── 中山登美子報告 ──
3月20日、春分の日はまだ少し花冷え時期だったが、お天気に恵まれ、
一人欠席の他は参加申込み通りに1時30分に美術館前に全員集合。
講演室に移動、最初に学芸課長の尾崎さんから楽しい能動的な美術作品
の見方レクチャーがあり、最初から絵画タイトルと説明書きを読まずに、
自分なりの鑑賞をしてほしいこと、印象に残ったこと、疑問があること
などを、後で伝えてくださいとのことでした。
見える人と見えない人たちとの組み合わせを決めて、2時30分に美術館
会場へ移動、風景画との対面がはじまりました。 |
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わたしがガイドをした女性は滋賀県在住で、関西方面はよく旅行していた
ようで、京都の風景、とくに大原の里の民家や大原女の風景はお気に入り。
彼女は幼少のころから脱穀のお手伝いをしていたらしく、その風景が大原
に似ていたので、子供時代をなつかしく思い出したようである。
現在の出町柳駅がある鴨川あたりも昭和16年あたりは山々が目の前に見え、
子供たちが水遊びしてるのどかな景色。
昭和30年前まではどこも京都村という田園風景で、京都の時代成長の変遷
歴史を知る一つの景観勉強にもなっていったのです。
昔と今を比較する、まるで定点観測する面白さもわいてきます。
でも、神社仏閣の雅びな四季風景画も多く京都は日本画家にとって描きたい
最高の土地であったのだろう。
子供のころ、山や川や森で遊んだ想い出がある年輩の鑑賞者たちと、自然
風景をほとんど知らない若者の鑑賞者とのちぐはぐ会話も妙におかしい。
会場は近畿圏風景画へ移り、一人の目の見えない鑑賞者は池田遥邨の「雨の大阪」
絵画に、同じようなタイトルの歌謡曲「雨の御堂筋」とオーバーラップさせて
メロディーを口ずさんでいた。
三重県の伊勢湾あたりの松林並ぶ海岸風景も美しく、四日市のコンビナート公害は
その時代に誰が想像しただろうか。
「昔がよかった」とセンチメンタルになってはいけないけれど、高度経済成長
とともに日本が失った自然風景はもう決して取り戻せない。
最後の会場はアジア、ヨーロッパへ。やはり、秋野不矩が描いたインドでの裏町や
寺院は独特の黄土色でとても鮮やかで力強い。
イタリア、フランス、スペインなどは当時の日本画家たちがあこがれた遠い異国。
西洋の画家たちとはまた違う、どこか静かな情緒感がただようのは日本人の
持ってるきめこまかい風景観の素質ではないだろうか。
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1時間半の鑑賞ツアーが終わり参加者たちは再び講演室へ移動、最初に参加者から
感想と質問をしていただき、次に尾崎さんからそれぞれの質問への応答形式。
参加者の質問には風景画の中に描かれた具体的な地名を知りたい人が多く、
鑑賞者たちがかって住んでた淡いふるさと心情記憶をよみがえらせたい想いを感じました。
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