中国武術の体捌きを見て思った事

 最近、八極拳の套路を練習していて、自分の認識を確認し直した事がある。それは、「伝統武術の技術的核心は、やはり組み技である」ということである。今更か、と思われるかもしれないが、この認識はほぼ確信に近い。
 八極拳は、とかく「一撃必殺(笑)」と形容され、打撃メインの武術と思われがちだが、特に呉氏開門八極拳に限って言うのなら、八極の技術は「相手を転ばせるために」存在するという感が強い。勿論、打撃の用法も多い。寸勁を多用した接近戦の技術も豊富である。しかし何よりも、投げ、それも自分は立った状態で、相手を地面に寝かす技術が多い。柔道のような、自分もろとも倒れつつ相手を投げる、という技は、八極拳に限らず、中国武術全般にあまり見受けられない技術である。いわゆる「捨て身技」は、一部流派を除いて、中国には無いと言っても過言ではないのではないだろうか?浅学ながら、楊式太極拳、陳式太極拳、八卦掌などは、投げ技主体の技術体系であると見受けられる。形意拳、通背拳は、打撃の割合が多いとは思ったが、どんな技でも、投げへの応用を基本とした用法説明である(中国武術の投げは、[崩し]の意味合いが大きい)。
 近代武術を例にとった場合、ボクシングなどは、両手を使った技以外の様々な技術を、惜しげもなく捨て去る事で、今の緻密な技術体系を作り出した。キックボクシングやフルコンタクトカラテも、突き蹴りの打撃に特化したことで、強力な攻撃力を手に入れた。しかし組み技主体のグレイシー柔術に、かなりの遅れを取った事は記憶に新しい。そして柔道は、逆に一切の打撃を捨てる事で、圧倒的な投げ技術を手に入れた。グレイシー柔術なども、どちらかと言うとやはり柔道の部類に入ると思う。
 そう考えると、中国武術の技術は、突きで入って投げで極める、という両者の良いとこ取り(悪く言えば中途半端)な技術であり、理には適っていると思う。そういった理論は、他の東洋武術(日本の少林寺拳法、大東流合気柔術など)にも見受けられるのだが、中国武術の場合、打撃と投げを同じ理屈で用いようとする、ちょっと贅沢な理論がある。そして、それを体現し得る理論も作り上げている。ただ逆に、その理論が中国武術を習得の難しいものにしているのも事実である。
 しかし、習得が難しい分、中国武術は「工夫し甲斐のある」技術だとも言える。