あれからもう一年近くたつだろうか。大学の夏休みも終わりに近づき、俺は家庭教師のバイトに追われていた。最後の受け持ちの中学生を教え終わり、ほっとした気分で家路に向かう。秋を感じさせるようなセミの声を聞きながら閑静な住宅街を抜ける。夏の終わりとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。「近くのファミレスで一服していくか・・」。そう思った矢先、ふと俺の目にあるものが止まった。
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「○○○囲碁将棋倶楽部」大通りに面した雑居ビルの入り口に古びた郵便受け。おそらく地域密着型の小さな併設道場なのであろう。「久しぶりに将棋でも指して一休みするか・・」
一応三流とはいえ大学の将棋サークルに在籍していたこともある。実戦からしばらく遠ざかっており、腕の方はいまいち自信がないが。町道場の2段で果たして通用するだろうか?不安な気持ちを抱きつつ、戸を開く。「いらっしゃい。」愛想良く初老の男性が出迎えてくれる。
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しかし、店内を一望した俺は一瞬のうちに失望してしまった。
全体のほとんどが囲碁のスペースであり、将棋は申し訳程度にちょこんと併設されているといった感じ。店内には15人ほどの客がいたが、そのほとんどが囲碁の客であり、将棋を指しているのは一組、その観戦に一人の合計三人。
「囲碁?将棋?」人なつっこい笑顔で男性は俺に語りかける。
「将棋・・・・です。」答えながらどうやって断って帰ろうか言い訳を考える。
「○○さん!待望の将棋のお客様だよ!」
受付の男性が、観戦している男に声をかけた。
「おお、やっときたか。どれどれ。」中年のくたびれたサラリーマン風の男が近寄ってくる。
「棋力は?ん?2段?若いのにわりと強いな。どれさっそく指そうか!」と嬉しそうに一人で駒を並べ始めた。仕方なしに席料を払い、席につく。
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戦型は俺の四間飛車に、サラリーマンの居飛車。棒銀に失敗し、銀がいったりきたりしている。「適当に指して適当に切り上げよう」。この程度なら自宅で東大将棋をやっていた方がはるかにましだ。そう考えた時だった。がらがらと入り口の戸が開き、誰かが入ってきた。ふと入り口の方に目をやると、中年の体格の良い男性の後ろに若い女性が一人。男性の後ろで物珍しそうにきょろきょろと周りを見渡している。どうやら道場は初めてといった様子。年は二十歳をちょっとこえたあたりか。金髪に近い茶髪に、ピンクのキャミソール。デニム地の短めのスカート。くりくりとした目に愛らしい笑顔。子供っぽい雰囲気とは裏腹に豊かな胸元のキャミソールがはちきれんばかりにまぶしい。場違いなのは、道場にほとんどきたことがない俺からみても明らかだ。皆の視線が一斉に入り口に向けられる。
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受付の男性との会話から推測するにどうやら、男性は常連の客らしい。雰囲気から女性はその男の娘のようだ。付き添いか何かで無理矢理つれられてきたのだろう。「父親サービスも楽じゃないな・・」苦笑しながらも俺は会心の一手を放った。飛車取り詰めろ、これで俺の勝ちだ。サラリーマンは険しい顔をしながら、なにやら一人でぶつぶつつぶやいている。余裕の笑みを浮かべ、入り口に目を移すと、父親は一人で囲碁のスペースへ。娘はというと、入り口で受付の席亭となにやら話している。
「え!3段?免状もってるってこと?」と席亭
「えと・・免状はもってないけど、多分実力はそれくらい・・・」自信なさげに話す娘。
「実力って・・・有段者ははっきりいってお嬢さんが思ってる程弱くないよ。」
苦笑する席亭。どうやら将棋の話をしているようだ。そうこうしている間に、俺の横で対局している一組が終わり、肉体労働者風の男が物珍しそうに女性に近づき話しかけている。
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将棋を指そうと誘っているようだ。女性もはにかみながらなにやらうなずいている。どうやら今から指すらしい。俺の相手のサラリーマンは、やっとあきらめたかのように、形作りの手を指す。「油断しちゃったよ」。どうやらもう一番俺と指す腹づもりらしい。俺は相手の玉を詰めながら、隣の対局が気になって仕方がなかった。「もう一局やろう!」と誘ってくる男に「疲れたから・・・」と断り娘の観戦にまわることにした。サラリーマンはぶつぶついいながらも、娘が気になる様子で俺の横でちゃっかり観戦を始めている。
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戦型は、相三間。ぴしっと手慣れた様子で駒を動かす労働者に対し、娘は初心者のように駒を人差し指で滑らせている。
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雰囲気から見ても手合い違いは明らかだ。労働者もそう感じたのだろう。明らかに相三間の序盤では無理筋である飛車先の歩をさっさと交換しにきた。74歩、同歩、同飛車、36歩。娘の36歩にしばらく考え、同歩の労働者。88角成、同銀に55角。ちょっと意外な顔をしながらも77角の労働者。19角成、11角成に、娘はノータイムの72香車。ここで労働者の顔色が変わった。相三間の代表的なはまりである。飛車をきるより仕方がない。労働者の顔がいつのまにか真剣になっている。それに対し、顔色一つかえずにこやかに駒を動かす娘。ぎこちなく人差し指と親指で駒をつまみながら・・・・
勝負はあっけなくついた。駒損で暴れる労働者に対し、冷静な鋭い寄せ。50手にも満たない娘の圧勝である。労働者はというと、口惜しそうな顔をしながらも序盤のはまりで勝負がついたせいか実力で負けたとは思っていないの様子。
「なかなかやるねー!お姉ちゃん。じゃ今度は本気でいくよ。」
「俺はこう見えても県代表の予選で準決勝までいったことあるんだぜ!」
「ちょっと甘く見過ぎちゃったね。サービスサービス!」
と下品になにやらまくし立てている。娘はといえば、にこにこしながらも、つたない手つきで駒を並べ直している。
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第二局も、同じく相三間。娘の先手で始まった。労働者は今度は警戒し、定跡どおりの進行。娘も同じく定跡どおり。
「上手だね。どこで将棋を覚えたの?」
「えと・・お父さんが教えてくれたの。」
スムーズな序盤進行にさすがに舌を巻く労働者。しかし局面が進むにつれ俺は内心驚きを隠せなかった。おそらく俺以上に労働者もびっくりしたに違いない。いつしか周りには10人近いギャラリーが盤面を真剣にみつめている。ものすごい力将棋でぐいぐいと相手を押して行く。
駒損だろうがなんだろうがとにかく攻め倒す力強い将棋。少なく見積もっても二段以上。いやそれ以上か・・。つたない手つきとは裏腹に指す手は厳しい手ばかり。二局目も一局目と大差ない娘の圧勝に終わった。しかも娘はほぼノータイムで指している。労働者は、棋力の差を感じ取ったのだろう。がっくりとうなだれ放心している。さっきまでの元気が嘘のようだ。
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「源ちゃんじゃだめだ。俺が次挑戦する」。周りから声があがり、でっぷりと太ったはげた中年の男性が名乗りをあげる。労働者が今まで座っていた席に強引に割り込み、真剣な顔つきで駒を並べ始めた。おそらく今の一局で、俺を含めた周りのギャラリーは娘が底知れない力の持ち主だと感じたに違いない。いつしか雑談調の会話もなくなり、しんと静まりかえった道場内。かたずを飲んで対局をみつめている。
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先手 娘
後手 はげ
▲7六歩 △3四歩 ▲7五歩 △4二玉 ▲6六歩 △8四歩
▲7八飛 △8五歩 ▲7六飛 △6二銀 ▲4八玉 △3二玉
▲3八玉 △6四歩 ▲5八金左 △6三銀 ▲2八玉 △4二銀
▲3八銀 △7二金 ▲7七角 △5四歩 ▲6八銀 △8三金
▲6七銀 △7四歩 ▲同 歩 △同 金 ▲7五歩 △8四金
▲5六銀 △7二飛 ▲6五歩 △7七角不成▲同 桂 △7五金
▲同 飛 △同 飛 ▲6六角 △7二飛 ▲2二金
まで41手で娘の勝ち
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周りのギャラリーがざわざわと騒ぎ始めた。いつの間にか囲碁のスペースからも観戦者が来ている。完敗を喫したはげもノータイムの娘に素直に実力差を認めたようだ。驚嘆の目つきで娘をみている。さきほど、完敗した労働者も同じく目を丸くして娘をみつめている。
「席亭、対局してよ!!」労働者が口を開いた。
「それは面白そうだ!」次々にギャラリーから声があがる。
周りのギャラリーの話によると受付の席亭は元県代表の実力者。今は力は落ちたとはいえ、この道場で一番の実力の持ち主。囲碁、将棋の両方とも道場ナンバーワンの存在だという。
いつの間にか、対局を終えた父親もギャラリーに加わり誇らしげに娘の事を見つめている。ギャラリーの数人は父親に近寄り娘の将棋歴などを根ほり葉ほり聞いている。そんな中で席亭との対局は始まった。
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第四局
またしても、娘は飛車を三間にふっての石田流。対して席亭は居飛車穴熊である。序盤は定跡通りに進み、娘が金銀四枚つかっての菱美濃。席亭はがっちりと穴熊に組んできた。
元県代表の実力者とあって、序盤の流れもスムーズでよどみがない。さすがの娘も苦戦しているようにみえる。その証拠にノータイムの指し手がなくなってきていた。
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体を盤面の前に乗り出し、しきりに手を読んでいる。キャミソールの谷間から形のよい胸が覗いている。ギャラリーの視線も盤面と娘の胸の谷間を言ったり来たりしている。娘は熱心に手を読んでいるのだろう。無意識に膝頭が軽く開き、対面で観戦している俺にミニスカートの奥の白いパンティがみえ始めた。どきどきしながらも盤面を見ようとするがどうしても視線はスカートの奥に釘付けになってしまう。股間が固くなっていることに気付き、慌てて視線を盤面に戻す。「まさか、寂れた将棋道場でこんな場面に遭遇するとは・・」。内心、苦笑しつつも盤面はいつしか激しい終盤戦へと突入していた。
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筋の良い手筋の攻めを放つ席亭に対し、穴熊にへばりつきで対抗する娘。俺の棋力でははたしてどちらが良いのかわからなくなった。さすがに娘が苦しいか?
席亭が飛車を打ちおろし、娘に詰めろをかけたところで娘が少考。「どう受けるんだろう。」と俺も考える。三分程考えて娘が指す。
「え・・?!?」
ギャラリーから一斉に声があがった。娘の次の一手は歩頭に桂馬を打ち付けての王手。席亭の同歩に、つまなければ負けのこれまた銀のただ捨て。
「詰んで・・る?」周りからざわざわと声があがる。意表をつかれた席亭が、入念に手を読んでいる。
「頓死を狙った最後のお願いかな?」ギャラリーからも声があがる。と・・・その瞬間誰もが予想だにしない手が飛び出した。俺もしばらく手の真意がわからず、考えていたがどうやら絶妙の一手のようだ。駒台に手を起き、「参りました」と苦笑いの席亭。感想戦でこれは判明したことだが、実に21手に及ぶ長い詰みだったらしい。それにしても、あそこで詰みを読み切るとは・・・
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「○○さん、娘さんってひょっとして女流の卵?」
「育成会か何かに入ってるの?」
対局後次々にギャラリーから父親に向けて質問が飛び始めた。
「いや、私が教え込んだんですよ。まだまだそこまでのレベルじゃない。」
と父親。謙遜しながらもその顔は誇らしげだ。父親自身もまさか席亭に勝つとは思ってはいなかったのだろう。年甲斐もなく無邪気に喜んでいる。主役の娘はというと、これまた無邪気にたばこをふかしながら、駒を指で弄んでいる。さすがに膝頭はぴたりと閉じられお目当ての物はみえなかったが・・・
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熾烈な勝負を繰り広げたとは思えない程あっけらかんとしているその娘に俺は強烈な魅力を感じずにはいられなかった。話してみたい・・・。しかし矢継ぎ早に娘にギャラリーからの質問が飛び、気軽に話しかける雰囲気ではない。ふと時計に目をやるともう午後6時をまわっていた。7時からははずせない友人との約束だ。俺は後ろ髪を引かれる思いで道場を後にした。
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帰りの電車の中で俺の頭の中は娘のことでいっぱいだった。女流の卵なのだろうか?それとも強豪アマチュア?
いや、それは父親の口ぶりからしてあり得ない・・・。そもそも女性であそこまでさせるアマチュアだったらどこかで名前は耳にしているはずだ。しかしあのつたない手つきは一体?・・・疑問はつきなかった。
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月日は流れ、俺は無事大学を卒業し今春就職することができた。しがない営業職での採用だがこの厳しい就職戦線、俺にしてみれば上出来だろう。就職活動のさなか、あの町に一回立ち寄る機会があった。あの娘のことが気になった俺は、「もしや、また会えるかも?」との淡い期待を抱き道場に再び出向いた。
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「いらっしゃい!」前と変わらず、席亭が笑顔で迎えてくれる。俺は開口一番に半年近く前の出来事を話し、その後どうなったのかを席亭に訪ねた。席亭の話によるとどうやらあのあと、一度、娘と父親は一緒に道場に来たらしい。手合い違いの5連勝の後、満足げに帰っていったとのことだった。その後、親子は引っ越したらしく一度もきていないという。席亭からは、父親が囲碁では昔県代表になりかけたくらいの力の持ち主であるということ以外は、聞き出せなかった。その父親が将棋を娘に手ほどきをしたのだという。俺は、疑問もとけずもやもやとした気持ちのまま、娘にはもう会えないのだというがっくりとした気持ちで道場を後にした。
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いつしかあの日のことも忘れ、将棋もすっかりご無沙汰になっていた。ひょんなことから職場の同僚が将棋を指すということを知り、昼休みに将棋を指すようになった。どうやら同僚はインターネットで将棋を覚えたらしい。指す手つきはぎこちないものの、なかなか鋭い手をさす。実力は2段の俺といい勝負。話を聞くと、インターネットでは4級から上にあがれないとこのこと。俺はそのレベルの高さにびっくりした。いてもたってもいられなくなり、でた給料をそっくりパソコンにつぎ込み、将棋倶楽部24という存在をしった。はじめは同僚の話が信じられなかった俺だが、対局して改めてレベルの高さを痛感した。どう頑張っても4級から上にあがれない。口惜しさとおもしろさで病みつきになりながら、ある一つのことが頭に浮かんできた。
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「ぎこちない手つきの友人」=「実戦ではなくマウス操作での将棋習得」
そういえば、あの娘もまるで初心者のような手つきだった・・・
「まさか?!もしかして・・・ああ、そうだったのか・・」
トップでの、とある高段者同士の対局を観戦していた俺は氷がとけたように一年前の疑問がある結論に結びついていった。力強い棋風、お世辞にも筋の良いとはいえない攻め将棋。すごいスピードで相手の玉に迫っていく姿をみて、おれの考えは一気に確信へと変わっていった。
「あの娘は今目の前で、とてつもなく高度な将棋を繰り広げているこの人だと・・・」
「このスレッドで騒がれている彼女に違いないと・・・・」
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めぐたん物語 〜〜〜糸冬〜〜〜
(多少の記憶違い、アレンジ等はありますが全て実話に基づいたノンフィクションです。)
幼少のころから、物書きに憧れてました。忘れられない体験を小説風に記してみました。駄文&長文誠に申し訳ありませんが、ここはこうした方がいいといったような貴重なご意見等ありましたら、いってくださると嬉しいです。
By 著者 |