ガブリエルへの反撃 3月15日

 14 日の夕方に始まったガブリエル陣地への砲撃は日付が15日になった後も断続的に続いていました。1er BEP、8e chocの出撃用意が出来ていたにもかかわらず、この二つの部隊の消耗を好まなかったラングレ中佐の意向で反撃の中心部隊は14日午後に降下したばかりの5e BPVNに託されることになりました。
 カストール作戦でディエン・ビエン・フーに降下し約1ヶ月間留まっていたとはいえ、4ヶ月間周辺の偵察を行ってきていた1er BEP、8e chocの土地勘に比べると、5e BPVNのそれはあまりに貧しいものでした。
 その点からいっても、部隊の配備位置(1er BEPはPC隣、8e chocは滑走路の南側、5e BPVNはエリアーヌ4)からいっても、前者2個大隊がガブリエル陣地へ向かうのが好ましかったと主張している書籍を多く目にします。

 ラングレ中佐が妥協し、1er BEP2個中隊(第3・第4中隊)がエルヴエ大尉指揮下の戦車小隊(ブルー小隊)の援護の下、ガブリエル陣地への反撃へ向うことになったのは日の出間近の5時30分。
 もう一つの戦車小隊(ルージュ小隊)は、この反撃の中心的役割を果たすはずの5e BPVNを合流地点で待っていましたが、予定時刻になっても現れず、エルヴエ大尉の命令で先鋒部隊に合流するため北上を始めます。 

  7時45分、2台の戦車と1er BEPの一部はガブリエル陣地の鉄条網まであと50mという所まで来ていました。
 ここで後の調査委員会でも問題になった「無線連絡解釈の誤り」が起き、ガブリエル陣地の守備部隊の一部が撤退を開始してしまいます。これが引き金となり8時には全ての部隊に撤退命令が出されました。
 この頃になってようやく5e BPVNの一部がガブリエル陣地近くに到着。しかし何も出来ないまま来た道のりを引き返すことになります。約1時間後、5e BPVNの大隊長ボテラ大尉がユゲット3付近まで戻って来た時、彼はまだ北へ向かって進んでいる自分の部隊の一部と、前進せずに留まっていた部隊の一部を見て溜息をついたといいます。

 士気が低かったこともありますが、約束されていた道案内(1er BEPから派遣されることになっていたらしいのですが…)も来ず、雨の中の夜間移動、その上敵の砲撃という悪条件下で前進速度が遅れてしまい、「作戦失敗の大きな要因」と言われてしまった5e BPVNはある意味貧乏くじを引かされたといえるのではないでしょうか?