今回「三橋節子美術館」鑑賞ツアーのコーディネーターを担当することになった時に先ず思ったのは、単に絵を鑑賞するだけでなく、この美術館ならではの雰囲気と、節子さんの生き様をもひっくるめて味わえるようなツアーにできないかな、ということでした。
それにはどうすれば?と思いつつ下見に訪れた時、ちょうど私たちと入れ違いに、節子さんのご主人である鈴木靖将さんが美術館を出て行かれるところでした。館長さんとお話する中で、ツアー当日、鈴木さんにお話をして頂くというようなことはできないものでしょうかとお尋ねすると、直接お願いしてみれば?とのこと。で、お宅へ直行。突然の成り行きでのお願いであったにも関わらず、鈴木さんはとても関心を持って下さり、ご多忙の中、鑑賞ツアーに参加して下さることになりました。
ツアー当日は生憎の雨、京阪山科駅と上栄町駅で集合してからは、傘をさして急な坂道を上って行かなければなりません。ちょっと心配しましたが、幸い雨もそんなに強くはならず、新緑の山の空気を感じながら美術館に到着しました。
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美術館では館長さんと鈴木さんが私たちを待ち受けて下さっていて、まず美術館隣の創作スペースへ集合。館長さんのご挨拶を頂いた後、当日のスケジュール・グループ分けの説明、そして鈴木さんに自己紹介をして頂いた後、荷物を部屋に置いていよいよ鑑賞へ。
この美術館は、非常にこぢんまりとした展示室が一部屋あるだけです。その一部屋の作品ですべてということなので、ゆっくりと落ち着いて鑑賞することができます。視覚障害者1人とガイド2〜3人で1グループとなり、5つのグループに分かれての鑑賞です。狭いスペースですが、雨のせいか、私たち以外の一般のお客さんはほとんどおられなかったので、自然に散らばってそれぞれのグループでの鑑賞が始まりました。鈴木さんとの事前の打ち合わせで、鑑賞前には節子さんに関するお話は聞かず、先ずは絵そのものとだけ向き合って鑑賞するということになっていました。
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展示室の中でいちばん大きな絵は、節子さんの代表作である、「花折峠」「三井の晩鐘」です。今回の鑑賞ツアーでは、この2作品の点図をスキャナーを使って作ってもらいました。
「花折峠」「三井の晩鐘」共に、節子さん独特の朱の色が印象的です。「花折峠」は、川の流れの中に静かに目を閉じて横たわる女性と、その周囲に首の折れた美しい野草が描かれた美しい作品、そして「三井の晩鐘」は、琵琶湖を背景に、大きな鐘と、手に目玉を持って俯いて佇むひとりの女性、そしてその女性の前に座って、手に持った目玉をしゃぶっているひとりの男の子が描かれた、ある意味、ショッキングな内容の作品です。
この2点は共にストーリー性のある作品で、絵の横のプレートには、物語のあらすじが書かれています。ガイドによる具体的な絵の説明の後、そのストーリーを読んだり、鈴木さんのお話を聞くことで、更に深くこの絵を鑑賞できたように思います。この作品は病気のために利き腕を無くされ、左手だけで描かれたものですが、そんなことは全く感じられない、と言うより、むしろ病気になる前より、その画風が一層力強いものになっていることに対して、鑑賞者からは驚きの声が出ていたようです。絵を通して、画家の思いや人生までが感じられるためか、作品の前では視覚障害者とガイドの間で、多くの言葉のやりとりがあり、初めて参加された方にとっても、新鮮な体験だったようです。
その他、鑑賞の仕方として面白いなと思ったのは、弱視の方が試みられた、こんな鑑賞法。
最初はいつも通り目を開けて、はっきりとは見えない状態で絵を観ながら、ガイドの方達の説明を聞いて鑑賞していたそうですが、少し見える状態で説明を聞いても、見えることが逆に邪魔をして、どうもよく絵を捉えることができない……、そこで、目をつぶって全く見えない状態にして、ガイドの方の説明だけを頼りに、頭の中でイメージを組み立てて鑑賞してみたら… 何と、こちらの方が、絵がよく分かって楽しめたとのこと。これまでは、美術鑑賞を楽しく感じた経験はあまり無かったそうですが、これからはいろいろな美術館で、このような鑑賞ができれば…と話しておられたのが、印象的でした。
節子さんの作品は、病気になられてからは、死を見据えたと思われる作品や、遺していかなければならない、子どもたちや家族への想いが表現されたと思われる作品が多くなっているのですが、それと共に、節子さんは昔から野草を描くのがお好きだったようで、展示室には愛情を込めて描かれた、魅力あふれる野草の絵や風景画なども、数多く展示されていました。それらの絵の前では、参加者の間で、主に色彩についての話が交わされていたようです。
そんな野草シリーズのひとつ、「こがらしの詩」は、緑の草原の上に敷かれた鮮やかな朱色の布の上に、素朴な花生けと、枯れた野草が無造作に置かれた様子を描いたもので、この作品でも節子さん独特の朱色が印象的で、鑑賞者の視線を集めていたようです。
その他、色彩に関して話題になっていたのは、色の重ね塗りについてでした。
全体的に霞がかかったように見える風景画の前で、鈴木さんが日本画の絵の具の特徴と色の重ね塗りについて、説明して下さいました。
日本画の絵の具は、岩絵の具と言って、その名の通り岩石から作られており、粒子の細かさに差が有るのだそうです。粒子の細かいものの上に荒いものを重ねていくことで、下に塗った色が間から透けて見える、それによって色に深みが出るのだということでした。霞がかかったように見えるのは、上から胡粉という、貝殻から作られた絵の具を塗っているためだそうです。
実際に日本画の絵の具を何色か持ってきて下さっていた鈴木さんは、試験管のような細い容器に入った絵の具を見えない人の耳元で振って、液体でも練ったものでもない、粉末のシャラシャラという音を聞かせて下さっていました。
でも残念ながら粒子が細かすぎて、音は聞こえにくかったようです。
このようにしてひとまず鑑賞を終え、展示室中央の椅子の周りに集まって、鈴木さんへの質問タイムとなりました。
「アネモネ」という絵から受ける印象に関する質問に対し、鈴木さんは、この絵は結婚直前の、言わばいちばん幸せな時期に描かれたものであるにも関わらず、ギリシャ神話をモチーフにしたこの作品のテーマは「死」であること、そういう時期に、何を思って彼女がこんな絵を描いたのか、今でも自分はこの絵と対話し続けているというお話をして下さいました。
他には、展示されている絵の並べ方のついての質問が出ていました。
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鑑賞を終えて、いつもなら近くの喫茶店で反省会となるのですが、山の中の美術館で近くにそういうお店も無いため、再び創作スペースの場所をお借りしての反省会となりました。
つい先程まで観ていた絵、お聴きした話、ガラスの向こうに広がる雨に濡れた新緑の静かな山の風景が、私たちをいつもとはちょっと違う心境に導いていたのか、参加者の口からは、いつもとはちょっと違う、哲学的な言葉が……!
でも、普段の生活の中では常に時間に追われ、絵と向き合ったり、生きることについて考えたり、なんていう時間を持つことがほとんど無い現代人には、たまにこういう時と場を持つということも、よかったのではないでしょうか。
あと出ていた感想としては、
「対話をしながらの鑑賞は、他の人の視点を知り、また自分も言葉に出すことで自分の思いを確認でき、普段とは違う鑑賞ができた」
「複数の人たちで鑑賞する楽しさを初めて知った。美術館はこれまで遠い存在だったが、それが変わった。」
「一般の鑑賞者がほとんどいなかったため、周りに気を遣わずにゆったり言葉を交わし合うことができたのがよかった」等々……
そうなんですよね。アクセス・ビューの鑑賞は、声を出し、言葉で伝え合わなければ、絶対に成立しないもの。本当を言うと、一般の鑑賞者も巻き込んで、一緒に加わって面白がってもらえるようなのが理想じゃないかと、私は思うのですが……。
最後に鈴木さんからも、次のような感想を頂きました。
「雨を心配していたんですが、この雨がかえって今日の鑑賞会にはよかったのではないでしょうか。"生きる"ということと対峙してもらえて、この美術館らしい一日になったと思います。私も見えない人の絵の見方を見て、見えることが邪魔をすることもあるんだということを知りました。ひとつ言わせてもらうなら、ちょっとおとなしすぎたんじゃないかという気がします。もっとにぎやかに、互いの感性をぶつけ合ってもよかったかと思います。どうぞまた、気が向いた時にふらっと来て、節子の絵と向かい合ってみて下さい。」
---戸田直子報告--- |