に、

契りあらばよき極楽に行きあはむ    まつはれにくし虫の姿は
(註、この様な虫の姿ではおそばに居にくいのですもの)

「福地の園に」とある。

〜略〜

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第13ページ




今昔物語〜作者不詳

阿蘇の史、盗人に会ひて謀りもて逃れたること

今は昔、阿蘇の某といふ(さくわん)ありけり。
丈ぞ短なりけれども、魂はいみじき盗人(註、抜け目なくしたたかな人物) にてぞありける。
家は西の京にありければ、公事ありて内(註、宮中) に参りて、夜更けて家に帰りけるに、着たる装束をみな解きて、 車に乗りて大宮下りにやらせて行きけるに、着たる装束をみな解きて、片端よりみな畳みて、 車の畳の下にうるはしく置きて、史は冠(かむり) ををし足袋ばかりを履きて、裸になりて車の内にいたり。

さて、二条より西ざまにやらせて行くに、美福門のほどを過ぐる間に、盗人傍らよりはらはらといで来たりぬ。
車の(ながえ)(註、牛車などの前方に突き出した長い棒) につきて、牛飼ひ(わらは) を打てば、童は牛を棄てて逃げぬ。
車の後に雑色(ざうしき)二、三人  (註、雑役に従う下男) ありけるも、みな逃げて去りにけり。
盗人寄り来たりて、車の(すだれ) を引きあけて見るに、裸にて史いたれば、盗人あさましと思ひて、
「こはいかに。」
と問えば、
史、「東の大宮にてかくのごとくなりつる。 君達(きんだち) (註、貴族の子弟である若者たち) 寄り来たりて、己が装束をばみな召しつ。」
(しゃく) を取りて、よき人にも申すやうにかしこまりて答へければ、
盗人笑ひて棄てて去りにけり。

そののち、史、声を上げて牛飼ひ童をも呼びければ、みないで来たりにけり。
それよりなむ家に帰りにける。

さて妻にこの由を語りければ、
妻のいはく、

「そこぞ盗人にもまさりたりける心にておはしける。」

と言ひてぞ笑ひける。
まことにいと恐ろしき心なり。

装束をみな解きて隠し置きて、しか言はむと思ひける心ばせ、さらに人の思ひ寄るべきことにあらず。
この史は極めたるもの言ひにてなむありければ、かくも言うふなりけりとなむ語り伝へたるとや。
〜略〜

巻第二十八〜第十一
今昔、或る(おとなしき) (註、年をとってものわかりのよくなった) 受領 (註、任国に赴任して実務にたずさわる国守) の家に、祇園(ぎおん) (註、京都市東山区にある八坂神社の別名で、「祇園社」の略) 別当(べつたう) (註、寺務を統轄する最高責任者) 感秀(かむしう)と云ける 定額(ぢやうぎやく) (註、定額寺の僧略。官寺に準じて補助金が出た)、 忍て(かよ) ひけり。
守此の事を仄知(ほのしり)たり (註、うすうす感じていた) けれども、不知(しら)ず顔にて (すぐ) しける程に、(かみ)出たりける間に感秀入り替て入り居て、 したり顔に(ふるまひ)ける程に、 守(かへ)り来たりけるに、怪く主も女房共もすずろひたる (註、そわそわと落ち着かない様子) 気色(けしき)見ければ、守思ふに、 「()こそは有らめ」と思て、奥の方に入て見れば、 唐櫃(からひつ)の有るに、 不例(れいなら)錠差(じやうさ)したり。
「定めて此に入れて、錠を差たるなめり」
と心得て、(おとな) (註、年配の侍。) しき(さぶらひ)一人を呼て、 () (註、人夫)二人を召させて、
「此の唐櫃只今(しゃく)祇園に持参て、 誦経(じゆきやう)(註、誦経料の略) にして来れ」
と云て、立文(たてふみ) (註、誦経料としてこの唐櫃を献納する旨をしたためてある正式の書類) を待せて、唐櫃を掻出(かきいだ)して (註、担ぎ出し) 侍に取せつれば、侍夫に 差荷(さしにな)はせて出て行ぬ。
然れば主女房共も奇異(あさまし) 気色(けしき) (註、驚き困惑している様子) は有れども、□ (註、漢字表記を期した意識的欠字で、「あきれ」など) て物も不云ず。
しかる間、侍此の唐櫃を祇園に持参たれば、僧共出来て、
「此は止事無(やむごとな)(たから) (註、たいそうな財物) なめり」
と思て、
「別当に()く申せ。兼て (註、「予て」の意。別当に取り次いで、そのお許しがでないうちは) 否不開(えあけ)じ」
と云ひつつ、別当に案内を云はせに(やり)て待つに、 良久(ややびさ)く、 「否訊(えたづ)ね会ひ 不奉(たてまつら)ず」 とて、使の侍は、 「長々と否待(えまち) (さぶらは)じ」 己が見候(しゃく)へば、 不審(しゃく)かるまじ (註、気掛かりなこともあるまい)。 () (註、ちょっと) 只開ける給へ。」〜略〜

此れを思ふに、守、
「感秀を引出して、踏蹴も聞耳(ききみみ)見苦かりなむ。 只恥を見せむ」
と思ひける、糸賢き事也かし。

感秀(もと)より (きはめ)たる物云にて有ければ、唐櫃の内にて此も云ふ也けり。
世に此の事聞えて、可咲しくしたり (註、味なやり方をしたものだ)、 とぞ(ほめ)ける、となむ語り伝へたるとや。
、〜略〜

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第14ページ



平家物語〜前司行長

祇園精舎

祇園 (註、釈迦のために祇陀太子が樹林を、
須達長者が園地を寄付したことから)
精舎(註、精錬行者の宿舎)
の鐘の音、諸行無常の響きあり。
紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久からず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ。
偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、
秦の趙高(てうかう) (註、始皇帝の死後二世皇帝を立て
権勢を振るったが、後討たれた)
漢の王蒙(わうまう) (註、前漢の末、襦子嬰を立て皇帝と
なり、国を新と号したが滅びた。)
梁の朱伊(しうい) (註、梁の武帝の臣、後に反逆者
とされ憤死)
唐の禄山(ろくさん) (註、皇帝の加護寵臣であったが
背いて討たれる)
是等は皆旧主先皇の (まつりごと) にもしたがはず、
楽しみをきはめ、諌めをも思ひいれず、
天下の乱れむ事をさとらずして、 民間の愁ふる所を知らざッしかば、久からずして、 亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門(まさかど) (註。平将門)天慶の純友 (註、藤原純友、瀬戸内海を荒らして討たれた)
康和の義親(ぎしん) (註、源義親、義家の次男で対馬守となり乱暴して、平正盛に討たれた)
平治の信頼(のぶより) (註、藤原信頼、後白河上皇を押し込め
大臣大将となったが清盛らに討たれた)
此等はおごれろ心もたけき事も、
皆とりどりにこそありけりしかども、 まぢかくは
六波羅趙高(ろくはら) (註、京都六波羅蜜寺の南の地名)
の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、
伝へ承るこそ、 心も詞も及ばれね。 〜略〜


能登殿の最後

およそ能登の守教経将門(まさかど)の矢先にまはる者こそなかりけれ。
矢だねのあるほど射尽くして、今日を最後とや思はれけむ、赤地の錦の直垂に、唐綾縅の鎧着て、いか物作りの大太刀抜き、 白柄の大長刀の鞘を外し、左右に持って薙ぎまはりたまふに、面を合はする者ぞなき。
多くの者ども討たれにけり。
新中納言使者に立てて、
「能登殿。いたう罪な作りたまひそ。さりとてよき敵か」
とのたまひければ、
「さては大将軍に組むめごさんなれ。」
と心得て、打ち物(註、打ち鍛えた武器)茎短将門(まさかど)にとって (註、刀や長刀の柄を短めに持つ)、 源氏の船に乗り移り乗り移り、をめき叫んで攻め戦ふ。
判官を見知りたまはねば、物の具のよき武者をば判官こと目をかけて、馳せ回る。 判官もさきに心得て、面に立つやうにはしけれども、とかく違ひて能登殿には組まれず。
されどもいかがしたりけむ,判官の船に当たって、あはやと目をかけて飛んでかかるに、判官かなはじとや思はれけむ、 長刀脇にかいばさみ、味方の船の二丈ばかり退いたりけるに、 ゆらりと飛び乗りたまひぬ。能登殿は早業や劣られたるけむ、やがて続いても飛びたまはず。
今はかうと思はれければ、太刀・長刀海へ投げ入れ、甲も脱いで捨てられけり。
鎧の草摺(註、鎧の下の垂れた部分) かなぐり捨て、胴ばかり着て、おおわらは(註、髪がばらばらに) になり、大手を拡げて立たれたり。
およそあたりを払ってぞ見えたり。恐ろしなんどもおろかなり。
能登殿大音声をあげて、
「我と思はむ者どもは、寄って教経に組んでいけどりせよ。鎌倉へ下って、頼朝に会うて、もの一言言はむと思うふぞ。寄れや寄れ」
とのたまへども、寄る者一人もなかりけり。
〜略〜

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第15ページ




古今著聞集〜橘成季

源義家、衣川にて安倍貞任と連歌のこと

  伊与(いよ)(かみ)源頼義朝臣(あそん)貞任(さだたふ)宗任(むねたふ)らを攻むる間、 陸奥(みちのく)に十二年の春秋を送りけり。
鎮守府をたちて、秋田城に移りけるに、雪はだれに降りて、軍の男どもの (よろひ)みな 白砂になりにけり。
衣川の館、岸高く川ありければ、(たて)をいただきて (かぶと)にかさね、 (いかだ)を組みて攻め戦ふに、 貞任ら耐へずして、つひに城の後ろより逃れ落ちけるを、一男八幡太郎義家、衣川に追ひたて攻め伏せて、

「きたなくも、後ろをば見するものかな。しばし引き返せ。もの言はむ。」
と言はれたりければ、貞任見返りたりけるに、

衣のたてはほころびにけり
(註、衣の縦糸が弱ってほころびるように、衣川の館はほろんでしまったなあ。 〜「衣」に「衣川」を「たて(縦糸)」に「(たて)」の意を掛けた) と言へりけり。
貞任、(くつばみ)(手綱を付けるために馬の口にかませる金具) をやすらへ、、しころを振り向けて、

年を経し糸の乱れの苦しさに
と付けたり。

そのとき、義家、はげたる矢(註、つがえた矢) をさしはづして帰りにけり。
さばかりの(註、あれほどの〜激しい) 戦ひの中に、やさしかりけることかな。
〜略〜

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第16ページ



方丈記〜鴨長明

ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、 かつ結びて久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と(すみか)と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに棟を並べ、(いらか) を争へる高き(いや)しき人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、 これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
或るは去年焼けて、今年作れり。或るは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。
所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人もこれに同じ。
所も変わらず人も多かれど、いにしへ見るし人は、二三十人が中にわずかにひとりふたりなり。
朝に死に夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人いずかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず。
仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。 その主と栖と無常を争うふさま、いはばあさがこの露に異ならず。
或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。
或いは花しぼみて、なほ消えず。消えずといへども。夕を待つ事なし。
〜略〜

方丈

ここに六十甲(むそぢ)の露消えがたに及びて、 さらに末葉甲(すえは)の宿りを結べる事あり。
いはば旅人も一夜の宿を作り。老いたる(かひこ)(まゆ)をいとなむがごとし。
これをなかごろの栖にならぶれば、また、百分が一に及ばず。
とかくいふほどに(よはい)歳々(としどし)にたかく、栖は折折に狭し。
その家のありさま、世の常にも似ず。
広さはわづかに方丈(ほうじょう) (註、1丈平方、四畳半)、高さは七丈尺が内なり。
所を思いひ定めざるがゆえに、地を占めて作らず。
土居(つちい)を組、うちおほひを ()きて、 継目(つぎめ)ごとにかけがねを掛けたり。
もし心にかなはぬ事あらば、やすく(ほか)へ移さむがためなり。
そのあらため作る事、いくばくの(わづら)ひかある。
積むところわづかに二両(註、車で二台分)、 車の力を(むく) ふほかには、さたに他のようとういらず。
みずからの心に問う

そもそも一期(いちご) (註、一生の間)の月影かたぶきて、 余算(よさん) (註、算は年齢)の山 ()に近いし。
たちまちに三途(さんづ) (註、六道輪廻の内の三悪道、即ち、地獄道、餓鬼道、畜生道。それぞれ火途・刀途・血途で、 これらが亡者の落ちゆく三途であると仏教で説く) の闇に向はんとす。何のわざをかかこたむ (註、不平・愚痴・恨み言を言う)とする。
仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。
今、草庵を愛するも、閑寂/rb>(かんじゃく)(ぢゃく)するも、さばかりなるべし。
いかが(えう)なき楽しみを述べてあたら時を (すぐ)さむ。
静かなる(あかつき)、このことはわりを思ひつづけて、 みづから心に問ひていわく、世を(のが)れ山林に (まじは)わるは、 心ををさめて道を行はむとなり、しかるを(なんぢ)、すがたは聖人にて、 心は(にご)りに染めり、 栖はするなはち浄名(じょうみょう) (註、維摩詰経をさす) 居士(こじ) (註、元来は長者の意であるが、普通には在家の仏弟子) の跡をうけがせりといへども、 たもつところはわづかに周利磐特(しゅりはんどく) (註、最も暗愚だった釈迦の弟子) (ぎょう)にだに及ばず、 もしこれ貧賎(ひんせん)(むくい)のみづから悩ますか、 はたまた妄心(まうしん)のいたりて狂せるか。
そのとき心さらに答ふる事なし。
ただかたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏(ふしゃうあみだぶつ) (註、儀礼を整えて仏の光栄、説法を請うことを)言う 両三遍(ぺん)申してやみぬ。
時に建暦(けんりゃく)二年(ふたとせ)弥生(やよい)のつごもりごろ、 桑門(さうもん) (註、出家して仏道を修行する者) 蓮胤(れんいん) (註、長明の法名)、 外山(とやま)(いほり)にしてこれをしるす。 〜略〜

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徒然草〜兼好法師

(序段)

つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく (註、そこであるとはっきりしないこと) 書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ (註、筆者兼好の心境)。

(第七段)

あだし野(註、京都嵯峨野の奥にあった墓地) の露きゆる時なく、鳥部山(註、京都東山にあった火葬場) の煙立ち (註、「煙立つ」と「立ち去る〜死ぬ」ことを、掛けている) 去らでのみ住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。
世はさだめなきことこそ、いみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふ (註、とんぼに似て、夏水辺に飛び、産卵後2〜3時間で死ぬ) の夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らすほどだにも。こよなうのどけしや。
あかず惜しと思はば、千年(しゃく)を過すとも一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世に。みにくき姿を待ちえて何かせん。命長ければ辱多し。
長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ。めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、 夕べの陽 (註、夕日の傾きかけたような老年) に子孫を愛して、栄ゆく末を見んまでの命をあらまし (註、予測、予期する)、 ひたすら世をむさぼる (註、生に執着する) 心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなんあさましき。

第八段

世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなる物かな。
匂ひなどはかりのものなるに。しばらく衣忽(いしゃう)薫物(たきもの)(註、種々の香を練り合わせたものを、たいて匂hす) と知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするもなり。
久米の仙人 (註、大和の国の伝説の仙人〜今昔物語等) の、物洗ふ女の(はぎ)の白きを見て、通 (註、神通力) を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、 外の色ならねば (註、肉体そのものの色) 、さもあらんかし。

第百十一段

「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重 (註、仏語で、殺生・倫盗・邪淫・妄語の四つの戒めを犯す重罪) ・五逆 (註、仏語。五つの大罪) にもまされる悪事とぞ思ふ」と、あるひじりの申しし事、耳にとどまりて、 いみじくおぼえ待る。

第百三十七段
〜略〜
万の事も、始め終りこそをかしけれ。
男女の(なさけ)も、ひとへに逢ひ (註、男女が逢って契りを結ぶ) 見るをばいふものかは。
逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契り (註、かりそめの、はかない男女の契り) をかこち、 長き夜をひとりあかし、遠き雲井 (註、雲が地平線に接しようとする、はるかかなた) を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿 (註、浅茅がはえている荒れた住居) に昔をしのぶこそ、色好む (註、恋にひたむく) とは言はめ。
望月(しゃく)のくまなきを千里の外 (註、「三十五夜中新月ノ色二千里外故人ノ心」〜白氏文集) までながめたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、 深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲 (註、むらがった雲) がくれのほど、またなくあはれなり。
椎柴(しいしば)・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ。
身にしみて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。

〜略〜

第百八十九段

今日は、その事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て、まぎれ暮し、待つ人は (さはり)り有りて、 頼めぬ人(註、来ることを期待していない) は来り。
頼みたる方の事は(たが)ひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
わづらはしかりつる事はことなくて、やすかるべき事はいと心苦し。
日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつるには似ず。
一年(ひととせ)の中もかくの如し。一生の間も又しかり。
かねてのあらまし、皆違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよいよ物は定めがたし。
不定<(ふぢゃう)心得(こころえ)ぬるのみ、 まことにて(たが)はず。
〜略〜

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増鏡(ますかがみ)〜二条良基との説

われこそは新島守よ

四つにて位につ (註、後鳥羽天皇は、高倉天皇の第四皇子で、1185年平家一門滅亡。 安徳天皇崩御をうけて、即位された) きたまひて、十五年おはしましき。
おりたまひてのちも、土佐の院十二年、佐渡の院十一年、なほ(あめ)(もも)(つかさ)を従へたまへりしそのほど、 吹く風の草木をなびかすよりもまされる御ありさまにて、遠きをあはれみ、 近きをなでたまふ御恵み、雨のあしよりもしげければ、津の国のこやの (註、「ひまなき」の序詞)ひまなき政をきこしめすにも、 難波(なには)の葦 (註、乱る」の序詞) の乱れざらむことをおぼしき。

姑射(こや)の山 (註、仙人のいる所、転じて上皇の御所) の峰の松も、やうやう枝を連ねて、千代に八千代を重ね、かすみの洞の御すまひ、いく春を経ても、 空行く月日の限り知らずのどけくうはしましぬべかりつる世を、ありありて、よしなき一ふしに、今はかく花の都をさへ立ち別れ、、 おのがちりぢりにさすらへ、磯の苫屋(とまや)に軒を並べて、 おのづからこととふものとては、浦に釣りするあま小舟(をぶね)、 塩焼く(けぶり)のなびく方をも、 わがふる里のしるべかとばかり、ながめ過ごさせたまふ御すなひどもは、それまでと、月日を限りたらむだに、 あす知らぬ世のうしろめたさに、いと心細かるべし。
まして、いつをはてとか、めぐりあふべき限りだになく、雲の波、煙の波、幾重とも知らぬ境に、 世を尽くしたまふべき御さまども、くちをしと言うふもおろかなり (註、と言う表現では不十分だ)。


このおはします所は、人離れ、里遠く島の中なり。
海づら (註、海辺)よりはすこしひき入りて、山かげにかたそへて (註、片寄せて)、大きやかなる (いはほ)の そばだてるをたよりにて、松の柱に葦ふける廊など、けしきばかりことそぎたり (註、ほんの形ばかりで簡素にしてある)
まことに、柴のいほりのただしばしと、かりそめに見えたる御宿りなれど、さるかたに (註、それはそれなりに) なまめかしく (註、優美に)ゆえづきて (註、趣向をこらして)しなさせたまへり (註、お造りになっている)

水無瀬殿(みなせどの) (註、後鳥羽上皇の離宮、大阪府島本町の水無瀬神社付近にあった) おぼしいづるも夢のやうになむ。 はるばると見やらるる海の眺望、二千里の(ほか) (註、三五夜中新月色 二千里外故人心〜白氏文集) も残りなきここち (註、くまなく見渡せる)する、いまさらめきたり (註、今さらのようにしみじみと思い返される)

潮風のいとこちたく吹き来るを聞こしめして、

我こそは新島守よ
隠岐の海の荒き波風心してふけ


おなじ世に又すみの江の月や見ん       
 けふころよそに隠岐の島もり

(註、承久し元年〜1219〜源実朝が暗殺され、幕府の実権は執権の北条氏に移っていた。 後鳥羽院は政権を取り戻そうと承久三年に兵を挙げたが、敗北して、隠岐の島、順徳院は佐渡が島、 土御門院は土佐にそれぞれに流されることになった)

〜略〜
月草の花

この島には、春来ても、(なほ)浦風さえて波あらく、 渚の氷も()けがたき世の 気色(けしき)に、 いとど(おぼ)し結ぼるる事つきせず。
かすかに心細き御住居(すまい)に、年さへ隔たりぬるよと、 あさましく(おぼ)さる。
さぶらふ人々も、しばしこそあれ、いみじく(くん)じにたり。
今年は正慶二年といふ。閏二月あり。 後の二月の初めつかたより、とりわきて密教の秘法を心みさせ給へば、夜も大殿ごもらぬ日数へて、さすが、 いたう(こう)(註、疲れ) (たまひ)にけり。
心ならずまどろませ給へるあか月がた、夢うつつともわかぬほに。後宇多院、ありしながらの御面影さやかに見え給て、聞こえ知らせ 給事多かりけり。
うちおどろきて、夢なりけりと、思す程、いはんかたなく名残かなし。
御涙もせきあへず、「さめざらましを」 (註、古今集、恋二「思ひつつぬればや人の見えつらん夢と知りせばさめざらましを〜小野小町」と (おぼ)すもかひなし。
源氏の大将、須磨の浦にて、 父御門見奉(みたてまつ)りけん夢の心ち (註、源氏物語、明石の巻に、光源氏が須磨の浦で父の桐壺帝を夢に見て、この浦を去れという教えを受け、名残のつきにまま目が 覚めて、父の面影を恋したったことをさす) し給も、 いとあはれに頼もしう、いよいよ御心づよさまさりて、かの新発意煙(しぼち) (註、あらたに出家し仏門に入った者で、ここでは明石入道をさす) が御迎へのやうなる釣舟 (註、光源氏が父帝から夢のお告げを受けた翌日、明石のい入道が、船をよこしたことをさす。) も、便り出で来なんやと、待たるる心ちし給に、大塔の宮よりも、 あま人のたよりにつけて、きこえ給事絶えず。

宮こにもなを世の中静まりかねたるさまにきこゆれば、よろづにおぼしなぐさめて、 関守(せきもり)のうち寝るひまをのみうかがい給うに、 しかるべき時の至れるにや、御垣守(みかきもり) (註、御所の警護に参上していた兵士たち) にさぶらうつは者どもも、 御気色をほの心得て、なびきつかうまつらんと思ふ心つきにければ、 さるべき限り語らいあはせて、おなじ月の二十四日のあけぼのに、いみじくたばりて、 かくろえ()てたてまつる。
いとあやしげなるあまの釣舟のさまに見せて、夜深き空の暗きまぎれに押し出だす。
折しも、霧いみじう降りて、行先も見えず。
いかさまならんとあやうけれど、御心を静めて念じ給に、思ふかなたの風さへ吹きすすみて、 その日の(さる) (註、午後四時ごろ) の時に、出雲国に着かせ給ぬ。
ここにてぞ、人々心ちしづめける。

同じ二十五日、(はは)ぎの国稲津の浦 (註、鳥取県の西半のあたり) と云所へ移らせ給へり。
この国に、名和の又太郎長年(ながとし)といひて、あやしき民なれど、 いと(まう)に富めるが、類広く、心もさかさかしく、むねむねしき者あり。
かれがもとへ宣旨(せんじ)をつかはしたるに、いとかたじけなしと思ひて、 とりあへず、五百余騎の勢いにて、御迎へにまいれり。
又の日、加茂 (註、鳥取県伯郡名和町加茂) (やしろ)と云所に立入らせ給。
宮この御社思おぼ(けぶり)し出でられて、いと頼もし。
それより船上(ふなうえ)寺と云所へおはしまさせて、九重の宮になずらう。
これよりぞ、国々のつわ者どのに、御敵を滅ぼすべきよしの 宣旨(せんじ)つかはしける。比叡の山へ上せられり。

かくて、隠岐には、出でさせ給にし昼つかたより騒ぎあひて、隠岐の前の守追いて参るよし聞こゆれば、いとむくつけく思されつれど、 ここにもその心して、いみじう戦いければ引き返しにけり。 京にも(あずま)にも、驚き騒ぐさま思ひやるべし。
正成が城の囲みに、そこらの武士ども、かしこに集ひをるに、かかることさへ添ひにたれば、いよいよ東よりも上りつどふめり。

〜略〜

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奥の細道(ますかがみ)〜松尾芭蕉



月日は過客にして、行きかふ年もまた旅人なり、舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を住みかとす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋にくもの古巣をはらひて、 やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず。
ももひきの破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人にゆずり、 杉風が別荘に移るに、

草の戸も住みかはる代ぞひなの家

面八句を庵の柱にかけおく。

弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、富士の峰幽かに見えイて、上野・谷中の花のこずえ、 またいつかはと心ぼそし。
むつまじきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに別離の涙をそそぐ。

行く春や鳥啼き魚の目は涙

これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ちならびて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし。


剃り捨てて黒髪山に衣更 (曾良)

しばらくは滝にこもるや夏の初め

きつつきも庵は破らず夏木立

田一枚植えて立ち去る柳かな

松島や鶴に身を借れほととぎす (曾良)

夏草や兵どもが夢の跡

五月雨の降りのこしてや光堂

のみしらみ馬の尿する枕もと

這ひ出でよかひやが下のひきの声

しずかさや岩にしみ入るせみの声

五月雨をあつめて早し最上川

暑き日を海に入れたり最上川

荒波や佐渡に横たふ天の河

一家に遊女も寝たり萩と月

むざんやな甲の下のきりぎりす


〜略〜

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