聖剣の刀鍛冶(ブラックスミス) 著者:三浦勇雄
おすすめ度:★★★☆(3.5点) ジャンル:萌え系本格ファンタジー
 個人的に、手に取る事は無いだろう、思っていた、ライトノベルのファンタジー物。
 代理契約戦争(ヴァルバニル)という、破滅的な戦争を経て、新しい秩序を築きつつある世界の物語。独立交易都市の女性騎士セシリー・キャンベルが、家伝の両刃直剣を鍛錬し直してもらおうと、刀鍛冶を探して歩くのだが、既に鋳型製法に押され、鍛錬技術は廃れており、打ち直す事は出来ない、と言われる。そんな時、ある出来事から一人の男に出会う。鉄をも寸断する反りのある片刃剣を振るう、ルーク・エインズワース。彼は、失われかけた鍛錬法を伝承する、刀鍛冶であった…。
 設定は、なかなか良く練られており、結構好きですよ、ハイ。所謂魔法は、「悪魔契約」「祈祷契約」という概念で括られており、これが物語そのものに大きく関わって来る。『スレイヤーズ』の魔法召喚システムに近いか?
 お察しの通り、ルークの伝承する鍛冶及び刀法は、日本刀のそれである。西洋のファンタジーに東洋の刀を持ってくれば、こうなるに違いない、という刀好きの妄想を刺激してくれる設定ではある。
 萌えキャラ多数の割には、結構ボコボコに蹴ったり殴られたりするので、変なまだるっこしさは無い。
 ただ、セシリーとルークの恋愛模様だけは、「いかにもライトノベル!」という感じで、ちょっとこっぱずかしい(笑)。

 産経新聞に書評が載っており、結構評価が高かったのが、手に取った理由なのだが、意外としっかり読める、本格ファンタジーなので、いっといて良いかと。
H210612


ロボットの魂 著者:バリントン=J=ベイリー
おすすめ度:★★★★(4点) ジャンル:古典SF
 士郎正宗の『攻殻機動隊』を読み、アシモフ博士の『わたしはロボット』を読み、「意識の存在」とは何だろう?という疑問を漠然と考えていた時、本屋で見かけたこの作品。このところ、懐古趣味的に古い作品を読み漁っているので、渡りに船という感じでてにとってみた。
 先の文明が、戦争により滅びて千年、新たな文明を築いた人類は、ロボットという機械を手に入れていた。そんな世界の片隅で、子供の居ない老ロボット技師夫婦が、一体のロボットを作り、起動させた。名前はジャスペロダス。しかし彼は、起動するや否や、明らかな自立心をもって、創造主たる老夫婦の前から旅立ってしまう。しかし、そんな彼にはひとつの大きな疑問があった。果たして自分には「意識」があるのか?今、自分を自分であると認識しているのは、単なるプログラムに過ぎないのだろうか?彼は、自分探しの旅に出る。
 とまあ、こんなお話である。ジャスペロダスは、自分の意思において、盗賊団の仲間に入り、ある国の王座を奪うべく画策し、さらに大きな国の元帥として国を動かすまでに出世する。しかし、自分とヒトとは違うのか?意識とは何か?という命題に、最後までとらわれていく。オチは、豪快なネタばれなので書かないが、このベイリーという作家は、
 @デカルトを認めていない。
 Aヒトと機械とは違う。
 B機械はしょせん機械。
と思っているらしい。機械は、ヒトが上手に使うことによってどのようにでもなる、というような事が言いたいのか?機械(工業用ロボット)が社会の生産活動に大きく関与しだして来た、1974年に書かれた作品であり、ある意味『わたしはロボット』に真っ向から反論するような内容ではある。
 まあ、SF冒険活劇としては、かなり面白い。いっといて損はない、。
 ただ、解説の黒崎政男氏(東京女子大学文理学部哲学科助教授)が指摘する通り、作品的に「大きな矛盾」をはらんでいる。そこでがっかりせずに、とにかく楽しむのが吉。


わたしはロボット 著者:アイザック=アシモフ
おすすめ度:★★★★★(5点) ジャンル:古典SF
 高校時代から、読もう読もうと思いつつ、なかなか手にする事のなかった、古典中の古典SF小説。
 ロボットSF短編を、ロボット心理学者スーザン・カルヴィン博士の語りとして繋げて行く展開で、お話が続いていく。まだ話すことの出来ないロボットから、人間の社会生活のコントロールをするまでに進化を続けるロボットと、人間との関係を、時系列に沿って綴っていく。
 一番初期に書かれた短編作品は、1939年に発表されている。時代的には、第2次大戦の前年。こんな時代に、人間型のロボットと、人間との軋轢を含んだ関係を考えつくとは・・・。
 この作品をこうやってちゃんと読むまで、私は内容を誤解していた。もう少し、ロボットと人間との、夢に満ちたフレンドリーな関係が描かれている、と思っていたのである。ところが、アシモフ博士は、そんなに甘い人ではなかった。「ロボット」という存在に、良くも悪くも「人間」というものを投影して見せた。また、有名な「ロボット工学三原則」も、いわば社会生活における<道徳的規範>の極端な形に他ならない。アシモフ博士(と我々)は、ロボットの中に「奇形化した人間」を見てしまうのである。
 この作品中では、20世紀中(1982年?)に「プラチナ・イリディウム合金のスポンジ状の球体」で出来たポジトロン大脳回路が発明されている。残念ながら、今現在の科学技術では、それは実現不可能である。もし、ポジトロン級の回路が発明された時、我々はどのような「三原則」を組み込むのだろうか?


サイボーグ・ブルース 著者:平井和正
おすすめ度:★★★★★(5点) ジャンル:SFアクション
 日本SF界の鬼才、平井和正の正統派SF小説。
 特に時代の限定されていない未来の地球。サイボーグ特捜官アーネスト=ライトが主人公のこのお話は、無敵のスーパーヒーローが主人公の、あっけらかんとしたヒーロー物とは一線を画した内容だ。ライトは、悪徳警官に殺された直後に、高速サイボーグ体に脳移植をされた。そのサイボーグ体と折り合いをつけるために、彼は憎悪をエネルギーとして、日々を生きる。
 なんかに似ているな、と思ったら、そう、『ロボコップ』に感じが似ている。が、『ロボコップ』は1987年公開、『サイボーグ・ブルース』は1974年発表、もっと言うと、平井和正が原作、桑田次郎が作画した『8マン』(『サイボーグ…』を生み出す元となった)は1973年発表。日本の”非科学的(リアルな科学では未だ実現できそうにない)”空想科学文化は、ハリウッドの10年先を進んでいるようだ。
 大藪春彦ばりの、ダークでクールな表現力で、淡々と描く人間の精神の奥底にたゆとう暗黒を描き切ったこの作品、読んで損はない逸品。いっとくべきでしょう。

 電子加速状態(いわゆる「加速装置」を使った状態)に入った時の描写は、素晴らしい!カッコイイ!しびれるね!


鋼鉄都市 著者:アイザック=アシモフ
おすすめ度:★★★★(4点) ジャンル:SFミステリー
 SF界の大御所、アシモフのロボット物小説である。
 地球人が、宇宙に飛び出し、ロボットを活用し進化・拡散を図る派と、”広所恐怖症”となり、ドーム型都市(シティ)に閉じこもり、拡散派(及びロボット)を毛嫌いする保守派とに分かれている時代。
 そんなニューヨーク・シティで、推進派のロボット工学博士が殺された。保守派のイライジャ=ベイリ刑事が事件を担当することになったのだが、相棒は、R=ダニール=オリヴォー、ロボットだったのである…。
 こんな感じで物語は始まる。この作品は、SFであると同時にミステリーでもあるので、余り詳しい紹介は避けるが、面白い。それは確かである。まあ、ミステリーマニアには多少物足りないだろうが。トリックには、保守派の性癖と、ロボット工学三原則が巧く活用されていて、SFでミステリーを作ると言うのは、こういうことなのだな、と思わず感心してしまう。
 イライジャと、R=ダニールが、徐々に心を通わせて行く描写もなかなか。
 1950年代に書かれた作品とは思えないほど、現在の都市の閉塞状況を予言している。また、推進派と保守派との関係、どっかで見たことあると思ったら、ジオン公国と地球連邦との関係に似ている。こんなところにも影響を与えていたのか?と、勝手に思っている。
 SFビギナーも、ミステリービギナーも、どちらもとっつきやすい『鋼鉄都市』。いっときましょう。

 ちなみに、以下が「ロボット工学三原則」である。手塚治虫も、石森章太郎もこれを取り入れている。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第二条:ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条:ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一条,第二条に違反しない場合に限る。


グインサーガ 著者:栗本薫
おすすめ度:★★★★☆(4,5点) ジャンル:ヒロイックファンタジー
 作者の「全百巻宣言」で幕を開けた、この和製ヒロイックファンタジー。今では、本編85冊、外伝16冊、既に百冊を超えている、ギネスにも載るほどの一大長編小説へと成長した。
 豹頭という意外性、アメリカ製ヒロイックファンタジーものにありがちなダークな雰囲気、主役であるグインが正体不明という特異性、など、私の興味を惹きつける要素は結構多い。
 最近は、「ヒロイックファンタジー風大河ドラマ」な感じにお話が展開している。ここまで小説世界が大きくなると、きっとこうなってくるのだろう。
 ヒーローと言えども飯を食う。悪人にも悪を行う理由がある。きら星のごとき麗人も糞をする。素直な明るい奴も、紆余曲折で歪んでいく。そんなリアルな世界が、『グインサーガ』の中で息づいている。
 そんな作品テイストの変化を非難する読者もいると聞く。しかし、私はむしろそこが面白いと思う。作品も、作者も共に生きており、変化していく。物語が「生きている」のは、読者にとっては楽しく、刺激的な事だと思うが、如何に?