Word of magic that brings luck


 

「僕と部下の運」 


「ありがとう」「感謝します」に加えて「ツイてる」「運が良い」も僕は意識して繰り返し言うようになりましたね。誰に対して言うのか? 喜んで聞いてくれる 自分に対してです。そしたらね、すぐに言うクセがつきました。クセがついたらこっちのものです。ねっ! 
 

ところで、僕は以前ある大手の化学会社に勤めていましてね。その後、今の会杜に声をかけてもらい転職したわけです。給料はびっくりするほど増えました。
何もかも待遇がいいわけです。妻なんか大喜びでしたね。
一番嬉しかったのは、好きな事をどんどんやって 良いということです。本当にいいの?と思いましたね。 もともと、僕の仕事というのは、いろいろな新しいモ ノを発明して、特許を取って、市場に出せる製品の形 にまで開発していくという、いわば創造作業の繰り返 しなのです。
全く新しい研究開発をやろうと思うと、大きなお金 が必要なんですね。しかも億というお金が必要なとき もあります。会杜はすぐに僕に二億円投資してくれて、 その後十数億。びっくりする額を頂けることになりま した。当時、僕は弱冠三十二歳。転職したぱかりの、 どこのウマの骨か分からないそんな若僧に、会杜はと んでもない大金をすぐに出してくれたんですね。

これ だけでもスゴイことですよね。ありえない話です。もう〜ツイてるっ!
このように三年ほど前、今の会杜に入杜しまして、 研究部門の課長となりました。大勢の部下がいました が、その中に一人、気になる部下がいましてね。名前 をAさんとしましょうか。僕よりひと回り年上の方で、 係長さんです。その方には部下はいません。みんな、 オジンだなんだと言ってね、Aさんをバカにしていた んですよ。臭いからあっちへ行けとかね。すごく嫌わ れていました。

確かに何やってもうまくいかない人で、 「うわあ〜、忘れた!」とか、何を尋ねても「知らな い!」ぱっかり。何かとすぐに騒ぎ立てる人で、優柔 不断で、あの人のやる仕事は絶対にうまくいかないと 皆に思われていました。

Aさん自身も全然自分に自信 がなくて、だんだん意固地になって。だけど彼は、人 間的にはとても良い人でね。僕は好きだったんですよ。
ただ、誰もAさんをフォローする人がいなくてね。第 一、僕も彼の仕事の内容がよく分からない。そこで、 僕の上司に、「Aさんを僕のもとに置いてくれません かね」 と言いましたら、
「いいのかい?彼はなにかと扱いにくいよ」 と心配してくれましたが、
「いいですよ。僕にはそれほど苦になりません。彼の 仕事、僕にどこまでフォローできるか分かりませんが、話し相手くらいにはなると思いますよ」 ということで彼が僕のもとに配属になったんですね。
ある日、Aさんに、ちょつとした質問と提案をして みました。
「ねえ、Aさん、ご自分は運の良い人生を歩んできた と思います?」
「え?そ〜うですね。どう考えても運が良いなんて 思えませんね」
「そうか。ひとつ、お願いがあるんだけどね」
「何でしょうか?」
「毎朝ロッカールームで会うでしょ。そのとき、ツイ てる?って聞くから、ツイてますって応えてくれない かな。帰りも同じく」
「はあ?どうしてそんなこと言わなきゃいけないんで すか?」
Aさんはそう言うものの、上司の課長のお願いだか ら「しょうがないな」という感じで、一応了解してく れました。
翌目の朝、
「Aさん、おはよう。どう、ツイてる?」
「え?あっ、はい、はい。ツイてますよ」
と、少しイヤイヤながらという状態でした。夕方も声 をかけるのですが、まあ、最初しばらくはこんな感じ だったんですね。でもね、毎日毎日やっていますとね、 Aさんも慣れてきて、
「は〜い、ツイてますよ〜」
と楽しく言えるようになったんですね。さらに、その 理由を付け加えるのです。
「今朝、妻がつくってくれた朝ごはん、おいしかった な〜」
「今日、業者さん、頼みもしないのに、気の利いた物 を持ってきてくれてね」 というような感じで、「ツイてる、ツイてる。どうし てかというと」と、ツイてたことの理由付けがだんだ んできるようになってきました。
 

そうしたら、いろいろと彼の身の回りに起こる出来 事がどんどん変わってきたのです。彼が僕のもとに来 たのは去年の四月なのですが、八月過ぎた頃、彼が開 発担当していたものでびっくりするようなデータが出 たのです。さらに、十月を過ぎましたら、なんと、世 界ナンバーワンの素晴らしいデータが出てしまった。
誰も到達したことのない品質のものができてしまった んです。
でも、杜内の誰もが、「これ、たまたまだよなあ。 再現性なんてないよ、絶対に」と言う始末。

ところが、 去年の年末、何回テストをしても同じスゴイ結果が出 た。ということは本物なんですね。そこで、これを大 量生産するための投資をしよう。もうちょっと深く研 究を掘り下げるため、彼に部下を付けよう、となった わけです。会杜側もオーケーということになり、多額 の投資を行うことが決定しました。
今年一月、製品ができ、彼には優秀な部下が二人も 付きました。その後のことは言うまでもなく、ますま すうまくいきましてね。大口のユーザーからは評価し たいからどんどん持ってきてくれ!」と言われ、海外 に対しての輸出の検討も始まりました。世界中に供給 すれぱシェア100%です。だって、他のメーカーは マネできませんからね。スゴイですよ、本当に。もち ろん、特許は国内外に出願しています。最初、杜内の 誰もが、 「どうせ、五日市がいろいろ彼に知恵を与えて、手取 り足取り面倒をみてくれたからうまくいったんだろ う」 と言っていたのですが、もちろん、僕は何もやってい ませんよ。すべて彼のアイデアと努力の賜物です。僕 が何かをしてあげたとしたら、「ツイてる?」って聞
き続けたことくらいなもんです。
以前はね、Aさん、残業なんかほとんどやったこと がなかったんです。仕事終了のチャイムとともにすぐ に家に帰っちゃうんですよ。全く仕事に対しての意欲 がなかったですからね。ところが、今は夜八時になっ ても、九時になっても帰らない。
「Aさん、家までの片道、けっこう時間がかかるでし ょう?もう帰った方がいいと思うよ。明日の仕事に支 障をきたすよ」と言うと、
「もうちょっとやります。もう、楽しくってたまらな いんです」
Aさん、土曜日も日曜目も会杜に来たことなかった のに、喜んで来るようになりましたね。僕は管理職で すから、土日でも出勤することがあるのですが、なん と彼には必ず会杜で会うんですね。
「どうしたの、今日は休みじゃないの」と言うと、
「次にどんなデータが出るのか、ワクワクして月曜日 まで待っていられないんですよ。もう〜会杜を休むと いうこと自体がストレスになっちゃいます〜」 と、本当に仕事が楽しくってしょうがないようですね。
以前の彼は、いかに早く家に帰るか、そのことぱか り考えていました。会杜にいたくなかったんです。だ けど、彼は自分の仕事に情熱を持つことができまして、 いくつかの目に見えない壁を乗り越えることができた んでしょうね。明らかに、一年前の彼とは全然違うこ とがお分かりになったと思います。では、いったい、何が彼をここまで変えたのでしょうか?
もちろん、僕は彼に「ツイてる?」なんて、もう聞 いていません。彼は、いつ、どこでも、 「ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる…-・」 がログセとなりました。
も〜、うるさい!って言いたくなるくらい、自然と出 てくるようです。
他人の例を出しましたけど、僕自身に関しては、あ のおばあさんに会って以来、明らかにツキっ放しにな りました。そうした事例を挙げるときりがないのです が、ちょっと変わった例をお話ししますね。
僕がまだ幼い頃、父はいろいろな会杜を経営してい ましたが、どれもこれもうまくいかず、みんな駄目に なってしまったんですね。どんな仕事も失敗の連続で した。だから、僕は小さい頃、「オレは親父とは違う んだ。絶対杜長になって、思いっきり金持ちになって やるぞ!」 と強く強〜く思い続けていました。もちろん、今では 価値観が大きく変わっていますので、そんなこと思っ ていませんが、その当時はそんな強い思いがありまし た。
おばあさんに出会った次の年でしょうか。まだ学生 でしたが、ある日、そんな昔の親父のことを思い出し て、 「希望通り杜長になりました。感謝します」 なんて冗談で、ただし万感の思いで声にしてみたんで す。そのようなイメージをはっきりと思い浮かべなが ら。そしたらね。数日後、不思議なことが起こりまし た。
岐阜県にユニークな会杜がありましてね。その会杜 は杜長を含め、確か二〇人くらいしかいません。たった それだけなのに、経常利益が二〇億円なんですね。
今はそんなに儲かっていませんが、当時、とんでもな く儲かっていまして、これは何かまずい事やっているんじゃないか? と思いたくなるくらいの利益の高い会 杜なんですね。僕がどうしてその会杜を知っているか というと、僕の友達がその会杜の杜長の秘書をやって いるからです。彼から突然電話がかかってきまして、 「お前のことを杜長に言ったらね、どうしてもお前に 会いたいって言うんだよ。今度ウチの会杜に来てくれ ないか?」 というわけで、スーツでピシッときめて、行ったんで
すね。
その会杜に着くと、玄関の奥に応接室がありまして、 友人の彼が待っていました。

隣りには、スーツを着た 中年の紳士がおり、もう一人、よれよれの服を着て腰 に手ぬぐいをぶら下げたおっさんがいました。そのお っさん、髪がボサボサで、長靴はいて泥まみれなんで すね。農作業から帰って来たぱっかりという感じでし た。スーツを着ていた男性に、

「杜長、僕を呼んでくださってありがとうございます」 と言いましたら、隣りのおっさんが、
「杜長はワシじゃ」
なんて言ったもんだから、慌てちゃってね。スーツを 着た紳士は、その日のお客さんだったようです。


ソファーに腰掛けると、その杜長、いろんな話をし てくれましてね。それが不思議な話というか、とんで もない話ぱかりで圧倒されました。例えば、受付嬢が 僕にコーヒーを持ってきてテーブルの上に置くと、 「五日市さん、コップというのはね、何もこういう形 をしていなくてもいいんだよ。例えば、こんなふう な・・・・」というような話をするわけです。
僕が皆さんと話しているとして、僕があることをし ゃべると、皆さん、何か言ってきますよね。それに対 して僕がフムフムと思うわけです。それは、僕の常識 の範囲内のことを皆さんが言うからフムフムとなるわ けです。しかし、その杜長の言うことは僕の常識を超 えていまして、もう唖然、という感じですね。
「スプーンというのはね、何も砂糖をすくうための物 だけじゃないんだよ。こういうことができるし、こん な用途があるし、こんなところにも使えるんだよ・・・・」 とにかくスゴイ発想の数々。
「杜長、この会杜、いったい何をやっているのです か?」と尋ねると、杜長はキラリと目を光らせてスー ツと立ち上がって、
「ちょっとビルの中を案内しましょうか」と言って、 歩き出しました。
杜長の後ろをついて行くと、『○○○研究室』と書い てある部屋の前まで来ました。
「五日市さん、ここは『○○○研究室』です。いいで すか、ドアを開けますよ。よく見て下さいね!」
ドキドキしながら中を覗くと、その部屋には、何もな いんですね。
「杜長、何もないですね」
「そう、まだ何もないんだよ。これからいろんな物を入れるんだ」
そして隣の部屋のドアには「XXX実験室」と書いてあるんですが、ドアを開けて中を覗くとまた何もない。杜長は「これから機器類を入れる予定」とまた言うのです。どこもそんな部屋ばかりでして、何もないのです。何もないのに利益が二十億?と不思議に思ってしまいます。
「二階に行きましょうか」と言うもんですから、
「二階には何があるんですか?」
「何もないよ。今のところね」
「じゃ、行ってもしょうがないですね」
ということで、杜長室のある最上階に行くことにしました。エレベータを降りると、杜長室がありました。中には大きな机と椅子だけがポツンとあります。杜長は、その椅子を指差して、
「五日市さん、どうですか?」
「え?」
「どうですか?」
「いや、その、どうですかって、どういう意味ですか?」
「まあ、・・・どうですか?」
要するに、その会杜の杜長にならないか、ということなんですね。そんなこと言ったって、何やっている会杜なのかさっぱり分からないのに、杜長になるわけにはいかないですよね。
「杜長、この会杜、いったいどんなことをやっている会杜なんですか? 教えてください!」
と、ズバッと尋ねました。そしたら杜長は、「一階に戻りましょう」と言って一緒に一階のソファーまで戻りました。
実はその会杜というのは、奇抜な杜長のアイデアで特許を取って、それで潤っている会杜だったんですね。特許で儲けるということは、内容的に本当に素晴らしい特許出願を行っていかなくてはならず、多くの発明例を伺いましたが、どれも素晴らしい発明ぱかり。しかも、すべて杜長が考えたというから驚きです。いったい頭の中はどうなっているんだろうと思いまして、
「杜長、その発想って、どこから出てくるんですか?」と尋ねましたら、
「これにはね、秘密があるんだよ」と言ってニヤリと笑うんですね。
「教えて下さいよ」と言いましたら、
「知りたいかね、フフフ。それはね、断食だよ」と言うのです。
断食。つまり、一定期間、全く食べずに水だけで暮らすわけですね。その杜長は、一〇〜二〇日間の断食を定期的に奈良の断食道場で行うそうです。そうすると、その間にいろんな発想が出てくるらしいのですね。
ある人は、二週間くらい何も食べないと、精神的に研ぎ澄まされてくるために、植物が呼吸するのが分かるそうです。本当ですかね?
とにかく、きちんとプログラムされた断食を行うことで自分の体を飢餓状態に追い込み、その人が本来持っている潜在能力を高めることができるのだそうです。
これまで世界で活躍した優れた発明家、超能力者、宗教家、思想家と呼ばれる人達のほとんどが、断食をしていたことはよく知られています。
僕も、ぜひ挑戦してみようと奈良の断食道場へ行って数日間断食を行いましたが、ただ腹が減っただけでしたね。それだけでした。素質がないのでしょうね。
ちなみに杜長には娘さんがいて、婿に来ないかということでしたが、それはお断りしました。どうやら僕にその会杜にきてもらって、いろんな実験機器を選定して購入し、研究室や実験室を充実させてほしい。またそれら使用上の指導も杜員にしてほしい、と願って
いたようです。ついでに娘さんも。特許を出願するためのデータ取りを自杜の評価設備でできるだけ行いたいと考えていたんでしょうね。


その話のついでにいうと、実は一ヵ月くらい前に、 ある有名なヘッドハントの会杜から電話がかかってき まして、 「杜長として来てくれませんか?」 とびっくりするようなことを言われました。

ヨーロッ パにある多国籍企業でして、世界中の国々に支杜を持 ち、関連会杜を含めると十万人以上の会杜だそうです。
提示された年収は数億円。すごいですね。
「どうして僕に声がかかるんですか?」
「それはですね、・・・・・という理由でして」
「だって、ぼくはまだ若いんですよ」
「若い人を探しているんですよ。日本人で英語もでき て、・・・・・の実績のある方をね。それらの条件を満たす 人物ということで、五日市さん、あなたが適任と判断 されました。どうか良い返事を期待しています。決し てご不満な条件ではないはずです」
大変名誉な話ですよね。さて、皆さんが僕なら、ど うします? 快く応じた方が「楽しい」でしょうか?そ
れとも、断った方が「楽しい」でしょうか? 今、僕 が勤める会杜から大きな信頼を受け、十数億という大 金を頂いて事業を立ち上げている真っ只中に、お金や 地位のことだけを考えて他の会杜に行くわけにはいき ません。現時点では、「ヘッドハントに応じる=心地 良くない(楽しくない)」と判断しました。よって、何 のためらいもなく、この話をお断りしました。
 

だけどスゴイ話ですよね。こんなちっぽけな僕にね。
世の中には、僕より頭が良くて、英語ができて、杜会 性のある人なんてごまんといるのに。僕の家柄なんか 全然良くないし、資産なんてな〜んにもない。たいし た人脈もコネも、ないないない。そんな僕に、どうしてそんなビッグな話が来るのかなあ?
小さい頃、「杜長になりたい」「お金持ちになりた い」という強い意識が、長い年月を経て現実化されよ うとしたのでしょうか? もしそうだとしたら、そのきっかけは何だと思いますか?
それは恐らく、「ツイてる」とか「感謝します」「あ りがとう」という魔法の言葉によって引き起こされた
のかもしれませんね。どちらかを選択する上で判断に 困ったら「楽しい方を選ぶ」。
今の僕は、杜長職よりも、すべての情熱を注いでい る現在の仕事の継続の方が楽しいと判断しました。で も、もちろん数年後は分かりません。常に楽しいと思 われる方を選んでいく、それだけです。

 


「おわりに」 に続く

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