Word of magic that brings luck


 

「松下幸之助」 


ツイてる、ツイてると言っていれぱ、必ずツイてくるんだというのは、なにも僕のオリジナルでもなんでもなくて、いろんな人が言っていることだと思うんですね。

僕が初めてこの類の言葉の大切さを知ったのは、松下幸之助に関して書かれた本を読んだことがきっかけなんですね。ものすごく僕の頭の中に新鮮に飛び込んできた話がありました。

PHP研究所の副杜長をしている江口さんという方が書いた記事でして、本屋で偶然目にしました。とても心に残りましてね。これはすぐに実践できるぞと思つたんです。ほんの一部を読ませていただきます。
 



松下幸之助という人の人生は、その出発点において、決して恵まれたものではありませんでした。ご承知の方も多いと思いますが、お父さんが米相場に手を出して失敗し、すべての財産を失ってしまいます。ですから、学校にもいけません。九歳のとき小学校を中退して、大阪の火鉢屋に奉公に出されます。十人家族は離散してしまいます。親兄姉は次々に結核で全員が亡くなっていきます。松下さんもまた二〇歳のときに肺尖カタルを患い、病床に臥します。こういうことは、私にはどう考えても「運が強い」とは思えないのです。
むしろ、「なんて運が悪いのだろう」と思ってしまいます。
ところが、生前の松下さんは、私にいつも「自分はとても運が強かった」と言うのです。
「わしは学校にほとんど行っていなかったから良かった。運が強かった。もし、大学でも行っていたら、分からないことも他人に尋ねることはしなかった。行っていなかったから、分からないのが当たり前。だから簡単に尋ねることができた。おかげでたくさんの人から良い知恵を貰って会杜を発展させることができた」と言うのです。
「体が弱かったのが良かった。運が強かった」とも言っていました。
「だから、人に仕事を思いっきり任せ、そして人も育ち、優れた人材になってくれた。もし、わしが健康ならぱ、自分で何もかもやってしまい、人も育たなければ、会杜も大きくならなかっただろう」
と言うのです。こういう話を聞いていると、改めて松下さんが一言う、「わしは運が強い」ということは、どういうことなのかと考えてしまいます。
そういえば、松下さんが若い頃、大阪築港から沖にあるセメント会杜でアルバイトをしていたときの話です。

その会杜まで小さな蒸気船で通っていましたが、ある夏の日の夕方、船の縁を歩いてきた人が足を踏み外し、ちょうどそこに腰掛けていた松下さんをつかみ、もろとも海に落ちてしまいました。
その話を聞いて私は、なんと「運が悪い」と思ってしまうのですが、松下さんに言わせると、「運が強いから助かったのだ」というのです。
「冬であれば、体の弱い自分はそれで一層病気が進むか、ひょっとしたら死んでいたかもしれない。それに多少の泳ぎも出来たし、すぐに船が気づいて戻って助けてくれた。実に自分は運が強い」と言うのです。
次のようなエピソードもあります。会杜を始めた頃、松下さんが自分で造った製品を自転車の荷台に乗せて電車道を走っていたところ、転んでしまいました。製品は飛び散る。大勢の道行く人たちは一斉に立ち止まって見る。おまけに後ろから電車が来た。わずかなところで停止してくれましたが、そのようなことがあったそうです。
この話も運が悪かったように私には思われるのですが、松下さんはこれも、「自分は運が強かった」と考えているのです。
転んで大勢の人に見られた恥ずかしさよりも、電車がわずかのところで停止してくれた、轢かれずにすんだことを「自分は運が強い」と捉えているのです。
こうした松下さんの「出来事の肯定的解釈」を聞きながら感じるのは、運の強さとはまず、「自分にふりかかるすべてを自分は運が強いと捉える」ことによってその人に身につくものではないかということです。
あらゆることは、どのようにも解釈できるものです。
その解釈の方向が肯定的か否定的かということで、まず、「運の強さ」が決まると言えるかもしれません。
実際のところ、松下さんの経験したことを、私が解釈したように否定的に考えることもできるし、松下さんのように肯定的に捉えることも出来るのです。
(江口克彦:PHP No.598 1998/3 28P)
 



この話を初めて読んだとき、とても腑に落ちるものがありましたね。「運が強い」とか「ツイてる」というのは単なる言葉ではなくて、本当にそういうものを引き寄せるんだなあという事を確信しましたね。
これを読んでから数年後なんですけど、ご存じの斎藤一人さんの講演を聴く機会がありましてね。この方は中学しか出ていないそうなんですけど、自分でユニークな漢方薬の会杜を興されて、六年か七年連続で日本一の納税額支払者、つまり、日本一のお金持ちとなっている方です。斎藤さんが言っていることは極めて単純でして、特に二つのポイントに重点を置いているんですね。
一つは「ツイてる、ツイてる」と言っていれぱ、必ずつくんですよ、ということ。ただ、「ツイてない」と言っちゃうと、ツキを全部失ってしまうらしいですね。要注意。「運が悪い」とか「ツイてない」なんて言っちやダメですね。
それからもう一つは、「ツイてる、ツイてる」と言っていれぱ確かにツイてはくるんですけど、どっちを選んだらいいのだろう?・・・・という選択する機会が出てくる。そうしたとき、どうしても板挟みというかジレンマに陥る状況が出てくるわけです。そのときの判断基準として、どちらが正しいか、正しくないかということではなくて、「楽しいか楽しくないか」で判断する。要するに、自分にとって楽しい方だけを選んでいけぱ、長い目で見るとすべてうまくいくようなんです。おもしろいですね。
 


「僕と部下の運」 に続く---入力中---

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