ある日突然志保が子供になっちゃうの。幼稚園児くらい。記憶も無くなってて、
浩之とあかりがなんとかしようとするんだけど、色々振り回されるの。
まぁまず夜は浩之が預かることにするんだけど、心配だからってあかりもやって
きて、あかりが志保をお風呂に入れて、身体拭いてる途中に志保が脱衣所飛び出
してきちゃって、とか(w
翌日はデパートに行って、お子さまランチ食べたり、あかりが志保に洋服色々着
せたり、あかりがいないときに志保がトイレ行きたいって言い出したり、迷子に
なって浩之とあかりがパパママとして呼び出されたり。


発端(w

  '⌒´`ヽ
〈 .ノ从ハハ ) 
 ヽゝ*^‐^ノゝ
 ⊂し卯J⊃ 

1 お前ホントに……志保か?
2 子志保さんだよもん♪
3 はじめてのおかいもの?
4 ステージデビュー!
5 戦略会議……?
6 着信音はBrand-New Heart
7 手がかり発見?
8 ゆびきり
9 お子さまランチの罠
10 お泊まり大作戦!
11 青少年の憂鬱
12 試練の時
13 月の魔力
14 おはよう
15 ねこさんアドベンチャー
16 子志保の逆襲
17 合ッッッ体!
18 Okosama-Lunch strike back!
19 プリンセスメーカー ピュア
20 高校生夫婦
21 気まぐれな鷹
22 急転
23 雨の中で
24 反成長剤
25 ほつれた糸の行方
26 さよなら、子志保
27 ありがとう
28 遠い約束




1  お前マジで……志保か?

 日曜の怠惰でそれでいて至福の夕方に割り込んできたのは、あかりからの電話だった。
『浩之ちゃん、あのね、ちょっとお願いがあるんだけど……』
 あかりからわざわざ電話で頼み事とはめずらしい。あとで思いっきり恩に着せてやろう。
「今日がオレの貴重な休日だとわかってて、それでも聞いてほしいというなら聞いてやろう」
『うん、ごめん……。それでね、実は、今すぐ志保の家まで来てほしいんだけど……』
「なにぃっ!」
 これから電車乗ってわざわざ志保の家まで? 冗談じゃない。
『浩之ちゃんお願いっ。ちょっとね、すっごい困ってるの』
「困ってるって……志保はどうしたんだよ」
『うん……そのことで困ってるの。電話で説明しても、浩之ちゃん信じてくれないと思うから……』
「うーん……、これから志保の家だろう……」
 断るのは簡単だったが、どうせ用事があるわけでもないからいいだろう。
「わかったよ、行ってやるよ」
『本当? ありがとう! もう私一人じゃ、どうしていいかわからなくて……』
 私一人? 志保の家なのに、志保のやついないのか?
 ま、そんなこんなで、オレは志保の家に向かった。
 ピンポーン
『はい、長岡ですけど……』
 と言いつつ、インターホンから聞こえるのはあかりの声だ。
「来たぞー」
『浩之ちゃん?』
 すぐに鍵が開いて、私服姿のあかりが顔を出した。そう言えば今日、志保の家に泊まるとか言ってたっけか?
「まったく、なんだってんだよ」
「あのね……」
 その時、オレとあかりの会話に突然割り込んできたのは、見たことのないガキんちょだった。
「あかいおねーちゃん、このひとだえ?」
「……は?」
 下から聞こえた声に視線を落とすと、そこにはだぶだぶのTシャツを着た幼稚園に入る前くらいの女の子がいた。
 茶色の髪と内ハネの髪型は、どことなく志保を想像させた。妹がいると聞いたことはないので、多分従姉妹かなんかなんだろう。
「やっぱりわかんないか……」
 子供を見ていたあかりはそうつぶやくと、ため息をついて言った。
「この人は、藤田浩之お兄ちゃんよ」
「んー……ひおゆき?」
「ひ、ろ、ゆ、き」
「ひ、お、ゆ、き?」
「ひ、ろ」
「ひ、お?」
「おーい、オレはいつまでここにいればいいんだー?」
 いつまでも終わりそうもないので、オレはそう言った。
「あ、ごめん。とりあえずあがって」
「あ、ああ……。って、勝手にあがっていいのかよ?」
 ここはあかりの家ではない。そう思ったから聞いたのだが、あかりの返事は冷たかった。
「うん、今は私と志保しかいないから」
「お、おう……」
 そこでふと気づく。私と『志保』しか?
「だけじゃないだろ、お前と志保と、――おいガキんちょ、お前名前なんてんだ?」
「しほ! ねーねー、ひお、ごほんよんで」
「そうじゃないだろ、お前の名前だよ」
 そこにあかりが割り込んできた。
「浩之ちゃん、この子、志保なのよ……」
「なんだよ、同姓同名? 従姉妹ったって、そりゃまずいんじゃないのか?」
 あかりはまた大きくため息を付くと、疲れた風に言った。
「違うのよ。この子が、志保本人なの……」
「……は?」
 耳がおかしくなったらしい。オレはもう一度聞いた。
「なぜかわからないけど、この子が志保なの。ちっちゃくなっちゃったのよ……」
「……えええっ!?」
 オレの叫びは、長岡家の中に響き渡った。


2  子志保さんだよもん♪

「……というわけなのよ」
「ホントかよ……」
 いまベッドで遊び疲れて寝ている幼稚園前の子供が、あのうるさい志保だなんて、とうていオレには信じられなかった。
 だが、あかりが嘘をついていないことはわかった。志保と組んでオレをはめようとしているのかとも思ったが、オレはあかりの嘘ならほぼ見破る自信はあるし、それもないだろう。
 しかしそうなると、この子供が本当に志保だと言うことになってしまう……。
 ジリリリリリン
 その時、長岡家の電話が鳴った。
「ど、どうしよう……」
 そう言ってあかりはオレの方を見る。
「どうしようって、お前が泊まりに来てること志保の両親は知ってるんだろ? なら、出ないとまずいんじゃないのか? 志保はちょっと出てるって事にしてさ」
「う、うん……」
 そう言って、あかりは電話へと向かった。ちょっと心配なので、オレもついていく。
 志保は……寝てるし、大丈夫だろう。
「はい、長岡ですが……あ、はい、あかりです。志保ちょっと買い物いってて……は、はい……ええっ!」
 なんだなんだ?
「は、はい……はい……はい、わかりました……、はい、伝えます。……はい、それでは失礼します」
 そしてあかりは静かに受話器を置いた。
「浩之ちゃん、どうしよう。志保の両親、今日帰ってきちゃうんだって!」
「マジか? どう説明すんだよ……」
 志保の両親は今日は帰ってこないはずで、だからあかりが泊まりに来たのだと言っていた。
「どうしよう……」
 あかりは本当に困っているようで半べそになっていた。オレをはめようとしているわけでは完全に無さそうだ。
 それならば、とにかく、志保がちっちゃくなってしまった原因を調べなければならないだろう。
 うまく志保を戻せればそれでよし。戻せなければ……今は元に戻すことを全力で考えよう。
「しゃーねーな、とりあえずうち行くか」
「え?」
 半べそのあかりが、驚いたような声を上げる。
「あかりの家、家族いるんだろ?」
 うなずくあかり。
「ならどうせうちは誰もいないし、それが一番だろ。それとも、志保の両親に本当のこと言うか?」
「……言えないよぅ」
 あかりは首をふるふる振った。
「だろ。ならしょうがないじゃんか。とりあえずオレんちでどうするか考えようぜ」
「う、うん……」
 その時ちょうど、志保が起きてきた。
「あかいおねーちゃん……、ひお……、なにしてゆの?」
「あ、志保ちゃん……」
 あかりはぱたぱたとスリッパの音をさせながら、志保――オレ的にまぎらわしいので、これから子志保と呼ぶことにしよう――の元へ向かい、しゃがみ込んで頭を撫でた。
「ちょっとお電話してたのよ」
 さっきからずっとだが、あかりは子供のあやしかたが上手い。どこで覚えたのだろうか?
「おい、子志保」
「ひお、なんだー?」
 子志保が足下にやってくる。
「浩之ちゃん、子志保……って?」
「こいつの呼び方だよ。同じだとまぎらわしいからな」
「しほ、こしほなの?」
「ああそうだ、よくわかったな」
「あかいおねーちゃん、しほ、こしほなんだってー」
 誉められて喜んでいるのか、子志保は笑顔であかりに報告に行った。うっ、なんだか可愛いぜ……。普段の憎らしい志保とのギャップが大きいせいだな。
「よし、子志保、出かけるぞ!」
「おでかけ? しほおでかけすきー」
「浩之ちゃん……、と言っても、しょうがないか……」
 あかりも観念したように、立ち上がってそう言った。


3  はじめてのおかいもの?

「ねぇ浩之ちゃん、デパート寄りたいんだけど……」
「はぁ、お前何言ってんだ?」
 今は子志保をオレの家に連れていく途中なのだ。必要以上に他の場所に行って、疑われるようなことをするのはまずいだろう。
「でもね、実は志保ちゃん、これしか着てないのよ」
 そう言ってあかりはオレが抱き上げている子志保を指さした。出会ったときから、だぶだぶのTシャツを着ている。
「……わかった、買いに行こう」
 オレとあかりと子志保は、デパートの子供服売場に向かった。
「おかいものすゆの?」
「ああそうだぞ」
 適当に返事をする。子供というのは、返事がないと怒るが、返事があればとりあえずなんでもいいらしい。
「浩之ちゃん、お金持ってる?」
「オレがか? まぁちっとはあるけど……」
 財布の中にはなけなしの五千円札があるはずだ。一週間分の食費も兼ねている。
「私もあんまり無いの。足りればいいんだけど……」
 あかりがいくら持っているのかしらんが、所詮は単なる服だ。足りないって事はないだろう。
「……げ」
 だがオレの適当な予想は見事に裏切られた。
「な、なんでこんなに高いんだよ……オレの服よりはるかに高いぞ?」
「ブランド物だもん、しょうがないよ。あそこのワゴン見てみよう」
 あかりは何の問題も無いかのようにそう言った。そういうものなのか……。
「あっ、これ可愛いっ! これもっ!」
 あかりは嬉しそうにワゴンを漁っている。オレは子志保を椅子の上に下ろして、疲れた腕を休ませることにした。
 子志保は皮のソファーに足の裏がぺたぺたくっつくのが面白いのか、ぺたぺたと足踏みをしている。
「おい、子志保」
「なんだ、ひお」
 いつのまにか呼び方まで同じになっている。小憎らしいやつだ。
「お前、なんでちっちゃくなっちゃったんだ?」
「こしほ、ちっちゃいの?」
 子志保は不思議そうに首を傾げた。うっ、可愛いかも……。
「あ、いや、まぁ、ちっちゃいんだけどな、その、なんだ……」
「ひお、だいじょうぶだお、こしほ、もっともっといーっぱいおおきくなゆよ」
 そう言って子志保は精一杯の背を高く見せようと、背伸びをした。と、その瞬間。
「あうっ」
 つま先立ちになっていたせいか、後ろに転がってしまう。
 オレはソファーから落ちないよう、慌てて手を差し出した。
「……げっ」
 倒れた表紙に、子志保が着ているTシャツがまくれあがる。
「や、やべっ」
 オレは慌てて志保を起こし、まくれてしまったTシャツを元に戻した。
 そしてちょうどもどし終わったとき、あかりが声をかけてきた。危ねぇ……
「浩之ちゃん、これとこれとこれ、どれがいいかなぁ……」
 手には三着の子供服を手にしている。
「そうだ、志保ちゃん、どれがいい?」
 だがオレの返事を聞く前に、あかりはしゃがみこんで子志保に聞いていた。
「こしほ……みーんないい!」
「そ、それはぁ……」
 あかりが苦笑している。そこまでは予算がないと言うことか。
「試着させてみればいいじゃんか」
「そっか、じゃあ志保ちゃん、着てみよっか」
「うん!」
 そう言って、あかりは子志保を試着室へ連れていった。
 子供状態と言っても志保の裸を見るわけにもいかず(ちょっとだけ見てしまったが、無かったことにしよう)、オレは外で待機することにした。
「……きゃっ、可愛いっ!」
「……これも可愛いっ!」
「……あーん、これも可愛いよぅ」
 なんとなくわかってきた。ようは、お人形遊びなんだろう。人形に着替えさせるのと同じ感覚に違いない。
「浩之ちゃん、どれがいいかなぁ?」
「なんでもいーよ。それより早く決めようぜ」
 しかし洋服が決まるまで、さらにあと3着の試着と30分の時間が必要だった……。


4  ステージデビュー!

「じゃーん、どう?」
「どう?」
 あかりが子志保を連れてトイレから出てくる。
 不審がられながら買った甲斐があったのか、子志保はオレでも可愛いと思うような格好をしていた。元が志保とは信じられないくらいだ。
 結局、シャツとオーバーオールのジーンズと、それと下着と靴。安い物でそろえたというのに、財布の中はすっからかんだ。
 まったく、これで今週の食費はパーだぜ。子志保が元に戻ったら、今週の昼飯は全部おごらせないと割に合わないな。
「ひおー」
 その時、子志保がオレのズボンの裾を引っ張った。
「なんだ?」
「あいがとー!」
 そう言って嬉しそうににっこり笑う。
 ……うっ
 可愛い……かも……。
 ま、まずい。なんだかわからんが、とにかくまずい!
「お、おう、良かったな」
 オレは慌てて立ち上がって、そっぽを向いてそう言った。これが子供の魔力なのだろうか? 例え子供であろうと、志保を可愛いと思うとは……。
「くすくす……志保ちゃん、良かったね」
「あかり、何がおかしいっ!」
 だが照れながら言っても、効果はないようだった。


5  戦略会議……?

「さて、とだ。とりあえず帰っては来たが……」
 オレとあかりと子志保は今、オレの家の居間にいる。
「うんうん」
「うんうんー」
「……とりあえずこれから、どうするよ?」
 そう。志保の両親が帰ってきてしまうからと逃げ出してきたはいいが、それ以外の問題は何一つ解決していないのだ。
「どうするって……どうしよう」
「どうしおー」
「……こいつがさっさと元に戻ってくれれば、すぐ済む問題なんだけどな」
 そう言いながら、子志保の方を見る。
「でも、どうやったら戻るのかなぁ?」
「もどーのかなー?」
 さっきから楽しそうにあかりの言葉を反芻する子志保。
 まったく人の気も知らないで……。
「まぁとにかく、なんか手がかり探すしかねーな。志保の鞄の中、もう少し調べてみよーぜ」
「そうだね」
「そーだねー」
 そしてオレとあかりが志保の鞄を開けようとしたとき……。
「ん……あかいおねーちゃん!」
「な、なーに?」
 突然、子志保が大声をあげた。
「こしほ、おしっこ」
 そう言って、身体を震わせる。
「あ、はいはい、浩之ちゃん、お手洗い借りるね」
「お、おう……」
 ぱたぱたと子志保を連れてトイレに向かうあかり。
 こんなんで、ホントに大丈夫なのか……?


6  着信音はBrand-New Heart

「よし、今度こそ調べるぞ」
「うん」
 オレたちは絨毯の上に直接座りながら、志保の鞄を前にしていた。
 子志保は今、テレビアニメを見ている。深夜にやっているアニメを録画しておいたのだが、意外なところで役に立ったようだ。
 特別放送だかなんだかで1時間やっていたやつなので、1時間静かにしていてくれることを期待しよう。
「じゃあ開けるね」
 そう言って、あかりが鞄の中を覗き込む。一応、オレは見ない方がいいだろう。
 ……ちゃ〜り〜ら〜♪
「きゃっ! ……びっくりした」
 その時突然、鞄の中から音が鳴り出した。志保の携帯だ。
「え、え、浩之ちゃん、どうしよう」
 動揺するあかり。
「どうしようって……とりあえず誰からだ?」
「う、うん……あ、これ、お家からだよ」
 そうか、忘れてた。志保の両親は、家に志保がいるもんだと思いこんでいたはずなのだ。
「ど、どうしよう」
「う……」
 オレは頭をフル回転させた。
「あかり、とりあえず出ろ。で、お前の家に行ったことにしとけ」
「え、う、うん……」
 おそるおそる携帯を受けるあかり。
「はい、もしもし……あ、はい、あかりです。あ、あの、やっぱり今日は私の家で遊ぼうって……、そ、そうなんです。帰ってらっしゃるっていうから、うるさくしたら申し訳ないかなって。……え、し、志保ですか? ちょ、ちょっと待ってください!」
 泣きそうな顔であかりがオレの方を見た。
「風呂に入ってるとか言っとけって」
 小声で言う。
 あかりは小さく頷くと、また携帯に耳をあてた。
「あ、すみません、志保、今、お風呂入ってて……。あ、はい、はい、わかりました……。いいえ、そんな……、はい、わかりました。それじゃ、失礼します」
 ほっとした表情で、あかりが携帯を切る。
 大きなため息をついて、あかりはその場に突っ伏した。
「つ、疲れたよ……」
「あかり、お疲れ」
 第一の関門は突破というところだろうか。
「か○ん!」
 後ろを見ると、子志保がアニメのアイキャッチを反芻して遊んでいた。


7  手がかり発見?

 結局、手がかりらしいものは何も見つからなかった。
「何もなかったね……どうしようか、浩之ちゃん」
「う〜、参ったな……」
 どうしようかと言われても、オレにもどうしたらいいかなんて不明だ。
「何度見ても、何にも無いよね……」
 あかりは志保の財布を再び広げ、お札やレシート、カード類を一枚一枚出してチェックしていた。
 待てよ……レシート?
「あかり、そのレシート、見せてくれよ」
「え……う、うん」
 何枚かのレシートを受け取る。日付は、みな今日のものだ。
 みな違う店のレシートで、何かを買っている。
「ふん……」
「浩之ちゃん、なにかわかったの?」
 まぁこれなら、とりあえず手がかりと言えるだろう。
「このレシートの店、行ってみようぜ。なんかわかるかもしんないし。……って、今日はもう遅いから、明日か」
 時計を見ると、8時をまわっていた。
「ひおー、あかいー」
 するとそこに、アニメを見終わった子志保がやってきた。
 くいくいと子志保がオレの服を引っ張る。
「こしほ、おなかすいたー」
 やや元気のない声で言う。それもそうだ、こんな時間だし、腹も減るだろう。
 そう思った途端、オレも猛烈に腹が減ってきた。
「浩之ちゃん、私もお腹空いたな」
「よし、じゃあ飯食いに行くか」
「こしほ、ごはんたべゆー!」
 そう言って立ち上がった瞬間、あかりが困ったような顔をした。
「あ、浩之ちゃん、私もう、お金無い……」
「げ、そう言えば……」
 オレとあかりの全財産は、あらかた子志保の服を買うのに使ってしまったのだ。
 だがその時、志保の財布がオレの視界に入った。
「なんだなんだ、志保のやつ、けっこう持ってるじゃんか」
「え、だめだよ、これは志保のだし……」
 あかりは慌てたように、志保の財布を後ろ手に隠した。
「何言ってんだよ、子志保に服買ってやったんだし、これくらいいいだろ」
「で、でも……」
 あくまで拒否しようとするあかり。それなら……。
「おい子志保、お前もお腹空いたよな。でもな、オレたち金無いから、なんにも食べられないんだよ……」
「……こしほ、おなかすいたお……」
 いい感じに泣きそうになる子志保。
「もう……わかったよ、私、ちょっと家に戻ってお金取ってくる」
「わりーな、あかり。今度半分払うからよ。いや、志保に全額払わせてやる」
 オレたちはとりあえずあかりの家まで行くことにして、家を出た。


8  ゆびきり

「お待たせーっ」
 寒空の中で待つこと数分。やっとあかりが家から出てきた。
「よし、子志保、何食いたい?」
「んー、んー、こしほ、やっくがいい!」
 子志保は一生懸命考えた様子をしたあげく、そう答えた。
「げ、晩飯にヤックかよ。まぁオレはいいけどよ……」
 あかりはどうだろうと思ってみてみると、案の定難色を示していた。
「ダメだよ、晩ご飯はちゃんと食べないと」
「……だってよ。子志保、それじゃファミレスでも行くか」
 そう言うと、子志保は唇をとがらせて言った。
「えー、こしほ、やっくがいいー」
 だだをこね始める。おいおい、まずくないか? これって、子供が暴れ出す前兆のような気が……?
「志保ちゃん、今日はお子さまランチ食べよ。ヤックは明日行こうね」
 そんな子志保を、あかりが諭す。なるほど、あかりのやつ、慣れてやがるな。
「ほんとにあした?」
「うん。約束ね」
 そう言って、小指と小指をからませる。
「ゆびきり、知ってる?」
「うん、しってうよ!」
 それじゃあと、あかりが絡ませた小指を降り始めた。
「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、ゆびきった」
 子志保もいっしょになって、舌足らずな言葉で歌っていた。
 うーん……。
 ほほえましいってのは、こういうのを言うんだろうな。
 まるで母と娘みたいだし……。
「じゃあお子さまランチ食べにいこー!」
「いこー!」
 そうしてオレたちは、近くのファミレスへと向かった。


9  お子さまランチの罠

「お子さまランチ、お待たせしました」
「わーい」
 ニコニコしながら、子志保がスプーンを鷲掴みにする。
「志保ちゃん、いただきますは?」
「いただきまーす」
 そう言うと子志保は、エビピラフをぱくっと口に頬張った。
 店の中は混んでいたが、運良く禁煙席のテーブルが空いたところで、オレたちは待たずにすぐ座ることができた。
 あかりが子志保と並んで座り、その前にオレが座る。
「おいしい?」
「うん、おいしーお」
 口いっぱいに頬張りながら、嬉しそうに返事をする。
 お子さまランチは、エビピラフ、ミートスパゲティ、たこさんウインナー、卵焼き、フライドポテト、ミニトマト、うさぎさんリンゴ、ゼリー、それにお約束の国旗とおもちゃが付いていて、なかなか豪勢に見えた。
 オレとあかりはエビフライのセットを頼んだのだが、混んでるせいかまだ来ない。
 ぐー、と、腹が鳴る。
「……子志保、うまそうだな」
「うん、おいしいお」
 ほっぺにご飯粒を付けながら答える子志保。
 口の回りはピラフでべとべとだ。
「……なぁ子志保、たこさんウインナ、一つくれよ」
 そう言って、お子さまランチのウインナーを一つつまもうとする。
「だめー!」
 だがその手は、子志保の叫び声によって防がれた。
「じゃあ卵焼きくれよ」
「それもだめー!」
「浩之ちゃん、可哀想だよ」
 あかりが止めに入ったが……いや、これって面白いぞ。
「じゃあフライドポテト」
「だめー!」
「しょうがない、リンゴ食うか……」
「それもだめー!」
「じゃあおもちゃもらっちゃおっかなー」
「こしほのとっちゃだめだおー」
 ぷぷっ、ムキになるところが面白い……。
「もう、浩之ちゃん」
「へいへい、わかったよ」
 子志保が半泣きになりかけていたので、オレはそのくらいで許してやることにした。
「エビフライのセットお二つ、お待たせしました」
「お、来た来た」
 いい加減腹も減ってたので、オレは怒濤の勢いでエビフライのセットを食べ始めた。
「……ん?」
 だが半分ほど食べたところで、視線に気づく。
「……おい、何見てるんだ?」
 視線の主は、子志保だった。呆けたような顔で、オレのことを見ている。
「ひお……たべうのはやい……」
 なるほど、オレの食事スピードに驚いているらしい。
「ふっふっふ……もっと早く食うこともできるぜ!」
 オレは3倍のスピードで……は無理だが、1.5倍くらいのスピードで食べ始めた。
「浩之ちゃん、ちゃんとかまないとダメだよ」
「まかせとけっ!」
 なにをまかせとけなのかはわからないが、そう言ってオレはエビフライを頬張った。
「……げほっ、ごふっ!」
 その途端、オレは咽に違和感を感じ、突然せき込んでしまった。口の中の物が、少し散らばってしまう。
「わ、わりい……」
「もう、汚いなぁ」
 原因は、エビの尻尾だ。勢い余って食べてしまったのだ。
「ひお、きたないー」
「な、なんだとっ、子志保だって口の回り汚いじゃないかっ」
「どっちもどっちだよ……」
 あかりが疲れたようにそう言った。


10  お泊まり大作戦!

「じゃあ私は帰るけど……」
「おう。また明日、8時頃来てくれよな」
 あかりの家の前で、あかりと別れる。
 子志保はと言うと、お腹いっぱいになったからか、オレの背中で眠っていた。
「でもホントに……大丈夫?」
「もう寝ちゃってるし、ま、一晩くらいなんとかなるだろ」
 正直不安はあるが、他に方法もないのだから仕方ない。
「うん……じゃあ、おやすみなさい。何かあったら、電話してね」
「おう、そんときは頼まぁ。じゃな」
 そしてオレは子志保を背負いながら、家へと向かった。
 時間は夜の9時をまわっている。帰ったらシャワーでも浴びて、寝るとしますかね……。
 明日は朝からあかりが来て飯を作ってくれることになってるので、特に考えなくていいだろう。
「ちょっと待てよ、子志保のやつ、この格好で寝かせていいのか?」
 子志保の格好は、シャツにオーバーオールのジーンズと、変わっていない。
「……ま、いっか」
 その時、背中の子志保がもぞっと動いた。
「……ひお?」
「おお、起きたか。寝てていいぞ」
 だが子志保は辺りをきょろきょろ見回して言った。
「……あかいおねーちゃんは?」
 うーん、ちょっとまずいか?
「あかりは、また明日の朝来るってさ。今日はもう寝ような」
「あかいおねーちゃん……」
 寂しそうに言う。だがまぁ、だだをこねられなくて良かった良かった。
「よし、着いたぞー」
 鍵を開けて、中にはいる。完全に起きてしまったようなので、オレは子志保を背中から下ろした。
「ひお……」
 子志保が不安そうな顔を、オレの方に向ける。
「こしほの、ぱぱとままは……?」
 げげっ、やばい!
 オレの顔はものすごく引きつっていたに違いない。
「今日はな、お兄ちゃんと一緒に寝ような、な」
 なんとかなだめようとしたが、子志保の寂しそうな様子は変わらない。
 おいおい……まずいな。泣かれでもしたら、どうにもなんないぞ。
 どうしょもなくなったら、最悪、あかりを呼ぶしかねぇか……。
 ……ピンポーン
 そう思っていたら、玄関のベルが鳴った。誰だ、こんな夜中に。
「はー……」
 出ようとして、オレは子志保がいるのを思い出した。隣近所に見られたら、ちょっと説明するのがめんどくさいだろう。
「子志保、ちょっと奥に……」
 だがその時、玄関の外から声が聞こえた。
『浩之ちゃん? あかりだけど……』
「あかいおねーちゃん?」
「あかりか?」
 すぐにドアを開ける。
 そこには、先ほどの格好にプラスしてバックを持ったあかりがいた。
「あかいー」
 さっきまでの不安そうな顔が嘘のような笑顔で、子志保があかりの足に抱きつく。
「ど、どうしたんだよあかり……」
 そう言いながらも、オレはかなりほっとしていた。正直、あの様子では一晩どころか一時間だって持たなかっただろう。
「やっぱり、ちょっと心配だったから、私も泊めてもらおうかと思って……」
 そう言って、あかりはバックを持ち上げた。察するに、着替え等が入っているのだろう。
「ああ、助かったよ。よろしくたのまぁ」
 オレはこの後の展開なんか予想もしないで、気軽にそう言った。


11  青少年の憂鬱

 どっくん、どっくん……
 心臓が波打つ。
 耳を澄ませると……

 うー、おめめ、いたいー
 もうちょっと我慢してね。今流すから
 ざざー
 はい、きれいになったわよー
 うー
 じゃ、今度は湯船つかろうね
 あつくない?
 大丈夫よ、そしたら今度はお姉ちゃんが身体洗うからね
 ざぱーん
 ざざー
 あかいおねーちゃん……
 どうしたの?
 おっぱい、おっきいね
 きゃっ! 志保ちゃんやだ、触っちゃダメ
 こしほも……おっきくなるかなぁ?
 もう……大丈夫よ、志保ちゃんはおっきくなったら、私よりずっと立派なんだから
 そうなの?
 そーう。はい、もうその話はお終いね。ちゃんと肩までつかってね
 うー

 ……はっ、オ……オレは何をしてるんだ?
 と思ったが、いやいやいや、健全な青少年たるもの、このくらいは当然!
 とまぁ開き直ってみたが……、いやしかし……
 風呂場の様子を妄想してみる。まず現れたのは……ハダカの子志保!
 おいおい、マジかよ……
 オレ、どうなっちまったんだ?
 し、しかも、興奮がおさまらん……
 と、とりあえず、このままじゃあ絶対にマズい……
 そう思い、オレは重い足を引きずりながらテレビの前に行くと、ボリュームをあげた。これなら、風呂場の音など聞こえはしない。
 だがそんなときに限って、入浴剤のCMが流れてたりする。
「……うがぁっ!」
 オレは慌ててチャンネルを、ニュース番組に変えた。
 そしてしばらくニュースを見続ける。しばらくして、やっと動悸が収まってきた。
「はー……、まったく、なにやってんだオレ」
 だが夜がこれだけで終わるはずはないのであった。


12  試練の時

 がらがらと音がして、子志保のはしゃぎ声が聞こえる。
 やっと、風呂からあがってきたのだろう。
 先ほどまでのおかしな感情も、今はもう無い。
 まったく、オレはどうかしてたらしい。
 ま、あれだな。いくら子志保とは言っても、本当の志保を知ってるからな。だから変なこと考えちまったんだろう。
 オレはそう結論づけることにした。
「あ、ダメよ、まだ身体拭き終わって……」
 そんな声と共に、居間の扉がばたんと開く。
「ひおー!」
「志保ちゃん! ……ってきゃぁっ!」
「お、おわぁっ!」
 振り向くと、そこには丸裸の子志保と、タオル一枚のあかりの姿があった。
「ひおも、おふろはいろー」
 あかりはすぐに脱衣所の方に戻ったが、子志保は濡れた髪のままオレのそばに来ると、オレの服をくいくいと引っ張った。
 というか……オレは完全に混乱していた。
 目の前には、何も着ていない子志保。
 恥ずかしがる様子もなく、笑顔でオレの服を引っ張っている。
 ぺたんこ……というか、それが当たり前なのだが、平らな胸。ぷっくりとしているお腹。縦すじがあるだけの下腹部。
 ……。
「ひ、浩之ちゃん、志保、こっちに連れてきて……」
 脱衣所の方から、焦っているようなあかりの声が聞こえた。
 そしてオレは、ほっとして子志保を抱き上げた。
 そのまま、脱衣所の方へ連れていく。
「ひおもおふろはいる?」
「オレは後でいいよ。それよりちゃんと身体拭かないと、風邪引くぞ」
 そう言って、脱衣所の扉の隙間から覗いていたあかりに子志保を引き渡した。
 そして冷静を装ったまま、居間に戻る。
「危ねぇ……、欲情だけはしないで済んだぜ……」
 オレは心底ほっとしながら、そうつぶやいた。


13  月の魔力

 な、なんでオレはこんな状況にいるんだ……?
 胸がドキドキしている。
 布団の中だというのに、まるで寝れそうにない。
「ん……」
 子志保がオレの真横で、寝返りをうつ。
 そう……今オレは、子志保と一つの布団で寝ている。
 というか、それだけじゃない。
「……浩之ちゃん、寝ちゃった?」
「……いや、まだ起きてるぜ」
 子志保の向こうから聞こえる声に、オレは返事をする。
 そう。オレとあかりと子志保は、一つの布団でまさに川の字状態になって寝ているのだ。
 こんな状況になった理由は、子志保をあかりに任せてオレが一人でソファーで寝ようとしたら、子志保がだだをこねたからだ。
「ひお、あかい、いっしょにねお」
「お、おう」
 子志保の笑顔の前に、オレには断るという選択肢が現れなかった。
 ハダカを見たとき欲情はしなかったから、ロリコンの疑いは晴れたと思っていたんだが……。
「ふふっ……」
 そんなことを考えていると、暗闇の中であかりが笑った。
「……どうしたんだよ」
「またこんな風に浩之ちゃんと一緒に寝ることがあるなんて、思わなかったなー、って」
 どきりとして、窓から差し込む月明かりだけを頼りに、あかりの方を向く。
 暗闇の中で、あかりが照れたようにしているのがわかった。
「これも、子志保ちゃんのおかげかな」
 オレは返事ができなかった。
 またしばらく、静寂に包まれる。
 時折聞こえる子志保の寝息が、オレを現実に呼び戻す。
「浩之ちゃん……浩之ちゃんはご両親と、こうやって川の字で寝たの、覚えてる?」
「……覚えてねーよ」
 物心ついたときは、もう一人で寝ていたような気がする。
「……多分、家族旅行の時とかは、川の字で寝たんじゃねーかとは思うけどな」
 それだって記憶にはないのだが、多分そうだろうと思ってオレは言った。
「私もそうかなぁ……。大勢で寝るのなんて、修学旅行くらいかも」
「ああ、そうかもな」
 オレは頷いて言った。
 またしばらく、静まりかえる。
 どうでもいいような話をしていたせいか、オレの心臓もやっと落ち着いてきたようだ。
「浩之ちゃん……志保、元に戻るかなぁ」
「……わかんねーよ。とりあえず明日、レシートの店行ってみようぜ」
 今どうこう考えても、仕方がないだろう。明日、行動あるのみだ。
「うん……でも、もし元に戻らなかったら……」
 おいおいあかり、何を言い出す気だ?
「私、子供好きだし……」
「――あかり」
 それ以上は、今は考えてはいけないことだ。
 オレはそう言おうと思い、上体を起こした。
「浩之ちゃん……」
 だが、同じく上体を起こしたあかりと目があって、オレは何も言えなくなってしまった。
 月の光には、魔力が有るとか聞いたことがある。
 やけにあかりが綺麗に見えて、オレはごくりとつばを飲み込んだ。
「あ、あかり……」
 と、その途端。
「うー、おしっこー」
「どわっ!」
「し、志保!?」
 あわてふためくオレたち。
「おしっこ……」
「あ、ダメよ、今連れてってあげるから」
 そう言うとあかりは、ぱたぱたと足音をさせながら、子志保をトイレに連れていった。
「……まさか、わざとやってるんじゃねーだろーな?」
 オレはそう思わずにはいられなかった。


14  おはよう

 とんとんとん
 小気味のいい音。
 くんくん
 漂ってくる味噌のにおい。
 ぺちぺち
 そして、顔が叩かれる感触。
 ぺちぺち
 眠いんだ、寝かせてくれよ……。
「ひおー、おっきしおー」
 あと5分……。
 声から逃げるように寝返りを打ち、身体を丸める。
「……ひおー、あさだおー」
「なんなんだ……」
 今度は目の前から声を感じ、オレはうっすらと目を開けた。
「……ひお、おきたか?」
「……どわぁっ!」
 オレは布団から跳ね起きた。
 え? 子志保?
「あ……そっか……」
 オレは昨日のことをやっと思い出し、大きく息を付いた。
「あかいー、ひお、おっきした!」
 台所の方へ駆けていく子志保。そこには、あかりの姿があった。
 そう言えば思い出す。
 三人ではベッドで寝れないからと、居間に布団を持ってきて寝たのだ。
「ふわぁ〜ぁ」
 オレは大きなあくびをした。
「ひお、おはよ」
「おう、おはよー」
 子志保を連れての二日目が、始まろうとしていた。


15  ねこさんアドベンチャー

「さて……まずは、どこから行く?」
 10時近くになって、オレとあかりと子志保の3人は、家を出た。この時間なら、もう店も開いてるだろう。
「おっでかっえおっでかっえー」
 子志保はスキップをしながら、オレたちの前を進んでいる。
「あ、浩之ちゃん、ここなら知ってるよ」
 そう言ってあかりが選んだレシートには、『ミリヤ』という店名が書かれていた。あかりによると、ファンシーショップ。ようは雑貨屋らしい。
「おいおい、そんなとこに手がかりなんかあるのかよ?」
「え、でも……じゃあ他の所に行く?」
「う……」
 オレは答えに詰まってしまった。確かに他に手がかりはないのだ、一つ一つつぶしていくしかないだろう。
「そうだな、わりぃ。とりあえず行ってみっか」
「うん……あれ?」
 その時、あかりが驚いたような声を上げた。
「浩之ちゃん、子志保ちゃんは?」
 あかりに言われ、辺りを見回す。……が、どこにもいない。
「おいおい、どこいっちまったんだよ」
「子志保ちゃん?」
 オレとあかりは慌てて辺りを見回す。
「おいおい、今の今まで目の前にいたじゃねーか」
 だが今はなんの痕跡もない。
「くそっ……あかり、お前はあっちだ」
「う、うん」
 そしてオレはあかりと反対の方へ向かう。
「子志保っ!」
 するとその時、突然足になにかがからみついた。
「おわっ!」
「ひお、うるさいお!」
 足を掴んだのは、子志保だった。垣根の下に入り込んでいたのだ。
「子志保……っ、お前、なにしてんだ」
 だが子志保は何も悪びれた様子なく、笑顔で言った。
「ねこさん、おねんねなの。しー」
 そう言って、人差し指を口の前でたてる。
「猫だぁ?」
 オレは地面に膝をついて、垣根を下から覗き込んだ。
 そこには、一匹の親猫と三匹の子猫が、仲良く並んで寝ていた。
 だが、オレが見たからか、親猫はすぐに警戒心をむき出しにしてきた。
「おっと、わりぃ」
 オレは慌てて立ち上がり、あとずさりした。
「ね」
 そんなオレに向かって、同意を求めるように笑顔で言う子志保。
「あ、ああ、そうだな」
 なにが『ね』なのかイマイチわからなかったが、その笑顔の前では、オレはそうとしか答えられなかった。
「よし、じゃあ子志保、猫さんたち寝てるの邪魔しちゃ悪いから、そろそろ行こうな」
「うん。……ねこさん、ばいばーい」
 垣根の下に向かって手を振る子志保。
 うーん、微笑ましいぜ。娘を持つってのは、こんな感じなのか?
 まぁ今は可愛いが、大きくなって志保みたいになるのはごめんだけどな。
「浩之ちゃん、こっちにはいないよ」
 その時、あかりが慌てたように戻ってきた。だがすぐに子志保の姿を認めたのか、ほっとしたような顔をする。
「良かった、もう……」
「あかいー、こしほね、ねこさんみてたの」
 あかりは子志保と同じ目線になるようしゃがんで、ちょっと怒ったように言った。
「もう、勝手にどこか行っちゃダメだよ」
「うー……ごめんなさい」
 うーん、まさしく母親と娘だぜ。


16  子志保の逆襲

「このレシート、イラスト入りの絆創膏だって」
 ファンシーショップ『ミリヤ』から出てくるなり、あかりはそう言った。
 女ばっかの店にさすがに入る気にはなれず、オレは外で待っていたのだ。中に入ると子志保が細かい物を漁りそうで怖い、というのもあったが。
「バンソコ? なんで薬局で買わないでこんな店で買うんだよ」
「え、でも、かわいいし……」
 まぁこの辺は、男と女の感性の違いなのだろう。
「こしほもはいうー」
 さっきから子志保は、オレの手をふりほどこうともがいている。
「子志保ちゃん、さ、ご用事終わったから、行こうね」
「やだー、はいうー!」
 子志保のだだはますます大きくなってきた。
 このまま店の前で続けてたら、営業妨害になっちまうぜ。
「ほら、子志保、行くぞ」
 だが無理矢理連れていこうとしても、子志保は嫌がるばかりだった。
『くすくすっ……』
 オレはどこからか聞こえてきた笑い声に気が付いた。
 ……げっ、店の中にいる寺女の生徒に笑われてるじゃねーか。
「ほら、行くぞ」
 耐えきれなくなって、オレは子志保を抱き上げた。
「やだー!」
 だがそれが引き金になったのか、子志保はついに大声でわめきだしてしまった。
「わ、や、やめ!」
「ひおのばかー!」
 おいおい、なんなんだよもう、どうすりゃいいんだ……
「浩之ちゃん、貸して」
 オレはあかりに言われるがままに、子志保を渡した。
「子志保ちゃん、ね、いいこだから」
 すると子志保はオレに言われたときとは別人のように、声のトーンを落とした。
「だってこしほ、はいいたいんだもん……」
 悲しそうに言う。
「でもね、もう次のお店いくからね。あ、猫さんいるよ、犬さんも」
「ねこさん?」
 あかりの視線の先には、ペットショップがあった。
「ほらほら、猫さんと犬さん」
 子志保を抱きかかえたまま、ペットショップのショーウインドゥへ向かう。子志保も意識を奪われているようだ。
「わぁ……」
「可愛いね」
 ショーウインドゥの中にいる、真っ白な猫に子志保は心を奪われているようだった。
「わー……すげぇ値段」
 その値段を見て、俺も思わずうなってしまった。
「しかし、あかり、今のお前の誘導は見事だったな」
 どうやら完全に子志保はファンシーショップのことは忘れてしまったらしい。
「うん……多分ね、他に興味を移させればいいんだよ」
「なるほどな」
 オレはこれでまた一つレベルアップした気分になった。
「浩之ちゃん、次はどこにしようか……」
 子志保がショーウインドゥにへばりついてるのを見ながら、あかりがレシートを取り出した。
 ファンシーショップのことは、まぁ忘れていいだろう。
「そうだなぁ……おっと、これ、駅前の薬局じゃん」
「……あ、ホントだ。全然気づかなかったよ」
 この薬局なら、ここからすぐだ。
 だが子志保をこの場から連れ出すのに、十分以上の時間を必要としたのだった……。


17  合ッッッ体!

「なんだった?」
「ううん、関係ないと思う」
 薬局から出てきたあかりは、力無く首を振った。
 何を買ったのかはわからないが、薬局という場所柄深く追求するのはやめておこう。
「んじゃ次はどうすっか……」
「ひおー」
 その時、子志保がズボンの裾をひっぱった。
「なんだ?」
 見ると、子志保はその場にしゃがみ込んでいた。
「こしほ、つかえた……」
「おいおい、まだそんなに歩いてないだろ」
 だが子志保は、その場から動こうとしなかった。
「もうあゆけない……」
「まったく……ほらよ」
 そう言って、背中を出してやる。
「わーい」
 子志保は喜んでオレの背中に覆い被さってきた。
「まったく、世話がやけるぜ」
 ふと見ると、あかりがオレを見ながら笑っていた。
「何がおかしいんだよ」
「あ、ううん、ゴメン。ただ、浩之ちゃんって優しいな、って思って」
 オレが優しいだ?
「何言ってんだ、ここでまただだこねられる方がやだっつってんだよ」
「ホントかなぁ?」
 あかりのとぼけた返事。
「このやろっ」
 両手は使えないので、ショルダータックルをあかりにおみまいする。
「あははっ、ごめんごめん」
「ごめんごめんー」
 背中では子志保が嬉しそうにあかりの言葉を反芻していた。


18  Okosama-Lunch strike back!

「ここも関係ないっぽいな……」
 デパートの文具売場で昨日志保が買った物は、単なる消しゴムだそうだ。
 これで残ったレシートはあと2枚。どちらも店名だけじゃ全然わからないので、電話して場所を調べないとならないだろう。
「ひおー、こしほ、おなかすいたー」
 背中で子志保が言った。
「じゃあ、そろそろお昼にしよっか」
「ああ、そうだな。上のレストラン街、行くか」
「いっかー」
 そんなわけでオレたちはエレベーターへと向かった。
 ちょうどやってきたエレベーターに乗り込み、あかりがレストラン街のある階のボタンを押す。
 エレベーターはわずかなGを作りながら、上へと登っていった。
「……わぁ」
 その時、子志保が驚きの声を上げた。
「……ああ、ここの眺めはいいからな」
 このエレベーターは、扉の反対側がガラス張りになっていて、外が見えるようになっていたのだ。
「あかい、ひお、すーっごいとーくまでみえう!」
「良かったね、子志保ちゃん」
「お、おい、危ないぞ」
 子志保がオレの背中から身を乗り出すようにして外を見ようとしたので、落ちそうになってしまったのだ。
 だがその瞬間、感嘆の表情で外を見る子志保の横顔が目に入った。
 う……やっぱ、かわいいっつーか微笑ましいっつーか……。
 これがあの志保だとは信じらんないぜ……。
「……どうしたの、浩之ちゃん?」
「あ、ああ、なんか、子志保が大きくなると志保になるってのが、信じらんなくてな」
 そう言うと、あかりはくすっと笑った。
「浩之ちゃんが育てたら、全然違う志保になっちゃうかもね」
「……どーゆー意味だよ」
 その時、エレベーターが目的階に着いた。
「えへへっ、さ、行こっ」
「まったく……」
 レストランは、子志保がまたお子さまランチがいいというので、洋食系の店に入った。昨晩もそうだったが、まぁ別の物を頼めばいいだろう。
 というわけで、オレはステーキ、あかりはカルボナーラを頼んだ。
「あー、肩こったぜ」
 ずっと子志保をおんぶしていたせいで、肩が重い。
「浩之ちゃん、ずっとおんぶしてくれてたもんね」
「まったくだ、子志保、飯食い終わったら、また自分で歩くんだからな」
 だが子志保は全然聞いてないようで、ちょうどやってきた料理に目を奪われていたようだった。
『お待たせいたしました、スパゲティカルボナーラと、お子さまランチと、……』
 料理がテーブルに並ぶ。どうやらオレも結構腹が減っていたらしい。
「ひおー」
 だがオレがフォークとナイフを取ろうとしたとき、子志保がオレの服をくいっと引っ張った。
「なんだ?」
「こしほ、こえたべう」
 そう言って、ステーキを自分の手元に引き寄せようとする。
「ふ、ふざけるなっ」
「やだー! こしほがたべうの!」
 おいおい、マジかよ……。まただだこねんのか?
「浩之ちゃん……」
 あかりまでもが、しょうがないよという顔でオレの方を見ている。
 まったく……しょーがねぇな。
 そこで、ふとオレは気づいた。テーブルの上には、ステーキとスパゲティとお子さまランチ。
 そして今オレの前には……。
「あ、こ、これはダメだよ、私が食べるんだから」
 オレの考えに気づいたようで、あかりがカルボナーラを手で囲う。
 マジか……
 かくしてオレは、思いもよらずお子さまランチを食べる羽目になってしまったのであった……


19  プリンセスメーカー ピュア

「わかったよ浩之ちゃん。三丁目だって」
 残った二枚のレシートの、とりあえず片方に電話してみたところ、以外に近くの本屋であることが判明した。
「よーし、子志保、行くぞ」
「うん」
 子志保と手を繋いで、暖かな日差しの下を歩く。
「あかいー」
 子志保が空いている方の手を、あかりに差し出した。
「はいはい、子志保ちゃんは、あまえんぼさんだね」
 オレとあかりに左右から手を握られて、子志保はごきげんのようだった。
 ふと公園の横を通ると、その中を本当の親子連れが歩いていた。
 オレたちと同じように、子供の手を左右から親御さんが握っている。
「……いっしょ!」
 それに気づいた子志保が、オレとあかりの方を交互に見ながら嬉しそうに言った。
「ははは、まだオレたちは高校生だけどな」
 そうつぶやいた瞬間、ふと未来のことを考えてしまった。
 五年後はないにしろ、十年後、十五年後なら……。
 ひょっとして、こういう風にしている可能性はあるだろう。
 その時、オレの隣を歩いているのは……
「浩之ちゃん、あれだね」
「……お、おう、着いたか」
 オレは慌てて考えるのを中断した。
 たどり着いた本屋は、繁華街の中心からやや離れているせいか、大きめの店舗だった。
 こんなとこにこんな大きな本屋があったとは、驚きだぜ。
 中に入るなり、子志保がおしっこだというので、あかりは子志保を連れてトイレに行った。
 その間オレは、本屋の中を物色することにする。
 おっ、他の店にはあんまおいてない出版社のマンガが置いてあるな……。
 なにっ、この雑誌、駅前のちっちゃなとこにいつも一冊入るだけなのに、ここには三冊も!
 うむ、ここは学校からの帰宅ルートに組み入れることにしよう。
 そんなことを考えながら歩いていた俺の視界に、ふと気になるコーナーが入った。
 なにげに適当な雑誌を取ろうとして、はっと気づいて辺りを見回す。ちょうど近くには誰もいない。
 オレは改めて、『週間育児』と書かれた雑誌を手に取った。
 その本は、オレの予想とはちょっとはずれていて、子志保よりももっと小さな子の育て方がメインの本だった。
 環境や接し方、食事や飲み物、果ては運動のさせ方や睡眠の取らせ方まで書いてある。
「……正直、あんまよくわかんねーな」
 オレはやや興味を失って、ぱらぱらとページをめくって元に戻そうとした。
 その時、不意に最後の方のページが目に入った。
 そのページは、読者から子供の写真を送ってもらって、それを掲載するという企画ページだった。
 産まれたばかりの子供から、子志保くらいのこどもまで、何十人もの写真が載っている。
「……子志保のほうが可愛いんじゃねーのか?」
 オレが見る限り、そこのどんな子供よりも、子志保の方が可愛いような気がした。
「浩之ちゃん」
「おわっ! あ、あかり!」
 慌てて本を閉じる。
「志保の買った本と同じ本、とりあえず買ったんだけど……」
「お、そ、そうか、じゃあ出るか」
 オレはごくさりげなく雑誌を元の場所に戻した。
「……何見てたの?」
「いやいや、なんでもないんだ。さ、行こう」
 そう言って、あかりの背中を押す。
「子志保、行くぞ」
 オレの呼びかけに答えて、ててて、と子志保がかけてきた。
「……やっぱり、だよなぁ」
「え、何が?」
「なんでもねー」
 子志保がやっぱり可愛いなんて、言えるわけねーだろが。


20  高校生夫婦

「うーん、志保に関係有りそうな記事はねーなー」
 公園のベンチに座りながら、オレはさっき買った雑誌を読んでいた。
 志保が昨日買った物と同じだというのだが、子供になった原因に繋がりそうな記事などあるはずもない。
「はー、やめやめ」
 オレは子志保の方に目をやった。子志保は半分埋めてある車のタイヤに乗ったり降りたりして遊んでいた。
 のどかな休日の昼下がりだ。日差しが温かい。
 ふと見ると、公園の反対側にも似たようなことをしている親子連れがいた。
「……向こうから見ると、オレたちってどう見えるだろうな。……って、どう考えても年の離れた兄妹ってとこか」
 オレは慌てて自分の考えをうち消した。まさか高校生の自分に、幼稚園くらいの子供がいると考える人はいまい。
「浩之ちゃん、どうだった?」
 そこに、公衆電話からあかりが戻ってきた。
「いや、なんもねー。ほら」
 そう言って、雑誌を渡す。
「そっちは?」
「うん、わかったよ。駅の裏の方にある古本屋さんだって」
 そう言いながら、あかりはオレの隣に座って雑誌をぱらぱらとめくり始めた。
「古本屋……か」
 それが、手がかりといえる最後の場所だ。だが今までの様子から、次に新たな手がかりがある可能性は低いと言っていいだろう。
「あいつ……、このままだったら……」
 そうつぶやきながら、オレはタイヤの遊び場の方を見た。
 子志保は、散歩に来ているらしいどこかの婆さんと話をしていた。
「お嬢ちゃん可愛いねぇ……お名前は?」
「こしほだお」
「こしほちゃんかい、いい名前だねぇ……」
 見事に祖母と孫という感じだ。まぁほっといても問題はないだろう。
 あかりが雑誌を見終わってから、その古本屋に行ってみればいい。
「こしほちゃん、パパとママは?」
「あっこ!」
「ええっ!」
 オレがぼけーっと話を聞いていると、事もあろうに子志保はオレとあかりの方を指さした。
「あらあら、良かったねぇ……」
 だが婆さんは、オレたちの方を見ても疑おうともしなかった。……見えてねーんじゃねーのか?
「……浩之ちゃん、どうしたの?」
 オレ声に驚いたのか、あかりが雑誌から目を離して尋ねてきた。
「おいあかり、オレとお前、夫婦みてーだぞ」
「え? え?」
 頬を赤く染めるあかり。
 オレは立ち上がると、子志保を呼んだ。
「子志保、そろそろ行くぞ」
「あーい」
 ててててー、と子志保が駆け寄ってくる。
「さ、行こうぜ」
 オレは婆さんに向かって会釈をしてから、あかりに向かってそう言った。
「う、うん、でも、え、今のって……」
 あかりはまだ『夫婦』という言葉で動揺しているようだった。


21  気まぐれな鷹

「なんかすげーとこにあんだな……」
 思わずオレは、そうつぶやいてしまった。
 ここは、駅の裏側の商店街のそのまた裏路地。
 まだ三時過ぎだってのに薄暗い場所だった。
「ホントだね、こんなところに古本屋さんなんてあるのかなぁ?」
 後をついてきているあかりも、半信半疑だ。
 唯一子志保だけが、面白がって歩いていた。
「知ってるか、あかり。古書を扱ってる店って、日陰にあるんだぞ。日に当たると本が灼けるからな」
「へー、そうなんだ、なるほど……」
 ま、マンガの受け売りの知識だけどな。
「お、あれじゃないのか?」
 やがて行く手に、薄汚れてはいるが一応『古書』と書かれているのがわかる看板が現れた。
 店は開いているのか閉まっているのかわからなかったが、引き戸に手をかけてみるとがらがらと音を立てて開いたので、オレは中に入った。
 店の奥では店主らしいおばさんが、山と積み上げられた本の整理をしていた。
 今日の対応はすべてあかりに任せてあるので、再びあかりがレシートを手にして店主の方に行く。
 とりあえずオレはその辺を物色することにした。
「ひおー」
 くいくいとズボンが引っ張られる感触。
「なんだ?」
「こえ、よんでー」
 そう言って子志保が差し出したのは、一冊の絵本だった。
 オレはしゃがみ込んで、絵本を受け取った。色あせた表紙が、時代の流れを感じさせる。
 ぺりぺりと音をたてながらページをめくると、中は以外にも綺麗だった。
「気まぐれな鷹……か」
 そう言えば読んだ覚えがある。いつもは反対意見ばかり言っている鷹が、仲間のために黙って危険に身をさらし、そのおかげで仲間は助かったのだが、誰もそのことを知らず、鷹が一羽自ら去っていく話だ。それでも自ら去っていった鷹が満足そうにしている、ってのが、子供心にはよくわからなかった。
 ふと子志保の方を見ると、オレが読み始めるのを今か今かと待っているようだった。
 読んでもいいのだが、あまり長時間ここにいるわけにもいかないだろう。
 裏表紙を見ると、300円と書いてあった。
「子志保、これ、買ってやろうか。で、家帰って読んでやるよ」
「ほんと!? あいがとー」
 そう言ってにっこりと微笑む。うっ……、やっぱ可愛い……。
「浩之ちゃーん、志保が買った本、わかったんだけどー」
 その時、店の奥からあかりの声がした。
「よし、子志保、買ってやるからな」
 オレは絵本を持って、奥へ向かった。
「あのね、この雑誌の、8月号だって」
「……なんじゃこりゃ。あいつ、こんなのに興味あんのか?」
 その雑誌は、『月刊魔術大全』という名前だった。
「あかり、なんか聞いたことないのかよ」
「ううん、ないけど……あ、でもそう言えば……」
 ここで手がかりがつかめなければ、また振り出しに戻ってしまうのだ。オレはあかりをせかした。
「そういえば最近志保ね、時々オカルト研究会の部室に行ってたみたいなんだけど……」
「オカルト研究会だぁ?」
 その言葉を聞いてまっさきに頭に浮かんだのは、来栖川芹香先輩の顔だった。
「先輩がなんか関係あんのか?」
「うーん、それは、わからないけど……」
 まぁそれでも、何も手がかりが無くなるよりはマシだ。
 オレたちは絵本を買ってから、古本屋を後にした。


22  急転

「しかし……」
 駅前まで戻ってきて、オレは頭を抱えた。
「いったい休日の今日に、どうやれば先輩に会えるんだ?」
「そうだね、オカルト研究会の部室に行っても、いないだろうし……」
 今現在の手がかりが来栖川先輩しかいないというのに、会って話を聞けなければどうしようもない。
「うーん、先輩の家に直接行くか、もしくは……志保の家に行って、買った雑誌見てみるって手も一応あるよな。もしかしたら先輩は無関係かもしれないし」
「うん……」
 だがあかりは消極的なようだった。
「でも、志保いないのに、私たちだけで行くのはおかしいよ」
 それももっともだ。
「そうだなー。じゃあとりあえず先輩の家に電話してみるか?」
「……ひおー」
 だがその時、ズボンをくいくいと引っ張られる感触があった。
「こしほ、つかえた……」
 そういうと、子志保はその場に座り込んでしまった。
 まだそんなに歩いてないと思うが……でも子志保は、本当に疲れているようだった。
「しゃーねーな、ちっと休むか」
「うん、そうだね……」
 辺りを見回すと、ヤックの看板が見えた。
「そういや忘れてた、子志保、お前、ヤック行きたいっていってたよな。行くか」
「あ、そう言えばそうだったね。私、全然忘れてたよ」
 そんなわけでオレたちは、ヤックに入った。ハンバーガーのセットを二つと、シェイクを一つ頼む。
 二階の窓際に陣取って、オレたちはやっと一息ついた。
「ふぅ、しかし、どうやって先輩に会えばいいかなぁ……」
「それより浩之ちゃん、今日志保帰らなかったら、志保のご両親、心配すると思うんだけど……」
 あかりの言葉を聞いて、思わず顔が引きつる。
「そ、そういやそうだよな……、完全に忘れてたぜ……」
 なんか一気にピンチになったような気分だ。いやピンチだ。ああ、混乱してる。
 オレはとりあえずコーラを飲んで気持ちを落ち着けようとした。
「……子志保、どうした?」
 その時になってオレはやっと、子志保がジュースに少し口を付けただけで、ハンバーガーにもポテトにも手を出していないのに気づいた。
「んー……」
 返事はあるものの、ふらふらしているように見える。心なしか、顔も赤いようだ。
「子志保ちゃん、熱でもあるの?」
 そう言ってあかりが子志保のおでこに手を当てる。
「……どうだ?」
「ちょっと、熱っぽいみたい……」
 あかりは心配そうな表情でそう言った。
「……まじぃな、とりあえず……一回、オレの家戻るか?」
「うん、その方がいいと思う……」
 来栖川先輩への連絡方法に、志保の両親への連絡をどうするか。
 考えなくちゃいけないことは色々あるが、なにより今は子志保の体調が心配だ。
 オレたちはヤックを包んでもらい、一度家に戻ることにした。


23  雨の中で

 苦しそうな息が、背中から聞こえる。
 オレは子志保を背負いながら、家路を急いでいた。
「おい、子志保、大丈夫か?」
 そう聞いても、荒い息づかいしか返事がない。
「浩之ちゃん、子志保ちゃん、どんどん顔赤くなってるよ……」
 横を歩くあかりが、心配そうに言った。
 子志保の容態は、ヤックを出たときよりも遙かに悪くなっているようだ。
「わかってるよ!」
 ついつい口調がきつくなってしまうのを、オレは止められなかった。
 ようやく家に着き、オレはすぐに氷嚢を用意する。あかりは、子志保を新しいTシャツに着替えさせていた。着ていたシャツは、もうぐっしょりだった。
「あかり、これ」
 そう言って、氷嚢を渡す。そして学校の連絡簿を引っぱり出す。
「く、く、くる……あった!」
 来栖川先輩の電話番号を探し当て、オレは急いで電話のボタンを押した。
 プルルル……
『はい、来栖川でございますが』
 一回のコールで、すぐに相手が出る。
「すいません、来栖川芹香センパイお願いします。あ、オレ、センパイの学校の友達で、藤田浩之っていいます」
 相手の返事も聞かずに、一息にそれだけ言う。
 早く、センパイに変わってくれ。そして、何か知ってることがあったら、教えてくれ。
『芹香お嬢様は、ただいま外出中でございます。ご用件がございましたら、承りますが……』
「くっ……すいません、また電話します」
 オレはそう言って、返事も聞かずに電話を切った。
 居間に戻ると、あかりが不安そうな顔でオレを出迎えた。
「浩之ちゃん、どんどん熱、あがってるんだけど……、お医者さん連れてったほうが……」
 保険証の件とか一瞬悩んだが、子志保の容態の方がよっぽど問題だ。
「わかった、連れてこう」
 こんなことなら初めから連れていけば良かったと思ったが、後の祭りだ。
「救急車呼ぶ?」
「いい、オレがおぶった方がはええ」
 そう言うなり、オレは子志保をおぶった。
 手は力無くだらんとさがり、しっかり押さえないとすぐに子志保は落ちてしまいそうだった。
 外に出ると、雲行きがあやしくなっていた。雨も降り出しているようだ。
「浩之ちゃん、傘は」
「いらねー! 先行ってるぞ」
 オレは子志保を背負ったまま、小雨の中に駆けだした。
 行き先は、近くにある小児科だ。あかりも知ってるはずだから、大丈夫だろう。
 雨は少しずつ強くなりだしてきた。背中の子志保は、ぐったりとしたままだ。
「おい、しっかりしろよ、絵本、読んでやるって言っただろ」
 だが古本屋でした約束にも、子志保は反応しなかった。
「くっそ……!」
 公園の角を見えた。あそこを曲がれば、目の前だ。
「……冗談だろ」
 だが小児科医院の入り口には、本日休診の札がかけられていた。
「すいませーん!」
 ドアをどんどんと叩く。だが反応はない。
 オレは玄関へ回ると、呼び鈴を何度も鳴らした。
「すいませーん! 急患なんです!」
 ドアをだんだんと叩く。だがそれでも、反応はなかった。
「浩之ちゃん!」
 あかりが来たのにもかまわずに、オレは呼び鈴を再び押した。
「すいませーん!」
 その時、隣の家の窓が開いた。
「ちょっとうるさいよ。そこのお家一家で旅行で、明後日まで帰ってこないわよ」
 そう言って、窓が閉まる。
 オレは、その場で呆然と立ちすくむしかできなかった。


24  反成長剤

「浩之ちゃん……」
 雨はどんどん強くなってきていた。このまま濡れていては、子志保のためにもっと悪い。
 ここで絶望にひしがれることは簡単だが、オレは子志保を殺す気はなかった。
「あかり、救急車だ。公衆電話ないか? なけりゃその辺の家で借りるぞ」
「う、うん。……きゃっ!」
 だがあかりが道路に飛び出そうとしたとき、唐突に目の前を黒ずくめのリムジンが通った。
「いったーい……」
 雨の中、尻餅をついてしまうあかり。なんて運転しやがるんだ!
「あかり、大丈夫か?!」
「う、うん……」
 リムジンは少し先で止まったかと思うと、扉が開いて運転手が姿を見せた。
 ちょうどいい、病院に連れていってもらおう。
「おい……!」
 だがその人影に、オレは見覚えがあった。
「……って、セバスチャン?」
 セバスチャンは雨に濡れるのもかまわずにうやうやしくお辞儀をすると、後部座席の扉を開いた。
 雨が降りしきる中、一人の女性が姿を現す。
「せ、センパイ!」
 それは、探し求めていた来栖川芹香先輩だった。
 先輩が小声でしゃべる。
「え、早く乗ってくださいって? じゃあやっぱり、先輩が関係あんの?」
 先輩はこくりと小さく頷いた。
 そうと決まれば、話は早い。オレはすぐさまリムジンの後部座席に滑り込んだ。
 あかりと先輩も乗せ、リムジンが走り出す。
 子志保の容態は、さらに悪くなっているようだった。
「死ぬんじゃねぇぞ……」
 そうつぶやいたオレに、先輩が小さな瓶を差し出した。
「え、これを飲ませてあげて下さいって? そうすれば治るのか? っていうかやっぱりこれ、風邪とかじゃないわけ?」
 オレが一気にたくさんの質問をしてしまったせいで、先輩は困った顔を見せた。
 そしてもう一度、小さな瓶を差し出してくる。
「とにかく、とりあえずこれを? わ、わかったよ……」
 オレは子志保をあかりに任せると、瓶のふたを開けた。軽い刺激臭が漂う。
 こんなの飲ませて大丈夫なのか? とも思ったが、ここは先輩を信じるしかないだろう。
「あかり、子志保の口、あけさせてくれ」
「う、うん……」
 上を向かせると、子志保は力無く口を半開きにした。その姿が、痛々しい。
「治ってくれよ……」
 オレはそう祈りながら、瓶の中身を半分ほど子志保の喉に流し込んだ。
「ぐ、ごほっ、ごほっ!」
 気管に入ってしまったようで、子志保がせき込む。
 もう一度、残った分を流し込むと、今度はなんとか飲んでくれた。
「子志保……」
 とりあえず容態が変わった風には見えない。そんな即効性はさすがに無いと言うことか。
「……センパイ、これ、何の薬なんですか? あと志保がちっちゃくなっちゃったのは、なんでなんですか?」
 オレは意を決して、先輩に尋ねた。
「え……」
 先輩が、小声で返事をしてくれる。
「今飲ませたのが、反成長剤で、その反成長剤を飲んだから、志保は小さくなっちゃったっていうんですか?」
 先輩は、申し訳なさそうに小さく頷いた。


25  ほつれた糸の行方

 リムジンの中で聞いた先輩の話は、にわかには信じられないものだった。
 志保が小さくなってしまった原因。それが、人間の肉体の成長を逆作用させてしまう薬のせいだったなんて。
 本当は先輩は、志保に頼まれて、一時的に成長する薬をつくったのだという。だが成長剤ができたと同時に、副産物として反成長剤もできてしまったのだそうだ。
 この辺は表と裏の関係だから、ということらしいのだが、とりあえずパスする。
 そして薬ができたと喜んだ志保が、間違って反成長剤を持っていってしまったのだという。すぐに気づけば、なんともなかったのですが……と先輩は落ち込んでいたが、ようは志保が悪いと言うことだ。
 薬の効き目は約一日で、時間が経つと元に戻るらしい。だがその時、副作用として身体に大きな負担がかかるのだそうだ。
 本来志保は大人になろうとしていたのだから、副作用があることはわかっていても、大人の体力なら大丈夫と言うことだった。
 だが今の子志保のように、子供の体力ではそうとうにきついらしい。
 さっき子志保に飲ませたのも反成長剤だと言っていたが、それは副作用を抑えるために飲ませたのだそうだ。
 事実、志保の容態は多少は良くなっているようだった。だが先輩曰く、元に戻るときに体力が持たなければ、結局は意味がないのだという。
「まったくこいつ……なんてことしやがったんだよ」
 オレは苦しそうにしている子志保の、汗を拭ってやった
 リムジンが、来栖川グループの経営する病院に滑り込む。
 そのまま子志保は、集中治療室へと運ばれた。
 それ以上オレたちにはなにもできず、雨に濡れた衣服を、病院の寝間着に着替えさせてもらう。
 雨に濡れてしまった読んでやると約束した絵本が、オレの手の中に残っていた。


26  さよなら、子志保

「子志保ちゃん、やっぱり志保だったんだよね……」
 病院の特別室とかいう部屋で、オレとあかりは待たされていた。
「そうだったんだな。あいつ……、なんでこんなこと……」
 そうは言ったものの、志保のことだ、きっと理由なんてくだらない事なんだろう。
「……もう、七時か」
 部屋に置いてある時計が、時間を教えてくれる。
 それと同時に、部屋の扉が開いた。
「……センパイ?」
 入ってきたのは、白衣姿の来栖川先輩だった。
「え……もう、集中治療室入っていいの?」
 先輩がこくりとうなずく。
「あかり!」
「う、うん……」
 オレとあかりは、先輩の先導に従って集中治療室へ向かった。
 そこは、様々な機械が置かれた部屋だった。
「子志保……平気なのか?」
 その部屋の真ん中のベッドで、子志保は横になっていた。胸部を中心に、何本かのコードが繋がっている。
 だがそれは先輩曰く、単に身体の調子を調べるためのものらしかった。異変が有れば、すぐに治療班が飛んでくるらしい。
「子志保……大丈夫なんですか?」
 その質問に先輩は、小さな声でわかりません、と答えた。
 もうとにかく、体力勝負なんだという。元の身体に戻るとき、体力が持つのか持たないのか。たったそれだけで、すべてが決まってしまうのだそうだ。
 懸命の治療の結果、今の容態は安定しているので、さっきまでと比べれば格段に生存率は上がったらしい。だがそれでも五分と五分というのが、正直な話らしかった。
「お願いだ、センパイ、悪いのは志保なんだけど、でも志保を助けてやってほしい」
 先輩はもちろんですと頷いた。
「オレ、子志保と約束したんです。この絵本……、読んでやるって……」
 だがオレの言葉に先輩は驚いた顔をすると、悲しそうに首を振った。
「え……そ、そうなんすか? もう、子志保として目覚めることはなくて、元に戻って目覚めるか、それとも永遠に目覚めないか……って、ホントに、ホントにそうなんすか?」
 先輩は申し訳なさそうに、小さくうなずいた。
 オレはそれきり、言葉を失ってしまった。
 ピ……ピ……
 病室がしんと静まり返り、時折機械音だけが鳴り響く。
 オレは子志保が寝ているベッドの隣まで行くと、そこにひざまずいてベッドに肘を乗せ、子志保の手を握った。
「浩之ちゃん……」
 心配そうな声で、あかりがオレのそばにやってくる。
「あかり……お前、子志保のこと、忘れないよな」
「……うん、忘れないよ」
 あかりははっきりとそう言った。
「オレさ、オレ……子志保と会えて、ホントに良かったって思ってる。……なんでかって聞かれてもよくわかんねーけど、あの笑顔は、一生忘れねぇ」
 あかりは黙って俺の話を聞いてくれていた。こういうとき、気心の知れた相手っていうのはありがたい。
「もう、子志保に会うことはできねーけど……絵本、読んでやることはできねーけど……それでも、ホントに、会えて良かった」
 オレはそこまで言って、子志保の手を握ったまま下を向いた。涙が、見られちまうと思ったからだ。
「だから……お願いだ、生きてくれよ……。志保に戻っていい。もう会えなくていい。だから、生きてくれ……」
 そう言って、オレはぎゅっと子志保の手を握った。


27  ありがとう

 ピ……ピ……
 変わらず無機質な機械音が、部屋の中に響いている。
 目の前の子志保は、ゆっくりと胸を上下させていた。
「浩之ちゃん……」
 あかりが、ゆっくりと口を開いた。
「まだ、遅くないよ」
 そう言いながら、子志保を挟んでオレの反対側へ行く。
 そしてその場にひざまずき、オレとは反対側の子志保の手を握った。
「今、読んであげようよ。絵本」
 オレは、子志保の枕元に置いてある絵本に目をやった。
『きまぐれな鷹』と書かれた絵本。
「あ、来栖川先輩……」
 あかりの驚いた声に気づいて見ると、先輩があかりの横で、同じくベッドに肘を乗せ、ひざまずいていた。
「いっしょに、握ってくれるんですね」
 あかりの言葉に、先輩はこくりと頷いた。
 オレはそれを見届けると、左手で志保の手を握りながら、右手で絵本のページをめくった。
 そしてゆっくりと、文章を読み始めた。
 一言一言、はっきりと。
 子志保に、ちゃんと聞き取れるように。
 途中何度もつまってしまったが、その度に読み直して。
 しっかりと、子志保の手を握りながら。
 最後の、一文字まで……。
「……これでおしまい、だ」
 そう言って、オレは絵本を閉じた。
 不思議と、心が澄んでいた。
 もうこれで、子志保との約束がすべて終わったからだろうか。
 別れる決意ができたからだろうか。
 気づくと、子志保の表情も、苦しそうなものではなくなっていた。
 安らかな、寝顔。起きているときに見せた無垢な笑顔に、負けるとも劣らない微笑ましさ。
 オレはもう一度、子志保の手をぎゅっと握った。
「……え?」
 その時、オレの手の中に違和感があった。
 握った手が、握り返してきたような気がしたのだ。
 オレは咄嗟に子志保の顔を見た。
 子志保は首をオレの方に向けると、ゆっくりと瞳を開いた。
 そしてとびきりの笑顔で、言った。
「ひお……、ごほん、よんでくえて……、あいがと……」
「……こ、子志保!」
 だがその時にはもう、子志保の目は閉じていた。
 そして次の瞬間、子志保の身体は、まばゆい光に包まれていた――


28  遠い約束

「……志保!」
 あかりが叫ぶ。
 ベッドの上には、一糸まとわぬ姿の志保がいた。
「え……あ、あかり……?」
 ゆっくりと目を開けて、あかりの方を見る。
「あれ……アタシ……どうしたんだっけ……?」
 そう言いながら上体を起こした志保に、あかりが泣きながら抱きついた。
「良かったっ!」
「ど、どうしたのよあかり……」
 ふらつきながらも、あかりを受け止める志保。
「……志保」
 オレは、その背中に声をかけた。
「え……あ、ヒロ……」
 志保はオレを見て、まるで寝ぼけているかのように口を開いた。
「お前、記憶は?」
 どうしても聞きたかったことを聞く。
「記憶……? ん……なんか、ぼやけてるのよねぇ……。アタシ、なにしてたんだっけ……」
 それが、志保の返事だった。予想していたことだ。
 オレは志保に背を向け、部屋を出ようとした。
「あ……そうそう、アタシ、あんたにお礼言わなきゃいけないのよ……。ありがと、って」
「……え?」
 オレは足を止めると、再び志保の方を向いた。
「それって、どういう意味で……」
「ほら、ご本読んでくれたじゃない……あれ? アタシ、何言ってるの……?」
 そう言いながら、志保は頭を抱えた。
「志保、大丈夫?」
「ごめん、ちょっと、頭痛くて……」
 志保が再びベッドに寝かされる。
 オレはそれを見届けずに、集中治療室から出た。
 手には、一冊の絵本を持って。
「子志保……」
 オレは窓際に立つと、いつのまにか晴れている夜空に向かってつぶやいた。
「またいつか、ご本、読んでやるからな」
 どこかで子志保が、とびきりの笑顔を見せてくれたような気がした。



Fin.

舞台裏……