「あんたは、ただの通過点なの。勘違いしないでくれる?」 それは、アタシの人生の中で、一番大きな嘘だった。 そして、月日は流れ……。 季節は、――春。 あの出来事から二年が経ち、その間にアタシはいくつもの経験をつみ、いくつかの決断をした。 そして今日、アタシはこの慣れ親しんだ学校を、卒業する。 「志保〜」 卒業証書の入った筒を振りながら、あかりがアタシの方へやってきた。 笑顔で、でも瞳のはしには、涙が光らせて。 「とうとう私たちも、卒業なんだね」 あかりが流すうれし涙は、とても綺麗だった。 思えば、あっというまだった。月並みなセリフだが、入学したのなんてついこないだのような気がする。 さらにその前の、あかりと知り合ったときのことが思い出される。あかりと親友になれて良かったと疑問無く思えて、アタシはほっとした。 「なんだ志保、お前も卒業できたのか」 あかりの後から、ヒロがやってきた。変わらない軽口。 アタシとヒロは、あの出来事を経た後も、単なる仲のいい友達として過ごした。 あの日以来、ヒロがアタシのことをどう思っているかは知らない。あかりとの仲も発展しているようには見えなかったが、あかりが悲しんでいないところを見ると問題ないのだろう。 「みんな、おめでとう」 やや息を切らせながら、雅史が駆けつけてきた。後輩にモテモテの雅史のことだ、大方第二ボタンでもせびられて逃げてきたに違いない。 アタシたち四人はしばしその場で、思い出話とこれからの事を話題に花を咲かせた。 あかりとヒロは、同じ大学に進む。雅史はサッカーの関係で他の大学に進み、そしてアタシは、関西の短大へ行くことを決めた。 一ヶ月ほど前、初めてそれを伝えたときは、みんな驚いたようだった。でも最後には、みんな祝福してくれた。それが、とても嬉しくて、とても悲しかった。 「あ、ごめん、そろそろ僕行かないと……」 やがて、腕時計を見た雅史が、慌てたようにそう言った。これから部の集まりがあるらしいのだ。 「そっか、じゃあ今日の所はこの辺にしとくか。どうせ明日もあるんだしな」 雅史が今日はダメなので、明日アタシたち四人の卒業パーティーをやることになっているのだ。 「じゃあね、雅史ちゃん」 「みんな、また明日」 そして、雅史を見送ってから、アタシたちは学校を出た。 駅までの道でも、話すことは思い出話ばかりだ。 思えば、本当に色々なことがあった。高校生活はあっというまだったような気がするのに、思い出は後から後から際限なく溢れてくる。 嬉しかったこと、楽しかったこと、そして、辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと……。 「じゃあね、志保、また明日」 「じゃあな、明日、遅れるんじゃねーぞ」 駅に着いて、アタシは二人に手を振って別れる。 数歩進んでから、アタシは何気なく振り向いた。――あかりとヒロが、仲良く歩いていくのが見えた。 これでいい。これでいいの。 もうとっくの昔に、わかっていたこと。 これこそがアタシの望んだ未来なんだから。 「……志保」 だが突然名前を呼ばれ、アタシは身体をびくっと震わせた。 聞き慣れた声に振り向くと、そこには雅史がいた。 「……雅史、なんでここにいるの?」 「ねぇ志保……」 そう言って、雅史はアタシの方へ近寄ってきた。 一体何なのだろう。意識せずアタシは、後ずさりしてしまう。 「僕たち、友達だよね」 雅史は笑顔で、そう言った。 「え……な、何言ってんのよ? どうしちゃったの、雅史? サッカー部の方はいいの?」 混乱した頭で、なんとかアタシはそう言った。 雅史が何を言いたいのか、全くと言っていいほどわからない。 「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」 そんなアタシの混乱を後目に、雅史は口調を変えずにそう言った。 ひどい、胸騒ぎがする。これが愛の告白じゃないことくらい、アタシにもわかる。 「あかりとヒロなら、もう家の方に向かったわよ」 アタシはそう言い捨てると、雅史の横を通り過ぎようとした。だけど、それは叶わなかった。 「志保、浩之とあかりちゃんの大学、受かってたんだって?」 思わず足が止まる。誰にも言ってないはずのこと。それを、よりによって雅史に知られてしまっている? 「雅史、その話……!」 アタシは雅史に詰め寄っていた。 「あ、大丈夫。浩之やあかりちゃんはもちろん、誰にも言ってないから」 雅史が慌てたようにそう言ったので、アタシはとりあえずほっとした。最悪の事態には、なってないということだ。 だがほっとしたのはいいものの、気まずさは隠せなかった。あかりとヒロが受かった大学に、実はアタシも補欠合格していた。だけどアタシはそのことを隠し、関西の短大を選んだ。 知られてはいけなかったこと。それを知られてしまった罪は重い。 「志保……同じ大学に行かなかったのは、浩之と離れるため?」 心に突き刺さる言葉。知られてはいけない本心。 アタシは言い訳として考えておいた言葉を口にした。 「このままじゃ、いけないな、……って思ったのよ」 雅史がどういうこと? と首を傾げる。話はまだ終わっていないのだから、当たり前だ。 「せっかくさ、あかりとヒロが同じ大学に行くのに、アタシもまた一緒だったら、二人の仲、進展しないじゃん。アタシ、それ、嫌なのよ」 これも、本心。何一つ、嘘は言っていない。 「それにさ、短大の方の授業にも興味あったし、なによりアタシがあかりたちと同じ大学行ったら、雅史一人のけ者で可愛そうかな、って」 最後の方はおちゃらけながら言ったが、これだって本心。 だが雅史は納得していないようで、静かに口を開いた。 「それ、違うよね。……だって志保、浩之のこと、好きなんでしょ」 笑顔が凍る。雅史の言葉が再び心に突き刺さる。 そう、今までの言葉は本心であり嘘でもないが、単なる隠れ蓑。 正直、雅史にここまで見抜かれているとは、意外だった。 そう思った途端、不安が胸をよぎった。 「雅史、このこと、あかりには……」 「言ってないよ。あかりちゃんも浩之も、気づいてるかどうかはわからないけど……」 アタシはほっとした。それならば、まだ大丈夫。 だけど、これ以上雅史をはぐらかすのは、無理かもしれない。 アタシはゆっくりと、口を開いた。 「いつから、気づいてたの?」 「えっと……ずいぶん前から、薄々とは思ってたよ。でもはっきり思ったのは、志保が浩之と同じ大学に受かってた事を知った時かな」 その言葉を聞いたとき、アタシははぐらかすのをやめようと決めた。 「そっか、雅史にはバレてたのね。隠し通せると思ってたのに」 努めて明るい口調で言う。 「志保……」 雅史が何か言おうとしたのを、アタシは手で制した。 「雅史の言うとおり、アタシ、ヒロのこと好きだったのよね。でも、ダメだったのよ」 わざとぼかす。これで雅史が、アタシが振られたんだと思ってくれればいいんだけど……。 「でさ、ちょうどいい機会だから、卒業と同時に新しいスタート切ろう、って思ってね」 明るく元気に言う。今のアタシは、希望に満ちあふれているんだ。そう思わせるように。 「もちろん、さっき言ったことも嘘じゃないのよ。ヒロとあかりをくっつけるためには、やっぱりアタシはいない方がいいと思うもの」 アタシの言葉に雅史は何か言いたそうだったが、やがてふっと息をついて言った。 「そっか……。ゴメン、志保」 「もう、なに謝ってるのよ」 いつもの口調で言う。それにつられたのか、雅史も苦笑いを見せた。 「本当は、色々言おうと思ってたんだ。志保が大学受かってたって知って最初はどうしようかと思ったけど、やっぱりほっとけなかったし」 本当ならいらぬお節介である雅史の言葉が、今のアタシにはとても嬉しい。 「だけど、志保がそう決めているのなら……。僕は、志保の意志を尊重するよ」 そう言って、雅史は笑顔を浮かべると、右手を差し出してきた。 「……ありがと、雅史。この話、ヒロとあかりには内緒ね」 そう言いながら、その手を握り返す。 雅史の言葉は、下手な慰めよりよほど嬉しかった。 「それじゃあ、また明日」 そう言って、雅史は去っていった。アタシは一人、改札へ向かう。 結局、アタシは本当のことは言わなかった。と言っても、雅史に嘘を付いたわけではない。ただ、言わなかっただけだ。 それは、アタシが未だ、ヒロのことを好きなのだと言うこと。そして、このままでは、ずっと好きで居続けてしまうんだと言うこと……。 アタシがどんなにヒロのことを好きでも、アタシがヒロと結ばれることはない。なぜならそれは、アタシが望んだことなのだから。 それでも、結ばれなくっても、近くにいるだけで嬉しかった。学校でバカ話をしたり、カラオケに行ったり、ゲーセンで勝負したり、ヤックに行ったり、それだけで十分楽しかった。 だけど……アタシにはもう、耐えられそうになかった。ヒロとあかりが少しずつ近づいていくのを見続けるのは、もう限界だった。 とても、辛かった。苦しかった。そして、悲しかった。 なんでアタシは、ヒロとつきあえないんだろう。そう思ってしまうことも、しばしばだった。 だからアタシは、逃げることにしたのだ。どんなにヒロのことが好きでも、どんなにヒロのそばにいたくても、もう会えないように……。 駅のホームに立つ。ここからは、三年間通った高校が見える。これももう、見納めかもしれない。 明日、最後にもう一度、ヒロたちと会う。 そしてアタシは、この場所から旅立つ。 あまりにも思い出の詰まりすぎた、かけがえのないこの場所から……。 「……きゃっ!」 冷たい風が吹く。 アタシは慌てて、スカートを押さえた。 だがすぐにあたたかい日差しを感じ、空を見上げる。 そこには澄んだ青い空が、広がっていた。 「サヨナラ……、アタシ……」 それは、高校時代のアタシへの、別れの言葉。 何よりも大切だった時を過ごしたアタシへの、別れの言葉。 「サヨナラ……」 空がにじむ。 あふれ出た涙が筋になって、頬を伝った。 ――春。 すべてが、新しくなるはずの季節。 だけどアタシの進む先には、どんな未来が待っていると言うのだろうか……。 |