皆様、昇進おめでとうございます!

       という訳で、4月15日にディエン・ビエン・フーで日夜敵の砲弾を浴びつづけている将兵多数が昇進しました。
       ド・カストリ大佐は将軍へ昇進、ラングレ中佐は大佐へ、ビジャール少佐は中佐・・・などなど。階級章も各々お下がりを使うことになりました。
       ド・カストリ将軍の階級章は、お祝いのコニャック、ラッキーストライクと共に投下されましたが、公式の情報では敵の占領範囲内に落ちた、という事になっています。『Les 170 jours de Diên Biên Phu』によると「ユゲット5近くをパトロール中の1er BEP第4中隊がド・カストリ将軍宛の荷物を発見したが、コニャックの瓶は割れていた。将軍宛の煙草を吸いながら、危険を冒してまでPCに行くのはやめようということで意見が一致。敵の手に渡るよりは…と、階級章は埋めてしまった」とのことです。
       また、8e chocのトゥレ少佐(彼もこの日に大尉から昇進)によれば「RCPの連中が酒を飲んでしまい、階級章をナムヨムへ投げ捨てた」とのこと。公式見解以外のエピソードを読むと、あまり愛されていた司令官ではなかったようですね(笑)
       ド・カストリ大佐を将軍に昇進させるにあたって、ディエン・ビエン・フー陥落間近と予想していた上層部の中には「敵も捕虜にした司令官が大佐だったら(将軍を捕虜にするよりも)残念がるだろう」という考えから反対していた人もいたそうですが、結局陥落寸前のDBPの士気向上という名目で昇進が決定したそうです。


「カマロン」の日

       4月30日は「カマロン」の日。外人部隊の記念日です。ラングレ大佐、ビジャール中佐などに外人部隊の名誉階級が授与されました。
       ここでド・カストリ将軍が驚くべき行動に!なんと、自分から外人部隊の名誉伍長を所望したというのです。もちろんそれは予定外の事でしたが、外人部隊代表のルムニエ大佐は仕方なく将軍の希望通りにしてあげたそうです。

キライッキライ〜ッ!

       人間誰しも嫌いな人がいるものです(断言するなって…;)。それが戦争という己の生死が関わってくる場合、しかも負け戦となると、よくぞ逆ギレしないものだと感心せざるを得ません。男性は喧嘩した後でも何事もなかったかのように話をする傾向が強いようですが、こんな所も男性が戦闘に向いている理由の一つかもしれませんね。私だったら「ちょームカツク!」とか言って、無視しちゃうかも(笑)。
       さて、そんな話はさておき、ディエン・ビエン・フー関連の本を読んでいると「○○は△△が嫌い」だの「××は信用できない」だのといった下りを多く目にします。文字になって後世に残るくらいですから、よっぼどあからさまだったのでしょうね。
       ド・カストリ将軍が部下から信用されていなかったのは仕方のない事ですが、そんなカストリ将軍にも気に障る部下がいました。ドミニク陣地を守備していたRTAのギャランドゥ大尉。カストリ将軍は、何度かハノイのコニー将軍に、彼を交替させるようにと要請したようです。理由は「彼では丘を守りきれない」。
       その他にもラングレ中佐の5e BPVN嫌い、ビジャール少佐の外人部隊嫌い等があったようです。8e chocのトゥレ大尉は参謀本部嫌いだったようですが、不運なのは3ヶ月間参謀本部に勤務した後に8e chocに配属になり、第1中隊の指揮を執ったサラン中尉。彼は当時からトゥレ大尉から目の敵にされていたらしく、8e chocの部隊記録書である『Epervier』の発行に際しても自分の扱いのひどさに文句たらたらで、書き直しを求めたとのこと。(『Epervier』の著者はトゥレ大尉とはサン・シールの同期で、仲が良かったようです…)