編集:2004年12月11日 最終更新:2005年2月6日
高校生のときか中学生のときか定かでないが、寺田寅彦の「地図を眺めて」*の一節に
『 「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。
(中略)
それだけの手数のかかったものがわずかにコーヒー一杯の代価で買えるのである。 』
とあるのを読んで、当時まだ飲んだことのなかったコーヒーの値段を目安にして金額が書かれていたのを感心した覚えがあります。
つづけて、次のように書かれています
『 もっとも物の価値は使う人次第でどうにもなる。地図を読む事を知らない人にはせっかくのこの地形図も反古 同様でなければ何かの包み紙になるくらいである。読めぬ人にはアッシリア文は飛白 の模様と同じであり、サンスクリット文は牧場の垣根 と別に変わったことはないのと一般である。しかし「地図の言葉」に習熟した人にとっては、一枚の図葉は実にありとあらゆる有用な知識の宝庫であり、もっとも忠実な助言者であり相談相手である。
今、かりに地形図の中の任意の一寸角をとって、その中に盛り込まれただけのあらゆる知識をわれらの「日本語」に翻訳しなければならないとなったらそれはたいへんである。等高線ただ一本の曲折だけでもそれを筆に尽くすことはほとんど不可能であろう。それが「地図の言葉」で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。』
実物の地形図は身の回りになく、地形図を見たい、見ながら歩いてみたいと思ったものです。
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