"世界報道写真コンテスト2006"
審査委員長ジェームズ・コルトン氏のメッセージ
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東京都写真美術館で、2005-06-17〜07-30 に開催されている
「世界報道写真コンテスト2006」審査委員長ジェームズ・コルトン氏のメッセージを記します。
僕の個人的な感想=考えも書きました。(個人的な考えなので誤解されませんように。)
「審査委員長 ジェームズ・コルトン氏のメッセージ」は、
ガイドブックにも、会場のパネルにもありました。
どのようなコンテストもそうですが、審査は、人間の創った作品を、人間が審査
をするので、完璧ということは不可能です。
審査する方の考えや、審査の有り方が、そのコンテストの意義を決めると思います。
ですから、審査員の考えが、どのようなものなのか、を知ることは
コンテストの価値や意義を知る、貴重な手がかりになります。
私は"世界報道写真コンテスト2006"を鑑賞して、とても残念に思いました。
報道写真でいちばん大切なのは、偏見のない、公正な審査だと思いますが、
私は偏見を強く感じました。
写真としては、私のような者は言う資格はありませんが、言論は自由です。
写真としても、拙劣で哀しく思いました。
私の個人的見解に左右されずに、どうぞ皆様の眼と心で、ごらんください。
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世界報道写真コンテスト 2006
審査委員長 ジェームズ・コルトン氏のメッセージ
私たちがこの地球の住人としてすごすのはほんのわずかな時間にすぎないが、
その短い時間のなかで、何度となく、人間の想像を超える大きな力の存在を知らされる。
昨年、世界はふたたび地球の計り知れない力、すなわち自然の猛威を目の当たりにした。
大津波に襲われた東南アジアの人びとが生活の再建に努力するなか、ハリケーン
「カトリーナ」がアメリカのルイジアナ州とミシッピ州を襲い、こうした大きな
自然災害に対するアメリカの非力さと、準備不足を露呈した。
さらには、カミール地方で発生した大地震により数万人の命が奪われ、ニジェールでは
史上最悪の飢饉で何千万もの男女と子供たちが食料不足に陥った。
私たちは昨年また、テロリズムの脅威がまだ消え去っていないことも思い知らされた。
ロンドンで、バグダットで、ベイルートで、その他の場所で、罪のない多くの人が
自爆テロの犠牲となり、
同じ人間に対する非道な行為が続いている。
イラクとアフガニスタンではアメリカ主導の介入が続いており、その結果として、
多くの若者が国旗に包まれた棺に入って家族のもとに帰還している。
こうしたなか、数千人もの報道写真家がみずから危険に身を投じ、世界のいたる所で
起こっている悲劇を伝えるために、現地で撮影した写真を持ち帰ってくる。
写真の持つ力とその後後まで影響を与えうるインパクトは、この年次コンテストにも
明白に示されている。13人の疲れ知らずの審査員による夜遅くまで及ぶ選定作業は
2週間にわたった。
受賞作品が収められたこの目録は、昨年1年間に起きた出来事を、圧倒するような
視覚表現でバランスのよく記録するものになった。
刺激的なもの、時を超えるもの、いつまでも記憶に残るもの、さまざまな写真が
収められている。
なかでも一番忘れることのできないのが、ニジェールの食料支援センターで撮影された、
1歳の赤ん坊の指が若い母親の唇を覆っている写真だろう。
図柄は非常に単純なのに、意味するものは深い。多くの問いかけをすると同時に、多くの
答えを示す作品だ。
この写真を見て、無力さと絶望を感じとる人もいれば、共感と希望を感じとる人も
いるだろう。美しいと同時に恐ろしくもある写真である。
世界の援助機関によれば、5秒にひとりの子供が餓死している。
飢えによる死亡者数は毎年1000万人にのぼり、エイズと結核とマラリアによる死亡者の
総数を上回っている。フィンバー・オライリーの大賞受賞作品は、昨年ほとんど注意を
払われなかった問題を肝前と目の前につきつけるものだ。
他のあらゆる天災と比べても、飢饉はけっして二の次にされてはならないものなのである。
本年度のコンテスト参加写真家の作品全体を通じて、これまでと同様、写真が今日いかに
重要は働きをもつものであるかが認識された。
その映像は私たちの頭の奥深くにしっかりと整理され、将来ふたたび引き出されることに
なるだろう。
象徴となる瞬間を切り取る。それが写真の強さだ。写真は、歴史を私たちの個人的な
写真アルバムに変えていくのである。
審査委員長 ジェームズ・コルトン
2006年2月 ニューヨークにて
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「世界報道写真コンテスト2006の最優秀賞の写真です。」
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「世界報道写真コンテスト2005の最優秀賞の写真です。」
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以下は、僕の個人的な考えです。どうぞ誤解のないように、お願いします。
報道写真に、いちばん求められるものは、公平性だと思います。
僕は、今年の「世界報道写真コンテスト2006」を、東京都写真美術館で観て、
残念に思いました。
公平性という点で、偏りを、感じました。
チェルノブイリの事故は、確かに大事故でしたが、なぜ今年?なのでしょう。
原子力関係の事故では、日本で起きた「JCO」が歴史上世界最大の事故だと言う
専門家も多いです。
イラク戦争にしても、米兵の負傷兵の入賞はありますが、イラクやアラブ諸国の
一般人犠牲者を扱ったものは希でした。
審査委員長は、アメリカ人、なるほど、という感じも、してしまいます。
国連のように、拒否権など、巨大な国に、有利にならないような、安全性は、
全てにおいて必要です。
帝国主義化するアメリカと、それに隷属する日本。
哀しくて、怖い時代になっています。
「報道」は、おいておき、写真としては、どうでしょうか。
2005年度と、2006年度に、テーマに使われた写真を、上にリンクしました。
2005年度の作品は「2004年12月にスマトラ沖地震・大津波」を写したものです。
小さい写真で残念ですが、死体を前に、悲しむように嘆くように泣くように、
手や腕を見れば祈りさえも感じられます。
2006年度の作品は「フィンバー・オライリー(カナダ・ロイター通信)氏が撮影した、
「ニジェール南部のタウアにある臨時食料配給所を訪れた母子《大賞》」
だそうですが、
どのような写真でもそうですが、説明が必要なら、それは写真ではなく、
文章の資料に過ぎません。
僕は1年前に、2005年度の大賞作品を観て、大地震の記憶も鮮やかでしたから、
活断層かなとか、地震か津波で、亡くなった人を、悼んで、悲しみが、
身体中から、滲み、溢れているのを感じました。
活断層の斜めのラインは、画面を安定させ、写真の価値を高めています。
最初に、悲しむ人に眼が行くでしょうか。
それから、活断層を追いながら、死体に気付くでしょうか。
人によって、多少の順序の違いはありますが、1枚の写真から、多くのことを
知ることができます。
今年(2006年度)の大賞作品から、僕は、悲しみや飢餓や貧困、臨時食料配給所?など
全く感じられず、説明を読んで、初めて分かることばかりでした。
黒人の女性の口元の手が、異様に小さいので、奇形なのかしらとか、それを除けば
微笑ましい思いすら感じました。
今年は、顔写真が並んだ組写真とか、報道写真としても一般的な写真としても、
昨年に比べて、とても残念な思いがしています。
報道には、公平さ、忠実さが、求められるでしょう。
それが疎外された世界、社会は、怖ろしい世界です。
たかが写真と思うかもしれませんが、政治も絡んで、このような結果になったと
思います。
日本は下より、世界の動きに、心を配りながら、世界の平和と幸せを求めたい
と思います。
2005年度の審査委員長のメッセージと、
2006年度の審査委員長のメッセージを記しました。
言葉は神であった、という聖書の言葉もありますが、言葉には、奥深い意味が
こもっています。
僕は、昨年の審査委員長のメッセージに感動しました。
どうぞ皆さん、写真とメッセージを、ご覧になって、皆さんの眼と心で、
世界の現実と、宇宙船地球号は何所へ向かっているのか、このままで良いのか、
ご一緒に考えませんか。
以上です。
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