中国武術と中国哲学

 中国武術を習い始めた頃、武術に理論は余り必要ないと思っていた。また、確かに武術である以上、自分を害するものに対して断固たる手段に訴えるためには、いちいち理論を考える必要もないし、第一そんな時間的余裕もない。今まさに殴られようとしている時に、いちいち「受けの手の出し方は、理論では…」などと考えていたら、避けられるものも避けられない。だから、理論の勉強は後でいい。そう思っていた。<BR>
 ところが最近、やたらとその理論が気になり出した。調べてみると、結構面白いのである。いわく「陰陽」だの、「太極」「四象」「八卦」……だのと、調べれば調べるほど、中国古典の深みにはまっていく、そんな感じである。<BR>
 今までさんざん殴り合いの練習をしてきたが、一番元気な頃のようには、自分の体が動かなくなって来た、というのも、理論に目覚めた一つの理由ではある。がむしゃらに練習し、がむしゃらに組手をする、そんな体力的余裕がなくなってきた。自分より若い人には、体力では敵わなくなりつつある。そのギャップを埋めるのは、やはり技術・理論の類であろう、と思えるようになって来た。元気な頃は、失礼ながらそんなことは全く考えなかった。勢いに任せていれば事足りたからである。自分の勢いに信頼が置けない今、中国武術の理論は、とても理解しやすくなって来ている。<BR>
 理論の中心は、やはり「陰陽」の関係である。日本武道で「表裏」の関係と説明しているものと、ほぼ同じだと思う。その国の文化に根ざした表現方法の違いだけであろう。我々日本人には、中国の文化は、理解が非常に難しい。しかし、一度飲み込んでしまえば、日本の文化スタイルでも充分納得できる部分が多い。出来ない場合は、その理論があまりにも特殊か、自分が頑なか、だと思う。なにしろ、私たち人間は、中国人も日本人もアメリカ人も、目も手も足も基本的には二本しかないのだから。まあ、理解出来るのと、表現出来るのとはまた別問題。宗教的理屈もまた別問題。<BR>
 日本でも有名な蟷螂拳(と八極拳)の先生が「八極五行の気」というものを発表した。結構難解なのだが、理論としてはかなり整っている。自分でその理論通りに動いてみても「ああ、なるほど」と頷けるものである。五行の相生・相克を巧みに取り入れた、身体操作の理論としてかなり明快なものである。唯一(?)の難点は、それをもって「八極のオリジナリティ」を主張してしまったことか。<BR>
 とにかく、中国武術は全般的に、中国哲学(及び中医)を理論的中核としていて、身体操作の要訣を説明する主要な手段としている。その理論を意識して練習することにより、その武術流派独特の風格、というものも着いてくるようである。だんだん「若くない」年齢になってきて、ようやく「意識して」練習する事の意味が分かってきた気がする。<BR>
 しかし、勢いに任せてガンガン練習する必要性を否定する気もない。なにせ、そんな事は若いうちにしか出来ないのだから。