三重大学春秋会(退職教官有志の会)会誌「春秋」第17号(H06.11)より 内宮おはらい町とおかげ横丁 菊 岡 武 男 T はじめに 昨年11月12日、春秋会総会を伊勢市において行うべく貸切りバスにて内宮おはらい 町「すし久」に赴き、総会のあと会食・懇談を行い、その後は自由行動にて神宮参拝 あるいは内宮おはらい町やおかげ横丁を散策し、再びバスにて帰路についた。 総会に先立ち、会員の岡田精司先生から式年達宮を中心た伊勢神宮の歴史について 詳細に解説していただいた。お語を伺いながら、伊勢神宮について余りに不勉強であ ったことに内心忸怩たる思いであった。 さて、筆者は昨年7月、ある勉強会にて内宮おはらい町及びおかげ横丁について、 伊勢市企画広報課長阿形次基氏及び叶ヤ福取締役企画室長浜田保典氏からお詰を伺う 機会があり、さらに本年5月にも別の勉強会にて阿形課長から再びお話を伺った。そ れらのメモをべースに両町のプロフイールを紹介したい。 U 内宮おはらい町まちなみ保全事業 1. まちなみ保全事業の台頭 内宮の鳥居門前町として発達してきた中之切町を中 心とした一帯は、明治初期まで多くの御師(おんし、伊勢神宮の下級神官)が住み、 彼らは御神楽をあげたことから、通称「おはらい町」と呼ばれている。 御節達の全国的な啓発運動は、中世の伊勢信仰に大いに貢献したといわれている。 近世のおかげ参り(御蔭参り)またはぬけ参り(抜け参り)は伊勢神宮への集団的巡 礼運動であり、周期的に繰り返され、ある年は200万人、ある年は500万人にも達した といわれている。その風習は今なお続き、年間600万人が伊勢市を訪れている。その 最初のプロモーターを務めたのが御師達であった。 おはらい町は神宮関係の建物、旅館、餅屋、酒屋、土産物店が並び、間口が狭く奥 行きが長いいわゆる「うなぎの寝床lと呼ばれる建物が多かった。そして、伊勢特有 の切妻、妻入りのまちなみは、道路両側に連立する家々のファサード(正面外観)が 鋸歯状に高低をつけリズム感を与え、また1階の軒庇の先端には「軒がんぎ板」とい う垂木の鼻隠しが据えられ、これが町並みに連続性を与えている。 この町並み、即ち中之切町ほか2町に跨がる街道約800mのうち580m(図-1参照)を 和菓子の叶ヤ福社長浜田益嗣氏が中心となり、地元の人々とともに、おかげ参り華や かな頃のまちなみの保存と町の再生を願い、昭和48年の遷宮後から「内宮門前町再開 発事業」を行い、伊勢情緒を蘇らそうと熱烈な運動が展開された。 2 伊勢市まちなみ保全条例と保全事業 1)伊勢市独自の条例 この運動の輪は次第に広がり、昭和54年には、内宮門前町再 開発委員会が結成され、翌年には内宮門前町再開発会議に発展した。さらに昭和57年 にはまちなみ保全についての要望書が市に提出され、それは請願書提出へと進展し、 昭和61年市議会は「内宮門前町町並み修景保存等に関する請願」を採択するに至った。 その後、地元と市の問で町並みの保全と再生の実現手法について、実に80回以上の 折衝が行われた。まちなみ保全の実現に向かい、県や中央省庁と折衝を行い、最終的 に平成元年伊勢市独自の「伊勢市まちなみ保全条例」が制定されるに至り、その翌年 から保全事業が開始された。 指定区域面積は約5.3ha、対象戸数約56軒(約140棟)である。なおこの事業の特色 の一つは事業期間に制限がないことである。 2)まちなみ保全事業 この事業は、神宮の門前町として発展してきた古い町並みの 保全と再生を行い、独自の地域性豊かなまちづくりを行うもので、保全地域内での新 ・増築または改築等の修景工事は「内宮おはらい町まちなみ保全整備基準」により行 うことになっている。 その基準は12項目より成り、例えば建物は伊勢の伝統的な家屋形態(前述の切妻・ 妻入りまたは入母屋・妻人り)とし、原則として木造とし、建物の階数は地階を除い て3以下とする。また建物1階には軒庇を用い、色はグレーかそれに類したものとする。 外壁はきざみ囲い(下見板張り)を基本とし、1階には軒がんぎ板、2階には張出し囲 いを用いるなど詳細に裁定されている。 これらの修景に要する資金は市からの貸付(最高3千万円、年利2%)によることと し、修景工事の実施及び貸付に当たっては、その都度審議会(委員10名)に諮って処 理されている。 3)保全事業の進捗状況 昨年7月現在、修景工事の届け出件数は24件、そのうち10 件は貸付金制度により、14件は自己資金によっている。自己資金によるものが14件も あることから、関係者の保全事業に対する熱意をうかがうことができる。 また、外装事業として、平成4年無電柱化工事が完了した。完全地下埋設ではなく、 電柱を内宮おはらい町通りから奥へ移設したもので、全部地元負担で施工された。街 路再舗装工事は市の負担とし、道幅を広く見せるための横組みの石畳方式が採用され、 この工事は昨年7月に完了した。 V 内宮おはらい町点描 昔の門前町の華やかさを取り戻したいという叶ヤ福浜田社長等地元の人々の夢を行 政がしっかり支えて進められている内宮おはらい町保全事業は、伊勢特有の建築様式 の「切妻・妻入り」を基本として、往時の町並みを再生する狙いであり、伝統的建造 物保存地区のようないわゆる凍結保存ではなく、古いまちなみを新たに創出しようと するものであり、新しい伊勢の観光拠点を目指し、いま着々と成果を上げつつある。 その町を歩くと、ハイヒールの踵が引っ掛からないように実に綺麗にびっしりと石 畳が敷かれ、歩道と車道には段差がなく、電柱のない街路は気分を落ち着かせる。 街路の両側には昔の町並みに改装したまたは改装中の店舗やしもたやが並ぶ(写真 1及び2)。街路灯(写真3の右方)、電話ボックス(写真4)もしゃれている。 改装された理髪店(写真5)の看板や青・赤・白のサインポールも行灯風のケース に収められ、屋根には古木が飾りつけられている。 百五銀行支店(写真6)も内宮おはらい町にふさわしく改装され、キャッシュコー ナーの入口には「百五現金自動取扱所」という古風な表現の看板がかかっている。 総会が行われたすし久(写真7)は神宮から下賜された古材で東てられたという由 緒ある本格的な木造建築物である。 W おかげ横丁 1. 伊勢の新しい文化おこしの町 内宮おはらい町の保全・再生事業の原動力とな った叶ヤ福浜田社長のモットーは、伊勢独自の形而上のおもそなしの心を貫くことに あるようで、彼は内宮おはらい町で長年商いが続けられてきた感謝の心をもって、伊 勢をアッピールしたい悲願に燃えて、内宮おはらい町保全,再生事業と並んで、伊勢 の新しい文化おこしに貢献すべく、本店所在地一帯約6,700m2(うち建物面積4,100m2 )の敷地に総工費約140億円(建物約100億円、備品約1億円、その他土地代)を投じ、 「おかげ横丁」を実現させた(図-2参照)。 彼はこのおかげ横丁を最も伊勢らしさを感じさせるたたずまいで、伊勢を訪ねる人 々を心からもてなすよう、地味ながら品格あるセンスが感じられる町としたいと考え たようである。 2. おかげ境丁点描 昨年7月現在、新しい建物は17棟(27店舗)である。別棟です し久と工匠館がある。図−2に記入した番号順に店舗類の概要を紹介したい。 @ 赤福本店 約300年の伝統を誇る伊勢名物赤福餅の本店である。 A 同上別店舗。 B 五十鈴茶屋 庭園を眺めながら抹茶と紀行菓子を楽しむことができる。 C 工匠館 三重県下のこだわりの芸術家の工芸品が集められている。 D すし久 前章に紹介した通りで、由緒ある料理旅館が「伊勢女衆の味」をキャッ チフレーズに蘇った。 E 伊勢萬内宮前酒造場 端麗でこくのある地酒「おかげさま」の蔵元である。 F もめんや藍 独特の縞模様を誇る松阪木綿の店である。衣類から生活小物まで扱 われている。 G ふくすけ 伊勢地方の人には馴染み深い伊勢うどんと磯の香ゆたかな志摩うどん の専門店である。 H 山口誓子俳句館・徳力富吉郎版画館 伊勢にゆかりの深い山口誓子氏の俳句と赤 福の伊勢だよりを描き続ける徳力富吉郎氏の作品の展示館であり、建物も凝った 装いである。 I 櫓 みそか祭の中心となる建物で、太鼓の演奏も行われる(写真8)。 J 豚捨 昔懐かしい伊勢肉牛鍋料理の老舗で、精肉も販売している。 K 海老丸・三重魚連直販所 海老丸は伊勢志摩の魚介類を棲った「伊勢男衆料理の 店である。三重魚連直販所では生け簀を設け活魚も販売している。 L 団五郎茶屋 伊勢の味覚が楽しめる屋台である。無料休憩もできる。 M 名産味の館 伊勢の風土が育んだ果物、味噌、佃煮、漬物、名物菓子などを販売 している。2階は森翁館に連絡している。 N 森翁館 鹿鳴館などを設計した建築家ジョサイア・コンドルによる桑名の歴史的 建造物「諸戸邸」を模した建物である。1階には伊勢志摩のパールを扱う「覚田真 珠店」、キャンドルの「カメヤマローソク店」及び銀装飾品の「しろがね屋」が ある。2階には喫茶軽食の洒落たカフェ「はいからさん」がある。 O 伊勢路味匠館 自然の恵みが味わえる食べ物を集めた名産店である。 P 若松屋 伊勢かまぼこや練り製品の老舗である。 Q 三軒長屋 美杉村の手作りこんにゃく店「美杉郷八知玉屋(ミポゴウヤチタマヤ)」 、伊勢沢庵や伊勢の旬ごとの野菜の漬物の店「伝兵衛」及び桑名のしぐれ蛤の店 「貝新水谷三九郎」の3店が並んでいる。 R 神路屋 1階は手づくり工芸品の店、2階は新進のクラフトマンや匠の作品の展示 ギャラリーである。 S 宮忠 小屋式の平屋造りで、各種の神殿や神祭具をはじめ、宮大工の技を生かし た生活用具の店である。 (21) おかげ座 参宮街道沿いの町並み模型を展示し、近世のおかげ参りが疑似体験 できる。 (22) 参宮歴史館 近世のおかげ参りを映像により紹介している。 (23) 吉兆招福亭 津々浦々の縁起ものの商品を揃え、福のおすそ分けをする店である。 (24) 志州屋 伊勢近海の新鮮な干物を扱う「かね長商店」と上質の海藻類を扱う 「みえぎょれん販売」及び伊勢の煎餅師益屋種次郎による煎餅やあられの「益屋 種次郎商店」がある。 (25) 楓神社 (26) 常夜灯 おかげ横丁入口広場に設けられている(写真9)。 X 結びにかえて 冒頭に述べた浜田典保氏の詰を栽り交ぜつつ、本稿を締めくくりたい。 伊勢参宮客は年間600万人、うち内宮へは400万人、この数は数十年変わらないが、 最近は鳥羽志摩方面のリゾート地へ向かう客が多くなり、伊勢市は単なる通過型観光 地になりつつある。これをいかに食い止めるかが地元の課題である。 従来は、内宮参拝客の6%(24万人)が赤福店へ立ち寄っているが、昭和61年に五 十鈴茶屋が開店してから客足は増え、おかげ横丁開設直前には10%(40万人)に達し たようである。 今後、内宮おはらい町とおかげ横丁を宣伝し、25%(100万人)を誘致し、採算ベ ースにのこせたいと目論んでいる。浜田社員は長期的視野に立って、伊勢のよいもの にこだわり続けながら将来の採算面を考えているようである。 異色ある伊勢の新しい文化ゾーン内宮おはらい町とおかげ横丁がしっかりと根を張 り、その評判が広く日本全国に浸透していくことをアウトサイダーの一人として望ん でやまない。 付記 写真は総会とは別の日に、早朝に撮ったので、観光客の姿はなくひっそりして いる。 引用文献 1) 内宮おはらい町、伊勢市企画広報課(1993) 2)内宮おはらい町まちなみ保全事業について、同上 3)おかげ横丁案内、叶ヤ福企画室(1993) 4)都市環境ゼミナール年報第2号、都市環境ゼミナール(1994) (平成6年9月) △