家族で中国の北京へ旅行に行ってきました。もちろんオプショナルツアーです。初日に組まれた観光ルート以外はひたすら無計画。ただただ行き当たりばったりの旅でした。
例によって関空から出発しました。この空港が出来てから旅行が便利になりました。高校の体育の授業で、体育館の中を3周しただけで自分がどこにいるのかわからなくなってしまったという伝説を持つ超人的な方向音痴の僕ですが、関空の係員が空港の入り口からから搭乗口までずっと案内してくれたんで、迷うことなく一直線です。
出国手続きのカウンターには関係者専用と書かれていたような気がしますが、たぶん気のせいでしょう。目の前でパイロットがパスポートを持って列んでいた気がしますが、これも目の錯覚でしょう。
この日、アメリカ旅行での教訓を生かして時差に備えた徹夜をしてきた僕に、思わぬアクシデントが降りかかります。中国と日本の時差は1時間だけでした。
日本をでてから、わずか2時間ほどで北京に到着。眠いったらありゃしません。
空港を出たら、まずは
一般道に降りてからは、両横の車間距離が5cmくらいで爆走する車と、その車の合間を縫うように走る大量の自転車に恐怖を覚えました。車はクラクションを鳴らしすぎです。1分に1回は、どこかからプップーと聞こえてきました。
チェックイン後は
発想が貧相ですか? そうですか。でもあれは絶対もろきゅうですよ。
朝はホテルのレストランでビュッフェ風の朝食をとりました。親父は僕が取り分けてあげたサラダをバリバリ食べています。
でも僕は知っています。親父のサラダにかかっているのはフレンチドレッシングです。
朝食後に、親父が学校で講師をしていたときの生徒さんである中国人のU君と合流し、天安門やら色々と案内してもらいます。
ハンディキャップ持ちの両親のため、観光地はすべてタクシーで行き来しました。2車線の道路を3台で併走する車が素敵です。僕が乗ってるタクシーのフロントガラスには、なぜか疾走するチャリンコが映っていました。
お昼はその辺の大衆食堂に入りました。そこのコックさんは、昔、
異様なほど大量の昼飯を平らげてお腹が膨れた頃に、コックさんに味はどうだと聞かれました。スープが美味しかったと言ったら、おかわりを大量にくれました。なんとか飲み干すと、今度はスイカをサービスしてくれました。
午後からは買い物に出かけました。知人からハンコを買ってくるよう頼まれていたので、文具店の多い
中国にも日本語を話せる商人が多くいます。アメリカの時は日本語が通じる店があると便利だと思いましたが、なまじ同じ人種だと誰が日本人で誰が中国人なのかわからなくなり、疑心暗鬼に陥ってしまいます。
今回の旅行には、「中国語の入ったスヌーピーグッズを買う」という目的があったため、どこかにファンシーショップはないかU君に聞いてみました。
U君曰く、中国では4本足で食えないのは机だけという
朝はホテルのレストランで済ませ、地下鉄とバスを乗り継いで万里の頂上に行って来ました。U君曰く、昔の入場料は13元(当時換算で約130円)。去年は35元だったそうです。今年は45元でした。僕の予想では、来年は55元っぽいです。
入場券はプラスチックでできていて、裏には磁気フィルムが張られてありました。日本でもよく見かける磁気カードってヤツです。バスや地下鉄の切符は薄い紙切れだったので、さすが観光名所は金をかけてるなぁと思いました。
しかし入場ゲートに行くと考えが変わります。
係員の手にはあるのは、かつて日本の駅でもよく見かけた切符切り用のペンチ。なんと磁気カードにペッチンと切符穴を空けられました。
昼ご飯は、例によって大衆食堂で済ませました。本場のラーメンは家庭料理みたいに色々な種類があるんだそうです。僕が食べたのは、味の薄いビーフシチューにうどん玉が入った感じのものでした。アメリカでは400円でたらふく食えることに感動しましたが、中国では100円で飽食します。
午後は西太后が住んでいたという
ウチの村が丸々入るくらいデッカい人工池にも驚きましたが、
帰国の日です。例によって、朝はホテルのレストランで朝食をとりました。
ドレッシングの件で僕にさんざんツッコミを入れられたのが堪えたのか、今回はドレッシングの名前をしっかり言いなおしました。
和風ドレッシングのかかったサラダを食べながら。狙ってボケていたら大したものですが、コイツは本気で言ってます。親父は味音痴のようです。
あとは飛行機に乗ってだだ~っと帰ってきただけです。帰国した僕を待ち受けていたのは、4時間続くメールの着信地獄でした。