3-1.僕が日本を客観的に見られる理由
ぼくがこのホームページを始めたのは1999年です。(途中でURL変更もしましたが)
最初は、本当にHTMLも、何それ?って感じでしたから、内容もひどいものでした。
確か映画のページしかないような、本当に拙いものでした。(今でも拙いですが、(^_^;)
そんな訳で4年近くホームページを運営してて、つくづく感じることは、どうして僕の
考えが、一般的な日本人と異なっているかということです。
たとえ親友にでさえ、ぼくの本当の考え方は理解できないようです。
ぼくには日本人の考えは理解出来ているつもりですが、大多数の日本人には僕の考え方は
理解が難しい、更には理解出来ないらしいです。
こんなふうにホームページにいろんな事を、書いている僕ですし、お喋りも好きですから
いろんな方々と本音で語り合ってますが、小泉総理支持率(最近落ちてますが)が最大の
頃のように、常に理解不可能なものがあります。まるで深い溝があるようです。
小泉総理就任早々から、僕はダメだ!って言ってきましたが、同調する方は皆無でした。
未だに半数近くの方が支持している訳ですが、就任早々の頃は、その言い分と全く同じ
合唱が、ユニゾンで返ってきたものでした。今でも返ってきますが、怖いです。v
今でも 5-19.怖い人!小泉新総理大臣 | に書いた通りの気持ちです。
僕は日本の映画も作家もメディアも、文化も、全てのものに、危機的な問題を感じます。
しかし欧米の映画も作家もメディアも、文化も、全てのものに、僕は親和し感動します。
ぼくは海外旅行はしたけれど、海外で生活したことはありません。
ひっきー(宇多田ヒカル)は海外の生活が長かったそうですが、実に日本人そのものです。
最初、ぼくには不思議でなりませんでしたが、特有の「比較文化人類学的考察」の結果
ある結論に至りました。
そのことをお話ししておいた方が、ぼくのメッセージをご理解いただきやすいと思うので
このページを作りました。
個人的なことで恐縮ですが、どうぞお付き合いください。
2つ理由があると思います。
1つは、父の影響です。
父は若い頃、仕事で世界中をまわりました。そして僕にいろんな話しをしてくれました。
その時、西洋への憧れが芽生えたのでしょう。
あと父は、出世などより自分に素直に生きる大切さを教えてくれました。
もちろん、そんな父と結婚した母の影響もあります。
まわりが何て言おうと、自分らしく生きる大切さを、教えてくれました。
2つめは、僕の初恋です。(って言えるかどうか、幼すぎたので、)
出会いは小学校入学の日です。
入学式で初めて出会った僕たちは、帰りには追いかけっこをするまでになっていました。
それから毎日、登下校は一緒です。
ぼくが5年の2学期の時、別れは来ました。
ぼくの父の転勤のために、別れは来ました。
でも、文通を始めたのは、それが理由です。
(文通については、別にページが必要です)
中学に進学する時、彼女は変なことを書いてきました。
「ミッションスクールに行くの」と。
当時のぼくは、都会に住んでいた訳でもなく中学は公立の決まった学区の中学でしょう。
それ以外、考えもしてなかったので、将来のために私立の中学に進むなんて意外でした。
それからが、ぼくの脳みそのルネッサンスというか、大変革の時代でした。
まず「キリスト教」?!???
さっそく、通信教育を受けました。
(ミッションのため無料の講座はけっこうあります)
父の影響も加わって、西洋文明、文化への興味と憧れへと、つながってゆきました。
中学の図書室に「筑間書房」の「世界文学大系」がありました。
歴史順に100巻以上ありますが、大部分読みました。
あとキリスト教をより深く客観的に理解しようと、西洋哲学を歴史順に読み漁りました。
音楽も好きですが、今でも流行を追わないのは、クラシックから始まったからでしょう。
それは、彼女の影響もあります。ピアノが上手でした。
ぼくの音楽好きは、クラシックの中でも、さらに古い、グレゴリア聖歌やコプト聖歌に
始まります。
それから、歴史を追って、バロック、古典派、ロマン派、と続きます。
そんなふうにして、中学、高校、大学と進めば、頭の中は西洋一色になるでしょう。
もちろん、まわりは日本ですから、日本の現実を目の当たりにして、日本も学びました。
かくして、日本に居ながら、日本人らしからぬ日本人が誕生しました。
西洋文明への憧れや希望はありましたが、理学が好きだったので、工学部に進みました。
工学の考え方は理論的で、西洋文明そのものでしたから、違和感なく学べました。
西洋的な考え方を、増長したとも言えます。
海外で生活をした帰国子女でも、日本人学校に通っていては、日本人にしかなれません。
理学と工学の違いについて、理工学専攻の方はご承知でしょうけれど、触れておきます。
理学は純粋に理論を扱います。工学は科学技術を現実社会に生かす手立てを考えます。
経済性工学や実験計画法など理学部にない科目があり、夢見る学問ではなく現実的です。
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それでも、アクセスカウンターは少しずつですが、増えています。
理解してくださる方が居らっしゃることは、ぼくの祈りであり、ぼくの希望です。
どこかに書いたと思いますが(下書きの日記と錯綜しています)日本が第2次世界大戦に
敗北した時、総玉砕などと言っていたそうですが、米軍が上陸するや、お客様扱いだった
そうです。
これは、日本文化の不思議であり、比較文化人類学上の典型的な日本の特徴ですが、実は
日本人は、天皇が神ではないことや、日本が戦争に勝てるとも思っていなかったのです。
西洋諸国や、イスラム諸国をご覧ください。
同じような事態に陥ったなら、本当に総玉砕というか、最後の一人まで戦うでしょう。
西洋文明は、「希望か、死か」ですが
日本文明は、「生きるか、死ぬか」だからです。
ぼくが、このホームページを通してお伝えしたいことは、
A.演歌を歌いながら自分を殺して生きて行くことと。
B.自分らしく、自分の思い通りに素直に生きるのと。
どちらが、大切でしょう生きる意味があるでしょう?、という疑問、問いかけなのです。
言葉で言うほど簡単ではないから、一生をかけて答えを見い出す必要があるでしょう。
最後に彼女のことですが、小学校入学で出会ったその人は若死して今はもう会えません。
そんなこともあり、生きる意味について考える意識が強いのかもしれません。
それ抜きでも、日本人は真剣に考えるべきです。
邦画は暗くて希望がないので、全くといっていいほど観ませんので、正確な例えかどうか
日本人は「千と千尋の神隠し」の「顔なし」のように、自分("IDENTITY")が有りません
自分ではなく、回りに対して自分の意思を殺して同化させるために何でも飲み込みます。
自己主張をすることは、いけないことのように思い込んでますが、それは洗脳されてます
舵取りをしている、ほんの一部は居るのです、その輩が自由に操りたいための理由が倫理
道徳と言われているものの実体です。
いつの日も、倫理・道徳は、そのように利用されてきました。
誤解されると困るので正確に言いますと、倫理や道徳は普遍的に存在するものです。
それを「悪用する権力者が居るので注意が必要です」ということです。
国旗を掲げない、国歌を歌わない日本人、今のが嫌なら、掲げられる国旗、歌える国歌を
新しく創るべきです。
そのことだけでも、日本人が真の自由を希求しているか否かが、はっきりわかります。
それをしなければ、いつの日か、嫌でも歌い、掲げ、従わされる日が来るのです。
自由な社会は一人ひとりが確固とした"IDENTITY"を持った上にだけ、築くことが可能です
物理的な生、または死と、肉体を超越した生や死が、あるとは思いませんか?
死後のことは置いとくとしても、
【西欧民族のように】
望む生き方のために、命を懸けて戦い、勝ち取り、守って、生きるのか
【日本民族のように】
どんなに虐げられようと辱められようと、ただ生きるために、生きるか
日本人の"IDENTITY"、貴方の"IDENTITY"は有りますか?、確かでしょうか?
"IDENTITY" が無ければ、誰が貴方なのでしょう。誰が僕なのでしょう。
おこがましいとは思いますが、そうお尋ねします。