……このコーナーでは、世の中の色々な物を、マーシーのモノサシで図っていきます。
自分が良くなったり、悪くなったり、そんなことがあり得るのだろうか。 結論から言ってしまえば、そんなことはないと俺は思う。 緊張と緩和などのバランスが崩れて、勤勉になったり怠けたりはあると思う。 欲望に負けてみたり、理性で自分を縛ってみたりするかもしれない。 でも、そのコアとなる自分自身は絶対に変わらない。 太る体質の人が何をやっても太る体質なように、怠け者はいつまでたっても怠け者だ。 だから、自分を変えようなんて思うんじゃない。バランスをずらすんだ。 怠け者の自分と、一生付き合っていけばいい。
困ったとき、自分の頼りになる人は「自分を想ってくれる人」だ。 間違っても、自分を軽んじている人の方に付いていって、「自分を想ってくれる人」の 話を聞かない、なんてことはあっちゃいけない。 自分を知り、自分を想う人の声に耳を傾けてみよう。答えはそこにあるはずだ。
よく「日記をつけた方がいい」という話を聞く。 理由は人それぞれだろうが、俺は悩んだとき、迷ったときに自分の指針となる 言葉を見つけるためだと思う。 バランスの良いときの自分と言うのは、本当に自分のためになる言葉を吐いている。 自分の一番の相談相手は、過去の自分である。
多くの人は、試験勉強のときに経験があるだろう。 何かやろうとしても、なかなか手に付かない状態。 この状態と上手く付き合っていくことが、努力を継続する秘訣だと思う。 多くの人は漫画の主人公みたいに、「やるぞ!」→そして一ヵ月後……みたいな風にはいかない。 そんな簡単にいく筈が無い。このアイドリング状態の時期に葛藤と挫折を繰り返し、 それでやっと波に乗れるもんだ。
世の中には、人の数だけモノサシがある。その一つ一つのモノサシに対応するものなんて、 あるのだろうか? 冷静に考えたら、無いんじゃないだろうか。 だから、流行はまず疑ってかかる。 疑った結果、自分に有意義なものなら受け入れるし、そうじゃなければ受け入れない。 笑っちゃうくらい当たり前のこと。あえて踊らされるのも、気づいていればそれで良し。 気づかずに踊らされてる奴は、馬鹿と呼ばれたって反論しちゃいけない。
正直、たいして感動しなかったなぁ。あまりに当たり前すぎて。 ずっと前になるけど、自分がナンバーワンだと思っていた時期があった。 でも、そのうち気づかされちゃうんだよね。それが違う、っていうことに。 そのときから、「なら、自分にしかできないことをやればいい」って思うようになった。 多分、小学生のころだったと思う。 そんな前から思っていることを歌にされても、「ああ、俺は正しかったんだなぁ」 って思うことくらいしかできなかった。
悲しんでいる人、落ち込んでいる人を見ても、何にもできない人ばっかりだ。 それぞれの人生、それぞれの価値観の中で悲しんだり落ち込んだりしているのに、 どうしてそれを違う人間のモノサシで慰められようか。 日本人の行動パターンの中には、そういう人を見たらとりあえず同情する、みたいのがある。 でも、そういうのは大嫌いだし、されたくない。 話を聞いてもらいたいときはある。でも、同情されるのはまっぴらゴメンだ。
こうして文字にしてみると、案外実行できてないなぁ…(^^ゞ