鑑賞ワークショップ第4弾
「見えない人が見える人のメガネになる?!」vol.1

 
 


2010年7月18日(日)
場所 山科身体障害者福祉会館
参加者 見えない人・見えにくい人 : 4名
見える人 : 9名
講師 : 山川秀樹
コーディネーター : 阿部こずえ

── 山川秀樹 ──

山川さん挨拶  今回は、いつもツアーで行っている「見える人と見えない人によることばによる鑑賞」を あえてワークショップでとりあげ、どのようなことが起きているのか焦点的に見てみようと 考えました。何枚かの絵を、みんなでゆっくり対話しながら、いつものツアー以上にじっくり みてみることにしたのです。また、全く目でものを見たという経験のないぼくが、 みなさんの前に出て鑑賞をナビゲートしていくという試みは、不安や迷いを抱えながらの 初めての挑戦でもありました。とは言え、作品を前にして、眼の見える人がよりしっかりと 作品を見たり、新しい気づきや発見をしたりするために、「見えない人のことば」が 何らかの手助けにならないだろうか、丁度ものをよく見るときに使う眼鏡や顕微鏡や オペラグラスのように…そんな思いから、今回の企画を試みることにしました。 見えない人にとっては、見える人のサポートを受けるばかりでなく、むしろ鑑賞の 水先案内の立場になることに興味を持ったり、その経験を積んだりする機会になればとも 思ったわけです。

 当日は、ビューのスタッフや常連の参加者の方を中心に、初参加や2度目の参加、 遠方からいらした方も含めて、13名で楽しみました。
 まずは簡単に自己紹介などをして、雰囲気も和んだところで、導入へ。

<セクション1.音楽を聴きながら鑑賞>

 最初は、1枚の絵をじっくり見た上で、順番に一人ずつ見た印象や感じたことを ことばにしてみることにしました。そこで、ただ絵を見るだけではなく、別の世界へ誘う、 あるいは日常とは意識や感覚を切り替えてもらうという意味で、音楽を聴きながら 作品を見てもらうことにしました。さらに、音楽があることで、また異なったタイプの 曲を流して鑑賞することで、感じ方や見方がどう変化するのかを試してみようとも考えました。

 1曲目に選んだのは、ジンチというフュージョン系ユニットの「ザ・ホンコン・インシデント」。 ギター・ベース・ドラムを中心にした、即興演奏たっぷりのハードなインストゥルメンタル (歌のない)ナンバーで、秩序の中に、「狂気」が混在しているような、ギターやドラムが 大暴れする曲です。
 曲が後半にさしかかった辺りで、「どんな絵なのか」、「どう感じたか」、をぼくが 問いかけ始めました。すると、「ただ絵の具がドバッと盛り上がってる」、「花びらみたい」、 「いろんな色がぐちゃぐちゃに塗ってある」など、いろんな反応が返ってきました。 みんなの言葉をもう少しよく聴いてみると、「最初に絵が出てきたときは、ただ絵の具 が塗ってあるだけとか、森が燃えてるみたいとか思ったけれど、音楽が流れ始めると 印象が変わってきた」と言います。「ディスコで激しく踊っている」、 「何かがメラメラと向かってくるような」、「炎が立ち上ってくるような」、 「激しくエネルギーが動いているみたいな」、「真夏の太陽が照りつける海岸で何か 衝動的な行動に出そうな」、等々のイメージが次々に語られます。そして、朱色の 背景にさまざまな色がバランスよく配置されているとも言います。とてもエネルギッシュで、 なおかつ秩序と狂気が混在しているという点で、結果的に曲と絵がとてもマッチしている ようなイメージがぼくの中で形作られました。

セクション1の絵  先程と同じ絵を前に、次に流した曲はクラシックのピアノソロ、リストの「愛の夢」です。 今度も曲を後半まで聴いた後、同じように問いかけました。すると、絵から受ける印象が 随分変わったようです。
 「燃え尽きた後に新たな何かが始まるような」、「朝の光」、「激しかった昔を 懐かしんで郷愁の中にいるような」、「何か祈っているような」、等々、同じ絵に対して 先ほどとは全く違う反応がどんどん語られます。その楽曲や演奏が、一つの完成された 作品である音楽は、鑑賞者に対して、やはりかなりの影響力を持っているようです。 また、「音楽があると絵の世界に集中できない」とか、「作品としての音楽の印象に 引きずられて鑑賞しにくい」といった意見も多かったようです。
 確かに、本当にじっくり鑑賞したいときには、影響力の強い音楽は邪魔になることも 多いかもしれません。けれども、通常の美術作品の鑑賞場面では、邪魔と考えられそうな 音や音楽であっても、ワークショップのような、ある条件をこちらが設定するような状況、 あるいはごく限定的で非日常的な空間や時間、その世界へみなさんを誘おうとするような 場面では、感覚や意識を切り替えて違う世界にだんだん入り込んで集中してもらうための 小道具として、有効に働くことがあるのかもしれません。

<セクション2.ことばによる鑑賞>

 休憩の後、今度は1枚20分ずつ、2枚の絵を鑑賞しながら対話してみることにしました。
 1枚目を前にして、ぼくが「どんな絵ですか?」と問いかけると、 「橋の欄干のようなものが描いてあって」とか、「川か海が見えて」とか、 「霧がかかっているような」といった説明が次々にされ始めます。
セクション2の1枚目の絵
具体的な景色を描いた作品らしいと分かってきました。説明を聴くうち、雨上がりに、 海辺の欄干か柵のこちら側に座って、海の向こうにある島を見ている様子が、 ぼくにも浮かんできました。辺りは静かで、船の汽笛や海鳥の声が聞こえます。 海風や塩の香りも心地よい、こんなところに行って見たいと思わされるような場所です。
 --- ぼくは思うところがあって、傷心の旅に出て、この海辺の村にやってきた。 昨日の雨も上がった朝の海を見ているうちに、それまでの憂いや落ち込んだ気分は薄れ、 晴れやかな気持ちになってきた --- そんな物語がうかびます。 みなさんと共にとても作品の世界に近づけた気がしました。

セクション2の2枚目の絵  続いて、2枚目の絵がイーゼルにのせられると、みんなの方から「何これ?!」 という声が上がりました。みんなの話を聴いてみると、現実にはいないような 生命体が描かれていて、その生命体らしきものの周りには緑があったり向こうに 山が見えたりするものの、キャンバスに描かれているのは、どうやら現実にある どこかの場所というよりは、架空のあるいはファンタジーの中の世界のようです。 その生命体は「子どもを3人抱いていて」とか、「相当間抜けな印象で」とか、 他にもいろんなことばが飛び交って、みなさん一生懸命に絵の印象や感じたことを 伝えようとしたり説明しようとしたりしてくれてはいます。
ぼくもそれに対して質問や問いかけをします。
── けれども、結局最後までどんな作品なのかよく分からず、なかなか作品の世界に近づけませんでした。 しかしながら、ぼくが問いかけをすることで、みなさんの会話は弾んでいたようですし、 メガネとしての役割は少しは果たせていたのかもしれません。

 1枚目の絵について、見える人達は、「この絵は欄干の下の方から、その向こう側にある海を 眺めている、そんな視点で描かれている」と言いました。でも、画面の中に海を見ている人物は 描かれてはいません。もちろん、人が描かれていなくても、目が見える鑑賞者は、 自明のこととして、その作品の中にいて海を見ているであろうその人の視点を、 まるで自らの視点のように感じ取ることができるわけです。ぼくは、よくよく説明してもらって、 その仕組みがことば・概念としてはようやく理解できたのです。
 生まれてからずっと見えたという経験が全くなく、絵を描いたりしているわけでもない。 そんなぼくにとっては、作品を前にみなさんがつむぎだす一言一言の中に、「なぜだろう」とか、 「それって一体どういうことなのだろう」と思わされる内容が、本当にたくさん含まれています。 そのことばを発した人やその場にいるほかの誰かにとっては何気ないことだったり、 ごくごく自明のことだったりしたとしても、そのことはぼくにとっては、決して何気ないことでも 自明のことでもないようです。
絵のそばで山川さん 説明する人たち1 説明する人たち2
こんな場面に遭遇すると、ぼくの好奇心はとてもかきたてられて、いろんな問いかけをしてしまいます。 そして、その問いかけは、ひょっとするとみなさんにとっては、はっとさせられたり、 ふいをつかれたりするものなのかもしれません。そこで、また新たな対話が繰り広げられるわけです。
 対話の中のみなさんのことばで、分からなかったことがとてもよく分かって胸に落ちたり することもあるし、やはりよく分からないままのこともあるし、「へえ!そんなものなのだ、 不思議だなあ」と思うこともある。でも、たとえよく分からなくてもその不思議さや異質さ、 ぼくにとっての非自明性、そんなものを楽しんだり受け止めたりしている自分がいるようです。 これからもそんな不思議や当たり前ではないことにたくさん出会って、みなさんと一緒に 楽しんでいけると素敵ですよね。
 このワークショップ、あるいはぼくらがやっていることば・対話による鑑賞の面白さや 魅力とは何なのか、それを言語化するのは、今のぼくにはとても難しいなあというのが 正直なところです。けれども、そこをあえて端的に言うとすれば、それは、感覚や思いや 経験の共有や、みんなのことばへの共感と、異なる感性や見方、感じ方に触れることで 得られる刺激とが、同時にどちらを殺すこともなく存在しているというところでしょうか。
 今回はみなさんの協力とサポートのおかげでなんとか楽しい会になりました。
 これからいろんな経験を積むことで、少しずつでも自らのキャパシティー (物事を受け入れる能力、受容力)を大きくして、ゆとりを持ってみなさんを新たな 世界へ誘えるようにしていけたらと思っています。気長にゆっくりとお付き合いください。
「見えない人が見える人のメガネになる?!」  感想のページへ


鑑賞ツアー目次へ

目次ページへ戻る