戴氏心意拳を学習している某団体が、自らのホームページやその手の専門雑誌上で、
「当会、すなわち戴氏心意拳こそが、真の中国伝統武術だ。他の武術は、表面上の美しさに走り、武術本来の真面目を失っている!」
と、高らかに宣言した。確かに戴氏心意拳は、秘密裏に伝えられていた事もあり、中国本土でも珍しい拳種として知られている。形意拳、更には心意六合拳の母体とも言われている拳法である。その会は、よほど自派の技術に自信があるのだろう、戴氏心意拳以外の拳種は、実用性を失った形だけのものである、と言い切っている。
さらに、どういう経緯かは分からないが、呉氏開門八極拳、ひいては呉連枝老師に対する批判・中傷まで、そのホームページ上に掲載していた。
その門外不出の技術の一端が、ビデオにより公開された。果たして、それほどまでに言うところの伝統的にして実践的な動きとは、どのような物か?大いなる期待を込めて、ビデオを回した。まあ結論から言うと、凝ったビデオ構成のワリには、内容はそう目新しい物ではなかった。確かに、伝承者の老師は伝統的な動作で、いかにも昔からその流派一本で修練を積んできた、ということがよく分かる動きだったが、一部の用法に関して言えば、呉連枝老師が15年前に公開した内容と全く同じであった。
中国武術といえば、幾つもの流派に別れ、それぞれが個性を主張している。太極拳然り、蟷螂拳然り、八卦掌然り、洪家拳然り、詠春拳然り。勿論戴氏心意拳や、呉氏八極拳も然りである。しかし、である。如何に個性を発揮しようとも、腕二本、足二本、頭一つの人間のすることである。そう大きな隔たりはないはずである。所謂套路に関して言えば、確かにその門派独特の動きが出るものであり、また套路はそうでなくてはいけない。風格、というヤツである。
拳種、門派による違いは、そこに現れるものであり、実際の用法には、そう大きな違いはない。私は八極拳と、太極拳・通背拳・形意拳・八卦掌のそれぞれ一部の用法しか知らないが、戴氏の用法も、私が知っている物で充分理解が出来るものであった(勿論一部分ではあるが)。
自派にプライドを持つ事は、大いに結構である。しかし、自分が知っていることだけで、全てを判断しようとするのは無理がある。実際、戴氏の知識だけで判断しようとした為、彼らは恥をかく羽目に陥ってしまったのである。自派のオリジナリティは、套路のみではなく、自派の理論をどう応用して実践するか、にかかっている。